映画評 ■■

 
 

#08 お前と俺との間には

〜『遺言なき自死からのメッセージ』をめぐって〜
梶井洋志監督作品、2010年

 

 梶井洋志(かじい・ひろし)監督によるドキュメンタリー作品『遺言なき自死からのメッセージ』(2010年)について考えてみたい。

ふたつの自死

 片隅に日付の入った映像から映画は始まる。そこでは、母と子が並んでピアノを弾いている。撮っているのは、たぶん父親だろう。男の子は真剣な表情だが、その周りには温かい家庭の雰囲気が満ちている。続いて、同じ男の子がキャッチボールをしている、公園の遊具で丸太渡りをしている、玄関前に置かれた小さなビニールのプールで弟と水遊びをしている、などの映像が現れる。
 そこに、監督自身の声で、父親が自殺したときの状況が語られる(以下、ナレーションはすべて監督による)。彼が高校3年のとき、出かける直前に父親と小さな口論をしたこと。言い過ぎたかなと思ったが、そのまま出かけ、帰ってくると、家の前の様子から「父が死んだんだな」と直感したこと、などだ。
 つまり、日付のある映像は亡き父が撮ったホームビデオで、そこに写っているのは、5〜7歳ごろの監督自身なのだということが分かる。
 そしてタイトルが現れ、この映画は監督の父親の自死をテーマにして展開するのだなと思っていると、キャンパスを歩く女子学生が写り、ナレーションで「母親を自殺で亡くした彼女に出会って、それを撮ろうと思ったのは、自分と同じ体験をした人の中で、自分の思いが投影されるんじゃないか、どっかで自分の思いは語れるんじゃないか、そういう期待がありました」と説明される。
 以後、そのノリコ(ナレーションだけなので漢字は分からない)の母・智英美の自死に重点を置きつつ、ノリコの実家がある愛知県安城市へ飛び、ノリコの父(智英美の夫)、祖母・祖父(智英美の両親)へのインタビューを通じて、その自殺の原因に迫ろうとする。
 いっぽう監督の父親のほうは、冒頭と同種のホームビデオ(それは兄弟喧嘩、凧揚げ、縄跳び、ピクニックなどの映像で、やはり幼い監督と、3つ違いの弟が写っている)に重ねて、父親の遺体を当時中学3年だった弟が発見したときの状況、監督の思いなどがナレーションで語られていく。
 かくして、ふたつの自死が並行して描かれていくことになる。

行き迷う追求

 ノリコの母・智英美は、1997年10月29日、自宅マンションの8階ベランダから飛び降り自殺した。享年43。
 監督の父親は、2002年2月25日、自宅の吹き抜けになった階段で首つり自殺した。映画の中では、父親の名前、自死した日付、享年は示されない。
 ノリコの母親は、もともと自殺願望の強い人であったらしい。毎日のように「死にたい」と口走り、実際に何度か自殺しようとしたこともあるという。ノリコが「この世からいなくなることが(母の)幸せだったんじゃないか」と語っているほどだから、それはもう、ある種の病の域に達していたのではないか。ご本人は「正常」だと言い張り、精神科へは行かなかったようだが。
 いっぽう監督の父親は、うつ病から精神科に通い、休職中の出来事であったとナレーションでさらっと触れられる。
 残された子供の受け止め方も異なる。ノリコが「仕方なかった」と割り切っているふうに言うのに対して、監督のほうは「なぜ救えなかったのか」と自責の念に駆られているようなのだ。
 自殺に至る経緯、それまでの精神状態、残された者の思いがこうまで違うと、当初の「自分と同じ体験をした人の中で、自分の思いが投影されるんじゃないか」という監督の目論見は破綻してしまっているように思える。むしろ、ひとつひとつの自殺は、調べてみればこんなに違うものか、という思いが強くなる。

 衝撃的なことも出てくる。それは、智英美の兄(ノリコの伯父)が精神病院に入院しているとき、担当医師を刺殺してしまったらしい、とノリコの父が、さらに祖母が語る場面だ。それが本当なら、ドキュメンタリーの素材としても凄いし、智英美が自殺した原因のひとつが明らかになるかもしれず、追求のベクトルは当然そちらへ向かうだろうと思うのだが、そうはならない。
 まず、病院も警察も、何も教えてくれなかったと祖母は語る。そして噂だけが近所じゅうに広まり、智英美は勤めていた銀行を辞めざるを得なくなった、と。当の兄は、今も別の精神病院に入っているという。つまり本人から真相を聞き出すのも無理、ということなのだろう。
 しかし、ノリコと一緒に病院・警察・新聞社などを回れば、真相の一端ぐらいは掴めるのではないか、と思う。監督もそう考えたようだが、ノリコは違っていた。その伯父には会ったこともなく、真相を知りたいとは思わない。母の死にはいろいろな要因がぐちゃぐちゃに絡まっており、そのうちのひとつが分かっても仕方がない。これは親(父)も同じ考えだ、と語る。実際、父親も「死んでしまった人間に対して、そこまで追求する意味があるのか」と言う。
 こうして、このエピソードも深く追求できないままに終わる。

