遺跡に学び、遺跡に遊び、そして遺跡を守る活動をしている新潟の市民団体です      

遺跡をこよなく愛する人々の会
  文化財保存新潟県協議会

本文へジャンプ
文新協の活動

総会・大会
 1年に1回開催します。総会は文化財保存新潟県協議会会員(新潟県内在住の文化財保存全国協議会会員)が年に一度集まり、本会のこれまでの活動を振り返り、今後の指針を協議する重要な会です。また、大会は広く市民に参加を呼びかけ、遺跡と歴史を一緒に学ぼうという機会です。
遺跡見学会
 県内の遺跡をめぐる日帰りバス見学会、長野・群馬・福島などの隣県の遺跡をめぐる1泊2日のバス見学会があります。2012年は初めての海外、韓国を訪ねました。2013年は福島県白河市内の遺跡、2014年は埼玉・群馬両県の古墳時代などの遺跡、2015年は栃木県内の古墳時代や古代の遺跡、2016年は宮城県太平洋岸の遺跡を見学しました。

文新協連続講座
ひとつのテーマをじっくり学ぶ連続学習会です。現在は「古代遺跡講座」を開催中です。第一線の研究者の方をお招きして、遺跡について学びます。
縄文まつり・古代まつり
遺跡公園や自然の中でおとなも子どもも一緒になって学び楽しむ企画です。新潟市西区の的場遺跡や西蒲区の入徳館野外研修場を会場に行われました。

遺跡を守る運動
文新協はこれまで、上越市裏山遺跡、柏崎市軽井川南遺跡群などの保存運動を行ってきました。また、朝日村(現、村上市)奥三面遺跡群の発掘成果の活用を訴える活動も行っています。
『会報』の発行
文新協の活動はもちろん、県内の遺跡情報、全国の保存運動についてお伝えする『会報』を発行しています。文新協の催し物に参加された方にお送りしています。  ⇒会報へ

震災後の宮城県太平洋岸の遺跡を訪ねる旅を開催しました。(速報)
 2016年11月26日(土)・27日(日)、「震災後の宮城県太平洋岸の遺跡を訪ねる旅!! ~縄文貝塚遺跡と震災後の資料保存を考える~」を開催しました。参加者は小学生や大学生も含めた23名。2011年3月11日の東日本大震災から5年を経過した宮城県の豊かな縄文貝塚遺跡と震災後の文化財の現状について学びました。
 厚い貝層の調査から「大木式」と呼ばれる縄文土器の編年基準を生み出した七ヶ浜町大木囲貝塚。その豊かな出土遺物から季節ごとの縄文人の食料獲得・消費のスケジュールを解明し、いわゆる「縄文カレンダー」を編み出す手がかりを示した東松島市里浜貝塚。1日目は、これら二つの著名な貝塚遺跡を見学しました。
 2日目は、あの日津波から逃れるために多くの人が避難した石巻市日和山公園、被災した文化財を収蔵する石巻市の「旧湊第二小学校・文化財収蔵庫」、利府町浜田海蝕洞窟遺跡、そして東北歴史博物館(多賀城市)では、普段は見ることのできないバックヤードで文化財の保管状況を特別に見せていただきました。
七ヶ浜町歴史資料館で
   「大木式土器」を観察
大木囲貝塚を散策 1986年の集中豪雨で多くの遺物が見つかった西側斜面
里浜貝塚にある東松島市奥松島縄文村歴史資料館 里浜貝塚の貝層堆積状況 縄文人の骨から何がわかる?
2日目の石巻市日和山公園
      (牡鹿半島を望む)
地元の方から震災時の様子を聞き、言葉を失う・・・ 旧湊第二小学校は震災後の文化財の収蔵施設になっています
たくさんある部屋の中は、被災文化財でいっぱい 2階へのぼる階段の踊り場
  津波はここまで来た
海岸近くに位置する
   浜田海蝕洞窟遺跡
文新協見学会史上、最も豪華な昼食(牡蠣フライ、おいしかった!) 東北歴史博物館のバックヤード(普段は入れません) 東北歴史博物館の展示も堪能

