松本武四郎先生が亡くなられたのは 2008 年 7 月 23 日.先生の精神は終生活発だったが,
非定型 Parkinson 病の症状が長く続き,支える器官が衰弱した.じつに長い間,松本先生と
ともに病理学に携わってこられた河上牧夫先生によると「松本は死んでいたのか」というよ
うな伝わり方を望まれた.まさにそのように病理学会会報 247 号に消息が記載されている.
先生は 1913 年 5 月 2 日,東京生まれ.一高,東大医学部卒業後,病理学教室で研鑽を
積まれた. 東京女子医科大学,東京慈恵会医科大学での仕事を終えられた後,どのような組
織にも属することなく,病理学をさらに深く追究する道を選択された.1997 年 3 月 3 日に
書かれたお手紙.「私は病理学教室での修業時代に恩師鈴木遂先生から深い感銘を受け,そ
の後の全現役期 間,常に剖検を通じての人体との付き合いから諸問題を感じ,それを bear-
beiten した結果は,また剖検材料によって検証する,といった過程を繰り返す生活を続けて
きました」.松本先生のお考えはここに集約される.
1997 年 12 月には年賀状をお止めになると
いうご挨拶をいただいた.そこにご親友丸山
眞男氏に倣い「便りのないのはよい便りと思
し召し」と書かれてあった.それを機にクリ
スマスと夏の初めに季節の写真を用意して手
紙を差し上げることが通例となった.直接書
かれたお返事,奥様が代筆されたお返事,時
には電話で直接,最後にはひとを介してお返
事を頂戴した.負担をおかけしているという
思いがあったが,中止することはできなくな
っていた.その間に先生はバッハがお好きな
こと,東京文化会館でヘンリク・シェリング
による「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ
とパルティータ」をお聴きになったこと,
「マティウス・パッション」を聴いておられ
ることをうかがった.「いわゆる Grund-
charakter において少なからぬ違いがあり,
それだけに一層多くの刺激と示唆を受けてき
た」と書かれた諏訪紀夫先生がブラームスを
好まれたことと較べると興味深い.松本先生
にとって音楽の基本であるバッハが殊の外大
切だったと想像される.
先生にはお子様はなく,奥様は 5ヶ月前に 先立たれた.定年を迎えて病理学を離れたと
解釈される日常から「現在の生活内容はどんなことかと申しますと,それは,私たちが死
ぬまでその現場にいるところの “人間であること” の問題に専心することです」とお書き
になったことで理解されるように,常に病理学にお考えの中心があった.「孤独」を超え
る精神をおもちではなかったか.「フーガの技法」は未完ゆえに予想できないところで美
しい旋律が途絶える.松本先生の生涯をこのように捉えると理解しやすい.博識,学殖,
教養,風格などと表現される資質を通して若い世代に影響を与えたにもかかわらず,形と
しては多くを残されなかった.さればこそ,晩年から死に至るご様子は私どもへの遺訓で
はないか.ひとに冥福などはないと考えている.
もう 30 年も前,東京慈恵会医科大学のお部屋に松本先生を訪ねたことがある.Springer
から出版されたベルリンのローベルト・レスレ (Robert Rössle, 19.8.1876-21.11.1965)
からボ ンのヘルヴィッヒ・ハンペル (Herwig Hamperl, 12.9.1899-22.4.1996) への書簡集
を教えていただいた.ハイデルベルクのヴィルヘルム・デル (Wilhelm Doerr, 25/8.1914-
21.5.1996) が編集を担当した.購入した日付は 1979 年 3 月 22.レスレはベルリンの
シャリテで長い間 Direktor を努めた.近世病理解剖学はウィーンのカール・フォン・ロキ
タンスキー (Carl von Rokitansky, 13.9.1821-5.9.1902),ベルリンとヴュルツブルクで
病理学教室を主宰したルドルフ・ウィ ルヒョウ (Rudolf Virchow, 13.9.1804-23.7.1902)
によって系統立てられた.ドイツの多くの大学で病理解剖学そのものが研究の対象となった
時代を経て,日本にも導入された.現在行われている病理解剖の手法や記録はレスレによっ
て確立されたと思っている.病理学に取り組み始めた頃,レスレとハンペルによってそれ
ぞれ書かれた小冊子が二冊あった.山口和克先生から われわれが慣れ親しんだ詳細な剖検
記録は東大病理学教室の時代,松本先生や諏訪紀夫先生 (7.3.1915-17.11.1996) によって
錬られていったことをうかがった.卒業して専攻した病理学は 剖検を行い生命現象と死を
記録することに集約される.その Stamm を松本先生に求めることによって深い感慨がもた
らされる.なお,掲載したお写真は河上先生から頂戴したことを記しておきたい.
(22. Februar 2010. 後学・高橋 敦)