どう観るか

 父親の自殺という自分自身の問題に向き合えないから、ノリコのケースを取り上げたのか、とも思える。それもあながち間違いとは言えないだろう。例えば、映画の後半には次のようなシーンがある。
 台所に立つ母親の後ろ姿。ゴボウを削っている。ナレーションはなく、字幕だけが入る。《久しぶりに実家に帰った》《母にインタビューをすることはできなかった…》《僕たち家族はどれだけ父の死を共有できているだろう…》と。
 ノリコのケースにしても、追求不足の感は否めない。映画タイトルとは裏腹に、ふたつの自死からのメッセージは希薄だと言わざるを得ない。
 しかし、待てよ。この映画は、当初の計画からは大きくズレてしまったとしても、半面、身内といえども別個の人間の内面に深く迫ることの困難さを描き出しているのではないか。
 監督自身、ナレーションで「過去を掘り返せば掘り返すほど、誰も知らない領域が膨大にあって……」「僕の場合も、状況が彼(父)を追い込んだのであって、その状況が悪いと思いたい、そういうふうに解釈したいと……。(しかしそれも)ひとつの解釈なんだなということが分かってきて、最後まで何があったのか、何故っていう思いは消化されずに残ってしまう」と語っている。
 また、特集上映「彷徨する魂を追う〜NDUからNDSへ〜」のリーフレットに監督が寄せた自作解説にも、《その女性がどのような状況の中を生きてきたのかすら誰にも分からないのだということに気付かされる。掴もうとすればする程不確かになっていく、自殺の理由…》《一人の人間が生きた軌跡をたどろうとする時、他者である僕のなんと無力なことだろう》と書かれている。
 1998年以来ずっと、わが国の自殺者は年間3万人を超えている。これは交通事故による死者の6倍にもなる。その数字を見るとき、私たちはこの問題をマクロで捉えがちになるが、この映画は、困難でも個々の死の背後にまで想像力を働かせるミクロの視点も必要であることを提起しているとも言えよう。

試写室での出会い

 2010年5月の劇場公開に先立つ4月7日、シネ・ヌーヴォXでこの映画の試写会があった。その時点では、先に書いた「台所に立つ母親の後ろ姿」のシーンはなく、ホームビデオの映像がもっと多かった。そのビデオ映像からは、父親の家族に対する愛情と優しいまなざしが感じられ、その穏やかな声も入っている。
 それを見た私の感想は「傷ましい!」というもので、梶井監督は8年前の悲しみから未だに抜け出せていないのでは、と強く感じた。その一方で、映画を撮るということは対象を「社会化」することだから、さまざまな意見や批判にさらされる。監督はそれに耐え、また吸収もしなければならないが、繊細そうな梶井監督にそれができるのだろうか、とも思った。
 彼と話す機会もあり、そんなことを言ったかどうかは覚えていないのだが、ほかにも厳しい意見を言う人はいた。それから1カ月のうちに、彼は前述のように編集をし直してきた(ホームビデオの映像を減らし、「台所に立つ母親の後ろ姿」のシーンを追加。ほかにも変更部分はあるかもしれない)。多くの意見を聴き、納得した部分があったからこその変更であろうが、その行動力、素直さ、フレキシブルな思考に感心した。
 ナレーションの声や話しぶりからも想像できるように、彼は思索的な人なのだと思う。映画に挿入されている、誰もいない空き地、神社の狛犬、月、黒く淀んだ水路などのカットも、出来事を独り静かに思索するような印象を与える。
 そんな梶井監督は、エネルギッシュで骨太な他のNDSメンバーとは趣を異にするように感じられる。だが、それこそが個性であり、持ち味というものだろう。他のメンバーと大いに切磋琢磨し、次の作品に取り組んでほしいと思う。
 聞けば、父親と口論になった冬の朝は、監督の大学受験の日であったという。映画のラスト近くに、その朝の、モノクロによる再現映像がある。たぶん昔のビデオか8ミリの映像とつなぎ合わせてあるので、ちょっと分かりにくいのだが、次のようになっている。
 高校3年の梶井君が玄関から外へ出る。数歩あるいて立ち止まり、引き返す。玄関ドアを開け、2階の父に向かって「行ってきまーす」と声をかける。ややあって、「はーい」(字幕)と返事がある。この「はーい」があったことに、私は救われるのだ。

『「彷徨する魂を追う〜NDUからNDSへ〜」上映会ふり返り中間報告』(2010年8月12日発行)に掲載したもの。同上映会については「ケセラセラ通信日記」の2010年5月5日および7月29日でも触れている。

(2010年9月14日)

 

 

 

 
 
   
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