第18回大会を開催しました。(速報)
 2016年7月31日(日)、新潟市歴史博物館(みなとぴあ)を会場に、第18回大会を開催しました。テーマは「日本遺産と火焔型土器~地域の魅力発信を期待される文化財~」です。
 最初の講演は、「火焔土器」出土の地、馬高遺跡を擁する長岡市の小熊博史さんによる「馬高-火焔土器をめぐる人・コト」。「日本遺産」とはどのようなものか、新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町が申請した『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』認定までの取り組み、そして、「火焔土器」をめぐる人々の歴史と長岡市の取り組みをご紹介いただきました。また、愛称「縄文雪炎」など新潟県唯一の国宝となった笹山遺跡出土遺物をまちづくりに積極的に活用する十日町市の石原正敏さんは「笹山-国宝・火焔型土器と雪国文化」と題して講演。十日町市の自然と文化の成り立ち、笹山遺跡の火焔型土器出土のエピソード、そして市民が主体になって取り組む文化財保護と活用の様子をお話しいただきました。
 会場には約50名が集い、おふたりの話に熱心に聞き入っていました。また、恒例の懇親会には16名が参加。講師のおふたりを囲んで、遺跡談義に花を咲かせました。
 なお、大会に先立つ総会では、「2015年度活動報告」「2016年度事業計画」について議論し承認。さらに来年度、新潟で開催されることが決定した「文化財保存全国協議会 第48回新潟大会(仮)」の成功に向けて、県内会員のご協力をお願いしました。総・大会の詳細については、のちほど『会報』でご報告します。

橋本会長の挨拶
 約50名の参加者
日本遺産と「火焔土器」について詳しく説明した小熊さん 様々なエピソードを交え、地域の魅力を語った石原さん

那須・下野の風土記の丘を訪ねる旅を開催しました。(速報)
 2015年11月28日(土)・29日(日)、「那須・下野の風土記の丘を訪ねる旅!!~古墳や古代官衙・寺院跡を中心に~」を開催しました。参加者は21名。 全国各地に10数カ所の「風土記の丘」が知られる中、栃木県内にはふたつが存在。今回の見学会では、そのふたつの風土記の丘を訪ねました。1日目は大田原市なす風土記の丘湯津上資料館、那須国造碑、上侍塚・下侍塚古墳、那珂川町なす風土記の丘資料館、那須官衙遺跡、那須小川古墳群(那須八幡塚古墳・駒形大塚古墳)を見学、宇都宮市のホテルに宿泊、夕食交流会を行いました。2日目は宇都宮市塚山古墳群、笹塚古墳、下野市下野薬師寺跡、栃木県埋蔵文化財センター、しもつけ風土記の丘資料館、下野国分寺跡、甲塚古墳、小山市摩利支天塚古墳、琵琶塚古墳、栃木市下野国府国庁跡などを見学しました。2日間で栃木県内の主要な古墳や古代官衙(役所)・寺院跡を見学するというハードなスケジュールでしたが、文化圏を異にするふたつの地域の歴史を堪能した2日間でした。
那須国造碑の模型前(なす風土記の丘湯津上資料館にて) あの水戸光圀が発掘を命じた下侍塚古墳にて 那須八幡塚古墳にて
那須官衙遺跡を見学 豊富な資料を展示する那珂川町なす風土記の丘資料館 楽しい夕食交流会
 遺跡談義に花が咲きました
きれいに植栽された塚山古墳群 下野薬師寺歴史館で瓦の学習 復元された回廊にて
      (下野薬師寺跡)
国分寺の七重塔の模型
 (しもつけ風土記の丘資料館)
広大な寺域が残されている下野国分寺跡 見学者一同、塔の礎石に立ってみました(国分寺跡)
琵琶塚古墳で発掘調査の様子を見学 栃木県埋蔵文化財センターの収蔵庫で土器の実物に触れる 最後の見学地
  下野国府国庁跡

