http://www014.upp.so-net.ne.jp/kenjikun/Toppageに戻る

『親はでも子は育つ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2013/0816

コウとリヨウは、フルーツゼリーが
大好物、カメラを用意している間に半分食べてしまいました
この食欲、これからが大変だーーー!





2013/07/30

リヨウは、3歳半になりました
性格が小生に似ているらしく
よめは、将来がタイヘンだと、つぶやいています
思い当たる節あり、かな






2013/04/09

コウは2年生になり、リヨウは3歳
春休みは、あちこちに出かけました
なかでも、白バイに乗って二人は大はしゃぎ
リヨウは、降りたがらず
お巡りさんも困っていました(無断掲載をお許しください)

2013/02/05

リヨウは3歳になり、コウは春から2年生になる
ふたりの体重は、あわせて40キロ近くになり
表現に問題ありかも知れないが
嫁が「かっちゃん。骨の障害じゃなくて良かったね」と言う
笑える事実だ

『とうたんは車イス』 第5回

「2分の1 成人式」

生まれて3650日のオトナたち

うちの子どもが通う小学校には、4年生の恒例行事として『2分の1成人式』がある。
つまり
10歳になった記念というか二十歳の半分、これから高学年になる意識というのか、
オトナになる準備というか、江戸時代の元服(げんぷく)ほど厳粛ではないにしろ、
児童たちが主体的にすすめていく、なかなかの式典だった。

私がこの成人式に招かれたのは、バリアフリーに関する授業を手伝って以来、
4年生の子たちには珍しいせいもあってか覚えてもらい、
ありがたくも招待していただいた。

3年後にわが子も、この『2分の1成人式』の一員となっていることを考えると、
親としては小さな期待と大きな心配でとても複雑な気持ちになる。

心のひだ

この式典では、親子入り乱れての激しいレクリエーションもあり、
はしゃいでいる子どもたちの姿は無邪気そのもので、まだまだ幼さを残していた。

その後、式典は佳境に入っていく。それぞれ子どもたちが、
親への感謝の言葉を贈る。たいていの子が「お母さん。わたしを産んでくれてありがとう・・」
と言う。なかには感極まって泣き出し、言葉にならない子もいた。
とくに女の子は感受性が強いようだ。

親たちももらい泣きをし、さながら卒業式のようになる。
私まで目頭が熱くなってしまった。
けれど仕事柄、想像力旺盛な私はこの目の前の子たちが
二十歳になるころをイメージしていた。
男子は可愛らしさのかけらもなくなり、女子はオンナになる。ごく自然なことだ。


みんな順調ならばそれに越したことはない。まじめに生き夢が叶い素直でいい子、
できるものならそうあってほしいと願う。ところが現実は、そうもいくまい。

目の当たりにしているこの子たちは今、脱法ドラッグや自分を大切にしない行為など、
とにかく犯罪に手を染めてはいないだろう。しかし悲しいことだが10年後には、
この子たちの中である一定の割合、何らかの悪に手を染めていく。
これは仕方のない現実だろう。

いったいこの10年で、何が変わってしまうのだろう。
中学での虚(むな)しい挫折か、高校での快楽への衝動的な目覚めなのか、
その心のひだにどんなモノが詰め込まれていくのだろう。
それがオトナになる過程だとしても、
心のひだに何とかいい感性をそそげないのだろうかと思う。

わが子も例外ではない。心のひだに、
今から少しずつでも何か良い物質なりメッセージをそそいでいきたい。
おおげさなことは伝えられないにしても、
せめて自分と他人(ひと)を両方変わらず「大切」にできる
オトナへと成長してほしいと願わざるにはいられない。

まずは、わが子とたくさん話し、彼の心のひだに触れてみよう。
そして渇(かわ)いていれば水をやり、悲しんでいたら寄り添ってやろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2012/11/19

コウは、あと十日で7歳になる

東京ディズニーランドにて

2012/11/05

先週末、コウは近くの大学の文化祭で
アーチェリー体験
気分はロビンフッドかな


2012/10/31

リヨウは保育園でハロウィンのコスプレ
トリッカートリトーと夜まで叫んでいました


秋になっても、こんな昼寝
おヘソを取られるぞ!


かわいい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

季刊『コミニュケーション』 2012年秋号

『とうたんは車イス』            第4回                             

「ぎゅうにょう」

幸せな悲鳴!?

