1世紀キリスト教の源流を探り、21世紀のキリスト教を拓く旗手、N.T.ライト

初期伝承とキリスト教の起源

(元版はSewanee Theological Review 41.2, 1998に発表された論文だが、 著者の許可のもとNTWrightPage.Comに転載された。 さらにそれを著者の許可のもと日本語に翻訳したものである。)

N・T・ライト

イントロダクション

 ここまで私は歴史的議論の素描を試みた。そして初期キリスト教の始まりは、初期キリスト者自身が主張した「ナザレのイエスは屈辱的処刑後、死者の中から体ごと復活した。」と言うこの基盤以外に説明不可能だと論じた。しかしここで指摘しておくべき重要な点がある。私は普通復活が議論される時潜り抜けなければならないとされる数々の輪に煩わされずにこの結論に達っした、と言うことである。あの熊のプーさんがウサギの家を訪ねた後抜けられなくなってしまったような輪に…。空の墓、天使の噂、3日目問題、一世紀ユダヤ人の埋葬習慣、など。また、初期ユダヤ人と初期キリスト者、そして編集批評家もそれに加わり、相互に相手のプロパガンダと言い争ったこと、などの点について私は論じてこなかった。この講義においてもそれらの重要な問題に多くの時間を割くことはできない。その代わりに私がしようとしているのは、キリスト教がこれなしには起こり得なかっただろう「イエスのからだごとの復活」に関する信仰が明瞭に記述された、鍵となるテキストに十分語らせることである。これらのテキストは既に私たちが別の論拠で達した結論をしっかり支持する、というのが私の議論である。最初に取り上げるテキストは勿論パウロのものである。

パウロの証言

 この時点で大衆著作家たちに倣って次のように言う人がいるに違いない。曰く「復活について最初に言及したパウロが言っているのは『霊的からだ』のことではないか。彼は復活を非身体的な出来事として言っているのではないか。どちらにしても彼がダマスコ途上で見たキリストは私たちが『幻』と呼ぶその後も続いた宗教的体験として説明できるのではないか。初代教会はそのように復活を理解していた、あるいは了解していたのではないか。少なくとも大分後になって福音書に、イエスが湖の岸べに朝食を準備したり、焼いた魚を口になさったとかの伝承が収められるまでは…。」

これらの疑問に答えるにあたって先ず念頭に置くべき事。パウロは初代キリスト者の傑出した例であり、先の講義で見たように復活を徹底的に自己の思考と実践に組み込んだ人物である。もしパウロから復活を除いたら彼自身が崩壊してしまうだろう。また、パウロのパリサイ派の背景、特に最も厳格なパリサイ派として背景も指摘しておこう。パウロは、イスラエルの復興と、来るべき世で神が世界を裁きご自分の民を救出されることを、熱く信じていた。パウロほど第一世紀ユダヤ教の世界で復活の意味を知っていた者はいない。私たちが読もうとしているコリントの手紙第一15章の著者はこのような人物なのである。この文書は復活証言としては最古ものである。またより古い、原初期に遡る証言を含んでいる(Tコリ15:1-3,11)。ここにこそ私たちの入手可能な、復活に関する岩盤のような証言に触れることができる。

有名なこの章の冒頭箇所を暫く置き、8節から見ていこう。復活したイエスの顕現を目撃した者たちのリストの最後に、パウロはパウロ前伝承に加える形で自身への顕現をこう宣言する。「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(新共同訳)月足らずで生まれたような。これは衝撃的イメージで、帝王切開を髣髴とさせる。臨月前の赤ん坊が胎を切り裂かれて眩しい光の中に引き出され、新しい世界に生まれ出てやっと息をつくような図である。ここには自伝的な部分も含まれているに違いない。パウロがダマスコ途上で突然の光に目が見えなくなった時のこと。ちょうど自身が保持していた古い確信から引き裂かれ、新しい強烈な直射日光に対面させられるようなあの思い出が。しかし自伝的なものだけではなく、そこには私たちにとってもっと重要なものもある。

第一に、「月足らずで生まれたような」でパウロが明らかに言わんとしているのは、ダマスコ途上で彼に起こった体験は、他の使徒たちがイエスを見た体験と同じではない、と言うことである。パウロと同様、以前はイエスを信じていなかったヤコブも含めて、他の使徒たちはみな一つのパターンに属する。しかしパウロの体験はそれとは別のパターンに属する。彼の体験は他の使徒たちとは次元の違うものである。さらに言うと、彼は顕現が終了する前、滑り込みの復活証人であった。第二に、パウロがイエスを「最後に」目撃したと言う時、彼のダマスコ途上体験は、祈り、信仰、聖礼典と言う教会生活の中で知る復活の主、いわゆるその後の普通のキリスト者体験とは異なっている、と言うことである。使徒職を弁明している箇所であるTコリント9:1で「私たちの主イエスを見た」との主張にあるように、パウロは明らかにコリント教会の者たちとは違う意味で「イエスを見た」ことを示唆している。だからダマスコ途上の顕現後に体験した復活の主とは一線を画している。換言すれば、パウロはダマスコ途上体験を、彼に先行する使徒たちの復活顕現体験からも、(パウロも含めた)それ以後の教会を通しての復活の主体験からも、両方から区別しているのである。だからTコリント15章を根拠に、「ダマスコ途上の出来事」を一つのモデルにし、その他すべてのイエスの復活顕現をそのモデルに組み入れる、と言うことはできない。同様に、パウロのダマスコ途上での回心体験を、彼のその後のキリスト者としての体験とも(たとえそれがどんなに昂揚感を伴ったものでも)、彼が回心に導いた者たちの体験とも、同列に見ることはできない。