第17回大会を開催しました。(速報)
 2015年7月11日(土)、新潟市歴史博物館(みなとぴあ)を会場に、第17回大会を開催しました。テーマは「戦争の記憶に向き合う~戦争の痕跡を護り、そして学ぶ~」です。
 講演は、本会の上部団体である文化財保存全国協議会の代表委員である十菱駿武さん(戦争遺跡保存全国ネットワーク共同代表・山梨学院大学客員教授)による「戦争遺跡を考える」。戦争遺跡の研究の歴史や全国の戦争遺跡保存の現状を踏まえ、その保存と活用の重要性を訴えました。
 後半は「わたしのまちの『戦争の記憶』」と題し、身近な戦争の痕跡についての報告です。新潟市歴史博物館副館長の伊東祐之さんは「戦争と新潟」をテーマに、「すべての人が戦争にかかわって生きた」先の戦争の実情を解説しました。また、長岡市で水道公園の建築物を「長岡空襲の生き証人」として保存・活用する活動に取り組む「水道タンク友の会」会長の小林善雄さんもその重要性を語りました。
 会場には戦争を体験した世代から若い大学生まで約40名が集い、熱心に聞き入っていました。この様子は、翌日の『新潟日報』朝刊(2015年7月12日付)で紹介されました。
 なお、大会に先立つ総会では、「2014年度活動報告」「2015年度事業計画」について議論し承認。さらに2015・2016年度の役員を選出しました。これらの詳細については、のちほど『会報』でご報告します。

埼玉・群馬の遺跡見学会を開催しました。(速報)
 2014年11月29日(土)・30日(日) 「古代国家成立を考える埼玉・群馬の旅!!~稲荷山鉄剣と東日本最大の太田天神山古墳を中心に~」を開催いたしました。参加者は20名。2日間で埼玉県比企郡吉見町吉見百穴、埼玉県行田市さきたま史跡の博物館および埼玉古墳群(稲荷山古墳・将軍山古墳など)、八幡山古墳、群馬県太田市朝子塚古墳、塚廻り古墳群、太田天神山古墳・女体山古墳、上野国新田郡庁跡、中溝・深町遺跡(豪族居館)、円福寺(別所)茶臼山古墳、群馬県邑楽郡大泉町古海原前1号古墳、大泉町文化むら(原前1号古墳出土遺物など)を見学しました。1日目の午前中は雨に降られましたが、遺跡の見学を開始すると快晴に。その後はさわやかな秋晴れの中、たくさんの遺跡を堪能しました。詳細は、後日「会報」でご報告します。
見学会の最初は吉見百穴(この時だけは小雨・・・) 稲荷山鉄剣とご対面! 忍城攻略で石田三成が陣をとった丸墓山古墳と石田堤
稲荷山古墳の主体部にて 稲荷山古墳で集合写真 埼玉の石舞台・八幡山古墳
橋本会長と合流して、朝子塚古墳を見学 古海原前1号古墳 大泉町文化むらの豊富な遺物に釘付け
塚廻り古墳群の埴輪を前に 上野国新田郡庁跡

第16回大会を開催しました。(速報)
 2014年7月19日(土)、新潟市歴史博物館(みなとぴあ)を会場に、第16回大会を開催しました。テーマは「災害と考古学 ~遺跡から災害をどう学ぶか、災害から遺跡をどう守るか~」。講演は「遺跡に刻まれた災害の痕跡~群馬県の遺跡に見る火山噴火と地震災害~」原 雅信さん(群馬県埋蔵文化財調査事業団)、「東日本大震災の復旧・復興にともなう埋蔵文化財発掘調査の支援状況と課題~宮城県への派遣経験から~」高橋保雄さん(新潟県埋蔵文化財調査事業団)の2本。原さんからは、群馬県渋川市金井東裏遺跡で、6世紀初頭の榛名山二ッ岳の火砕流堆積物の中から見つかり話題となった「甲を着た古墳人」を中心に、群馬県における豊富な自然災害遺跡の調査成果を、たくさんのスライド写真でご紹介いただきました。また、高橋さんからは東日本大震災後、災害復興のために急がれる遺跡の発掘調査を支援するため、宮城県に派遣された経験をご紹介いただき、災害後の遺跡調査の現状と課題について語っていただきました。いずれも生々しい現状をご紹介いただき、貴重な時間を過ごすことができました。
 なお、大会に先立つ総会では、「2013年度活動報告」「2014年度事業計画」について議論し承認しました。
 これらの詳細については、のちほど『会報』でご報告します。


