住奥久隆 , 和文電信による非常通信  トップ頁クリック

 全目次 クリック                    住奥久隆と非常通信のホームページ!

        
  三河湾にて座礁,緊急通信を発信せよ   03-12-18  愛知県豊橋市  東 継夫

1958年4月5日、三河湾の三谷港に停泊中の愛知県漁業取締船あゆち丸のサロンでは、乗組員達がテーブルを囲んで、いつもと変わらぬ一汁2菜の朝食にありつきながら、他愛のない話題でのんびりと休日の朝を迎えていた。
午前7時過ぎ、突然あゆち丸を訪れた三谷漁業組合役員から「遭難漁船の救助要請」をうけたことで、そのくつろぎは一瞬に破られた。

「該船の20トン型底引き船A丸が、本日0435時、伊良湖灯台28°北 、1,8マイルの西浜に座礁、自力での離礁は不可能のため救助たのむ」との内容であった。

休日のため船長はじめ甲板部2名、機関部1名が下船中というハンディのなか、一等航海士をはじめ機関長そして小生(通信長)による出動の協議は、超法規的な解釈で一等航海士が船長代行というかたちで即時GO!の決議がなされた。

「QTO ,0715」(午前7時15分 出港)

1,030mbの優勢な大陸の高気圧から吹き出す北西の風に煽られた三河湾は、一面が白く泡立ちながら大波となって本船の右舷側に激しく叩きつけるなか、ブリッジのチョッサー(一等航海士の通称)は、時化のなか無謀ともいえる全速前進の指示を機関室に出して、1,4ノットの速力で針路を南西にとり現場に急航した。

0825,A丸座礁の現場沖合い200mに到着、曳航ロープを引波すための作業が大揺れのデッキで続けられた結果、0855,ついに本船と安泰丸が約150mの海面を隔てて40mm径のロープで結ばれ、船首を沖合に向けた本船は微速前進を開始した。

これを確認した小生は、通信士の日課となっている天気図作成のため無線室に入りNHKが流す漁業気象放送の受信を始めたが、船体の動揺が激しく天気図面への書込みに苦闘している最中に突然ズシーン!と強いショックが船底から伝わってきた。
「やった−!」座礁と直感した小生は無線室からデッキに飛び出して周囲を見渡すと船首方向に神島があり曳航の予定針路である北西(風上側)から大きく南西側に吹き流されていることを咄嗟に理解した。

「お−い!早く曳航ロープを叩き切れ−!」ブリッジの窓から顔を出したチョッサーが船尾デッキの甲板員に激を飛ばしていたが、曳航ビットにつながるロープの先端20mはワイヤーロープのため、甲板員が必死に斧を叩きつけても簡単に切れるしろものではなかった。

ズシーン!ドドーン!船底から伝わるショックのテンポが次第に早くなると、操船の自由を失った船体は大きく左右に傾き転覆の危険が一挙に高まってきた。
「チョッサー!駄目で−す!」ワイヤーロープに斧を叩き込んでいた甲板員の悲鳴に似た声が、舷側にぶつかる大波と強風のなかに聞こえた。
ドドーン!どど一つ!突如見上げるような高波が右舷に押し寄せると、船体は左舷側へ50°近くに傾いたため、ボートデッキからこれを見ていた小生は、横倒しになりながら無我夢中でかたわらのボートダビットにしがみついていた。
ブリッジから「総員退船!退船しろ一つ!」チョッサーの悲痛な怒号とともにマストのサイレンがけたたましく吹鳴をはじめた。

そのとき、本船から波打ち際までは30メートルほどであったろうか、乗組員たちは先を争うように舷側を乗り越えて冷たい荒海に飛込むと、激浪のなか必死に砂浜をめざして泳ぎ始めた。
それを見た小生も一瞬彼らに続いて海へ・・・と体勢を整えたとき、顔面蒼白のチョッサーがブリッジからよろめくように飛び出して小生を指差すと「局長!退船待て一つ!その前にXXX 緊急通信の発信だぞ一つ!」船長代行の命令を聞いた小生は忘れかけていた船舶通信土としての自覚を一瞬に取り戻し「]]]の発信を了解!直ちに鳥羽海保あて発信します!」
と返事をしたものの、転覆の恐れが100%に近い極限状態のなかで、再び一人で無線室へ入ることは恐怖そのものであったが、電波学校でしごかれた鬼のN教官が卒業式に言った 「お前たちは、SOSを打って死ぬために郵政大臣のライセンスを持ったんだ・・・」
の言葉をリアルに思い出しながらよろよろもつれる足で無線室に飛込み、通信卓にしがみつくと、送信機のCHノッチをA3,2,182KCに入れハンドマイクを握り締めた。(以下、当日の無線業務日誌より抜粋)

0912〜緊急、緊急、緊急、鳥羽保安こちらはあゆち丸(コールJEUN)感明いかが?
緊急、緊急、あゆち丸こちらは鳥羽保安、感明とも良好どうぞ!
緊急、こちらはあゆち丸、本船0905、A丸座礁の救助中に座礁した、QTH伊良湖 L/H, N28°1,8マイル、波浪高く本船も転覆の恐れあり、救助たのむ
緊急 こちらは鳥羽保安、貴船座礁の件了解した、至急巡視船の救助出動を手配する、がんばれ!"

0932〜緊急、緊急、あゆち丸、こちらは巡視船こうず、本船ただいま的矢港より費船に向けて急行中、現場へのETAは1035頃の予定、現状を知らされたし!
緊急、巡視船こうず、こちらはあゆち丸、本船、船首を伊良湖岬に向け海岸線に平行して座礁、波浪のためローリングは最大50°近くある模様、無線室天窓からの浸水が大なるも無線の交信は、いまのところ可能なり。
緊急 あゆち丸、こちらは巡視船こうず、了解した、船外への脱出に万全を期されたし、またその際は電信,2,091KCをキーイングにされたし。

0939〜緊急 あゆち丸、こちらはJHH-2(豊浜漁業局)貴局の通信すべて傍受した、県庁あてただちにこの旨打電する、がんばれ!"

1027〜緊急 あゆち丸、こちらは巡視船こうず、貴船の救助にあたり本船の接近距離を知らされたし。
緊急 巡視船こうず、こちらはあゆち丸、概ね300m以内は危険と思われる、なお総員退船の指示あるも士官による重要書類の陸揚げを実施中。

1036〜緊急 巡視船こうず、こちらはあゆち丸、干潮のため船体の動揺が減ったため陸上から2条のロープで船体の傾斜を確保するための作業に入った、なお機関部は機関長はじめ全員陸上に避難している、船体動揺は±35°前後。

1109〜緊急 あゆち丸、こちらは巡視船こうず、ただ今から曳航用のロープをゴムボートで貴船に向けて流すので拾われたし、なお、ロープ確保後の曳航方位はNNEとする、あゆち丸了解あればこれをもって緊急通信を解除する、参加各局の労を多とする。

1113〜巡視船こうず、こちらはあゆち丸、緊急通信解除による当局はQSW 2,105KC、QSX2,130KCでよろしく。

1118〜巡視船こうず、こちらはあゆち丸、貴船のコムボートは本船の前方30mE方向に流され、収容は不可能のため再度放流されたし、なお、曳航ロープは50mm径以下では破断すると思われるため、ご検討されたい。
 なお、当局の電源は発電機の運転が不能のため、残り2h程度でOutと思われるため、オールワツチを1200以降は中止し緊急時のみ当局よりコールする、それ以外の船間連絡は手旗信号を、日没以後は発光信号を使用するのでよろしく。

1121〜あゆち丸、こちらは巡視船こうず、了解した、曳航ロープの手配から貴船の曳航再開を本日2200の満潮を期して再開したい。

1125〜巡視船こうず、こちらはあゆち丸、引き潮に入ったため本船が完全に砂浜に乗揚げるのも時間の問題となった、以降は転覆の恐れは無いもようにつき、今夜の満潮時の救援作業を待つ。   <無線業務日誌の抜粋は以下省略>

その後すぐ、巡視船こうずは他の海域での遭難船レスキユーに出動したため、本船の離礁作業はサルベージ会社に変更し、これより離礁までの3昼夜を小生たちは砂浜にテントを張って思いがけないアウトドアー生活を余儀なくされたが、やがて肝腎の無線通信がバッテリーOUTのため途絶したことにより、遭難現場に来た本庁の上司と争いが発生したが、その結果、通信長として詰め腹を切らされた格好となり海運局に登録していた船員手帳の職名が、一等通信士から通信士に降格となったのは、それから約1ケ月後であった。
また、船長代行として遭難を招いたチョッサーの処置については、失念したことと致します。
無線通信を天職として40年を送った小生の、青春のある1ページをいささかの恥を忍んでここにご披露いたしました。

                                                    --- 以 上 ---

       
遠き日の思い出 ,私の陸軍少年通信兵時代  03-11-27   JA9GO  水野博造

 昭和18年暮れ、今の高校1年生の歳に新潟県村松町の陸軍少年通信兵学校に入校、祖国の危急存亡に際して電波の戦士として戦うべく訓練をうけて昭和20年3月に卒業しました。
そして、戦いの決意を秘めて九州の部隊に配属されましたが、同期生1600名のうち、終戦までに約600名が戦没、祖国に殉じました。
 (写真をクリック)

 この間、私にとっても生死を分ける岐路が3回ほどありました。
身体虚弱であった私ですが、はじめ九州に配属され、その後フィリピン向け部隊編成があった時は教育係りとして残り、次に編成された部隊では内地の福岡県飯塚市周辺に展開して終戦を迎えました。戦友の中には、輸送船の中で奇数列は沖縄組、偶数列は台湾へと分けられ危険な海路を南に向かった組みもあったそうです。

 少年時代から軍国教育のみを叩き込まれてきた私たちにとって終戦はまさに高い、大きな壁でした。 頭の中が真っ白、虚ろな日々が数日続きました。しかし若さの特権でしょうか、どうにかあの混乱の中を乗り切って、気が付いたら70有余、長生きしすぎたかな--と思っているこの頃です

最近の心境
                          
◎ 人間いくらもがいてもあがいてもどうにもならん時があるもんだ。
お釈迦様が下界を眺めて苦笑されているかも---と思えば気も休まるというもんだ。ある意味では運命論者かもしれませんね。

◎ 今の北朝鮮--- 共産制社会とは名ばかり、個人崇拝・独裁・貧困、世界中からの鼻つまみになっていますね。でも、60年前のヒトラー、-- そう言えば東洋にもそんな国がありましたね。純真な、若い人達の教育って本当に大切なことだと思います。

軍隊時代のあれこれ

盆踊りと非常呼集
 昭和19年の夏、新潟県村松町でも盆踊り大会が行われていました。
この頃サイパン陥落が報道され、わが中隊の血気盛んな将校(22−25歳の士官学校出身や幹部候補生出身)が"この戦時下に怪しからん!"と非常呼集をかけ盆踊りの輪に殴り込をかけたのです。
週番士官いわく"この戦局重大な時に盆踊りとは何事!町民の覚醒を促す!、ただし婦女子を傷つけないよう銃は横に構えよ!"という激がありました。

 まさに、2.26事件さながら。若い少年兵は素直に行動したのですが、件の将校さんは免責処分にはなったものの昇進に際しては、だいぶ割を食ったそうです。この時のことは、私は今もって是非を判定できないでいます。

