病理学 (Pathologie, pathology) について

諏訪紀夫先生(東北大学名誉教授,1915. 3. 7.―1996. 11. 17.)から直接あるいは著書を通して「形のなりたちが機能を規定している.したがって,形態を詳細に調べることによって機能を明らかにすることができる.そのようなことに関わる学問が病理学である」と教わりました.大筋の考え方を理解するために,諏訪紀夫著「器官病理学 (朝倉書店,1968 年)」"細胞病理学の基礎理論" の章から引用してみます.

  当然のことではあるが,細胞を Lebenselement として見るといっても,細胞が成立するために「生命力」といったような実体的なものを想定する必要は全くないのであって,細胞の中に起こる現象を解釈するに当たって生物以外のものを扱う場合と何かちがった存在を予想しなければならないということではない.私共として必要なのはいわゆる生物学的な生体の見方をする場合,生命活動の観念は必然的に細胞という「まとまり」と結びつくもので,それ以外には何物とも,そして生命現象を対象化して考える場合には個体全体とすら直接には関係しないということを認識すれば足りることである.元来生物学が成立する根拠は思考の様式の中に求められるべきものであって,対象の性格から定まるものではないからである.
  以上のような意味をもった細胞病理学は,単に個体が解剖学的な意味で細胞から構成されるという事実のみから,また細胞に関する知識が精密になったからといって,それから必然的に導かれるものではないことは明らかであろう.これは生命現象の整理の仕方をある程度つきつめてみて初めて可能となることである.その意味で時代の背景として細胞が注目される情勢にはあっても,細胞病理学が成立するためには Virchow (Rudolf Virchow, 1821-1902) 個人の力量が大いに物をいったと考えなければならないであろう.細胞病理学はその本質においては個体構造論であり,したがって細胞学と同義語ではない.病理学者の中にも細胞の研究をすることが細胞病理学の思想だと考えている人もいるが,私はとてもこのような考え方には賛成いたしかねるのである.

R. Virchow-Berlin  Virchow の細胞病理学の根本は 100 年以上を経過した現在といえども依然としてその妥当性を失わない.それでは彼の考え方は個体構造論として完全なものであるかどうか,もし完全なものであるならば,病理総論は Virchow において完成され,それ以後新しい病理総論がでる余地はないわけであるが,事実はそうでない.後に述べるように彼の細胞病理学は個体構造論として重要なある問題を未解決のまま残している.したがって彼以後の病理学者の研究は無意識ながらこの欠陥を埋めるべく努力してきたといってよい結果にはなっているが,問題の所在が明らかな形で意識されないため,その解決も今日まだ軌道に乗っていないというのが実情である.
  それでは Virchow の細胞病理学に欠けているものは何であろうか.それは細胞から臓器なり個体なりが構成されるための理論がないという点である.そしてそのことが彼の細胞病理学が現実にある病的現象を扱う上に欠点を暴露する結果になっていく.
  この表現からみて Virchow 自身個体というものは煉瓦を積み上げたように細胞を積み重ねたものでないことは充分意識していたことはわかる.しかしこの表現は認識というよりは注文であるにすぎない.問題は細胞の相互関係によって臓器なり個体なりが組み上げられているといっても,それはどのような様式のもとに可能か,特に彼自身の細胞に関する基礎的な見解とどう結びつけられるかということである.その点になると Virchow の認識は極めて曖昧なものになるようである.人間社会と個人の関係を持っての説明も当たっているにしろ当たっていないにしろ要するに比喩にすぎず,解答にはならない.Virchow が細胞の組み上げ方を直接示しているのは Summation(総和)という言葉だけである.そしてこの問題に関しては Virchow の認識は後に至っても一向進歩しない.
  以上見てきたところからいって,Virchow 自身,細胞からそれより上位の構造物が組み上げられる過程をどの程度まで洞察していたかは,この Summe, Summation, Summierung という言葉に盛られる内容以上には出ていないことがわかる.そして私の知るかぎりでは Virchow はでき上がった個体の働き方をいろいろ形容したり説明したりしているところはある.しかしこの Summierung の内容の正確な規定はどこにもしていない.したがって,細胞の組み上げ方に関する Virchow の認識は比較的浅いものであったと見ざるをえないのである.この問題が未解決のまま細胞病理学は次の時代にひきつがれて行く.