奥州白河の遺跡見学会を開催しました。(速報)
 2013年11月16日(土)・17日(日)、恒例の秋の遺跡見学会「奥州白河の遺跡をたっぷり満喫する旅!!~みちのくの玄関口にはぐくまれた豊かな文化~」を開催しました。参加者は18名。二日間で、小峰城跡、南湖公園、白河関跡、境の明神、白河市歴史民俗資料館(天王山遺跡出土遺物など)、舟田・本沼遺跡群(下総塚古墳、谷地久保古墳、野地久保古墳、舟田中道遺跡)、借宿廃寺跡、道場門遺構、福島県文化財センター白河館(まほろん)などを見学しました。両日とも快晴に恵まれ、充実した見学会となりました。詳細は、後日「会報」でご報告します。
小峰城。東日本大震災で崩れた石垣の修復の様子。 南湖公園で記念撮影。 白河関跡
白河市歴史民俗資料館 弥生時代の遺跡、天王山遺跡を望む。 古墳時代後期では東北地方最大規模を誇る下総塚古墳
古墳時代終末期の谷地久保古墳の石室 福島県文化財センター白河館(まほろん)の広大な収蔵庫 まほろんの展示も堪能しました。

第15回大会を開催しました。(速報)
 2013年7月20日(土)、新潟市歴史博物館(みなとぴあ)を会場に、第15回大会を開催しました。テーマは「文化財と観光を考える~弥生のクニ“釜蓋遺跡”と北陸新幹線開通~」。報告は小島幸雄さん(新潟県文化財保護指導委員)による「上越市釜蓋遺跡の未来に向けて~遺跡の保存から活用へ~」、そして講演は澤村明さん(新潟大学経済学部准教授)による「遺跡の観光経済学」です。会場には約50名の参加者が集い、報告・講演に熱心に耳を傾けました。
 なお、大会に先立つ総会では、「2012年度活動報告」「2013年度事業計画」について議論し承認、2013・2014年度役員を選出しました。
 これらの詳細については、のちほど『会報』でご報告します。

釜蓋遺跡の未来を熱く語った小島さん 経済学の視点から遺跡の価値を語った澤村さん 最後の質疑・応答は、会場からも活発な意見が・・・

第14回大会に140人の市民が集う!
去る2012年12月22日(土)、新潟市歴史博物館(みなとぴあ)にて本会の第14回総・大会を開催いたしました。橋本新会長を選出した総会終了後、一般参加者を交えての大会が行われました。
新潟の古墳文化研究の新たな展開に興味津々
 