Tコリント15:1-7はパウロが言っているように、すべてのキリスト者が共有する最初期伝承を含む。コリント信者の中にはペテロを知っている者がいただろうし、他の使徒たちも何人かはコリントに来たことがあっただろうから(Tコリント1:12)、たとえ意図したとしてもその伝承を秘めておくことは当然出来ようはずも無い。この最初期伝承は、「イエスの埋葬」を含んでいるから、一世紀の議論で大変重要な話題であった「空の墓」のことにも触れるはずだが、パウロはこの点についてはあまり強調する必要を感じなかったようだ。(ジョン・ドミニク・クロッサンは体よくイエスの埋葬を議論から外し、暗に「イエスのからだはイースター日曜日の朝までに、遺体を気にかけていた者たちにはどこに行ったか分からなくなり、どこに行ったか知っていた者たちは気にもしなかった」と示唆している。)(1)一世紀パリサイ派の世界では、誰かが埋葬されて数日後によみがえったと発言することは、墓は空になったと言うに等しい。換言すれば、パウロにとって「イエスは葬られ、よみがえって、空の墓を後に残した」と言うのは、私たちが「私は足を使って道を歩いた」と言うのと同様、同義語反復であった。

Tコリント15:3-4に関し恐らく最も重要なことは、パウロとパウロが引用したと見られる最初期伝承が、復活についてどのような理解をしていたか、と言う点であろう。新しい宗教体験が始まったと言う意味ではない。死は終わりではなく、その先に何らかの命があるという証明の意味でもない。聖書が成就した、と言わんとしたのだ。言い換えれば、約束された「新しい世」が「今の世」の只中に突入し、神の国が驚きたじろぐ世界に明けそめたのだ。イエスの復活は、ブルトマンのような実存主義的な意味だけでなく、何よりも一世紀ユダヤ教の意味で、決定的終末的出来事であった。「聖書が言う通りに」とは、パウロが聖書を重箱の隅を突付くようにして復活を予見した箇所を見つけた、と言うことではない。聖書全体が「イエスの復活の出来事において、神が計画され約束されたクライマックスに達したことを物語っている」ということなのだ。

復活は、イエスがまさに聖書が指し示していたところのメシヤであることを顕にした。このことに伴って明白になったのは、十字架において聖書が語っていたことはクライマックスに達し、イスラエルの捕囚は遂に解除されたと言うことである。当然それはメシヤの死においてイスラエルの罪が解決されたことを意味した。メシヤは「聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだ。」(Tコリント15:3)のである。一節後の「聖書に書いてある通りに」の句は復活にも繰り返して言われているが、それは復活もまた聖書が語るストーリーの成就であることを示している。文脈から見て、直接的ではない、よりナレーティブで預言者的な聖書解釈であることを前提にして言えば、復活は、新しい世の始まり、偉大なる(捕囚からの)帰還、今の「悪の世」の暗黒後訪れる祝福の時、なのである。

早速次にTコリント15:20-26に移ることにしよう。ここでパウロは、イエスの復活を根拠に新しい世の到来には二つの段階がある、と論じる。先ずメシヤ。それから最後にメシヤに属する者たちの復活。最初の講義でも述べたが、復活したメシヤが魂とか、霊とか、御使いのような存在と理解されてはならない。メシヤは終わりの日に起こる「死者の復活」を待っている中間状態にいるのではない。メシヤは既に復活したのである。メシヤはからだを持った人として既に神の御前に挙げられている。メシヤは神のような立場からではなく、まさに人として既に世を治めている。パウロはこのポイントを、初期キリスト教で最重要視されていた聖書箇所である詩8篇と110篇を巧みに用いて強調している。パウロは25節で、イエスはメシヤがなすべき役目を成就したことを、「キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているから」(詩篇110:1)と描写している。さらに27節では人類全体が負うべき役目である「神は、すべてをその足の下に服従させた」(詩篇8:7)との役目を、今やイエスが担っていると描写する。つまり、イエスは単に地上的人間的存在から神的な存在に変えられたのではなく、天使的存在でも霊でもない。パウロによれば、イエスは真の人なのである。最も大切なのは、イエスが唯御一人なる神の主権を行使するお方だ、ということである。これは実に一世紀ユダヤ教「神の国」神学を、メシヤの死、そして身体を帯びた復活を軸に再解釈したものなのである。

この上に立ち、29節から32節にかけ、パウロはキリストにある死者がやがて再びからだを着せられることと、その未来のからだを持った命に変えられること、とを強く主張できるのである。このような見方に立つからこそ、当時教会でなされていた(コリント信者にとってはそうでなくても私たちには)ちょっと異様な「死者のためのバプテスマ」も、パウロ自身の使徒としての労苦も、説明出来るのである。「単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります。」(Tコリ15:32、新共同訳)教会にとって今と言う時は、将来与えられるであろう体を脱いだ命・存在になるために、「魂を育て」鍛えるためにあるのではない。メシヤをモデルとしてついに再び着せられる体を頂いて完全な人となるために「働く」ために、今があるのである。