  細胞病理学一巻の中だけでも論理的には相矛盾した表現が雑多に同居しながら,全体としてある方向が示されていることがわかる.この方向を Virchow 自身がどれだけ意識していたかということはむしろ二義的なことにすぎない.彼の論理的矛盾を指摘するのは容易である.しかし逆に Virchow 自身の表現を全体として論理的に矛盾しないような形で解釈することを試みれば,細胞病理学の生々しい意義は大半失われてしまう.ここで問題にしている Virchow ないし細胞病理学の批判をこのような論理的矛盾の指摘と混同しないようにしてほしいのである.
  一般的にいって他の病理学者のこの点 (Virchow の細胞病理学) に関する意識はむしろ以外に低いものであった.その一例として Roessle (Robert Roessle, 1876-1956) の細胞病理学の解釈を引用してみよう.「病気のこのような解剖学的理解に基づき,Rudolf Virchow (1821-1902) は Schwann と Schleiden (1838) が細胞説を樹立した後の当然の帰結として細胞病理学を誘導した.すなわち病気の細胞が(個体の)病気の要素であるという説である」.
  Roessle のような大家の言葉としては誠に唖然とする以外はない.しかもこれR. Roessle-Berlinは Roessle が不用意に言ったことではないのである.1950 年に,すなわち彼の晩年にあたって,Roessle は Stufen der Malignitaet という小著を公にしているが,その中で Virchow の細胞病理学についてほとんどこれと同様の解釈をのべている.だから「病気の細胞が個体の病気の要素である」というのは彼の本心からの Virchow の理解を述べたものと見てよいのである.
  私がここで Roessle を批判するのはもちろん彼の偉大さを傷つける意図からではない.ただ私の言いたいのは Roessle はあまりにも病理の専門家でありすぎたということである.そして Roessle が越えられなかったのは専門家の制約であったのであろう.
  話を元に戻そう.一体,細胞の病気とは何を意味することであろうか.細胞について病気という観念が成立しうるものであろうか.これは多分に問題である.しかしこのような問題の立て方は元来主観的な病気の観念を対象に移入しているだけであるから,必ずしも明確な結論を出しうるものではないし,またその必要もないことである.ここでは細胞の病気という表現を細胞の傷害と同じ意味に解釈しておいて差しつかえないであろう.そうしてみると個体にとって病気といわれる状態は,個々の細胞には全く傷害がなくても発生してくることはいくらもある.それどころか個々の細胞の活動が盛んになったゆえに個体に病気が起こるという場合すら珍しくない. 炎症の時の細胞の増殖などその一つの例である.細胞の身になってみれば,それが傷害されたため増殖するという考え方の筋は人間の方で勝手に細胞の正常状態というものを規定しない限り,どうも構成不可能である.細胞自身は完全でも病気とされる状態がおこりうることは,個体が構造をもった存在であることに因由する重要な結果である.だからこそ病理総論というものは個体構造論に基礎をおかなければならないということを申さざるをえないのである.
  Virchow の細胞病理学の欠陥は次の時代に炎症をめぐる論争の中に次第に事実として露呈してくる.これは偶然ではない.いわゆる炎症といわれる病変は細胞一つをとって成立する観念ではなく,必然的に細胞から上の「まとまり」を要求するからである.これが Roessle をして「顕微鏡の絞りをある程度以上に狭くしぼれば炎症は消失する」といわせた所以でもある.
  
そこでまず Virchow 自身が炎症をどう見ていたかをしらべてみよう.「私が(炎症の)前景において考えたいものは,充血でも滲出物でもなく,また発赤でも腫脹でも疼痛でもない.それらの意味を私は認めないというのではないが,中心におきたいのは退行性の変化であり,それは温度の上昇を伴う燃焼と分解の昂進であり,局所の機能障害に比例するような関係でおこってくる.それゆえに私は炎症には何よりもまず退行的性格のあることを主張するのである (Virchow R: Ueber parenchymatoese Entzuendung. Virchows Archiv, 1852, 4, S. 323) .
  現在炎症をこのような目で見る病理学者がいるかどうかは知らない.しかし細胞病理学の提唱者である Virchow が,細胞病理学の考え方がまとまると相前後して述べた炎症論としてみると,この表現はなかなか面白い.Rubor, calor, dolor, tumor として長い伝統をもった炎症の症候や観念に,細胞の病変としての根拠を与えたくなるのは当然である.そして炎症が functio laesa を伴うものであり,したがって個体にとって好ましからざる事件である以上,細胞の変化もこれを直線的に延長すれば障害の観念と結びつくもの,すなわち退行変性でなければならない.Virchow の心理を推測してみればこんなところであったろう.