子育てが楽しくて笑えて、こんなにも悩むことばかりで考えさせられ大変で、
タイヘンなうえに、ものすごく辛くなり苦しいなんて誰にも教えられず、
ぼくは毎日のように目を丸くしたり、ため息をついたりの日々を過ごしています。
そのすべての源(みなもと)は、
この春から小学生になった耕太郎がしでかしてくれる『事件簿』の数々です。

耕太郎は、よくいえば好奇心旺盛でやんちゃな男の子。
しかしその正体は、おっちょこちょいでわがままにして泣き虫、
担任の先生が美しいことだけが、父親としては救われます。


わが子ながら、あまりにも面白いことをしでかしてくれるので、
親としては将来のために笑ってばかりもいられない子育ての悩みどころかも知れません。

ぎゅうにょう事件発生!

もともと牛乳が嫌いな耕太郎は、初めての国語のテストで一問だけ不正解だった。

当の本人は「ぜんぶ、あってるのに」と唇をとがらす。
テストを見せてもらうと「ぎゅうにゅう」が「ぎゅうにょう」になっていた。
以後も、彼は「ゃゅょ」の使い分けや書き方に悩み、
挙句には「こくごなんか、なければいいのに!」そう言っている。

確かに、ややこしい。そのぐらい間違っていても少しは多めに見てもと、
親バカなので思ってしまいます。
ほかの同級生たちはどうだったのだろう。とても気になってしまう。

それからわが家では、牛乳を「ぎゅうにょう」と呼ぶようになり、
そのたびに耕太郎は「もう、やめてよ」と、いまだに頭を抱えている。

これからも彼は、漢字にアルファベットなどに何度も戸惑い、
つまづいて頭を掻()きながら苦労することでしょう。
いずれ中・高校生になれば、古文や漢詩なども待っている。

さぁ耕太郎よ、どうするんだい? 負けるなと、父は願うだけだ。

ふと思います。学ぶとは何なのかと。
その意味さえ、彼に伝えられたならば好奇心とつながり、きっとヤル気になる。
いや、なってほしいものです。

けれど自分たち親も、この程度なのにわが子に多くを望むのは、やめようと決めています。
とんびが鷹を生みません。
毎日、彼の笑顔さえ見られたら、ほかに望むものなどありはしません。
次第に大人びていく彼の横顔は、学校という社会にもまれて、たくましくなっています。
子どもの成長には、驚かされるばかりです。

ある大学の創立者が「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな 労苦と使命の
中にのみ 人生の価値(たから)は生まれる」と開学精神を述べている

うちの耕太郎が苦労している「ゃゅょ」との闘いにも勝ち英知を磨き、
いつの日か大人になり誰かのために、ほんの少しでも役立つ人になってほしいと願う。
彼に夢を訊くと「世界、ひとり旅」だと言う。
いまは親として、学ぶ楽しさを何とか耕太郎に伝えたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

チューペット中毒のコウとリヨウ


2012/08/18

コウは近くの大学のイベントに行く
どぼじょ、という土木学部のお姉さんたちの企画でした
いつもはあきっぽいコウなのに、この日だけは別人のよう
となりのお姉さんのせいかな



コウもリヨウも
おとなしいのは食べているときだけ



夏休み
じじが来ると二人で奪い合い

2012/07/03

リヨウは自分を怪獣ゴミラだと思い込んでいる。
ゴミラとの戦いは続きそうだ。


2012/05/19

せっかく八景島シーパラに行ったのに、乗り物ばかり


2012/04/21

コウのバイク姿
先が思いやられます


2012/04/16

リヨウは、2歳にしてスマホが大好き!
嫁が油断しているすきに、手にして
なかなか、さまになっている
いったい何を調べているのかゲームなのか

あ、チビゲーに違いない

リヨウは、ヘン顔の天才です
もっとスゴイのですが、、、

この兄弟は、とても仲がイイ

2012/04/05

コウも、とうとうピカピカの1年生に
親は心配がつきません




2012/04/20付『コミュニティー・カレッジ』

『とうたんは車イス』 第3回                             

「ゆう君がゆく」

出会いの不思議

去年の初夏のことです。次男と映画を観に出かけました。どうしても『仮面ライダー』が観たいと、だだをこねられ電動車イスの背中に次男を乗せての珍道中。まだ体が小ぶりな次男は、車イスの背中にすっぽりと納まり快適なお出かけのようです。彼はお菓子を食べながら鼻歌をハミングし楽しそうにしているのが、とても親としては幸せなときです。

はたから見れば障害者が、車イスの背中に子どもを乗せているなんとも珍しい光景でしょうが、この親子二人での行動はわが家ではとても日常茶飯事なのです。

ゆう君との出会いは、そんなときでした。繁華街の駅で電車を降りて改札を出ると、もしかして中村さんですかと、ゆう君親子に声をかけられた。そのころ、ぼくのことを新聞記事で見て覚えていたそうです。

ゆう君の未来は大丈夫!