ノモンハン事件での ひとこま
 満蒙ノモンハンでの日ソの衝突でしたが、ソ連の分厚い鉄甲の重戦車に日本軍は全く歯が立たず大敗を喫したのですが、そのときの話です

@ 孤立した小隊? 長が後方の本部に連絡の伝令を上等兵に命じたのですがその兵隊は"いま飛び出したら弾幕で100%死ぬ 抗命罪で銃殺されても仕方ない" として、行かなかったそうです。
抗命は絶対的な"悪"とされる軍隊で処刑されなかったのは不思議なくらい--と後になって中隊の少年兵学校当時の班付き下士官が話していました。

A 或る有線中隊が、敵の中に取り残され"最早これまで--どうせ死ぬなら"と架線用の4〜5mのポールを押し立てて喚声を上げながら敵陣を突破、無事生還できたそうです。
数十本のポールの集団にソ連兵は、新兵器の出現??? とあっけにとられて銃撃しなかったのでは? と--- 私の区隊長の体験談でした。

集団の戦い
 ある時、少年通信兵学校でこんな演習が行われました。
4個中隊800名を二分し、禁止事項は突く・叩く・蹴る それ以外は何でもあり"参った" と言った者が戦死者となり列外へのルールです。(最小集団は1こ区隊50名)

 1回戦は我が区隊は敵の2区隊100名に囲まれてしまいました。 敵は悠々と、一人ずつ引っ張り出して数人で押し倒し仕留めてゆくのを目の当たりに見ながら我が方は戦意喪失、引っ張り出されまいと輪の奥へと下がるのみ---惨憺たるものでした。

 2回戦は我が区隊が猛反撃!。即ち、敵の1個区隊を我が2個区隊が取り囲んで、上記の場合と全く同じ状況が現出したのです。

 第1線での集団の戦いは、個人の体力や射撃の上手下手ではなく、指揮官の統率力と闘争心で決まることを実感した次第です。昔から、城を落とすときは逃げ道を空けておけと言われていますね。

階級と情理
 佐賀の部隊でのこと。幹部候補生が見習士官で帰ってきました。
内務班へ入ってきたので班員一同"敬礼"の言葉とともに将校に対する礼として直立の姿勢をとりました。件の見習士官は"そのままそのまま"と言いながら某一等兵(ぐうたらの4年兵)の前に行き"○○から帰りました"と申告したのです。

 軍隊で将校が一等兵に申告するなんて-----皆あっ気にとられていました。
後で聞いたところ新兵教育のときにその古兵の指導を受け可愛がられていたとのこと。 軍隊では珍しい微笑ましい情景でしたので60年を経て今でも記憶に残っています。

張り切り中隊長の昭和20年8月15日の前後
 鬼畜米英! 撃ちてし止まん! と張り切っていた我が無線中隊長さん、8月20日ころ当番兵を使って、トラックいっぱいの軍需物資を我が家に運ばせたのです。

 これを知った下士官兵の怒りは止まるところを知りません。
倶梨伽羅紋々の彫り物をした下士官が軍刀を引っさげて談判し、その物資を還させたのですが、それでは収まらず中隊長が退庁の時、覆面の数人の兵隊に襲われ、防火用水に投げ込まれ、兵士たちの喝采を浴びていました。

 その他、軍隊経験者はご存知でしょうが、士官に運んでいた食事は終戦の翌日からいじめをしていた将校には知らん振り。権力を嵩に威張る上司と反抗する部下の図式は何時の世も同じですね。
遠い昔の記憶の断片を綴ってみました。最後まで読んでいただき深謝!-- TKS

陸軍少年通信兵学校卒業式の写真 (筆者は3列目の左端) クリックしてください


[ 筆者紹介 ]
 ”陸軍少年通信兵時代の思い出”を語られた水野博造さんは、戦後「逓信省電波監視局」、のちに郵政省電波監理局に勤務され昭和55年に退職されました。
そして平成2年まで日本自動車電話株式会社に勤務されていましたが、いまは趣味としてアマチュア無線を楽しまれ「4630全国ハムネット」のメンバーとしても活躍されています。

 また、水野さんは76才と高齢にも拘らずスキーや水泳などスポーツマンとしても知られています。
今秋、10月18日から4日間にわたって徳島県で行なわれた、シルバー世代のスポーツの祭典「第十六回全国健康福祉祭徳島大会」(ねんりんピック徳島2003)に参加、ハードな”水泳競技”で見事「25m優勝、50m準優勝」の二つを獲得されました。 
「表彰式写真」 クリック

 これは「ねんりんピック」の金メダル、銀メダルともいわれるもので、水野さんの快挙に地元でも”シルバー世代に元気を与える”ビックニュースとして新聞紙上を賑わしています。 

 ご存知のように、日本では高齢者パワーを「燻し銀」になぞらえて「シルバーパワー」と言われていますが、アメリカでは「Older Person with Active Life 」の頭文字をとり、前向きに人生を生き抜き、七色の宝石のように光り輝く世代 「オパール」  パワーとして尊称されています。
私たち、和文電信マンも比較的年齢が高い局長さんが多い訳ですが、水野さんの元気を戴いてシルバーパワーを発揮、いつまでも健やかに和文電信など人生を楽しみたいものです。

 水野さんも、ますますご健勝でスポーツマンとして、またアマチュア無線家として、今後より一層のご活躍をお祈りしています。 
(編集者 住奥久隆)

                                                     
--- 以 上 ---

       
日赤本社と初のSSTV静止画テレビ通信訓練   JA2OL 住奥久隆  03-11-07

10月23日、奥美濃のリゾート地で知られる岐阜県郡上郡高鷲村の鷲が岳スキー場で平成15年度日赤第3ブロック支部合同災害救護訓練が行なわれました。
この合同訓練は、災害時の救護活動が日本赤十字社の重要な事業であるところから、この地方で大規模災害が発生した場合に備えて東海、北陸地方の各日赤支部が連携して被災地での医療救護訓練を実施したものです。

今回は、大規模地震災害発災24時間後の被災地を想定、日赤本社が試作した国内用ERU(緊急対応ユニット)の取り扱いの習熟、ならびに日赤関係者の災害救援活動の実践的な訓練を目的として行なわれました。

午前8時30分、本社指導によるERU設営が行なわれた後、愛知県、三重県、福井県、静岡県、石川県、富山県、長野県、岐阜県など各地より続々と日赤救護班が到着、直ちに医療救護が必要と思われる避難者を救護所に搬送、医師の診察、治療などERU運用救護訓練が迅速に実施されました。

これにあわせて、災害現場の救護状況を逐一  日赤本社に映像伝達するため、日赤高山アマ無線奉仕団がSSTVによる静止画テレビ画像電送を行い救護活動に鋭意参加しました。同奉仕団は、モールスによる無線電信などに加えて20数年前よりテレビ、フアクシミリ、SSTV静止画、インターネットによる画像通信もあわせ実施してきたことから今回も迅速、且つ的確な現場写真の無線電送を行なう事が出来ました。(日赤高山アマ無線奉仕団のホームページは当頁の左枠見出しの最下段にあります)  
これも同日、周波数開放(7033KHz)などご協力いただいたSSTV各局、並びにサポート頂いたJG7JPJ 上野OTのお陰様と感謝しております。

なお、今回は日赤本社アマ無線クラブ(JH1ZVJ) が合同訓練に備えて春よりSSTV周辺機器の製作を行い このたび開局、はじめて日赤高山アマ無線奉仕団 (JI2ZKA) とSSTV画像電送の無線通信が行なわれたものです。この画像通信成功で、日赤本社アマチュア無線クラブでは大規模災害が発生した場合、全国各地のアマチュア日赤無線奉仕団からも災害現場画像のSSTV受信態勢が整ったもので、今後の組織的な災害救援、人命救助に活躍するものと期待されます。

また当日、病院の救護訓練に参加された名古屋第二病院 (JE2ZND) のJR2TDE,JP2IOH さんなどとも訓練現場でお会いでき、本拠地のJG2CZC,JI2HHI さんともSSTV交信できて大変喜んでいます。晩秋のスキー場とあって気温3度、氷雨が降り強風の吹くなか、発電機で電気ストーブを焚きながらの訓練でしたがとても良い思い出になりました。 thanks again!

災害時にあっては、アマ無線に許されたモールス無線電信やテレビ画像通信など、あらゆる無線通信方式やサポートツールをフルに活用、迅速かつ正確な災害情報を複数ルートで災害対策本部に伝達、災害救援や人命救助活動に協力しなければなりません。
このような、ささやかなハムの奉仕活動に対して日頃、暖かいご理解を頂く皆様方に この場を借りて厚く御礼申し上げます。

日赤本社との映像伝達訓練の静止画テレビ画像   左をクリックしてください

                                                
 --- 以 上 ---


                
誤差0,001Hz GPSを利用した10MHz発振器      JA0PX  斉藤義明   03-10-17

 最近HPのZ3801Aと言うGPSを利用した10MHz発振器が簡単に手に入るようになりました.これは米国でCDMA携帯電話の基地局の基準に使われていたものらしく,交換時期になり大量に放出された物のようです.精度は10の−9乗と規格にはなっていますが,実際には10の−10乗は有るようで,短期安定度は,10の−11乗も有るようです.この素晴らしい発振器をアマチュア無線局の中でどの様に使うか,利用するためにどんな工夫が必要かを実際の経験をもとに記してみます.
ちょっと考えただけでも以下のような使い方が考えられます.

1) 昔の10MHzJJYの替わりに利用する.
2) 周波数カウンタの内部基準を合わせるのに利用する.
3) 周波数カウンタの外部基準として利用する.
4) 送信機や受信機で外部入力(10MHz)端子がある場合の基準入力として利用する.
5) トランシーバ用の任意の基準周波数を発生させて利用する.

 2)と3)は同じように考えられますが,実際やると工夫が必要です.測定桁数を増やすことも出来ます.4)は単に接続しただけでは動作しない場合の対策が必要です.5)の場合,最近のトランシーバは基準周波数としてとんでもない周波数を使っており,正確な10MHzからその周波数を作り出す必要があり,かなり複雑です.
 本文ではこれらの詳細について述べます.