  ここでも彼は炎症の根底に細胞の活動をおいて考えていることに変わりはない.しかしその細胞の動きの性格が退行的であるという表現はもう見られない.それは事実の観察から強いられた認識でもあったろう.しかしそれと同時に細胞の活動の性格の規定ははなはだ曖昧になってしまう.激烈であるとか危険を伴うとかいうのは変化の結果の形容にすぎず,変化そのものを規定するものではないからである.ここまでくると Virchow 自身はっきり言わなくても,細胞の水準で炎症の観念をつくることは不可能であるという認識と内容的には同一のものになってしまう.つまり事実の面からは細胞から上への組み上げ方の認識が焦眉の急である事態に立ち至っている.ところが Virchow の細胞病理学にはこの点に関する理論はない.その後の病理学者も大部分は問題の存在さえ意識しない.この情勢のままで時代は今世紀の初頭にうつるのである.
  大分長い引用をしたからまずできるだけ Aschoff (Ludwig Aschoff, 1866-1942) の考え方についてこれを要約した後に,二三の角度から検討するという順を追うのが適当であろう.Aschoff の上に述べた表現を簡単にいえば,「病理学も生体を生体として扱う以上生物学的なものの見方に立脚すべきものである.そして生体を特徴づけるものは生体の適応能力であり,それはいくつかの個々の調節機構 (Regulationsmechanismus) の総合されたものである.ところで病気であっても健康であってもすべての生命活動の源泉は細胞であり,その意味では病気の個体と健康体とを区別することはできない.区別をつけるとすれば調節機構が個体に危険を及ぼすような形で緊張状態にあるかないかということだけである.ところでこの異常な緊張が生じるのは,個体にある外界の条件が加わって,個体が傷つけられこれに対して調節機構が健康に戻そうとして反応するからであって,この状態を病気ということができる.だから病理総論というものはこの傷害と反応とを扱うものでなければならない」というようなことになるであろう.この考え方をベクトルのように方向をもった矢で表せば Affektion はこの矢の方向を遠心的に,Reaktion の方はこれを逆に求心的な方向をとって模式化することができるであろう.そしてこの矢の集まる点が健康状態を示すことになる.
  個体の側の制約を飛び越えて到達した Aschoff の結論「病理総論とは障害と,健康を指向して作用する反応を扱う学問である」という結論は Virchow の残した課題の解決ではなく,細胞病理学の根本思想と相容れないものになってしまったとしか考えられない.
  Aschoff L: Die allgemeine Pathologie ist nicht anderes, als eine Lehre der krankhaften Affektionen und der der Gesundheit zustrebenden Reaktionen. (病理総論とは病的障害と健康を指向して作用する反応とを扱う学問にほかならない)
個体は「その内部の機構 (Organisation) のおかげで障害を代償 (regulieren) する」L. Aschoff-Freiburgという表現になっている.Virchow は意識していたかどうかわからないけれども regulieren の内容はこれで尽きているわけである.ここでは Organisation は言葉通り「器官化」としておいて差しつかえない.つまり細胞から器官が成立する段階になってその結果として調節が行われるのであるから,調節の内容は器官の機能だけのものでなければならない.形態学的には調節の観念は実は器官によっておきかえられなければならないものであり,Aschoff のように単に調節の結果にすぎないものを原則化して用いることはできないわけである.Aschoff の調節の観念が浮いてしまうのも畢竟その根底におくべき器官の観念がないからである.Virchow が残した問題は要約すれば細胞から器官が形成されるためには,いかなる原則が要求されるかということになる.Virchow にはこの原則を直接表現する言葉としては Summe, Summation しかないことはすでに見たとおりである.一体,器官は細胞の Summe であろうか.単細胞の生物がある数共通の環境に存在する時,その一つの細胞と全体の関係はまさに Summe といってよいであろう.そして観念の上ではいずれの細胞もその位置に関しては交換可能である.もちろん細胞同士の間に相互関係はあってよい.しかしその関係は細胞全体の空間的位置を決定するようなものではない.ところが同じ多数の細胞が存在するといっても,これが多細胞の個体を構成するという制約の下には条件が根本的に違ってくる.この場合は個体が極めて少数の細胞から成立する時以外には任意の二つの細胞の間の交換性は失われる.つまり細胞に全体の中である位置が指定されざるをえないのである.そしてこの位置は外界に対して必然的にそれぞれ異なった関係をもってくる.たとえばある集団の細胞があった場合,その表面にある細胞と内部にある細胞とでは栄養その他外界に依存する条件が異なってくる.したがって,ある数以上の細胞からなる多細胞の生物は生存条件を同じくする,質的に同じ細胞より成立することは不可能であって,ここに細胞の分化 (Differenzierung) が必要欠くべからざる条件となるわけである.この細胞の分化が器官が成立するための細胞の側の前提条件であることは申すまでもない.ところで以下に多数の細胞よりなる有機体でも,当初は一個の卵細胞から出発するわけであるから,細胞自身のみになってみれば有機体ができていく過程は Summe ということはできない.Summe というべき関係が出るか出ないかは器官ができてみてからの話である.細胞自身についていえば,その過程は Virchow のいう "ein fortschreitendes Summierung" ではなく,逆に "ein fortschreitendes Divergieren" であるはずである.細胞がそれ自身として「完結した単位」であり「生命の性格を完全に備える」結果として,細胞それ自体の存在条件の中に空間的な相互依存性は失われてしまう.器官はある空間的なまとまりをもった細胞の集団であるけれども,この空間配置を決定する力は実は細胞の中には存在しないのである.つまりある細胞はそれに隣接するいくつかの細胞の空間的位置を定める力をもっていない.