しかしその体とはどんなものか。少し先に飛ぼう。

  兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。
  肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、
  朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。
  わたしはあなたがたに神秘を告げます。
  わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。
  わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
  最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。
  ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、
  わたしたちは変えられます。
  この朽ちるべきものが朽ちないものを着、
  この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
  この朽ちるべきものが朽ちないものを着、
  この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
  次のように書かれている言葉が実現するのです。
  「死は勝利にのみ込まれた。」
    (Tコリ15:50-54、新共同訳)

このようにパウロははっきりとそして強い調子で、体が捨てられるのではなく変えられるのだ、という信仰を表明している。現在の移ろいゆき、老化し、また弱さや病気そして死に服従させられている身体は同じ状態のまま継続するのではない。それが「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず」でパウロが言わんとしていることだ。パウロが『肉(サルクス)』を客観的な身体を表現する語として使うことは殆どない。大抵の場合『肉』は朽ちるもの、不服従な今の人類の姿の両方を意味する。神が用意なさっている将来に入るには『朽ちない身体』とも称すべきものが要る。死者は朽ちないものに復活し、私たち、つまりその大いなる日まで生きている者たちは「変えられる」のだ(Tコリ15:52)。並行箇所であるUコリント5章で明らかなように、パウロは現在の体が新しい体を「着て」、最早今のような体とは違う次元の身体を持つようになることを眺望している。それは単に死体が蘇生することではない。それでは死ぬ前の体と同じものに戻るだけである。それはまた身体を脱ぐことでないことは明らかである。そしてもしパウロがこのように将来のキリスト者の復活を眺望しているとしたら、イエスの復活に対しても同じ方向で論ずる、と考えられる。

これまで簡単に学んだ箇所の間に挟まる35-49節が、この章で最も複雑な部分である。ここでパウロは身体と言っても異なる種類があること、しかもこれらの異なる身体には連続性と非連続性があることを語る。36-38節では、「種」と「植物」の類比を用いて、二つの間に連続性と非連続性があること示す。楢とどんぐりは一つのものと言えるし、違うものとも言える。次に39-41節で、被造物にはそれぞれ違う種類があり、それに相応しく違うからだ、それぞれに固有の栄光があることを指摘する。これら二つのポイント−種の類比、そして違う種類の体があるということ−を根拠にして42-49節のポイントを展開する。それは復活の体と今の体は、「種」と「植物」の関係に似ており、同じ体でも異なる面を持ち、それぞれ固有の栄光がある、と言うポイントである。より詳細に言えば、今の体は「サイキコス(欽定訳では『自然の』)」であり、将来の復活の体は「プニューマティコス(欽定訳では『霊的な』)」である。

この最後の箇所でなされた区別は一体何を意味するのか。多くの人(著名な二人の主教も含め)は、パウロがここで言及しているのは、復活状態が非身体的とでも言うべきもの、別の言葉で言えば墓を空っぽにしてではなく、墓に体をすっぽり残した後の命である、と示唆する。この見方は新改訂標準訳(NRSV)が44節と46節にあるサイキコスを「身体的」と誤訳していることに影響されている。今や多くの註解者たちがその誤訳に従って解釈しているように、パウロの復活信仰は間違っていると主張する者たちもまた、そのように理解している。彼らは、この最もユダヤ的思想である章の議論に全く釣り合わない、ギリシャ的世界観を導入している。パウロは、「今の体」サイキコスと、「将来の体」プニューマティコスを対比しているのだ、ということを良く覚えておいて頂きたい。サイキは通常英語では「魂」と訳されるように、厳密にギリシャ的な意味でパウロを理解しようとすれば、今の体は非身体的−魂のような体−になってしまう。そんな解釈は明らかに成り立たないから、両方の語を実際に「身体的な体」と取るのが正しい。サイキコスはサイキ、あるいは『魂』によって活かされ、プニューマティコスは『霊』(明らかに神の御霊)によって活かされる。パウロは、このようにポイントを整理した上で、44-49節で復活を否定する者たちに反論しようとする。彼らは恐らく『霊的な体』が最初に造られ、それから『魂の体』が造られたと言っていたのであろう。パウロは、「いや順序はその逆だ」と主張する。まず今の『魂』によって活かされる体が造られ、それから将来『御霊』によって活かされる体が造られる。今の体はそのままでは永遠に存続し得ない。しかしだからと言って意味がないと片付けられるものではない。今の体は変えられる、造り変えられるのだ。

パウロは紀元50年代初頭の著作において、全教会が信じていることを論拠にして、イエスの復活について幾つかの事柄を主張しているのである。

一、イエスの復活は創造者なる神が、古くからイスラエルに約束しておられた「彼らの罪」からの赦し、つまり捕囚からの解放を成就された時なのである。それ故復活は、その結末としてイースターにおいて始まった死に対する勝利が、遂に完成する「終わりの日」を開始させたのである。