「誤差0,001Hz GPSを利用した10MHz発振器を使う」の詳細  左をクリックしてください

                                                           --- 以 上 ---

                    
 
ハムの大敵、ヘッドホーン難聴について  JA2OL 住奥久隆  03-09-27

毎日のように無線機を扱い、両耳ヘッドホーンを耳に掛け、無線交信を楽しんでいる、私たちアマ無線家にとって気になるのが耳のヘッドホーン障害です。

私自身も、昭和25年ころから両耳レシーバー(マグネチック型2000Ω)を耳にして受信機のダイヤルを回してきたせいか、最近すこし耳が遠くなったような気がします。(笑)
特に、若い頃はよく聞こえていた高い周波数の音が何だか聞こえ難くなった感じです。
それで、思い切って耳鼻咽喉科のドクターにお伺いしたところ私達にとって大変興味ある話をお聞きすることが出来ました。

まず、あなたのような熟年者にとっては加齢による難聴、つまり老人性による聴力低下が主な原因です---とアッサリ言われてガッカリ、また成る程と思ったりしました。

私のハムの友人でも、長年のヘッドホーン障害のためか耳が遠くなった方も何人かおられ、また和文電信ハムでアクテイブなある局長さんも元々の難聴もあり、108dbの音量でなければ受信音が聴こえない方もおられます。

ドクターのお話によると、一般に難聴の場合は音の伝達器官、つまり中耳までの障害である伝音性難聴と内耳以上、内耳や聴神経の機能が悪くなる感音性の難聴があるそうです。

伝音難聴は、耳の3個の耳小骨が音を蝸牛に伝えることができない場合や、耳に水が入ったり、耳小骨がこわれたりしたなどの物理的な原因のために、鼓膜が音に反応して振動できなくなった場合に起こり、感音難聴は、神経が物理的に損傷を受けたなどの場合に起こります。

これらについては、耳鼻科では外耳道の外からヘッドホーンに似たものを耳にあて、音を流して行なう気導聴力検査を行ない、次に耳の後ろの骨のところに音源をおき、内耳に音をいれて内耳の神経の聞こえ具合を調べる骨導検査などの聴力検査を実施します。
その結果、伝音性難聴の場合は手術などによって聴力が回復する場合がありますが、感音難聴の場合は回復することは非常に難しいということです。

通常、55歳までには 5人に1人は感音難聴(聴力損失)の症状が出ることが多く、その後は徐々に聞こえづらくなってゆきますが、完全な難聴に至ることは稀で、高齢者の場合、聴力障害を伴うアルツハイマー病や他の神経系の障害が普通の感音難聴と診断されることがあります。

また、特に周波数の高音域が聞こえづらくなるのは成人の場合は、普通のことで異常ではないそうです。人間だれでも年齢を加える毎に、少しずつ聴力低下があるそうで、この老人性難聴は加齢とともに高い周波数の音から段々聴こえなるのが生理的に自然なことだそうです。

その理由は、人間は年齢を重ねるとともに髪の毛が細くなり、そして少しづつ抜けていきます。(私も、残念ながら十数年前から実感しております---笑)
実は、人間の耳の神経(聴覚)も、髪の毛と同じように多少の差はあっても加齢に伴い、耳の神経が一本一本と少しづつ抜けていくそうです。

そして、その人間の耳の神経は一本について 「2ヘルツの周波数聴覚」 を持っており、それが年毎に 「高い周波数成分を受け持つ神経」 から少しづつ抜けていくというのです。
これが年齢に関連した聴力低下の主な原因のようで、楽器や受信音などの周波数の高音域にはじまり、進行性の聴力損失が起こるわけです。

このような難聴疾患は遺伝的な傾向にあり、家系的に多く見られるものらいしですが、65歳から75歳までの人で25%、75歳以上の人では50%に見られるといいます。

それでは、どなたでも成り易い感音性難聴の場合の治療法はどのようにしたらよろしいでしょうか?。

残念ながらこのような難聴の場合は治療は難しく回復はかなり困難ということですから、治療よりも先ずは「難聴にならないための予防」が大切ということになります。

毎日、私達のようにヘッドホーンを頭から被り無線交信している人達や、慢性的に騒音に接するお仕事の場合は、音量が大きいと神経終末が損傷し、難聴になることがよくあります。そのような音響性外傷ともいえる疾患は、作業環境を改善したり、ヘッドホーンへの次のような予防対策により発生をかなり防ぐことができるということです。

@ 受信機には出来るだけスピーカーを使う癖をつけ、音量を小さく運用すること。
A 両耳ヘッドホーンの場合でも、片耳側をズラして、ときどき1個のヘッドホーンとして使用すること。
B 時々、スピーカーとヘッドホーンを交互に切り替え運用すること。
C 最後に、出来るだけ長時間の運用は避けること。

音量の人間に与える影響は、40フォン以上の音が継続した場合、安眠が妨害されます。
そして、60フォン以上の音量が続けば、神経が苛立ち 80フォン以上では、食欲まで減退してしまいます。更に90フォン以上が数時間続けば、血圧は上昇し、胃や心臓に非常に強い負担がかかるようになります。
よく映画の脅迫場面で、目に直接光を照射して、頭にヘッドホーンを被せ、耳に強い音量を聞かせるシーンがありますが、非常に残酷な脅迫方法ということができます。

このようにアマ無線家の場合は、ヘッドホーンの大きな音量を毎日のように長い間聴き続けるとストレスが溜まり、次第にヘッドホーン難聴に陥り、聴力が落ちて元に戻らなくなる可能性が高いということですから運用には十分気を付け、今日からでも上記の予防法に配慮、耳を大切にして末永くアマチュア無線を楽しみたいと思います。

                                                     --- 以 上 ---


                    
 
防災訓練における非常通信4630KHzの活躍    住奥久隆  03-09-07

 近頃の、非常通信連絡設定周波数「4630KHz」の運用状況を特別の感慨をもって聴いています。
10年程前は、受信機のダイヤルを4630KHzに合わせると聴こえてくるモールス信号はJPB,JPD,JPL,JPP,JPD,JHA,JGC,JFC,JFG,JHC,などのコールサインをもつ警察局や海上保安庁、それに漁業無線海岸局などの公共/業務局でした。アマチュア無線局としては、私が岐阜県警察本部局(JPP)などと感度交換や和文電報送受のための無線交信をしたくらいで、殆どハムの4630KHz無線局は皆無の時代が長く続きました。

 しかし近年、公共/業務局の数が減少しているなか、反対に4630全国ハムネットの会員の皆様の、毎日の弛まないご尽力のお陰で4630KHzを開局運用される方が年々増加、毎日20数局から50局ほどのモールス信号が賑やかに聴こえるようになりました。

 以前は、全く見られなかったこの現象により、行政や公共/業務局が民間活力活用の方法として改めて公共周波数4630KHzに注目、一部の地方自治体の防災訓練には「災害応援都市要請協定」による市役所間の緊急ルートのひとつとして使われるようになりました。

 また、先月31日に行なわれた三重県の青山コール非常通信訓練(JARL主催)でも「三重県電信会」の皆様方のご努力により、4630KHzにおいてJFG,JFH,JHI(静岡県、三重県、和歌山県)など業務海岸局も非常訓練に参加され、多くの4630全国ハムネット各局とモールスによる無線訓練が実施されました。そして、同時に東海地震や東南海地震が懸念されるなか、暫く休止されていた海岸局同士の感度交換も4630KHzネットをサポートする形で復活しました。(TKS JA2KSA他各局)

 このように、アマチュア無線局が公共無線局や業務無線局と同一周波数で相互に無線交信ができるのは、4630KHzをおいては他になく4630全国ハムネットメンバーの面目躍如たるものがあります。今後、国でも防災基本法を充実するため、各関係省庁がご検討され、電波行政上も縦社会の中にあって、災害情報が有機的に機能するため、アマチュア無線局を含めた横方向の風通しを良くする方策が検討されるものと思われます。

 さらに9月7日、岐阜県高山市では高山市総合防災訓練が開催され、前述の「災害時相互応援協定」による応援応援要請の非常通信が行なわれました。
高山市は富山市、松本市、平塚市、小松市、武生市など5市と災害応援都市要請協定を結んでいますが、今年は武生市との応援要請訓練が行なわれました。(4630全国ハムネット会員が多い 「日赤高山無線奉仕団」 も連続28年目の正式参加でした)

 午前8時46分、高山市災害対策本部長である土野 守市長から災害応援要請電文の発信依頼をうけ、4630全国ハムネット会員および日赤高山無線奉仕団員のJH2CYT 中田さんが応援要請電文を和文モールスにて本部席より電波発信。
その電波を、まず石川県辰口町のJA9GO 水野博造さんが受信され、今度は水野さんが福井県三国町のJA9OA 本堂慶造さんにモールス中継送信、今度は本堂さんが前JARL福井県支部長のJA9XLO 堀秀夫さんに最終送信され、堀さんから武生市役所の三木市長に下記の災害時応援要請文が伝達されました。



 日本赤十字社武生地区長 武生市長 様


  これは訓練です。 本日8時00分ころ地震が発生しました。
  地震の規模はマグニチュード7,2と推測され、市内では多数
  の家屋が倒壊し、火災が発生しています。
  また、市民も多数負傷しています。今後、マグニチュード5〜
  6の余震が起こる恐れもあり、至急災害応援を要請します。
 

      平成15年9月7日

         発信人  日本赤十字社高山地区長  高山市長
 


 「送信場所」 高山市北小学校 高山市総合防災訓練会場 本部席   
 「送信人 」 日本赤十字社高山地区無線奉仕団 団長 住奥久隆


         (クンレン3回前置、認識符号、固有名詞省略 および 字数、番号、発、時、宛、局内心得、本文記述省略)

なお、複数の中継局方式がとられたのは、短波帯特有の電波の跳躍距離を考慮して実践的な訓練方法としたものですが、今年も災害応援要請文が正式な和文電報形式により、1字のミスもなく確実に武生市長に伝達され災害応援要請訓練は成功裏に終了しました。(この他、会場ではテレビ送受信や静止画像通信訓練も同時行なわれました) 

これも、今回の高山市役所の災害時都市応援要請訓練にご参加、ならびに日常、ご多忙の中を4630KHzにてご活躍されている4630全国ハムネットの皆様方のお陰様であり衷心より厚く御礼申し上げます。

                                                       
--- 以 上 ---

                   
 
モールスによる無線通信は無くならない?   JA2OL  住奥久隆   03-08-15

無線通信士など無線従事者の試験は昭和24年5月から現在のように国家試験に変わりました。
そして、日本の復興とともに無線通信従事者が時代の花形として迎えられ長年、海運や陸上など日本の産業文化の発展に多大の貢献してきたのは皆様よくご存知の通りです。

しかし近年、国の方針と海運企業の集約化・合理化が続き、1999年2月1日からは、航海の安全も海事衛星を使ったGMDSS(全世界的な海上遭難安全システム)に全面移行、これに伴い長年、モールス信号を使って船舶と無線通信をしていた銚子無線局や長崎無線局なども1999年1月31日に廃局となり日本の外航商船におけるモールス通信は終焉を迎えました。
その時代の大きな流れの中にあって、現在の無線通信士の養成はどうなっているのでしょうか-- 今回は、その現状をレポートします。

やはり、現在は残念ながら前述の状況下にあってモールス符号などの電気通信術を必要とする無線通信士などの養成校は海上保安大学や一部の水産高校などに限られているようです。
電気通信大学、大阪電気通信大学ほか、水産大学、海洋大学及び各水産学部をもつ大学ではコンピューターを使う通信工学や情報処理学科が多くなっています。

海上保安大学に於いては業務上、外国船舶の通信手段として一部使われているモールス通信は不可欠であり、また遠洋漁業などの漁船は依然、モールス通信が使われているところから一部の水産高校では無線通信科を継続、第3級〜第2級無線通信士の養成を続けているところもあります。

趣味の世界であるアマ無線では無線電信は将来もなくならない---と張り切っていますが、鹿児島水産高校などでも 「漁船からモールス通信は無くならないだろう」と考え積極的に指導している水産高校もあります。しかし、大部分の学校は「無線通信士などの国家試験にモールス通信術がある限り継続したい」 としているようです。

また、名古屋工学院専門学校ではモールス通信科の学生が少なくなったため今年度限りで、同学科の廃止を決定。また詫間電波工業高専や仙台電波工業高専では既に数年前よりモールス通信科を廃止、時流に合わせてコンピューターのデジタル情報処理や無線技術士養成のみを実施、情報通信科として学生を集めています。
下記に、無線通信科をもつ学校および現在は情報処理工学科として様変わりしている学校を記載します。

●海上保安大学校 専門教育科 第1級海上無線通信士  
(電気通信術、無線工学の基礎、英語の科目免除)