   大注目の報告・講演に140名の市民が集う!
                                                   小林 隆幸 
 今年度のテーマは「今こそ、新潟の古墳文化を見直そう!」です。2012年は新潟市の古津八幡山古墳や胎内市城の山古墳の発掘で新潟県の考古学が多いに沸きました。文新協もこの2つの古墳の調査成果に着目し、新潟県内の古墳の状況をあらためて見直してみることを試みました。
 講師は3名で、古津八幡山古墳の発掘調査に携わった相田泰臣さん(新潟市文化財センター)、城の山古墳の発掘を担当された水澤幸一さん(胎内市教育委員会)、そして文新協の新会長で新潟大学人文学部教授の橋本博文さんです。相田さんには「新潟市古津八幡山古墳の調査成果」、水澤さんには「胎内市城の山古墳の調査成果」と題して、それぞれ調査成果を報告していただきました。また橋本さんには2つの古墳の調査成果を踏まえ、「新潟の古墳文化研究最前線」の題で講演をいただきました。
 最初の報告となる相田さんからは、八幡山古墳は県内最大の古墳で2段築成の径60mの円墳であることが確定し、古墳の築造法が解明されたことが報告されました。当初、この古墳には方形に突き出た造り出しがあると考えられていました。ところが調査では造り出しの盛土が検出できず、単純な円墳であったことが分かりました。また築造方法については、古墳の基礎として周囲に土手状の盛土をし、中央部には小丘をつくってその上に土を盛って古墳が築かれていたことが分かりました。土手状に盛土を築く工法は西日本的工法で、小丘を築く工法は東日本的であることから、東西日本折衷の工法が取り入れられていたとのことです。ここには、在地の有力者であった八幡山古墳の被葬者とヤマト王権との関係が密接になり、他地域からの技術者の派遣などの協力関係をつくることができたためではないかとする指摘もあるとのことです。また古墳の盛土の7割は南西側にめぐる周濠を掘った土が利用され、残りは周囲を整地した際の土を利用したようです。
 残念ながら古墳の中央に棺を埋葬する主体部は確認されませんでした。古墳の上部が後世に削平されたために無くなってしまった可能性が高いとのことです。なお、古墳築造時期は決め手となる土器が出土しなかったことから判断が難しいようです。相田さんは同じような工法で造られた古墳を参考に古墳時代前期末から中期初頭と推定されているようです。
 続く水澤さんは、主体部の調査を中心に棺の検出状況や豊富な副葬品を写真で紹介されました。
 棺はベンガラによって赤く塗られた舟形木棺と想定され、内部は仕切り板で3つの空間に区切られていたようです。その中央に一人が埋葬され、頭部があったと思われる付近の土は水銀朱によって赤く染まっていました。そこから勾玉や管玉、ガラス小玉が検出され、肩付近から鏡が出土しています。鏡は布に包まれていたとのことです。遺体右側の頭部から胴部付近にかけては、槍(または剣)と太刀が縦に並んでいました。また、歯と思われる骨片も見つかっており、性別や年齢が明らかになることも期待されるとのことです。さらに足元には弓と銅鏃が付いた矢のセットが置かれ、弓の両側に付ける鉄製の飾り金具も残っていたとのことです。遺体の置かれていたスペースと仕切り板を挟んだ西側からは革製の靫(ゆき)が検出されました。これは全国的にも事例の少ないもので、革で地を作って糸で編み込みさらに刺繍をして漆をかけるという手の込んだ造りがされていたようです。このほかにも刀子や斧、鉇などの鉄製品も見つかっており、こうした副葬品は、玉類を除いて列島最北の出土とのことです。
 今回の報告は主体部と副葬品の話題に限定されていましたが、最後に城の山古墳が1基単独で存在していることに触れ、実はかつて近くには籠ホロキ山古墳があり、他にも古墳が存在した可能性があって代々古墳が築かれていたとする興味深い話で締めくくられました。
 最後の橋本さんの講演では、前半に古墳時代前期を中心に県内の古墳研究の動向について、後半では先の報告のあった2つの古墳の評価に話題が移りました。
 まず近年の前期古墳研究の動きとしては、県内のこれまで前期古墳が存在しないと思われていたところで古墳が確認されるようになってきたことを話題にされました。阿賀北で城の山古墳が発見されたこと、前期古墳が判然としなかった上越地域でも妙高市の観音平古墳群で前期にさかのぼりそうな前方後円墳または造出付円墳が確認されたことなどです。特に妙高市の観音平4号墳は、後円部に対する前方部の長さが半分で、後円部が楕円形である特徴が、奈良県の箸墓古墳に先行する纒向型前方後円墳と共通することから、県内最古の古墳の可能性もあるとのことです。また、県内で出土した鏡にも触れ、なかでも菖蒲塚古墳出土の鼉龍鏡については全国の鼉龍鏡を出土した古墳の状況から、ヤマト政権が西と東の要となる首長に配っているような出土状況だと説明されていました。
 話は研究面にも及び、越後の北辺地域に前期古墳の円墳が点在しているという重要な特色から、これまで古墳研究は前方後円墳が主流であったが、円墳の研究は避けては通れない課題であると話されました。これは早くから故甘粕健先生が注目されてきたことで、橋本さんも甘粕先生が発表された論文を紹介されていました。
 そして後半の話題は八幡山古墳と城の山古墳の調査成果の評価と課題に移ります。
 まず八幡山古墳の評価として、円墳として確定されたこと、規模が直径60mであることが分かったこと、西日本東日本の折衷様式の工法による墳丘構築法が分かったこと、上部が削られ埋葬施設や副葬品は無かったことなどを挙げられました。課題は築造時期を絞り込むことで、そのためにも今後の調査で土器の発見に期待したとのことです。ほかに注目している点としては、畿内の古墳では一般的な葺石と埴輪が無いことも挙げられ、地域最大でありながらこれらを持たないことは特筆すべき問題としています。これをどう考えるかが課題のようです。
 城の山古墳については、埋葬施設が明らかになり副葬品の全貌が分かったこと、また葬送儀礼の工程が細かくとらえることができたことなどを大きな成果としています。そして副葬品の量、質、組み合わせなどは、1つのモデルケースになるのではないかとのことでした。
 課題としては、城の山古墳に見られる楕円形墳形の全国例の調査、段築の有無の問題、舟形木棺の系譜と前期古墳に一般的な割竹形木棺との関係、八幡山古墳同様に葺石や埴輪が無い問題、鋳造品である銅鏃と同型品の有無の調査などが挙げられました。さらに、副葬品配置の検討からヤマト政権や他の地域との関連も分かってくるのではないかとの期待もあるとのことで、今後研究を進めるうえでも、保存処理をしっかりすることが必要とのことでした。
 今回の大会はホットな話題の企画だっただけに、受講者は定員をはるかに超える約140名に及びました。古墳の調査が進むにつれ、今後新潟の古墳文化がどのように明らかになっていくのか楽しみです。