二、復活において、イエスの体は造り変えられたのであり、以前と同じような生命に蘇生されたのでも、以前の体が捨ておかれ腐敗してなくなったのでもない。

三、イエスは復活後、ある限られた期間ご自分が生きておられることを示し、その後は教会に違う形でご自分のいますことを示される。

四、イエスの復活は、すべての神の民が「終わりの日」の最後に復活することのプロトタイプである。

五、それ故、イエスの復活は、キリスト者にとっての将来への希望の根拠であるばかりでなく、現在の働きの基盤でもある。

ここまで詰めてきた議論に照らして、最初の講義のポイントを再度指摘しよう。Tコリント15章は、十字架の出来事からまだ30年程度しか経っていないこと、そしてそれよりさらに古い伝承を含んでいることを考えると、驚くほど明瞭で抱合的な叙述である。だからもう一度改めて質問しなければならない。何が一体このような純然たるユダヤ的伝統を、純然たるユダヤ教的再解釈でなし得たのか。何が一体パウロのような明晰な頭脳を持つ者に、ユダヤ的終末的希望をあれほど新しい形で語らせたのか。新しい形と言っても、ユダヤ教的希望を捨ててギリシャ哲学的思弁に変わったと言う意味ではない。そうではなく、ユダヤ人の希望は成就されたが、最終的成就は将来に残されている、と言う意味での再解釈である。より端的には、パウロがTコリント15章で語るイエスの復活、死を通り越して新しい存在に移ったこと、イエスの新しい体が身体的でありながらそれまでの身体性を超えたものでもあること、そのような新しさを持ちながらしかし依然として確固たる人間であること等、これらの見方はどのように形成されたのか、と言うことである。

以上のすべてのポイントは、ユダヤ教世界観に徹頭徹尾固く立脚する時に了解可能となる。キリスト教前のユダヤ教文学、またその意味ではキリスト教後のユダヤ教文学を含めて、このような方向で復活理解を展開させたものは皆無である。それ故歴史家は問わねばならない。なぜパウロはこのように理解するのか。パウロ自身の答えは至ってシンプルである。「なぜならイエスは死者の中から復活したから。」イエスの体は新しい次元の身体に革新された。それで、ユダヤ教内であいまいに思弁されてきた事柄が、突如この出来事に焦点を結び、その意味がはっきりした。以前はとても想像できなかったが、まさにこのように聖書は実現するはずであった。パウロが私たちの知るような福音書内容を知っていた、と考える理由はない。むしろ彼は全然知らなかったとする理由の方が多い。と同時に、パウロがこれほど詳細に描写するイエスの復活は、福音書に描写されているものに驚くほど共通している。

さてそれでは福音書が描写するイエスの復活に入っていくことにしよう。

福音書の証言

私はここまで大掴みな歴史的議論と、最古の文書資料であるTコリント15:1-9に集中してきた。これから視野を新約聖書と初期キリスト教の資料に広げるわけだが、パウロの観方がこれらのどの資料にあたっても再確認される事になる。パウロは福音書記者に依拠していなかった。福音書記者もまたパウロに依拠していない。しかし双方が言うことはよく噛み合っている。但し福音書記者の語る話は非常に変わっているので、想像しても分からないような諸点には入り込まない。(何人の女が墓に行ったか、何人の天使が女たちと会ったかと言うような事柄)。大きな歴史の絵から始めて細部に分け入るようにすれば、彼らの描く基本的な絵は、実際に記憶された史実へと辿ることが出来る、と考えて差し支えない。

それではこれらのことをすべて念頭に置いて復活物語に移ることにしよう。もう一度念を押すが、詳細な点(重要なものを含んでいるとしても)に気をとられて「木を見て森を見ず」にならないよう、全体の絵に留意することが大事だ。

私が言いたい主要点は七つある。

第一点。復活物語は、殆ど旧約聖書で着飾られることなく語られている。このことが先ず驚きである。驚きの一つ目の理由は、福音書記者が語ってきたここまでの時点―イエスのエルサレム入城、神殿での行動、オリブ講話、最後の晩餐、捕縛、尋問、そして処刑―物語りは段々と強拍を帯びてきただけでなく、聖書の直接引用・暗示・参照・エコーも一層拍車がかかってきた。埋葬記事でさえ旧約聖書の響きが聞こえる。しかしその後、復活の記事に入ると、まるでオーケストラ全体が休止してフルートのソロ演奏が新しいメロディーを奏でる、そんな語りになっている。学者たちがいつも言っているように、福音書記者は自由に手持の伝承を展開、拡大、解説、神学化、聖書化できるはずなのに、なぜ好適なこの箇所でそれをしないのか。

二つ目の理由はTコリント15:4でも見たように、最古の伝承時から、復活はまさに「聖書の書いてある通りに」起こったと見られてきたのである。墓にいた天使にせよ、あるいは弟子の1人にせよ、イエス自身にせよ、「こうなるはずであった」と聖書箇所に言及することが、他の多くのエピソードでなされたように、いかに容易いことであったであろうか。預言の成就として輝しく厳かに語られることが、いかに容易いことであったであろうか。第一マカベヤ書でシモン・マカバイオスの統治が聖書のあちこちを引用して格調高く語られているのが良い例である。

人々は安んじて地を耕し、
地は収穫をもたらし、
野の草木は実を結んだ。
シモンは地に平和をもたらし、
イスラエルは無上の歓喜に酔いしれた。
人々は、おのおののぶどうの木、いちじくの木の下に憩う。
彼らを脅かす者はいない。
(Tマカベヤ書14:8,11-12、新共同訳)