[北海道ブロック]
●小樽水産高等学校 本科120名 第3級総合無線通信士 専攻科11名 第2級〜第1級総合無線通信士
  函館水産高等学校
  厚岸水産高等学校

[東北ブロック]
●青森県 八戸水産高等学校  情報水産科 第2級総合通信士
  岩手県 宮古水産高等学校
  久慈水産高等学校
  広田水産高等学校
  宮城県 県立水産高等学校
  気仙沼向洋高等学校
  秋田県 海洋技術高等学校
  山形県 加茂水産高等学校
  福島県 いわき海星高等学校
  仙台電波工業高等専門学校

[関東・東海ブロック]
  茨城県 海洋高等学校
  千葉県 銚子水産高等学校
  勝浦高等学校
  安房水産高等学校
  東京都 大島南高等学校
●神奈川県 三崎水産高等学校 情報通信科 第2級総合通信士 本科 104名 専攻科 9名 計 113名
  静岡県 焼津水産高等学校
  愛知県 三谷水産高等学校
  三重県 県立水産高等学校  機関科で情報処理あり  (現在、全国水産高校協議会理事校)
  名古屋工学院専門学校

[日本海北部ブロック]
  新潟県 海洋高等学校
●富山県 富山海洋高等学校  海上特殊無線通信士
  有磯高等学校
  石川県 県立能都北辰高等学校
  県立能都北辰高等学校 小木分校
  福井県 小浜水産高等学校

[日本海南部ブロック]
  京都府 海洋高等学校
  兵庫県 香住水産高等学校
  鳥取県 境水産高等学校
  島根県 隠岐水産高等学校
  浜田水産高等学校
  山口県 県立水産高等学校

[四国ブロック ]
  香川県 多度津水産高等学校
  徳島県 県立水産高等学校
●高知県 海洋高等学校       情報通信コース 第3級総合無線通信士
  愛媛県 宇和島水産高等学校
  詫間電波工業高等専門学校 

[九州ブロック]
  福岡県 県立水産高等学校
●長崎県 長崎水産高等学校    情報通信科   第3級総合無線通信士
  熊本県 苓洋高等学校
  大分県 海洋科学高等学校
  宮崎県 宮崎海洋高等学校
●鹿児島県 鹿児島水産高等学校 情報通信科   第2級総合無線通信士
●沖縄県 沖縄水産高等学校     情報通信科   第2級、第3級総合無線通信士
  翔南高等学校

                                                            
--- 以 上 ---

               
 
本屋さんで「デジタル万引き」って何だろう?   03-07-25  JA2OL 住奥久隆 

日本雑誌協会と電気通信事業者協会は、7月1日から本屋さんでカメラ付き携帯電話を使って雑誌などを撮影しないようキャンペーンを始めました。
これは書店の店頭に並ぶ雑誌などの情報を、いま流行のカメラ付き携帯電話などで撮影することによって書籍の売上が減少しないか警戒感を深めて発表されたものです。

書店での万引きが増加、経営が成り立たなくなるお店も増え、万引きが原因で潰れる書店も噂されるなか、最近急速に普及し始めたカメラ付き携帯電話で情報のみ撮影、本を買わず涼しい顔をして帰るお客さんが多くなったため、全国の書店に3万枚のポスターを配布、お客様のマナー向上を訴えているものです。

それにしても 「デジタル万引き」 とは凄い--- 強烈な言葉を考えたものですね!。(笑)
デジタル技術を利用した被害では、音楽業界の違法コピーなど挙げられますが、本屋さんで一部撮影が 「デジタル万引き」 なら、音楽の違法ダウンロードは 「デジタル強盗」 とでも言うのでしょうか?。

どなたも、書店で目的の本を買い、ついでに店頭に並ぶ他の本を見て、時には 「一行のURL」 などを紙にメモしたいことはないでしょうか?でも注意してください!--- これも厳密にいえば違法との話もありますが、少なくともマナー違反ではあるようです。

それでは、私もよくやる本の立ち読みですが、この場合はどうでしょう?
本の立ち読みについては、窃盗であれば刑法で「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役に処する。」となっていますが、財物という有体物ではありませんので、今のところ本の情報は利益窃盗となり処罰する規定はないそうですからご安心ください。(笑)

アメリカの大型書店では、お客様へのサービス競争が激しく、広いカフェでお茶を飲みながら、購入前の雑誌や本を持ち込み読んでもいいし、本の内容を書き留めることもできる書店が増えています。

それに引きかえ日本の雑誌協会では 「デジタル万引き」 などと強烈な、インパクトの強い防止キャンペーンを実施していますが、このような "人聞きの悪い言葉 "を使うより、もっと親しまれる、効果的な方法は他になかったものでしょうか?(笑)

カメラ付き携帯電話は、仕事に趣味に大変便利なツールでデジカメを超える勢いで普及しています。しかし、これではカメラ付き携帯電話を持って書店に立ち寄るのが、何だか気が引けます。
それに携帯電話フアンは、店頭のデジタル万引き防止ポスターを見て、心理学でいうある種の interrupt allergy (インタラプト アレルギー)によって "本を読みたくなくなる衝動"にかられる人もいるかもしれません。せめて、文豪シェークスピアとセルヴァンテスの命日でもある4月23日の"世界 本の日"くらいはポスターを外して欲しいものです。(笑)

いずれにしても、書店の立場で一方的に携帯電話を持つ、すべてのお客様に疑いの目を向ける前に、書店として他の方法も考えてみたら如何でしょう?。
まずは「カメラ付き携帯電話で本の撮影はお止めください」と本棚ごとに掲示して優しい言葉で注意を促したり、店員を増やすとか、店内監視カメラの設置、そして本の内容の撮影行為は違法との正式な法整備運動を行なうなど様々な努力をされるのが先決と思います。
また、本の内容を一枚撮影ごとに200円ほどの有料としてもいいかも知れません---それが駄目なら、成人週刊誌のように全ての本をビニール袋に包んで並べてもいいでしょう。(笑)

今のところ「デジタル万引き」防止キャンペーンは不評のようですが、やはり書店の立場にすれば、度の過ぎた本の立ち読みも、カメラ付き携帯電話などで本の内容を撮影するのも、マナー違反であることは確かです。

私達にとって、書店へ行くのは色々な情報が山積みされており、何だか "お宝の山"に入ったような気がします。知的好奇心を満たしてくれるし、最近では退屈しない、暇つぶしの場所にもなっているようです。

このページで、マナーを守れなどと説教くさい話をする気はありませんが、最近の高機能デジタルツールを使ってマナー破りすることが "今流で恰好いいとか、自分の個性 "だと思っていたら、勘違いのようです。この際、日本雑誌協会のセンスの無なさは大目にみて、お互いに楽しく快適な書店づくりに協力することにしましょう。

                                                       
--- 以 上 ---


               
   
第16回北陸和文電信愛好者の集い開催     03-07-6  JA2OL  住奥久隆

美しい白砂青松の加賀海岸で知られる石川県加賀市の片野荘にて7月6-7日、第16回北陸和文電信愛好者の集いが行なわれました。

これは”顔を見ながら和文電信を楽しもう”と北陸和文電信愛好会の石川県幹事局の呼び掛けで開かれたもので、北陸のみならず四国や中国、関東、東海地方などから44名の和文電信マンが集まりました。

午後4時、幹事長のJA9FNC 月田さんのご挨拶でミーテイング開始、まず初めて参加の皆様のご紹介がありました。
そしてお馴染みのJA1ANP 庄司さんの「アメリカでの和文電信」およびJA9BV 亀山さんの「ベトナムの話」、そしてJA2OL 住奥の「和文電信と4630KHz非常通信」&「学校での無線通信士教育の現況」などについて話がありました。(北国新聞の記者取材あり)

午後6時半、懇親会場にて記念撮影のあと、お待ち兼ねの懇親会がJA9AWG上田さんの軽妙な司会によって始まりました。
四国より参加されたJA5BVW神野さんの乾杯、そして山中節保存会の皆様による正調  山中節のご披露などがあり雰囲気を盛り上げるなか、一年ぶりに再開を楽しむ人、お空では交信しながらも初顔合わせの人---など日本海の美味しい魚や美酒を味わいながら楽しいグランドQSOが続きました。

その後、二次会では、すっかり出来上がったOMさんが、お得意の電鍵やモールス符号の自慢話、戦友会顔負けの軍歌と拍手が響くなか楽しい和文電信談義が夜遅くまで続きました。

翌朝、8時半より4630全国ハムネットの全国感度交換参加につづいて、会議室にて抽選会や次回開催地への引渡し式などが行なわれ9時45分、来年福井県での再会を約して加賀海岸を後にしました。

やはり、全国の和文電信愛好者の”人気のほどが分かる”北陸和文電信の集いで、加賀の皆様の暖かい人情と、海の幸を心から満喫しました。
お世話をかけた幹事局の皆さま本当に有難う御座いました、厚く御礼申し上げます。


                                                                                       
 --- 以 上 ---

               
   
第29回東海2m和文電信愛好者の集い開催  JA2OL 住奥久隆  03-6-22

6月21日 22日の両日、岐阜県養老町の”グリーンハイツ養老”で第29回東海2m和文電信愛好者の集いが行われました。
午後4時開会、岐阜県幹事を代表してJG2XXV 樋口さん & JI2NBK国枝さんが挨拶。次に、2mのみならず短波帯でも和文電信を楽しむ参加者54名の自己紹介がありました。

このあとミーテイング、写真撮影と続いて午後6時30分より幹事局の司会進行で懇親会がスタートしました。
全国に名だたる養老の銘酒が雰囲気を盛り上げるなか、ビンゴーゲームおよびJF2NRC伊藤辰代さんのサキソフォンやJG2CME 伊藤OMの英語演歌など無線以外の発表会もあって、雄大な濃尾平野を一望できる館で一年ぶりのアイボールQSOを楽しみました。

懇親会のあと、2次会では和文電信バンドで聞かれる各局のモールス符号などを肴に夜遅くまで和文電信談義がつづき、楽しい有意義な一夜を過ごしました。--- 和文電信各局!--また来年の東海2m和文電信愛好者の集いは三重県上野市でお会いしましょう!!

