書評 ■■
 
 
#02 悩める者は幸いである

『泥沼ウォーカー』
笹野みちる著、PARCO出版、1998年
 

 書評と構えると堅苦しくなってしまうので、読書感想文のつもりで、肩の力を抜いて書いてみる。そのほうが、この本の雰囲気に合っているような気もするし。

笹野みちる

  まず、著者である「笹野みちる」についての予備知識から。 1967 年 10 月 30 日生まれ(ってことは、現在 37 歳)。京都出身。同志社大学在学中の 88 年、『東京少年』のボーカルとしてメジャーデビュー。いくつかのヒット曲を生むが、「これ以上やったら嘘になる」と、 91 年に解散。京都に戻って大学に復学・卒業。 93 年、ふたたび上京してソロデビュー。 95 年、『 Coming OUT !』(幻冬舎)を上梓して同性愛者であることを公表。メジャーシーンのアーティストとしては日本初のカムアウトだったため、各界の注目を集め、同書はベストセラーとなる。だが、翌年からひどい「うつ」に襲われ、 97 年には京都に引き揚げる。

 この『泥沼ウォーカー』は、まさにその「うつ」の真っただ中で書かれたと思われる。原稿に日付が入っているわけではないが、本の中に多数使われている写真がほとんど冬の風景であることから、 97 年と 98 年にまたがるその季節に集中的に書かれたのだろうと推察できるのだ。

 現在は「うつ」からも脱却し、『京都町内会バンド』および『吉祥寺三姉妹』を結成、ソロとしても舞台に立つなど、京都を拠点にインディーズで活躍中である。母は、元参議院議員の笹野貞子氏。.

以上のようなこと、実はつい最近知ったのだ。偶然の出会いから笹野みちるさんと知り合い、いただいたメールを読んだり、彼女のホームページを覗いたりするうちに、その文章にハマり、彼女の生き方に興味を引かれるようになっていった。

明と暗

 この本は、ふたつの要素から成り立っている。帯の表現を借りれば、ひとつは《悩みながらの憂鬱なエッセイ》であり、もうひとつは《地元っぽい京都のさすらい方ガイド》である。

 前者は、巻頭の一行目から《最近、漠然と、「死にたいなあ」と思うことがある》と書かれているぐらいで、相当に暗い。一日中ふとんから出ず、ジムに行くべきか行かざるべきかで悶々としている描写もある。今日あたり「ジムに行くべきかな」と考えるのだが、なぜ自分は「ジムに行きたい」と思えないのだろうかと悩むのである。はたからはヒマそうに見えても(なにしろ一日中ふとんから出てこないのだから)、実は自分を責め続けているわけで、これは本人にとってはかなり辛い状況だろうと思う。また、ライブの直前に小さな交通事故を起こしてしまったくだりでは、なにもそこまで自分を露悪的に描かなくても、と思うほど自己追及の筆は鋭い。するど過ぎる。

 章タイトルも凄い。第一章「疲労」、第三章「無気力」、第七章「泥沼日記」という具合。もうお分かりだと思うが、この本でいう〈泥沼〉とは、どろんこ遊びをする泥沼ではなく、精神的な泥沼状態を表しているのだ。

 後者の京都ガイドも「泥沼ツアー」と題され、《ママチャリでまわる左京区スペシャルセレクションコース》から《大原ゴスペルゾーンコース》まで、全8コースが紹介されている。だが、こちらは前者の憂鬱なエッセイに比べると、とっても明るい。本人も、《バランスをとるかのように、なんとなく元気っぽい京都ガイド》とか、《できるだけ、まったく別の“自分”を演じながら、明るめに、まわってみました。/なので、そうとうバカやってます》と書いている。

 この京都ガイドが、「使える」ばかりでなく、すこぶるおもしろい。たとえば、こんな文章がある。

 《チャリを反転させ、サドルにまたがり、一気にじゃり道を駆けおりるるるるるるどわあああああ。うひょー! こわー》

 《五平餅、知ってる? 米(もち米?)を平串のまわりにわらじみたいな形に、にぎにぎとくっつけて、あまじょっぱいクルミ味噌をつけて火であぶるの。あまじょっぱいものって好きだわー》

 一字一句、本文のままであるが、こういう文章はなかなか書けるものではない。チャリ(自転車)で坂道を駆け下りるスリルと躍動感。五平餅の説明も実に的確である。〈平串〉を使っていることを見逃さない観察眼、《にぎにぎと》くっつける、あるいは《あまじょっぱい》という見事な表現。

 また《バカやってます》の言葉どおり、かなり活発に遊んでもいる。大口を開けてホットドッグにかぶりついたり、大きな寺の縁の下を自転車で駆け抜けたり、賀茂川の《亀石》をピョンピョン飛び移ったり、宝が池の鴨をボートで追いかけてみたり、というふうに。

 この人は街歩きの楽しさを知っているなあ、面白いことを発見する名人だなあと感心するのだが、そのいっぽうで、ところどころに《あの頃は私も元気だった……》、《そんなエネルギー、もうないしな……》、《いつかはこの迷いの世界から脱出できるのであろうか……》、《私はいったい、これからどうなるのだろう?》などの言葉がポロッと出てきて、彼女の深刻な「うつ」状態を思い出させ、笹野さんは無理して明るく振る舞っているのか、出版社の依頼だから仕方なくやっているのかと、涙が出そうになった。