「魅惑の韓国・古代遺跡を訪ねる旅~ソウル・江華島を中心に~」を開催
2012年8月、文新協としては初めてとなる海外への遺跡見学会を開催しました。目的地は韓国です。
左の写真は、2日目に見学した江華支石墓です。
 初めての海外、そして2泊3日の遺跡見学会、大成功!
     
雄大な歴史と海を越えた交流を体感した韓国の旅
                                                          木村英祐
 暑い日が続いた今年の夏。8月17日(金)から19日(日)の3日間、いよいよ文新協初の海外見学会となる「魅惑の韓国・古代遺跡を訪ねる旅~ソウル・江華島を中心に~」を実施しました。新潟空港発ソウル行き大韓航空機に乗り込んだ参加者は総勢14名。中には隣県・群馬や佐渡からの参加者もおられました。
 韓国・仁川空港では、旅行社の現地ガイドとともに韓国の女性研究者がお出迎え。今回の韓国ツアーのご案内をお願いした千羨幸さん(全北大学校研究員)です。千さんは韓半島の新石器時代の土器を研究されており、日本の立命館大学に大学院生として留学した経験をお持ちです。日本語もお上手で日本の事情にも明るく、3日間の見学を全面的にサポートして下さいました。
 1日目はソウル市内の百済王朝時代の遺跡を巡りました。ロンドンオリンピックの興奮はまだ冷めませんが、1988年にソウルでオリンピックが開かれた際のメイン会場が遺跡のまん中にあるということはあまり知られていません。そのオリンピック公園に隣接する地域には多くの古墳群がありますが、私たちがまず訪れたのは石村洞積石塚です。ビルに囲まれた公園の中には石積みの古墳や土を盛った日本でもおなじみの古墳、そして、木棺墓が点在します。中でもひときわ目を引くのが、墓全体を石で築いた高句麗系の積石塚で、3号墳と呼ばれるこの古墳(4世紀後半ごろ)は一辺50メートルの方形で、高さも4.5メートルと巨大です。1916年の調査当時には90基ほどの古墳が残されていたといいますが、いまは百済古墳公園の中に6基を残すだけとなっています。
 次の見学地は、オリンピック公園内に今年4月にオープンしたばかりの漢城百済博物館です。実はこのオリンピック公園自体が初期百済の王城と考えられる夢村土城を取り込んでつくられています。南北長730メートル、東西長540メートルの平面不整形の土城は、それを取り囲んでいた城壁が土塁状の高まりとして残されています。漢城百済博物館は、夢村土城に隣接してつくられた、韓国の歴史上初めてソウルを首都とし約500年の歴史を築いた百済漢城期(前18年~475年)を中心に、ソウルの古代の歴史と文化にスポットを当てた博物館です。入ってすぐに目を引くのは風納土城の城壁の断面を切り取った巨大なはぎ取り資料です。その大きさに圧倒されながら進むと、百済と日本の交流を物語るおなじみの七支刀(奈良県石上神宮)のレプリカや数々の遺物・ジオラマによって悠久の歴史が紹介されます。
 もう一つの王城である風納土城は夢村土城の北側に近接し、漢江の南岸に接しています。ここも約3.5キロメートルをはかる城壁の一部が残されており、その面影を偲ぶことができます。
 さて、2日目はソウル市を離れ江華島に向かいます。ここは教科書でもおなじみの「江華島事件」など、近代の歴史の中で日本など諸外国との衝突の舞台となったところですが、世界遺産である支石墓が集中するところとしても有名です。ソウルから江華島に向かう道路は漢江の左岸を下っていきますが、その川岸に張り巡らされた鉄条網が、国境の緊張感を高めます。