「第29回東海2m和文電信愛好者の集い」の集合写真  左をクリックしてください

                                                                        
--- 以 上 ---

        
           
  海岸無線局のモールス通信の現状   JA2OL  住奥久隆   03-06-10

海に囲まれた、島国日本の海岸局は明治時代から船舶局を相手に海上移動通信業務を行い日本海運の発展に大きく貢献してきました。
しかし長年、世界に名だたる海上通信の主役を担ってきた海岸局も、通信衛星時代を迎え、公衆電報業務は平成11331日をもって長い歴史に終わりを告げました。

現在は、世界の海で遠洋漁業を行う漁船に対して海上通信業務が行われており、日本各地の漁業無線局から依然モールス符号による無線通信が実施されています。ここに、日本の漁業無線局から実際に無線電信によって、赤道から南米西海岸付近で操業しているマグロ漁船向け送信されているモールス信号(マグロ漁業予報)を下記に掲載します。

この電信フアイルは、送信速度によって2種類に分かれています。高速フアイルは1分間80字ほど、低速フアイルは1分間30字ほどで作成しています---各ボタンの指示にしたがいお楽しみください。

なお、この漁業予報は私が実際に短波帯で受信、その内容を音楽ソフトを使い、和文モールス信号に作り変えたものです。(フアイル作成方法は、当HPの”電子メールでモールス音を送信する方法”をご参照ください)

様々な分野で20世紀の”通信の花形”といわれるモールス通信に従事されていた方や、無線通信に興味を持ち、これからモールス電信符号を練習したいと言われる方の為に、今流れている和文モールス符号の音声フアイルを貴方にお渡しいたします。
必要な方は、下記の青色部分を右クリックして表示された「対象をフアイルに保存」を選び、保存先を指定、あなたのパソコンにダウンロードしてお聞きください。(フアイル容量 13K)


ダウンロード モールス通信の音声フアイル(高速) 青色文字を右クリックして下さい


ダウンロード モールス通信の音声フアイル(低速) 青色文字を右クリックして下さい



PS: これから、電波の世界の扉を開けて学習したい方のために、関係官庁筋のサイト”DENPA−NET”の「電波博物館  および 電波学習館」があります、下記にそのURLをご紹介します。
   URL  http://www.cleandenpa.net/museum/index.htm

                                                    --- 以 上 ---


                
白装束のパナウエーブ騒動と電磁波について      住奥久隆  03-05-20
 
先日、ニュースで騒がれている白装束集団が、岐阜県に入り高山市を通過しました。
異様な白衣に身を包み、白い車で移動する集団をめぐって一時飛騨地方は騒然とした雰囲気に包まれました。
清見村の山中に居座るパナウエーブの一団に再三退去を求めたり、また移動ルートにあっては彼らが横道に入らないよう地方自治体の職員などが懸命の阻止態勢をとるなど、通り過ぎるまで厳しく一行を見守りました。

その間、周りには300人を越す岐阜県警や報道関係者(100人以上)のほか消防団や、さらに右翼団体や見物客まで押し寄せ、狭い道路は大混雑となりました。清見村老谷付近の山中では大勢の人達が集まり、史上初の大騒ぎとなったわけです。

このような騒動を身近にみるにつけ、確かに不気味な白装束や  「ニビル惑星が地球に接近、人類が滅亡する」  など私達には到底、理解できない独特の考えを信じるパナウエーブ集団には社会の人達が不安に感じるのは当然のことと思っています。
まして、一部に囁かれている"送電線鉄塔の破壊"などが、もし事実であるとすれば言語道断、これら犯罪行為に対しては厳重に追求しなければなりません。
また、そのような犯罪行為が予測される場合にあっては、それなりの厳しい対応が必要なことは言うまでもありません。

しかし、現在のところ道路交通法違反以外には左程目立った行為もなく、福井県の本拠地近くの住民の話では 「おとなしく真面目な人達」 とも言われる集団に対して少し大袈裟ではないか?---社会安寧のため監視を続ける県警はともかく、連日ニュースネタが欲しくて押しかける報道陣、そして絶え間なく流し続ける報道には少し行き過ぎがあるのではないかと感じる人達も多いと思います。

凡人の私にとっても、少しオカルト的な彼らの言動は理解できず、識者による 「サイコバス(精神病質患者)の集団であり、特殊な宗教的団体による終末現象」---との話の方が理解できるのです。
そして、8年前に悲惨なサリン事件を巻き起こしたオーム関連の事件が連想され、確かに不安がのこることも事実です。そのため、彼らに対する監視は今後も厳重に続ける必要があると思います。

しかし、連日流れる報道関係者の一方的な取材姿勢には、些か少し度を越しているようにも感じています。(報道の使命はよく分っているつもりですが、100名を越す報道取材陣の車自体が、そして執拗な取材活動が渋滞の誘因)
左程目立った犯罪行為を犯していない、現時点で終日  凶悪な犯罪者を追うかのように彼らを執拗に報道することは、かえって社会の人達に必要以上の不安を煽り立てているのではないか---と考えるからです。

以前のオーム事件について 「羹に懲りて膾を吹く」 の譬えで、あついものを食べて火傷しそうになり、冷たいものを食べようとしても吹いて冷まそうとする---すこし滑稽な行為に似ていると思うのです。
報道関係者にとっては異論も多いことと思いますが、このような考え方も、また視聴者の持つひとつの正義感であることを知り、もう少し節度ある報道姿勢を期待するものです。

なお、今回の出来事で一番大切なことは 「電磁波問題」 について、パナウエーブでは理論的には殆ど意味の無い排除を教義として活動しているところに問題がありそうです。私も、技術理論に逆らい虚構の世界に逃げ込み、放浪をかさねるパナウエーブの人達を気の毒にさえ感じる一人です。

しかし、確かな理論から電磁波問題について世界保健機関(WHO)や日本の厚生労働省、総務省などが勧告している電磁波障害についても、今回の白装束集団の影響をうけて「電磁波問題はオカルト現象」とのムードが社会に流れ、この問題が軽視されることを懸念しています。
現在、ニュースに連日流れていることにより  「人体に障害を与える本来の電磁波問題」  が、はぐらかされ、うやむやにされようとしている社会現象に些か危惧を感じているところです。

まさか、この件に携わっておられる関係機関各位や電波利用者および一般市民が、ある種の諦観ムードにながされ、電磁波障害について正しい認識が先進地(欧米)より遅れるようことがあってはならないと考えています。
もし、そのような事実があるとすれば将来、電磁波問題について社会が、そして自分自身が大きな責任を負うことになるかも知れず、ともに冷静な対応を心掛けたいものです。
いずれにしても、今回の岐阜、長野、山梨県を通り過ぎ福井県に辿り着いた,白装束集団の騒ぎは関係者だけでなく、多くの人々に様々な課題を投げかけた出来事であったようです。

                                                  --- 以 上 ---


               
 あなたが欧米のラジオ受信機を遠隔操作できる      住奥久隆    03-05-01  

アメリカやオーストラリア、欧州など外国にセットされたラジオ受信機を、あなた自身がパソコンを使って遠隔操作し、外国のラジオ放送やFM放送、それにアマチュア無線の周波数などを聞くことができる Javaradio の最新情報です。

以前、この”お知らせの頁”の写真目次トップにある 「javaradio の試験問題解答 」に記載していた、Javaradio の新しい操作法について Web Master から連絡がありましたのでお知らせ致します。

以前は http://www.javaradio.com/ にアクセスすると、簡単な試験問題が課せられ全問正解しないと運用できませんでしたが、現在はその部分がなくなり簡単に運用できるようになりました。

運用方法は、アクセスして自分のIDやメールアドレス及び自己紹介など(注1)を入力するとjavaradio の Web Master からあなた宛 メールでパスワードが送られてきます。
次に javaradio にアクセスして、IDとパスワードを入力するとjavaradio のトップ頁が表示されます。これはUSER STATUS がGUEST USER としてDEMONSTRATION SITESにアクセスできたことを意味しています。

次に、以下の操作の概要をお知らせします。

@ 左フレームの Select a Receiver をクリックします。
A 右フレームの受信したい国の Champaign US などを選択します。(注:2)
B 受信を希望する放送局を選択。(左の放送局表示をダブルクリック、右の空白枠に希望する局の周波数を入力など)
C MODE は右上のボタンによって指定します。
D 右上のAudio(青色)の自分の回線速度に合わせた RealPlaer:champaign16 などに接続します。
E これによって受信音声の聴取OK、ダイヤル操作は左右にクリックすれば周波数変化します。
F ダイヤルのステップ幅は右側の枠にて指定します。
G 受信のバンド幅は周波数表示内の右下、バンド部分をクリックして指定します。

なお、画面の右下枠にアクセス者の操作状況が逐一表示され、左下にはチヤット用の表示枠があり Web Master から操作上の指示がありますのでご留意ください。

各国に置いた受信機を自分で遠隔操作、はじめて音声が聴こえたご感想は如何ですか?
このサイトは、米国、欧州、オーストラリアなどに設置した日本製受信機を 、あなた専用のラジオのように使えるものですから本当に嬉しいサイトですね。

私達にとって、米国、オーストラリアなどは電波がよく届く範囲ですから、自局が発射した電波を米国でモニターするのも面白いと思います、是非お試しください。
また、無線家でなくても日本とは違った感じで、世界の言語でラジオ放送、FM放送,テレビ音声が気軽に聴くことができますから、まさに外国にいる気分を満喫できます。
なお、世界を跨ぐこのラジオのストリーミングに嵌まり込む方も多いと思いますが、その場合のグレードアップについてはjavaradio の指示に従いお楽しみください。

注1: New user Registaration     (42k) クリックしてください。
注2: ADの Select 部分の説明(88k) クリックしてください。

                                                                                     --- 以 上 ---


                     
タイタニック号の遭難モールス信号の復元   JA2OL  住奥久隆  03-04-10

1912年、処女航海中の豪華客船・タイタニック号が、大西洋上で氷山と衝突、遭難して多くの人達が犠牲になりました。
世界に大きな反響を巻き起こした、この海難事故は映画にもなりよく知られていますが、同時に世界で初めて遭難信号「SOS」を発信したことでも知られています。

海上における遭難信号としては、それまでCQD(come quick danger)が使われていましたが、1906年にベルリンで第1回無線電信会議が開かれ SOS を世界共通の遭難信号として採択されていたものです。

その後、タイタニック号の海難事故を契機として、国際会議が 何度も開催され「海上における人命の安全」について国際条約が整備されるに従い、SOS遭難信号は海上において多くの人々の命を救ったことはご存知の通りです。

当時は、火花式無線電信送信機が使われており、発射電波は高調波が多いため、送信速度はかなり遅かったものと想像されます。
また受信については、鉱石式およびコヒーラ検波受信機が使われていましたから可聴周波数も低い周波数であったろうと思われます。

昭和12年頃、大型外航船の新米通信士として実際に火花式無線電信送信機を運用されていた、4630関東支部メンバーのJI1FIY 牧野さんのお話によると、暇さえあれば送信機の火花発生部分の金属を金剛砂で磨くのが仕事だったそうです。
この部分の、磨きが足りないと高調波の多い火花が発生し、ガリガリ、ジャジャーとした無線電波の発射となり、すぐ怠けたのがバレてしまったそうです。(笑)

さて、それでは火花式無線電信送信機のモールス信号はどんなものだったでしょうか?
イギリスなど外国文献を参考に、タイタニック号が氷山に衝突、通信士が送信した遭難信号「CQD」および世界で初めて発射された「SOS」信号をここに復元しました。
当時の火花式無線電信送信機 およびコヒーラ検波受信機などの技術的特性や通信方式を検証、経験者に試聴して頂き再現したものです
従って、可聴周波数はできるだけ低く設定しています。 パソコンの機種によっては、少し音量ボリュームを上げてモールス信号をお聞きください!。(念のため、音量の違うフアイルも掲載しています)


タイタニック号の発信したモールス遭難信号の復元

[ Titanic - CQD遭難信号 ]  At 11.40pm, April 14, 1912

[ CQD CQD CQD DE MGY . REQUIRE ASSISTANCE POSITION 41.46N 50.14W STRUCK ICEBERG . TITANIC ]

訳文 [ CQD 遭難 ! . 氷山に衝突 . 救援を頼む . 位置 北緯 41.46 西経 50.14 こちらタイタニック号 ]

タイタニック号が氷山と衝突、遭難したとき、最初に発信されたCQDモールス遭難信号。
(93km南を航行中のカルパチア号などの受信記録より)


[ Titanic - SOS遭難信号 ]

[ SOS SOS SOS DE MGY 41.46N 50.14W SINKING WANTS IMMEDIATE ASSISTANCE . TITANIC ]

訳文 [ SOS 遭難 ! . 北緯 41.46 西経 50.14 沈み始めた . 至急救援頼む! こちらタイタニック号 ]
タイタニック号が、世界で初めて発信したSOSモールス遭難信号  (バルチック号の受信記録より)
 

参考文献 :  John Booth et al;Titanic Signals of Disaster, White Star Publications , 1993.
          W.D.Goodwin ;One Handred Years of Maritime Radio,Brown,Son & Ferguson LTD,1995.