  Organ とは元来容器の意味である.偶然の一致かも知れないが,これは極めて示唆に富んだ語義である.細胞自身の力では細胞から上の「まとまり」を作ることはできないため,器官の成立には外から細胞の空間的は位置を規定する物理学的条件が必要であることは,水は方円の器にしたがう関係と本質的には同じことである.Virchow は細胞は外界に対してある種の自立性をもつという.細胞の段階で自立性が出てしまうことが逆に細胞から上の「まとまり」を作る上に外から加わる力に依存しなければならない結果になるのである.
  以上の考察から私共は器官を「ある物理的条件の支配下に,ある分化を行った細胞が空間中にある配置をとったものである」と定義することができるであろう.この器官の観念と従来解剖学で用いられている細胞から上のまとまりを表す観念とを比較してみよう.常識的な解剖学的見方では細胞と器官の間に組織という段階を入れるのが通例である.組織とは通常「同種の細胞の集団」という位の意味で用いられる言葉である.この範囲では組織とは単に細胞の分化と関係した観念である.しかし現実に存在する組織,たとえば筋肉組織とか結合組織とかを指す場合,これらの組織はいずれも単に同種の細胞の集団というだけでは表現されないもの,実は構築的な要素を必ず含んでいる.したがってこの場合は組織という言葉を用いてもそれは単なる抽象にすぎない.私自身としては細胞を組み上げる道程においては細胞と器官の間に組織という観念を導入する必要は全くないものと考えている.
  一方,器官の観念も通常は解剖学的な意味で定義される臓器と同義語に理解されている.しかし私がここでいう器官という観念は,必ずしも臓器のそれと一致するものではない.たとえば腎の皮質と髄質とは腎という同一の臓器を構成するものであるが,器官としてはこの両者は構築の原則がちがうために別のものとして扱わなければならない.具体的にどの段階のまとまりが器官という観念と結びつくかは一つ一つの場合によって異なってくるが,原則としては構築の原理によって定まるものであるということはいえる.そして大部分の場合,器官として扱うべき構造上のまとまりは常識的な意味での組織と臓器の中間の段階にあることが多い.たとえば肝でいえば器官として扱うべき構造物は,ほぼ肝小葉がこれにあたる.しかしこの関係は臓器によって異なるばかりではなく,またその臓器のいかなる面を問題として扱うかということで異なってくるものである.これらの具体的な例はここでは挙げないけれども,私のいう器官とは通常の解剖学的意味での臓器とは区別さるべきものであることを特に述べておく次第である.
  以上器官の成立するために必要な原則を一般的に述べた.器官の病気の理解もこのような基礎の上に立つことが望ましいのではあるが,少なくとも意識的にこのような線をとった病理学者はこれまでにはいないようである.これは一面からいえば病理学が基礎医学の中ではもっとも臨床医学と関係の深い部門であるだけに,病理学者の関心構造はとかく臨床医学からの要求に支配される.病理学の発展の歴史から見て当然の制約ではある.病理学者は現実に病気を臨床的な関心構造に合う形で説明することを終始迫られていることは現在といえども変わりはない.これは個体構造論という一見手のつけようもない問題はとびこえて,Affektion と Reaktion を直接結びつける Aschoff 流の病理学が自然科学として成立する基礎を求めることとはまた別の話である.