マタイは少なくともこのマカベヤ書以上に出来たはずだが、彼はそうしなかった。勿論ヨハネは、墓に走って行った二人は「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」(20:9)とコメントしている。ヨハネ福音書は数多くの聖書の暗示・イメージで散りばめられているが、最後の2章(56節)中聖書暗示は4回だけ。しかもそのうち復活に関して意義のあるのものは1つだけである。ルカはと言えば、かなりの分量を割いて、「エマオの二人の旅人」が、イエスが彼らに聖書を解き明かし、彼らの心が熱くなったこと、そして他の弟子たちの心の目を開いて聖書を理解させたと語る。この後の三回目の講義で見ることになるが、エマオ物語の中には一、二箇所、聖書のエコーかと思わせる点がある。しかしここが私の言わんとしている点だが、これらルカが語る物語には、非常に優れた文学的表現ではあるが、ミドラシュや釈義のようなものは見つからない。受難物語が旧約聖書の歴史的預言を下敷きにした全くの作り話だと言って憚らないクロッサンでさえ、復活物語については同様な主張を展開できない。と言うわけで、第一点、復活物語には、聖書からの装い・脚色が欠如していることが指摘されねばならない。どう言う理由でか、復活はまるで昨日起こった出来事のように、あるがままに綴られている。

第二点に進もう。この点に関しては度々指摘されてはきたが、十分に念頭に置くべきものである。復活物語は、通常の様式批評範疇には容易に収まらない。既に指摘したように(2)、通常の様式批評範疇は根本的な修正が必要であるが、とにかく復活物語のような、密にそして軽いタッチで語られているものは、「共同体使用の範疇」には様式的にうまく収まらない。一、二の「語録」は「宣言物語り」に入るかも知れない。大漁の話のような奇跡物語りなどがそうである。しかしこれらの物語が、初代教会で独自に流布していたとして、何の目的で、と論じて行くには余りにも足りないものが多い。特にこれらの物語は、ユダヤ人のスタンダードな幻視物語形式との共通点が少ない。聖書が成就したことを主張したいがために、単なる作り話である幻視物語にそれを反映させるようなケースのことだが…。この点でも、前の点に引き続き、復活物語は驚くほど独自である。率直に言って、復活物語は当時の物語のどれにも当てはまらない。だから文学の面で何か似たものを探そうとしてもことごとく失敗する。

第三点は第二点に近接している。復活物語でのイエスの描写は二つの点で驚きである。
第一に、イエスは輝かしい天的な存在として描かれていない。変貌山の記事のような栄光はかけらもない。この点、変貌山物語を復活物語が間違って挿入されたものだ、と主張する者たちは失笑ものである。イエスとの邂逅あるいは目視は、天の幻やあるいはユダヤ黙示文学やメルカバ伝承に見られるような、雲上の存在や、目もくらむような眩い光中の姿からは程遠い。つまり復活物語は、簡単に言って、イエスが神的存在に昇華したとも、天的栄光を着せられたとも、語ろうとしないのである。イエスは一個の人間として、人々の中に現れている。復活物語は、一世紀半ばか後半に、あるグループかあるいは著者が、聖書に書かれている事柄を下敷きにして作り上げたものである、と暫く想像してみよう。著者はどの聖書箇所を使うだろうか。第二神殿期、またラビ期のユダヤ教文書中、圧倒的に可能性があるのは、ダニエル書の以下の部分である。

多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。
ある者は永遠の生命に入り
ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。
(ダニエル12:2-3、新共同訳)

最初の講義で見たように、このテキストはイエスと同時代人であった『ソロモンの知恵』の著者によって取り上げられた。その中で著者は、正しい者は「輝き渡り、わらを焼く火のように燃え広がる」と預言する(3:7)。しかし福音書では、イエスの復活は全くと言っていいほど、このようには書かれていない。なぜ福音書記者はイエスを「輝く星」のように描写しなかったのであろうか。

第二に、イエスは、殆どいつも通りの体を持った、しかし非常に不思議な面も備えた、人間として描かれている。同じ箇所で、イエスは焼いた魚を食べたことが語られ、自由に現れたり消えたりし、現れた一場面では近しい友人がイエスと分からなかったとし、最後には天に挙げられたと綴っている(ルカ24:36-52)。可笑しなことに−面白いではなく独特なと言う意味で−今でも多くの研究者が、「ルカは一世紀後半になって仮現論(イエスは実際に人間ではなく、ただそのように見えただけだ、という論)に対抗するために、イエスの身体性を示す物語を作り上げたのだ」、と言う古びた論にしがみついている。もしそれがルカの目的であれば、正直なところ、体がありつつ閉じた扉を出入りし、天に挙げられた物語を書くだろうか。これは仮現論を否定するために、イエスは普通の身体性を持った者のように語ろうとする著者のすることではない。私たちは、正典福音書が、イエスが人間としての体を持ち、しかしその体が著しく変えられ、それ故新しい驚くべき性質を持った方として描かれている、と言う事実をどうにかして理解しなければならない。