 朝鮮ではコインドルと呼ばれる支石墓の代表的なものは、富近里地区にある「江華支石墓」です。高さ2.6メートル、長さ7.1メートル、幅5.5メートルで、テーブル状の石の重さは80トンを量るといいます。広い台地にポツンと立つ支石墓の圧倒的な存在感に、参加者一同は魅了されました。近接する江華歴史博物館は、こちらもオープンしたてのモダンな建物ですが、江華島の豊かな歴史を紹介しています。島内にはほかにも支石墓群がありますが、今回はその中の一つ鰲上里支石墓群も訪ねました。こちらは丘陵上に大小9つの支石墓が集中する様子を見ることができました。
 せっかく江華島まで来たのだから・・・と、参加者の要望を取り入れて見学したのが江華平和展望台です。途中、軍の検問を抜けてバスは島の北端を目指します。ここから海峡越しに臨む陸地は、北朝鮮。2008年にオープンしたここは最も北朝鮮に近い展望台といわれています。朝鮮戦争に始まる南北朝鮮の悲しい歴史を語る展示は、ハングルを読めない日本人の胸にも深く突き刺さります。3階の展望室からは、備え付けの双眼鏡(有料)で北朝鮮の普通の暮らしを眺めることができます。田圃の中を歩く集団、それを追い越す自転車・・・。韓国とはまったく違う暮らしを垣間見ることができました。
 このほか、江華山城(13世紀前期、モンゴルに抗戦するために築かれた高麗の王都)の城門、江華島事件の舞台ともなった草芝鎮(1656年に設置された砲台)などを訪ね、島の歴史を堪能しました。
 旅の最終日、3日目は再びソウル市内です。まずは2005年にオープンした国立中央博物館です。予定時間は1時間半。まずは、全員で3階の「彫刻・工芸館」へ。お目当ては韓国の国宝「半跏思惟像」です。これは日本の広隆寺のそれとの類似性が指摘されていますが、そんな貴重な像をじっくりと見ることができました。その後、一同は1階へ戻り、千さんの説明で「先史・古代館」を見学しました。しかし、見るものが多すぎます。1時間を過ぎたところで、1階の10分の1しか見ていないことに気づいた私たちは、ここで散り散りバラバラに・・・。その後は思い思いに見学したり、ミュージアムショップで買い物したり。しかし時間がまったく足りません。各自、「また今度!」と決意したことでしょう。
 もう一つの見学地は、朝鮮王朝第二の王宮である、世界遺産・昌徳宮です。こちらも時間は限られていましたが、ベテランガイドさんの説明で朝鮮王朝の雄大な歴史やその裏側を垣間見ることができました。
 飛行機に乗るまでの残されたわずかな時間は、ソウル中心地で本屋さんに立ち寄ったり、ソウル市民の憩いの場となっている清渓川(2005年、高架道路が撤去され約30年ぶりに復元された川)の風景を楽しんだり、思い思いに過ごすことができました。
 3日間の食事も、石焼きビビンバ、骨付きカルビ・冷麺、参鶏湯、海鮮鍋・チヂミ、プルコギと、現地の千さんも「こんな料理は毎日は食べない」という豪華な物ばかり。食の面からも韓国を堪能しましたが、少し体重計が気になりましたね。
 甘粕会長が逝去されるという中むかえた見学会でしたが、亡き会長がこの旅行の実現を楽しみにしていたこともあり、予定通りの実施となりました。初めての海外見学会で、行き届かないところもありましたが、現地のお二人のガイドさんとすばらしいバスの運転手さん、そして参加された方々のご協力で、とても充実した見学会とすることができました。「もう一度韓国へ!」という声もあがっていますが、次回の見学会にもご期待ください。  (木村英祐)