                     
  総務省の無線局免許状記載事項の公開    03-03-20   住奥久隆


情報公開制度により、公開が注目されていた総務省の無線局免許状記載事項が3月17日より公開されることになりました。
従ってアマチュア無線局の場合も、プライバシイ保護のため「免許人氏名と住所」を除いて免許状記載事項が公開されます。

総務省の発表によると「無線局の免許に係る情報の提供について平成13年度から検討を行ってきたが、今般、電波法及び電波法施行規則の改正手続きを終え、平成15年(2003年)3月17日からインターネットによる無線局免許情報の公表を開始することにした。
これは、近年における、電波の逼迫状況の深刻化等に対処するため、無線局免許情報の提供制度を拡充する措置の一環として実施するもので、民間における電波利用の一層の円滑化を図ることとしたもの」---となっています。

 無線局免許情報検索方法

:「電波利用ホームページ」 http://www.tele.soumu.go.jp/ をアクセス
:「無線局情報検索」を選択
:「無線局免許情報検索」をクリック
:「地方局名および無線局種」を選び「検索ボタン」をクリック
:「絞込み条件」を指定する
:「一覧表より該当無線局」をクリックによって目的の無線局免許情報が表示されます。

以前、JA1ELY 草野利一OM が”月刊フアイブナイン社”のホームページでアマ無線局免許状の運用周波数、電波形式、空中線電力を一般公開されていました。しかし、免許状記載事項の一般公開をプライバシー侵害として捉える方もあり、問題もあったようで一時期、草野さんは公開を中止されていたことがあります。
今後、総務省の無線局免許情報の公開の是非については一部、議論も残るかと思いますが、やはりアマ無線の分野では「免許状に記載された事項」を遵守、運用することがアマ無線環境を正しく維持できることではないかと思います。

今回は、総務省にて無線局の免許情報が公開されることになり、草野さんのご尽力も漸く実を結んだことになります。
もし、違法運用している無線局があるとすれば、今回の免許状記載事項の公開が、そのアマ無線局の「何らかのためらい」---になるものと考えています。

                           (JA2GQT 中嶋さん TKS for nice info )     --- 以上 ---


       
  数分間のタイムスリップ                03-03-10     JG3RKM    渡辺 茂

 暖かい通勤電車の中、私はいつの間にか居眠りしてしまった。
なぜか、北米航路をバンク−バ−経由で内地へ帰る貨物船に乗っている。
出航後一週間ほど経っているから、カムチャッカ半島沖にさしかかっているらしい。
この時季の北洋の海は厳しく、出港してからずっと時化が続いている。
毎日、30〜40度のロ−リング、ピッチングを繰り返し、時々、船内のあちこちで物が落ち、割れる音が響く。    写真クリック

 今日も、若い次席通信士の私は無線室の通信卓の前で両足を踏ん張り座っている。
時化のため、自分の体を支えて居ないと椅子から転げ落ちてしまうためだが、我ながら惨めな恰好だと思う。
「オ−イ、次席さん、内地へ正午位置と積荷の揚地確認電報だ、打電してくれ」と船長が電報を持って無線室に入って来た。

  私は、早速、電文内容を確認して、1KW送信機の電源をONにする。メイン受信機のダイヤルを通信相手方である銚子無線局(JCS)に合わせた。この海域では、8MHzが伝播状況が良いので、この周波数で海岸局を呼び出すと、直ぐに応答があった。

 CQ CQ CQ DE JCS JCS JCS  QSX 8MHz  K
  JCS DE JFUI K
  JFUI DE JCS K
  JCS DE JFUI QSW 402 UP
  JCS DE JFUI QTC2
  と迅速なやりとりで通信設定を確保できた。

 でも、私の方は、相変わらず両足で踏ん張る状態が続いている。
受信機の取っ手を片手で持って、身体を支えながら懸命の打電。
愛用の電鍵をようやく打ち終わると、銚子無線局から本船あての電報があることを知らせてきた。
早々に、その個人宛と代理店からの電報二通の送受信を終わった時である、突然サイドの 国際遭難周波数の受信機(500KHz)のスピーカーが「トトトツ− ツ−ツ−トトト」とSOSを鳴り始めた。

 ただちに感度を上げ、全神経を集中させ、この遭難信号に耳を傾けた。
外国船で、本船より約4昼夜先(千島列島沖)を航行中、「大時化で、荷崩れを起こし船体が傾斜中である。直ちに救助たのむ。」との内容である。

 本船からはかなり距離があるため、私は傍受体勢に入った。
すると数秒して、釧路海上保安部がその外国船と交信を始めたので、やれやれと胸を撫で下ろす。通信終了後、一部始終を船長と局長に報告し当直を終了した。

 しかし翌日、短波帯で送られてくるFAX新聞を受画して驚いた。
その記事によると、昨日の「救助信号を発信した外国船が沈没、全員行方不明」と書かれている。この酷寒の海に何たる不運---今度は"いつ我身か"と思うと背筋が寒くなる思いがした。
五十路を半ば過ぎた私は、冬の季節になり、天候が荒れてくると、今でもこの時の様子を切なく思い出すのである。 

                                                        --- 以 上 ---

      
  620万画素のデジカメ って本当にいいの?      住奥久隆   03-02-20

きょう、2月20日朝刊(中日新聞)によると富士写真フイルムより620万画素のデジタルカメラ 「FujiPix F700」 が近くリリースされます。ここ数年、デジカメの性能が上がるに従いユーザーが急増、デジカメブームが続いているのは皆様ご存知の通りです。
特に画素数が、パーソナルユーズのもので当初、30万画素ほどだったものが5〜6年の内に130−200ー300−400万画素と年々高機能化され、このごろ一応の画素数競争は落ち着いたかのようにみえていました。

しかし、前述のように とうとう5月上旬、620万画素のデジカメが出現することになり、私ならずとも驚かれている方も多いことと思います。

デジカメの画素数とは?

通常、画素数とは画像を構成する”画素の数”をいいますが、デジタルカメラの場合は、使用しているCCDの受光部にて光を信号に変換する素子の数をいいます。従って多くの画素数は、より多くの情報を記録できることになります。
従って、最近ではメガピクセルモデルと呼ばれる、300万画素を超える高画素数のCCDを搭載したモデルが店頭で売上高を競っています。

また、プロ用デジカメでは1000万画素以上のものもあり、中には「アグファ Studio Cam 」の1640万画素というのもあります。
これは大型の印刷写真撮影用でカメラの形をしたスキャナーみたいなものでスタジオなどで使われています。
(デジカメの画素数に比較して、普通の銀塩カメラの画素数は600万〜1000万程度に相当します。また、銀塩カメラの色彩の深みはデジカメとはかなり違います。)

画素数が多いってそんなにいいことなの?

さて、画素数が多ければ良く売れる---とメーカーさんも、あの手この手で危うい宣伝活動をしているようですが、今回当HPでは少し冷静に考えてみたいと思います。
以前、日本のあるメーカーで FinePix4700Z (400万画素)が発売された時、西ドイツにおいて同デジカメの画素数について訴えがあったことはカメラフアンにとって記憶に新しいところです。

(FinePix4700Zは、スーパーCCDハニカムを最初に搭載したデジカメを開発、そのためダイナミックレンジなど従来型より大幅に向上したとPR、しかし実際には240万画素CCDであったものです。以後、同機種のPRからは400万画素の表示は消えました。)
以前、アイコム社のCQ誌広告にIC-756のデスプレイが「リアルタイムスペアナ」として表記されていた為、私が「少し変では---?」と電話したら、翌月からその広告表示はなくなりました。(笑)

話を元に戻して、メーカーでは何としてでも水増し画素数を謳ってでも、売上を伸ばしたいところもあるようですから、ユーザーとしては十分気を付けなければいけないようです。
(昨年9月より、写真工業会ではデジカメの画素数は”有効画素数”にて表示するよう統一されました)

気になるプリンターと画素数の話

それでは、デジカメの画素数が上がったとして、私達が愛用しているインクジエットプリンターで果たして高機能デジカメの画素数が正しく綺麗に印刷できるでしょうか?
それは、一口に言ってかなり無理があるようです。
普通のインクジエットプリンターで印刷した写真は銀塩プリンターで印刷された写真を100とした場合、その80〜85%程度の解像度しか得られないのが普通です。
従って、620万画素で撮影しても大きくプリントアウトすれば200万画素で印刷したものと全く同じように見えるわけです。
結論を言えば、A4サイズ以上であれば”620万画素で撮影した写真画像”は写真屋さんへ画像フアイルを持ち込み、「銀塩プリント」しなければその真価は発揮できません。

では、今回のFinePix F700 は使えそうか---?

富士写真フイルムの広告をみると、低レベルと高レベル(各々310万画素)の2つのCCDを合わせて620万画素となっています。何だか、狐に抓まされたような感じがしないでもないのですが、もう少し考えてみましょう!。

先程、普通の銀塩カメラの写真とデジカメの写真では、色の深みが違うと言いましたが「色の深み」とは、木陰に人が立っている写真があるすると、木陰、、人の顔の陰影、更に人の影、またそのバックの草の影など暗い部分の色には細かい違いがあるはずです。
それらの微妙な部分が正確に撮影されているでしょうか? 暗いところが、平面的に、ただ濃く潰されていませんか?
また反対に、写真の白い高レベルの部分も一様に白く潰されていませんか?
これらの、低レベルと高レベルが正しく再現されているか--どうか? それがダイナミックレンジ「写真画像の色の深み」なのです。

理論的には、このダイナミックレンジはCCDの単位面積にいつも流れている暗電流(カメラレンズを被せている時)を僅かに超えた最低映像信号レベルと最も高レベルの映像が入った場合の動作電流の差であるわけです。
つまり、黒から白まで階段状に表示されるグレースケールが全て正しく再現されているか? どうか---ということになります。
ひとつのCCDでは、濃い部分が2〜3段階おなじ色であったり、高レベルの色が2〜3段階一様であったりすることも少なくありません。このような、画像は何だか”薄っぺらい立体感のない”--深みのない写真に見えます。
従ってこの場合、低い方と高い方の”2個のCCD”があれば、相互に補い合い総合的に素晴らしい階段波形特性が期待できることになります。

その点、私も気になりメーカーさんに電話で問い合わせたところ、CCDの暗電流と最も暗い部分の映像のシュレッショルドレベルが0,005mA で、最もハイレベルの映像電流が数mA とのことで、富士写真ではかなりの自信を持っておられました。

また、CCDは620万画素数ですから黒ノイズ(拡大写真に見られる微小三原色雑音)も非常に少ないとの事で、私のうるさい質問にも丁寧に応えていただきました。(画素数表示に対する他メーカーさんへの回答らしき部分も多く感じましたが--)(笑)