このような驚くべき復活のイエスの描写から得られる結論は何であろうか。私には二つの選択肢しか考えられない。そして最初の選択肢は正直信じ難い。一つ目の選択肢はこうである。私たちは注意深い歴史的資料の読者として、マタイ、ルカ、そしてヨハネ(マルコに関してはこの後直ちに触れる)は、使徒パウロから、「身体が蘇生したのでもなく、また捨てられたのでなく変えられた」復活人間論を獲得し、しかし独自に違う物語を作り、この現象を聖書引用もなく、パウロ神学の痕跡も消し去った形で表現した、と結論する。あるいはもう一つの選択肢はこうである。福音書記者は、パウロのように、この新しい人間性が彼らの只中に出現したことに気付きはしたが、パウロのように、ユダヤ教黙示文学の文脈で流暢に描写することはせず、「その時は全く理解できなかった。今でもどれだけ理解しているか分からない。とにかくこんな風に起こったのだ。」、と自分でも怪訝な表情で誰かに語っている風な記述をしている、と解釈する。

私は後者が圧倒的に事実に近いと見ている。福音書は、パウロが理論的枠組みを提供している出来事−蘇生でも、身体性の消去でもなく、新しい身体性へと変化された出来事、前例もなく、それ以後まだ類例のない出来事−を、ほぼあるがままに綴っているのではないか。しかし福音書記者とパウロの間に依存関係は見られない。福音書が現在の形を取るまでに、初期の口伝が真正に保存された可能性が極めて高い、と結論せざるを得ない。これが福音書に残されている復活物語で描写されているイエス像に関する第三点に関し、私が達しえた結論である。

第四点は、編集批評的なことに関して。編集批評家たちは、福音書記者が、イエスをまるで自分たちの教会員のようではなく、イエスの時代に合致するよう注意深く描写していることを、認めるようになってきている。この点において、彼らは様式史批評家たちの業績を突き崩すことになるわけであるが、大変結構なことである。編集批評は、(時に不必要なほど)福音書記者は、イエスを同時代人として描写するが、殆ど事実に基づくものではない、と示唆する。しかし復活物語において、この点は鋭く問いただされなければならない。これらの物語は、マタイやルカやヨハネが読者に、「わたしたちの時代にもこのようになるのだ」、と示唆しているのだろうか。答えは明白である。勿論そうではない。福音書の記述を見れば、イエスの顕現は、その後の初代教会において継続的に体験されたようなものではないことは明らかである。ルカは、読者たちが、「エマオの旅人」のようにイエスに会うことなど想定していない。ヨハネは、漁師が再び岸辺でイエスが焼いた魚を食べることなど思い描いていない。マタイの描くイエスは、弟子たちといつも共にいるが、ガリラヤの山で再会が繰り返されると考えていない。誰かが、これらの物語は、実際教会において霊的な意味で起こる、隠喩やたとえ話のようなもので、福音書記者たちも、そのように受け取られると同意していたはずだ、と示唆したとしよう。これらの物語が、先ず実際に起こったことの記憶に基づいたものと想定し、後に隠喩やたとえばなしのような方向に発展したとすれば、それはあり得る話だ。しかし、もし展開が逆方向でなされたとしたら、それは不可能と言わざるを得ない。今まで指摘してきた「驚きの要素」が、逆コースの可能性を否定する。

第五点は、より一般的論点である。多くの新約学者たちに支持されている見方で、福音書の復活に関する記述、特にルカとヨハネのものは、伝承史的に後期の発展形で、その時点になって初めて、イエスをあからさまに身体を伴った復活として語る必要を感じた、と言うものである。私はこれを全く信じ難いと考えている。そもそも教会に受け継がれた諸伝承が、初期のギリシャ的性格のものから、次第によりユダヤ的なものに発展した、と言う見方は極めて特異であり、20世紀に広範に支持された説とは言え、歴史学的には根拠のない、非常識なものとして捨てるべきであると考える。もし発展形のモデルを探すとしたら、例えばヨセフスが示唆するように、伝承は次第にギリシャ的霊的方向に変化した、と取る方がより自然である。最初期のキリスト教において、ユダヤ教的受け取り方が圧倒的だったものが、諸事情で第一世紀の終わりにはギリシャ的なものに取って代わった、と見る方がはるかに可能性が高い。(もちろんこれとて注意深い検証無くして全面的に推薦できるものではない。)私が提案する見方はこうだ。ヨハネ福音書、ルカ福音書が最終的に今の形になったのが何時であれ、終わりの何章かに記録されている伝承は、真正の、初期の記憶に基づくものであり、何度も口伝され、共同体の中で伝承が練られて行ったにせよ、基本的なメッセージは変えられずに残った。いや、むしろ私たちが思うほど、伝承は練り直されなかったのかもしれない。だから旧約聖書の暗示による解釈が殆どなされていないのではないか。伝承が伝えるメッセージは、黙示文学的ユダヤ教の文脈、つまりイエスと初代のキリスト者の文脈で理解した時、最も意味が通る。第五点は、それ故、恐らく初期のものであった伝承を、可能な限り後代に引っ張ろうとする発達仮説に注意せよ、ということである。

第六点。マルコ福音書の終わり方について。マルコは、復活物語のようなものを入れるつもりだったのか。マルコの他の部分から、この質問にアプローチしてみよう。マルコは、読者に、ヤイロの娘の話を紹介している。彼は、イエスが「人の子は死者の中からよみがえる」と語ったことに、弟子たちが戸惑ったことを記している。さらに、マルコは、3回もイエスが弟子たちに、やがて迎える死とその後の復活を警告したことを語っている。最後に、マルコは、イエスがオリブ山で弟子たちに、またユダヤ人の審問でカヤパの前で、人の子はその正しさが証明され雲に乗って栄光の座につくことを強調している(再臨のように雲に乗って帰ってくるのではないことに注意)。マルコ福音書の組立は、その文法面と比較してはるかに洗練されたものである。彼は、苦難の警告が、十字架において強迫を打ちながら最頂点に達するよう物語を組み立てている。一体その後どう物語が続くと言うべきだろうか。