 そう思って見ると、泥沼ツアーのページにたくさん使われている写真(自分で写したものもあり、同行者が撮ったものもある)の中の笹野さんも、笑ったり飛び跳ねたりしているが、どこか生気がないように見えてくる。ついでに書いておくと、この当時の笹野さんは 30 歳ぐらいのはずだが、写真では 20 歳前後にしか見えない。小柄でショートヘア、聡明そうな顔立ち、内向的に見える表情。この人がバンドでボーカルをやり、さらにレズビアン宣言までしたとは、とても想像できないぐらいおとなしめの印象なのだ。

 少し脱線したが、「うつ」で苦しんでいた笹野さんであっても、やはり「泥沼ツアー」全体の楽しいトーンからして、京都の街歩きは彼女のリハビリになったし、癒しになったと信じたい。

 先ほど、この京都ガイドは「使える」と書いたが、その点もとても緻密に出来ている。まず地図。手書きの地図だが、要点は押さえてあるし、道が複雑で分かりにくいところは拡大図になっている。説明の文章もていねいだ。面白おかしく書いてはいても、固有名詞(通り、寺、お店の名称など)は間違いのないように注意が払われているのが分かるし、どこの角を曲がるか、何本目の路地を入るかも、きちんと書かれている。この地図と文章を持って「泥沼ツアー」に出れば、まず道に迷うことはあるまい。

 なにより、取り上げられているコースが魅力的だ。どんな観光ガイドにも載っていないだろうと思える店や寺があり、その歩き方が計算されていて、笹野さんの楽しみ方がまた素敵なのだ! 私はマジで、この8コースを全部回ってみたいと思っている。その際は『泥沼ウォーカー』を片手に、というのは少し恥ずかしいから、必要なところだけコピーして、笹野さんの思いと「同行二人」の街歩きということになるだろうか。

正直

  それにしても、なぜ私はこんなにも「笹野みちる」にハマっているのだろう。自分に似ている、と思うところもある。一人っ子、大きな壁のような母(私の場合は父)の存在、必要以上に自分を追い詰めてしまう傾向、街歩きが好き、派手なものより地味な味わい深いものに惹かれる、などなど。

 確かにそれもあるのだが、やはり私は彼女の文章に参っているのだと思う。そのどこが魅力か。どんなに苦しんでいても、楽しんでいても、つねに「正直に」それを書こうとしているからだ。そして、それらを正直に伝えるための表現に腐心していると思えるからだ。実は、この時点で、私はまだ一枚も笹野さんの CD を聴いていないのだが、彼女が一流の「表現者」であることは確信している。

 どんなきっかけで「うつ」から脱却されたのかは聞いていないが、現在の笹野さんは、明るく生き生きと話し、バンド活動も充実しているように見える。それはそれで慶賀すべきことだが、「うつ」で苦しんでいたころが駄目だったとは全然思わない。それも人生のひとつの局面であり、その当時の苦しみを正直に書いた本書は、同じように「うつ」や引きこもりで悩んだり苦しんだりしている人々の救い、あるいは癒しになると思う。

 まるで自分を切り刻むかのような《憂鬱なエッセイ》を読んでいると、「悩める者は幸いなり」というフレーズが浮かんできた。聖書に、そんな言葉があったような……。で、調べてみました。聖書を開くなんて、何年ぶりだろう。おっと、どうやらここだ。「マタイによる福音書」の第五章、同じ言葉ではないが、《悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう》とある。また、《心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう》ともある。現在、ヨーガ修行に励んでいる笹野さんにとって、これ以上ふさわしい言葉はあるまい。

本づくり

 装幀もなかなか良い。誰もが知っているコクヨのスクラップブックのデザインを借りた表紙・カバーで、本家では「 SCRAP BOOK 」と印刷してあるところが、「 SASANO MICHIRU 」となっているという凝りようだ。大きさはもちろん異なるが、表紙・カバーの紙質や色も本家を連想させる。そこに、フェルトペンで書いたような沢野ひとし風の手書き文字で、「泥沼ウォーカー 笹野みちる」と大書してある。この沢野ひとし風の文字がいい味を出していて、8つの泥沼ツアーの各とびらと地図にも用いられている。誰が書いたんだろうと、あちこちひっくりかえしてみたが、どこにもクレジットはない。

 なぜスクラップブックの意匠なのかとも思うが、大学ノートはけっこう使われているので、新しいところで、ということか。また、身近にあって親しみがある物で、堅苦しくないイメージを出したかったのかとも思う。

 章立ても工夫されていて、第一章から第七章まであるうちの奇数章は例の《憂鬱なエッセイ》で、偶数章は《元気っぽい京都ガイド》たる泥沼ツアーとなっている。ハイとローのバランスをとっているのであろう。

 この本には、「行ってみたいなあ」と思わせる菓子店、書店、カフェ、食堂、果物店などが多数登場するが、巻末に「お店リスト」が付いているのも便利だ。店名と電話番号と定休日が書いてある。

 さて、そろそろ終わりにしようと思うが、本書の「あとがき」には、最後の仕上げで随分追い込まれたことが書かれている。《ものすごい勢いで仕上げにかかって泣きながら作業をした。今もしている。(中略)たぶん、本田さん(担当編集者)も自殺寸前だろう。心配》と。ありがちな展開だが、そのためもあるのか、明確な誤植をいくつか発見。また、間違いとは言えないが、普通ここはこの表記を用いるでしょうというところはけっこうあった。私は2回読んでチェックしてあるので、この名著を再版されるときには、 PARCO 出版の本田さん、ぜひご連絡ください。

(2005年8月17日)




 
   
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