  私自身この Linzbach (Johannes Linzbach, 1909-1984) の研究 (【註】肥大した心臓に不全のおこって行く過程を一つ一つの心筋細胞の代謝や機能を正常の場合にしておいて,心筋線維の空間的な配置によって規定される物理学的条件の差から扱うことを試みている) に興味を覚えたのは,実は私自身の方に問題があったからでもあった.あの頃は細胞から上の組み上げ方をどうしたらよいか全く見当がつかない時期であった.私がもう一度現行の病理学総論を離れて Virchow から出直してみようと思ったのは 1950 年頃のことである.
  Virchow を検討してみて,実は彼に細胞から上の組み上げ方に関する理論のないことはわかっていたし,その組み上げ方がいかなるものでもあれ,細胞にとってその過程は eine fortschreitende Summierung ではなく,ein fortschreitendes Divergieren でなければならないことは感じていた.しかしこれだけでは器官という「まとまり」が何によって与えられるのか見当もつかなかった.そのような時に J. Linzbach-MarburgLinzbach の論文からある方法論的な示唆が与えられるように感じた.だから私は当時 Marburg にいた Linzbach を訪ねてみた.そしてまず第一に驚いたことには―これは後に彼の他の論文を読んでみてなるほどと思ったことでもあるが―彼自身別にここで述べているような問題意識は全然もっていないことであった.彼の部屋に Berlin 時代の弟子の描いたという漫画がかけてある.計算機か何かの前にすわった彼の大きな禿頭のまわりに何やらわからない数式みたいなものがやたらに書いてある.これでみると彼は性格的にも昔から数学的な扱いが好きでもあり,またできもしたのであろう.だから自分の好みにあった研究の領域を手がけている間にできた仕事であるというまでのことで,それが病理全体の中で何を意味するかなどということは,当初から考えてみる必要も動機も全くなかったわけである.彼の Marburg の弟子にしてもそうである.Linzbach はドイツの病理学者の中で病理学を定量的に扱っている唯一の人だという.それはそうかもしれない.しかし何でも定量的に数字をならべれば,感心しなければならない筋はないはずである.私は Linzbach は単に数学的処理が上手であるという以外に,そのような方法を用いて出てくる彼の業績に中に数学とは全くちがったある優れた感覚のようなものを感じるのであるけれども,それが何であるか私にもよくわからない.Linzbach 自身も別に何も意識的にやっているのでないから,彼に聞いてももちろん答えが得られるような性質のものではない.彼自身が自分の好みに合うようないわゆる定量的な方法を用いて,病理学の中でどのような形でまとまりをつけて一生を終わるのか,これは私にはわからない.しかし Linzbach 個人の今後の成り行きは私にとってはもうどうでもよいことである.ただ私自身が行き悩んでいた時期に意外な面から解決の糸口を与えてくれた点に感謝している次第である.

 諏訪紀夫先生の「器官病理学」から病理学総論についてのお考えを抜粋しました.病理学とは「ある物理的条件の支配下に,ある分化を行った細胞が空間中にある配置をとったものである器官」によって構成される個体の疾患を対象とし,「器官の病気」を明らかにすることを目的とする Wissenschaft です.
  病理学を考えるために,剖検,生検,手術例の検索,細胞診などの手段があります.日常は対象である疾患を肉眼で観察し,最終的には顕微鏡で観て報告書を書くことによって臨床的な面でも貢献していますが,病理学に携わる医師 (Pathologe) はある臓器の専門家としてその臓器を細かく観ることよりも,日常の標本からつねに疾患をもつにいたった個体について考える習慣をもつべきです.日本の病理学総論の教科書は 1936 年に G. Fischer/Jena から出版された Aschoff の教科書を踏襲していて,考えや方法の変化はあっても基本的には Ascoff を越えていません.ドイツ人は allgemeine Pathologie という言葉を,疾患と個体全体を考える際に使います.したがって,腫瘍学者は Onkologe であり,血液学者は Haematologe です.病理医個人が腫瘍学も血液学も含めた知識をも理解してそれぞれの病理学総論を再考しないと病理学の将来はただの診断学としてしか位置づけられなくなり,携わる医師は検査医としか評価されなくなるでしょう.病理医が病理学が過去の医学に寄与したことを知っていても,現代の臨床医は,病理医は病理学総論を考える医師であるという認識に欠けるために,われわれ病理医が病理学総論を考えるという困難な作業を行っていることを知りません.したがって,彼らからみた病理医は検査結果を教えてくれる便利な医師としか映らない.

  最後に,松本武四郎先生諏訪紀夫先生の病理解剖に関する文章,ドイツ病理学会に所属する医師の考え,若い研修医の病理に対する想いを参照できるようにしたことを附記します.

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