私は、数年間、マルコはポストモダニストのように、わざと福音書を暗い不可思議な終わり方で閉じようとしたのだ、と信じようとした。しかし今はそのような試みを諦めている。福音書は、「なぜなら彼らは恐れていたからである。」、で閉じることは文法的には出来たはずである。しかし組み立て方から言うと、無実を証明され、復活したイエスの物語抜きでは閉じることはできない。マルコ福音書の巻物は、かなり早い時点で、古代の巻物たちの多くがそうであったように、終わりの部分が消失し、また初めの部分もかなりの可能性で消失したのだ、と得心している。消失した終了部に何が書かれていたかは私には分からない。スティーブン・ニールは、マタイの終わり方とほぼ同じであったろうと考える。しかしながら、私は、マルコの語りは彼独特のものであったにせよ、マタイ、ルカ、ヨハネが語った仕方とそれほど違わなかったはずだ、と思っている。マルコの終わり部分には、復活したイエスが現れたり消えたりし、教えたり、派遣したり、そして最後に見えなくなった、という物語を持っていたものと、私は考えている。学者たちの間では、初期キリスト教の文書を新作することが許されているのだから、私たちも、ただこの一回に限っては、このように考えてもいいのではないか。

第七点。私が、福音書、そしてパウロが語る、不思議な、まだ聞いたこともないような話を正しく理解しているとしたら、昇天と呼ぶ問題だけでなく、その解決にも近づくことになる。十字架でのイエスの体と、復活の体の連続性は、私たちが解くべき問題を持っていることを意味する。変革したからだは、一方で福音書の特異な物語と、パウロの死をくぐり抜け、その向こうにある新しい国に入る神学を語らせ、また解決のヒントも与える。天と地、その間を移る時にかかる雲の言語表現は、一世紀においてすんなりと文字通りに受け取られた、と想定するのは正しくない。世界を三層に表現する人たちは、必ずしも世界が三層に出来上がっていると考えているわけではない。私たちが、太陽は東から昇ると表現するからと言って、コペルニクス前の天文観を信じているわけではないのと同様に。聖書において、天は、しばしば単に神の場所であり、私たちの空間と微妙に繋がっている。イエスが神の空間に登ったと言う話は、一方で身体を持った復活を、もう一方でその身体が変革された−パウロの表現では『霊的からだ』−ことを弁護するものである。当然このような事実を、私たちが簡単に理解できると言うことではない。問題は、昇天物語の時から発生するのではなく、既に復活を蘇生と身体離脱から区別する時に始まっている。もしこの新しい体を語ることが易しいと考えたら、私たちは自分が何を語っているのかを忘れてしまっているのである。

正典福音書にあるイースター物語について指摘してきた7つの点から、私たちは何を結論として引き出すことが出来るだろうか。勿論、どんな歴史文書であれ、物語が一回限りのことであれば、証明不可能である。しかし、これまで見てきたように、私が描写してきたようなイースターで起こった事柄を抜きにしては、キリスト教の起源は同様に説明不可能である。パウロは、自分で展開した思索よりはるか以前に、既にこのような事柄が起こったことを前提している。また、復活に関する物語自身が、聞きようによっては非常に突飛であるからと言って(反対の推論は絶えず繰り返される)、第二世代か第三世代の筆記者か神学者が、敬虔的意図か政治的な意図からか、神話的に作成したものであり、先ず間違いなく後代に作り上げられたものである、と推論させるような痕跡は何も見つからない。むしろ物語が示す混乱や表面上の不整合は、何か格別驚くような、混乱するような、ちょっとすぐには理解できないような事柄を見た目撃者の証言であることに関連付けられる。さらに、私が言いたいのは、すべての証拠は、福音書記者たちが描写しているようなことが確かに起こったに違いないことを示しているではないか、と言うこと。たとえ記者たちが、色々な形に物語を練り直したり変えたりしたとしても、ナザレのイエスが不思議なように体ごとよみがえったことを彼らが証言している、と言うこの事実が、なぜ初代教会がそもそも発生できたのか、あのような形で形成され、あのような物語を語ったのかの最適な歴史的説明となる。このことを受け入れるべきである。

歴史からの提案

私は、ここまでの議論を、大きな絵を描き、それから詳細を書き込む形で、歴史的に確実だと思える点を再構成し、段階的に積み上げてきた。私は、一歴史家として、イエスの復活を語るだけのことを十分に言及してきたと信ずる。勿論、歴史に関しては何でもそうだが、私の説は数学的な証明には程遠い。だからと言って他の多くの者たちがしたように、すごすごと全部引っさげて、私的な世界での信仰に退散したり、あるいは、私たちが証明する根拠を示すに足る資料が不十分だ、とぼやいたりする必要もない。私が、前の講義で使った例証で言えば、柱はしっかりしているし、二本の柱にかける橋も存在する。勿論、橋を渡るにはそれなりの勇気と、さらにチュツパと呼ぶユダヤ人の美徳が、少し必要かもしれない。