【参加者の感想】
●部外者も十分楽しめ、有意義な内容でした。韓国には何度か行きましたが、重複するところが少なかったです。国立中央博物館は、2度目でもゆっくり見られず、ものづくりの立場から、焼き物と金属のコーナーを駆け足で見ました。もう少し時間が欲しかったです。
●はじめての韓国旅行が文新協の旅で、本当によかったと思っています。歴史や文化に触れることのできた、貴重な3日間でした。千先生、ガイドさん、運転手の方の深い知識と強い個性・技術で、楽しく、ぜいたくなひとときでした。
●文新協なるものが何であるかも知らず、参加させていただきました。細部の文字を読まなくても、物を見るだけで(名解説付きで)Goodでした。百聞は一見にしかず。
●2泊3日の長くない旅の中で、初期百済王朝形成期の古墳と共に、風納・夢村土城を見学できたことは得難い成果でした。次に、世界に広がる支石墓の見学では、青銅器時代のイメージを具体的に得られて幸いでした。近代日本の負の遺産も現地で学べたことも、有意義でした。
●政治的に難しい時に、現地のガイドさん達の気遣いも、前に来た博物館と同じでも、日本軍などの説明をはぶき、心遣いを感じました。文新協の旅行は、古墳など同じ興味の皆様とご一緒で、色々な刺激を受け、これからもう少し私自身も自分のために、歴史を楽しめるように勉強したいなあと思いました。思いがけず、北朝鮮の見える丘も見学でき、幸いでした。
●「近くて遠い国」朝鮮が身近に感じられ、日本のルーツを学ぶ旅になりました。欲を言えば、歴史博物館の見学時間をもっと長くとって頂ければよかったと思います。
●なかなかツアーで行けないところ、しかも興味のあるところを、ガイド付きで見学できて、大変ぜいたくな旅だと思います。思い切って参加してよかったです。平和展望台も良かったです。
百済系の積石塚、石村洞4号墳前で 圧倒的な存在感を持つ江華支石墓 北朝鮮を近くに臨む江華平和展望台

鰲上里支石墓群 江華山城の城門 最後の見学地、昌徳宮


   文化財保存新潟県協議会