なお、デジタルカメラは正確には 「CCD画素数が多ければカメラの解像度が高い!」 ---とは言えないのでご留意ください。
それは、レンズ自体の解像度やCCDの性能、カメラ内部の画像処理ファームウェア、画像取込ソフトなどが総合的に密接に関連しているからです。

いずれにしても、パーソナルユーズで600万画素を超えるプロ規格の高規格デジカメ時代を迎えようとしています。
これからも、各社の機種をいろいろ比較検討され、あなた自身が納得いく、充実したカメラライフをお楽しみください!。

他の仕様は富士写真フイルムサイトをご覧ください。 http://www.fujifilm.co.jp/news_r/nrj1039.html


                                                              --- 以 上 ---


                
  「ペット・ボトル」はアンテナになるか?       JA6HW  角居 洋司  03-02-01

 無線従事者免許証にアマチュア無線"通信士"でなく、アマチュア無線"技士"と記載されている所以は、アマチュア無線憲章にある通りです!即ち、アマチュア無線家は先ず電波を出すために"技術的な実験派"であるべきでしょう!
 昨今、多くのハム達は既製品のシステムを使った"通信業務"に明け暮れる傾向ですが、開局間もない時期には致し方ないとして、この儘ではハムの楽しみの真髄に触れるのは覚束ないでしょうし、5年後の再免許を待たずに飽きてしまうでしょう? (写真クリック)

 最近、私は"愚説・残存余命計画"に基づき、HLでの仕事も辞退し自分の時間が戻ったのを機会に、徐々に昔を思い出しながら"原点に立ち還る"実験を始めつつあります!
私は、元々 "身近な材料を手当たり次第にアンテナにしてみる奇癖?"があります。以前、「Live Tree ANT(生きた庭木ANT)」や「Invisible ANTの研究(見えないANT)」を発表した例から、お判りのように私に潜在する楽しいテーマの一つです。

 従って、今回のテーマは"ペット・ボトルはアンテナになるか?"です。普通に考えるとアンテナには成りにくい素材を生かし無理やりにアンテナにしようとする挑戦であります。Fuzzy&Crazy Antennasの模索であるわけです!
茫洋とした状態から実用的なデータを探り当てるので試行錯誤の過程で、かなりな量のデータを取らねばならないと予想されます。
今回の紹介には、AEAのアマチュア向きの素晴しいアンテナアナライザー2種類とパソコンとを組み合わせた測定システムを少し使うことにしました。

 非常に挑戦的なテーマと、実験手順・組み立ての「考え方」を提供するものですから、サブページに写真と、画像をキャプチャーしたグラフなどを用い説明したします。読者の皆様も、ご自身で工夫しながらユニークな実験をお楽しみください。

「ペット・ボトル」アンテナの試作研究の詳細    左をクリックしてください

                                                          --- 以 上 ---

                  
もしもマルコニーがタイタニック号に乗っていたら  工学博士 若井 登   03-1-08


 この表題の仮定は決して絵空事ではない。

というのは世紀の豪華客船タイタニック号の処女航海にマルコーニ夫妻は招待されていたから、二人が乗船する可能性は十分あったのである。
では、この仮定通りに乗っていたらどうなったか。次の3つが考えられる。

ケース1: タイタニック号が沈もうとしている時、婦女子を優先して救命ポートに乗せたので、1等船客ではあったがマルコーニは、奥さんが乗り込むのを確認した後、他の男性船客ともども船と運命を共にした。

ケース2: 奥さんを乗せた後、招待客でもあり有名人でもあったマルコーニは、他の大富豪同様ポートに席を見付けて、無事ニューヨークに着いた。

ケース3: タイタニック号は氷山に衝突しなかったから、史上最大の海難事故そのものが起きなかった。

 昨年大ヒットした映画を見た方や、本でタイタニック号事件を読まれた方には、ケース1と2はそれなりにご理解頂けよう。
しかし3番目の、マルコーニが乗っていたら氷山に衝突しなかったという理屈は、恐らく誰方にも推理できないと思う。
それもそのはずで、この部分は私一人の想像の産物であり、タイタニック号の電信士の証言から組み立てた筋書きだからである。

マルコーニはタイタニック号に乗るはずだった

 処女航海に出発するタイタニック号の招待客リストにマルコーニ夫妻の名があった。
無線電信の発明により1909年にノーベル物理学賞を受けたマルコーニは、アイルランドの名家オプライエン家のペアトリスと1905年3月16日に結婚し、1908年9月11日には長女デニャ(1906年2月に娘ルチアが生まれたが数週間で死んだ)、1910年5月21日には長男ギリオを設け、電信会社の事業も年々発展して、若いながらも当代きっての名士になっていた。
従って豪華客船の処女航海に招待されて何の不思議もないし、その上タイタニック号に備えられた無線信機はマルコーニ社製の最新型機でもあったのである。

 招待はされたものの、マルコーニ本人は、アメリカ・マルコーニ社がユナイテッド・ワイアレス社を合併することに関する急用ができて、タイタニック号出港3日前の4月7日にルシタニア号で英国を発っていた。タイタニック号の招待を断ってルシタエア号を選んだ理由は他にもある。
それはお抱えの速記者マグリーニであった。
彼は船にからきし弱いから、山と溜まった仕事をタイタニック号の船内で捌くことはとてもできそうになかった。
それに引き換え、いっも利用しているルシタエア号の専属の速記者は腕利きであり、マルコーニが社用で大西洋を往来するときのお馴染みでもあった。
マルコーニは、2年前の1910年9月25日にフイアットを運転中、ヘアピンカーブを曲がり切れずに車が横転し、その事故で右眼を失った。そのとき同時に障害を受けた左眼だけが頼りであったから、マルコーニにとって速記者は片時も離せなかったのである。
その上彼にとって大西洋は仕事場であり、タイタニック号の1等船室で、豪華な船旅を楽しむような人達と1週間も付き合うことは、魅力どころか、むしろ苦痛と思っていたのではないだろうか。

 一方夫人の方は少し違っていた。1912年のはじめにマルコー二家は、サザンプトン港を見下ろすイーグルハーストに引っ越した。
タイクニック号出港の日、夫人は長女デニャの手を引いて、港を見下ろす塔に上った。巨船の周りには出港を見送る人、別れを惜しむ人が群れていた。
船が静かに埠頭を離れると、夫人は涙を流した。その涙は、期待していた華やかな船上の社交場も、ニューヨークで夫と落ち合いアメリカの休日を楽しむ約束も、みんなギュリオの病気のために御破算になってしまったことへの、無念の涙あった。
こうして結果的にはマルコーニ夫妻はタイタニック号に乗らなかった。

当時の海上通信事情

 タイタニック号事件の起きた1912年(明治45年)頃は、陸上では1906年に発明された無線電話が、少しずつ普及していたものの、海上では、無線電話通達距離の格段に長い無線電信がもっぱら使われていた。

 20世紀初頭の1901年12月に大西洋横断に成功したマルコーニは、その後も着々と事業を拡大し、1912年頃マルコーニ社は、250の舶舶無線局を持っていた。

 さらにアメリカ・マルコーニ社は特許侵害問題をきっかけにユナイテッド・ワイアレス社を吸収合併して、1913年6月までには686の船舶がマルコーニ社の無線機を装備していた。
これらの船では、同社から派遣派出された電信士が、行き交う船同士でまたは海岸局との間で定時連絡を行い情報を交換していた。
日本では1908年(明治41年)に海岸局5局、船舶局10局で始まった船舶通信は、1912年には無線局の合計が32局(年度末)にまで達している。

 当時の無線電信機の製造会社は、マルコーニ社の他に、テレフンケン社、ドフオレスト社、ロッジ・ムアヘッド社、フエッセンデン社、などがあったが、マルコーニ社は海では優位を保っていたものの、ドイツ国営で技術力を誇るテレフンケン社には押され気味であった。

 それに関連してこんな話がある。1902年ドイツのハインリッヒ親王がアメリカを訪問する際、マルコーニ式無線機を積んだドイツの船に乗ったので、情報は逐一マルコーニ社の海岸局を経由してアメリカに届き大歓迎を受けた。ところが帰路はテレフンケン式の無線機を搭載したドイツ船に乗ったので、米国大統領に宛てた感謝の電報はマルコーニ社の海岸局に受信を拒否された。

 マルコーニ社は、自社以外の装置を積んだ船との交信を拒むという方針で、市場の独占を図っていたのである。

 この事件に端を発して、ドイツが提案した無線電信の予備会議が1903年に開催され、さらに1906年には日本を含む30か国が参加して、第一回国際無線電信会議がベルリンで開かれた。

 この通称ベルリン会議は使用周波数の割り当てとともに電信料金を定め、装置の方式の如何を問わず相互に通信する義務があること、遭難信号をCQDからSOSに改めることなどを決議した。
これによりマルコーニ方式の独占は一応排除されたように見えたが、一定の条件下での除外規定もあり、マルコーニ社は1908年の条約批准後も、人命に関わる緊急通信以外は、他社機との交信をボイコットし続けた。
北大西洋海域を航行する船舶を対象にした通信チャートが、毎月マルコーニ国際通信会社から発行されていた。

 それは列車のダイヤそっくりの線表で、マルコーニ社の無線機を搭載した船の、出入港する日時、港、途中の位置が一目で分かるようになっている。電信士はこのチヤ一卜を見ながら、自船の航跡と交叉する船との間で交信することが義務づけられていた。
版権の問題があるので再掲できないが、タイタニック号の遭難地点が中心にしてそれを描き出したのが図1である。
当時大西洋のドル箱航路にどの位の数の船が行き来していたかが分かる。

マルコーニ・ルーム

 タイクニック号の最上部に当たるポートデッキの左舷前部にマルコーニ・ルームという部屋がある。
これはマルコーニが寝泊りする部屋ではなく、いわば無線電信室である。当時マルコーニ社は大西洋航路の大多数の船に無線電信設備を設置して、それを専任の電信士に運用させていた。
モールス符号の送受信には特別の技術を必要とするから、25歳末満の若者を半年間自社の学校で訓練して、政府公認の資格を取らせ、無線電信機と一体にして船に配属していたのである。

 この辺の事情は日本も似たり寄ったりで、明治41年(1908)に初めて船舶無線電信業務が始まったとき、相次いで開局した10局の船舶局は、船は日本郵船や東洋汽船など民間の船であったにもかかわらず、船内の無線電信室は逓信省の分室であり、そこで働く電信士は通信官吏練習所を卒業した逓信省の職員であった。
タイタニック号に配属されていた主席電信士のフイリップも助手のブライドも、ともにマルコーニ学校の卒業生であり、実務経験のあるフイリップスは月給30ドル(6ポンド)、卒業したてのプライドは20ドル(4ポンド}をもらっていた。
ちなみにタイタニック号の一等船室のスウィートルームの料金は、豪華客船の名にふさわしい800ポンドを超える金額であった。これは若者の13年以上の稼ぎに相当するわけで、ちょっと想像を超える金額であった。
至りつく尽くせりの一週間の船旅の対価として、支払う人がいたことも事実である。

 マルコーニ・ルームの無線電信機は、船の直流電源で駆動された1・5kWのロータリコンバータを電源とする火花式主送信機と、蓄電池を電源とする緊急用の10インチ誘導コイル火花式予備送信機から成り、一方受信機は、マルコーニ自身の発明になる磁気検波受信機と、印字、音響式コヒーラ検波受信機であった(図2)。
これは大型船用の標準型マルコーニ式無線電信機であって、主送信機は大西洋のどこからでも海岸局と交信できるが、緊急用の予備は通達距離が短く、近くの船舶との通信に限られていた。アンテナは前後部の各2本のマスト間に張られた水平部116m 、引き降ろし部33mの2線式T型アンテナであった。