私は、この歴史的議論に、三つの道標を追記したい。橋を強固にするためではなく、臆病な人を目標に向かって背中を押してあげるためである。先ずイエスの墓が、殉教者の墓の様には祀られなかったことを指摘しよう。墓が空でなかったら、そのようにしていたはずだ。次はキリスト教が、ごく初期に、安息日を止め、週の初めの日を主の日と強調するようになった。これをどう説明するのか。次に、これは余り指摘されていないが、イエスの埋葬は、二段階の最初のものとしてなされた。だから、遺体が墓のどこかに残っていれば、当然誰かがそのうちにそれらの骨を集め、骨壷に入れたに違いない。ならば、最早議論は終了となる。これらの指摘や、それに類するものは、それ自体では殆ど何も証明することは出来ない。しかし、復活の方向を示唆するのは間違いない。大きな議論と合わせれば、何かしら意義のあるものと言えるだろう。

しかし、これまでの調査から、どんな神学的結果が出てくるだろうか。

神学的考察

「イエス、2000年を経て:今も渦中に」、と言うテレビ番組が、1996年5月1日に、アメリカで生中継された。そこでジョン・ドミニク・クロッサンは戸惑ったように問いを発した。「イエスが実際に体ごと死者の中から復活したことに、一体どんな意義があるのかね。イエス自身にとっては大変結構な話だが、他人にとっても、何にとっても、どんな使い道があるのだね。」このような挑発的発言は、彼のような「とにかく問い詰めないで信じればいいんだ」とする伝統、表面的に整合され、歴史的検証を経ず前提的に合成されたキリスト教神学の伝統に、深く傷つけられた者にとっては当然かもしれない。奇跡的復活が、イエスの神性を正当化し、その上で弟子たち、さらに自分たちを、権威者にする新しい支配構造に作り上げてしまう。危険な箴言によってその支配構造を脅かそうとするのではなく、ついには皇帝と伴に食卓に与る教皇や司教へとつながるものになりさがってしまった、と信じるクロッサンのような人物が、復活は何と愚かなことだとする理由は私にも理解できる。(3)しかし復活は全然そのようなものではない。

私たちが所有する中で、最初期のキリスト教伝承の一部を、パウロが引用しているように、復活とは、真の唯一神が、聖書で語り始め、まだ成就していなかったイスラエルのための目的を、さらに書き加えるのではなく、またシオンの山を築くのでもなく、まさにダビデの子の到来によって実現させたことなのである。復活は、世の光として召されたイスラエルが、不思議な、逆理的な形で、その召しを実現したことなのである。復活は、「捕囚の終焉」、「契約の更新」、「罪の赦し」である。また、復活は、イスラエルが世界のために成すよう召されたことを、イスラエルのメシヤが、イスラエルのために、世界のために成した「新創造」である。それ故、復活は、イエスという他の王がいること、また、人間として別な生き方、赦しの道を宣言する「諸民族の再結集」、である。イスラエルだけでなく人類の、そして宇宙全体の捕囚が、イースターにおいて解かれた。イースターは、先ずもって、また何よりも、終末論的出来事である。

この見方でのみ、イースターはキリスト論的意義を持つ。しかしそれであっても通常考えられているキリスト論ではない。確かに復活は(パウロがまた別の初期伝承の引用と考えられる箇所で言っているように)、ナザレのイエスが、まさに肉によればダビデの子孫、メシヤであることを「宣言」した(ローマ1:3-4)。しかし、メシヤは、イスラエルと世界のために、イスラエルの使命をご自身が背負って成就した。イースターは、この使命の大きさを、聖書の背景に照らして示している。イースターは、十字架それ自体ではその意義を発揮できなかった出来事に光を当てる。イースターと十字架。二つが一緒になって、驚愕と怖れの中にあった教会の初代神学者たちに、ナザレのイエスが、イスラエルと世界のために、イザヤの預言によればイスラエルの神だけが成し得たことを成し遂げたと宣言する。

脚注

(1)ジョン・ドミニク・クロサン「史的イエス:地中海世界のユダヤ下層民」(サンフランシスコ、ハーパー出版、1991年)、394ページを見よ。この本の507ページと序の36ページを合わせた中でTコリント15:4(397)にただ一回だけ言及しているが、しかしそれはイエスの死に関連して扱っているものではない。

(2)N. T. ライト「イエスと神の勝利」(ロンドンSPCK、ミネアポリス フォートレス出版、1997年)、3-124ページを見よ。

(3)クロッサンのイエスに関する記述の中で、最も感動的と言うか、深い感銘を与えるのは、教会史家エウセビウスの司教たちとコンスタンティヌス大帝との会餐場面描写にコメントしている箇所である。「食事と神の国は、まだここでも一緒になっている。しかし、参加するのは男性司教で、彼らは横たわって会餐し、一緒にいるのは皇帝で、しかも彼らは他の者たちから仕えられている。恐らくこのように、キリスト教が裏切られるのは、不可避で必然であったのかもしれないが、これほど速やかに、十分に成功を収め、徹底的に祝われなければならないとは…。イエス・キリストの間で『イエス』と『キリスト』がもうちょっと弁証法的関係に置かれなかったのだろうか…。」(クロッサン「史的イエス」、424ページ)。