無線電信機の故障

 生き残った電信士のプライドの証言によると、遭難の日の4月14日に無線機が故障し、その修理に7時間かかったが、氷山に衝突する数時間前には修理は終わっていたという。その後は、故障の間に溜まっていた電報をレース岬(ニューファウンドランド島南端)に届けるために、フイリップスは必死になって電鍵にしがみついていた。23時頃、近くにいたカルフオルニア号から「氷山lがある。氷に囲まれて動けない。注意しろ。」という電報が入ったが、「うるさい!黙っていてくれ、今レース岬との交信で忙しいんだ。」とこの警告を無視した。
そして23時40分タイタニック号は氷山と衝突してしまったのである。氷山の警告は14日の昼前からすでに5回届いている(図1参照)。
もしもそれに耳を傾けて、速度を落とすか見張りを厳重にしていたら、衝突しなかったかもしれない。とすると無線機の故障が衝突の遠因と言えなくもない。

  ここで「もしもマルコーニがタイタニック号に乗っていたら」という推理が登場する。

 1等船客として船旅を楽しんでいた(本当は金持ちどものつまらぬ世間話に飽き飽きしていた)マルコーニは、いっものようにマルコーニ・ルームを覗いて、自社の無線機がうまく動いているかどうか電信士に尋ねた。

 ところが彼らは故障の修理に大童で配線図と格闘していた。回路については誰よりも詳しい マルコーニは、アッという間に故障個所を見つけ部品を交換して修理してしまった。従って電報は滞ることなく打たれ、電信士もゆとりを持って氷山の警告を聞き入れて船長に報告したため、タイタニック号は細心の注意を払って氷山地帯を通過し、無事ニューヨークに着いた。
これが冒頭 のケース3の推理である。

 もちろんそんなにうまくゆく訳がないという考えもある。第1に1等船客でVIPのマルコーニが、無線室に出向いて故障を直すだろうか。
やはり彼は常識的には、夫人ともども他の富豪達との社交の輪の中にいて、故障のことは露知らず、ケース1か2になったと考えるのが普通であろう。
とすると仕事一途にルシタニア号を選んだマルコーニ本人と、良男の病気のため止む無く乗船を断念した夫人は、ともに幸運の人であったという他はない。

 実はこの無線機の故障を調べているうちに次のようなことが分かった。フイリップスが死んでしまったためプライドの証言だけが頼りであるが、7時間の故障はトランスの2次捲き線へのり一ドが短縮して燃えたことが原因であったという。
しかし衝突の時にはすでに修理を終わっていて、フィリップスはレース岬宛の電報を捌いていた。
しかしそれが当日の何時に起きて何時に直ったのかは不明である。

 そして不思議なのは、マルコーニ社系の船舶がすべて備えているマルコーニグラムという交信記録を見ても、タイタニック号との通信に中断がないことである。
とするとタイタニック号は送信電力は低下したものの電波は出していて、近くの船とは交信していた、しかし肝心のアメリカ側海岸局レース岬には届いていなかったということになる。この謎は、図2のブロック図から分かるように、「タイタニック号は二組の送受信機を持っていた、そして主送信機のトランスを修理している間は、予備送信機で近くの船舶と交信し、故障が直ったところでレース岬への発信を再開した」と考えることにより、無理なく解ける。
それにしても主送信機でなければ届かない、レース岬宛ての電報が滞っていたことには違いないから、やはりその停滞は電信士を焦らせ、氷山警告の無視につながったと言わざるを得ないのかもしれない。
         
SOSの初めと終わり

 氷山に衝突した後、スミス船長が通信室にやってきて、救助信号を発信せよといった。
フィリップスは、最初はマルコーニ社が長く使っているCQDを打ったが、5分程して船長がまた戻ってきて何を打っているのか聞いた。
それに対してプライドが新しい救助信号のSOSを打ったほうがいいと助言したので、フィリップスはSOSに変え、「41・46N 50・14W 沈み始めた即刻救援を頼む」と打電した。
1906年の国際無線電信会議でそれまでのCQDに代わってSOSを遭難救助信号とすることが国際的に決まっていたが、このSOSが使われたのは、タイタニック号が初めてであった。
これを聞いた多くの船が応答してきた。その中でタイタニック号の南93kmをジブラルタルに向け航行中のカルパチア号が進路を変えて絶ちに救助に向かうと返電してきた。
カルパチア号が明け方の4時に現場に着いたとき、すでにタイタニッ号の船影はなく、そこに見たものは助けを求め救命ポートと波間に漂う船の残骸であった。
こうして705人は救肋されたが、1503人の命は船体とともに海の藻屑と消えた。

 タイタニック号の灯火が見えるほど近くにいたカリフオルニア号では、当日の勤務を終えた電信士が23特30分に寝てしまってSOSを聞いていなかった。
無線電信機のお陰で多くの命は助かったが、もしもカリフォルニア号の電信士が寝てしまわなければ、そして救命ポートの数が十分であれば、もっと多くの命が救われたであろう。この悲劇を契機に、海上での人命を守るための第1回海上人命安全会議が、2年後の1914年ロンドンで開かれた。そしてその会議が採択した条約では、遭難信号を聞き滴らさないために24時間受信機にスイッチを入れて誰かが必ず聞いていること、船は乗客と同じ数の救命設備を備えなければならないことなどが決められた。

 1906年の第1回国際無線電信会議で遭難信号として決まったSOSは、初めてタイタニック号によって使われた後、数え切れないほどの命を救って、去る平成11年1月31日に93年間の役目を終えた。そしてその跡を絶いだのがGMDSS(全世界海上遭難安全システム)である。衛星を含むあらゆる通信手段を使って、海上の安全を守ろうとするこのシステムも、つまるところは人が運用するものである。SOSの時代にしばしば起こった人為的なミスを、GMDSSで再び繰り返すことのないよう、心のこもった運用を期待したいものである。

後日譚

 ルシタニア号で4月14日にニューヨークに着いていたマルコーニは、翌15日の早朝、タイタニック号遭難の報を聞いた。その時の彼の心中に去来したのは何であったか。彼はまず自分が設計した無線機が役目を果たし、多くの人命が救われたことに安堵し、誇りを感じたことであろう。というのは第1報は、タイタニック号は氷山と衝突したが、乗客全員キューナード汽船のカルパチア号などに救助され、ニューヨークに向かっていると報じたからである。そしてマルコーニ社の株価は一気に3倍に跳ね上がった。しかしその後詳報が入らぬまま数時間が過ぎた。そしてその日の9時になって1500人もの生命の失われたことが分かり、ニューヨーク港のホワイト・スター社(タイタニック号を所有する汽船会社)の事務所は家族の安否を気遭う人で埋め尽くされていた。1等船客の女性143人のうち4人が、2等船客の女性93人のうち15人が、3等船客の女性179人のうち89人が死亡した。
1、2等の子供29人のうち死亡はゼロなのに反し、3等の子供76人のうち53人が死亡した。また1等船客の男性でもかなりの数(7割以下)が犠牲になっている。多少数字のはっきりしない点はあっても、1500人の犠牲者の大部分が2、3等船客の男性であることは明らかである。
彼らの多くは、1週間の船旅の後に待っている、広大な新天地への夢に胸を膨らませながら、タイタニック号に乗り込んだ移民達であった。
スミス船長をはじめ、多くの乗組員も命を失った。彼らは、人数分の救命ポートがないという状況下で誰を優先するのかの判断を迫られ、婦女子の次には1等船客という当時の社会通念に従ったようである。命の値段に差がついたのは、タイタニック号事件が最後であったともいわれている。、

 カルパチア号がタイタニック号の生存者を乗せて、4月18日の夜ニューヨークに着いたとき、マルコーニは先ずカルパチア号の電信士コツタムとタイタニック号の電信土プライドの二人に面会し、主として通信に関して何が起きたかを問いただした。その結果、カルパチア号が搭載していた小さな無線機ではせいぜい240km程度しか届かず、大西洋の真ん中から海岸までは無理であること、キューナード汽船のカルパチア号はマルコーニ式無線機ではなかったのに、同じ周波数で夜遅くまで聴取していたのでタイタニック号の呼びかけに応じられたことなどを確認した。
これをきっかけにしてマルコーニ社は、まだ悲劇の記憶の消えやらぬ1912年7月の第2回国際無線電信会議において、他のどのシステムとも交信すると宣言した。
除外規定を盾に他のシステムとの交信を拒んでいた(緊急通信を除いて)英国とイタリアと日本(ここに日本が入っている理由が私には分からない)がこれに同調した。こうして初めて海の上では、無線機の方式の違いを問わずお互いに通信できるようになったのである。

                                              --- 以 上 ---

              
    Web 頁を一発変換する便利な翻訳ソフト   JA2OL 住奥久隆  02-12-24


世界中のインターネットに蓄えられている情報量は膨大で、内容も数え切れないほど多岐にわたっています。
そんな広範な情報の海の中で、インターネットを活用するのにとても便利な翻訳ツールがあることをご存知でしょうか?。

私も時々、英語サイトを日本語に翻訳するとき、エキサイト翻訳機能 [www.excite.co.jp/world/] を利用させて頂いています。
そのほか世界の主な言語のWebにアクセスする時は、アルタビスタ、バベル、フィニッシュ翻訳の AltaVista Translations [http://babelfish.altavista.com/] を使わせて頂いています。

この AltaVista Translations は英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、中国語、韓国語など世界の19ペアの言語を翻訳するもので、私にとって実に有難いサイトとなっています。

今回は、世界各国の Web をサーフインされる方の為に、上記の二つの機能が一緒になったとても便利なフリーソフト「ちょこっと ほんやくVer 1,02」をご紹介いたします。

このソフトは、ソフトウエアー事業やネットワーク事業で知られるクロノス・クラウンの柳井 政和さんが製作されたものでWebページを見ている時、翻訳したいなあ〜と思ったら「右クリックして選択」するだけで英語やドイツ語が日本語に翻訳表示されるものです。
今まではアクセス中、翻訳したい時は、その度にわざわざ翻訳ソフトを起動、内容をチエックするなど、かなり手間がかかりました。しかし、この「ちょこっと ほんやく Ver 1,02」の場合はWebをアクセス中、一発変換---翻訳表示といった素晴らしいソフトです!。

翻訳機能は、エキサイトの翻訳サイトと、AltaVista Translations を連結してドイツ語→英語→日本語と多段翻訳もおこなえるようにしたもので、Windows Scripting Host 機能を利用、使用可能なブラウザ−はMS IE4.0以降を想定、作られています。

この「ちょこっと ほんやく Ver 1,02」のソフトプログラムは、柳井政和さんのご好意により「http://crocro.com/pc/soft/c_honnyaku/index.html 」より入手できます。
このサイトをアクセスした後、ダウンロード、適当なフォルダ先に解凍します。そして「英語→日本語」の場合は、installer_e.vbs (ドイツ語→日本語の場合はinstaller_grmn.vbs) をダブルクリックして起動、指示に従い、本ソフトをレジストリにインストールします。実に操作は簡単!、使って便利なフリーソフトですから、あなたの本格的なインターネット活用にお勧めいたします!。

                                                                     --- 以 上 ---


      次のページに掲載     左をクリックして下さい