優しそうなパパに抱っこされているゆう君が障害を持っていることはすぐに判りました。ママから、うちの子は3歳なんですと教えられた。ゆう君も電車が大好きで、ぼくたちと同じ電車に乗っていたのです。ゆう君の好奇心旺盛な眼差しが印象的でした。

後日、ほかのご家族と一緒にゆう君と1日過ごす機会があり驚きました。

ゆう君は、ほかの子どもたちと遊ぶとき、さまざまな補助具を駆使して楽しそうにしているのが、ぼくには新鮮で嬉しくなりました。うちの次男は、ゆう君貸してと言うと、最近のマシーンは洗練されていて、昔の物とは比べ物にならないほど便利になっていました。

たとえば、ゆう君が室内のフロアーと外を歩くときでは歩行補助器具も違い、座るときにも、場所に応じて用意されていました。ぼくは時代の流れを感じながら、いまだったら自分ももっと楽だったろうにと思いました。

ただ当たり前のことですが、ゆう君はいつの日か自らの体にいらだち、なぜ自分だけがと思うことは年齢を重ねていくごとにあり当の本人は壁にぶつかり苦しい思いをするのかも知れません。
あるときには自暴自棄になることもあるでしょう。
ぼくは経験から、ゆう君に伝えたい。それでも負けずに前進するしかないのです。ゆう君は自力でゆくしかない。

ものすごく損(そん)をしたように感じても、必ず大きな得が待っているのです。そう信じてほしい。

プロスポーツの中でも厳(きび)しい男子テニスで錦織選手が、一時の低迷から復活して、ふたたび大活躍している。
彼の座右の銘は『
Winning Ugly(格好悪く勝つ)』だそうです。
障害を持って生きることも、どこか似ているような気がする。途中経過の中では、いろんな理不尽を味わう。それでも何がなんでも不恰好に勝つ。いや勝たなければいけないのです。もしかしたら健常者の方よりも、這い上がり最後に勝つチカラは、ゆう君にあると思います。


2012/03/08

リヨウの成長は、すさまじい!
本人は、おばけになりきっている



2012/03/08

コウも、春からは
ピカピカの1年生になる
あんなに赤ちゃんだったのに、いつの間にやら
身長110センチ
体重19キロ

日曜は一緒にバレンタインのお返し
ホワイトデーの買い物を頼まれている

ぼく、お金もってないから
お父さんと行く!

歩けない足のスネをかじられる小生でありまする



2012/01/17

リヨウは、小生が車イスに乗ると
大興奮して押したがる
寒さもなんのその
自分の役目だとでもおもっているようだ



2012/01/07
リヨウの2歳の誕生日
いっきに言葉が増えて

あっかんべー

うっさい!

おばけだじょ〜

どこで覚えてくるのか


2011/11/18
リヨウは、大五郎になりました

ちゃん!

コウの誕生日、6歳になりました



2011.11.18
はじめての新幹線に乗りました

2011/11号
コミニュケーション連載

『とうたんは車イス』 第2回                             

「三兄弟の鼻」

横顔

つい最近のこと、妻が1歳半になる三男を抱え上げたとき、ぼくは兄弟の不思議さを痛感しました。その三男・遼太郎の横顔は、亡き長男・賢治と瓜(うり)二つでした。次男・耕太郎にもそんな経験があり、兄弟の深い絆に思いを馳(はせ)せます。

長男は、鼻筋の通った顔立ちをしていました。親バカを承知で記せば、歌舞伎の御曹司にさえなれそうな美男子でした。人の顔は、鼻筋の印象が大きく左右するのかも知れません。

それに比べて生後30分で、それぞれに初対面した次男と三男は、産まれたときからユニークなふたりとも違う「お鼻」をしていました。子ブタさんのような鼻に、いまもなお親としては鼻骨のすこやかで急速な成長を祈るしかありません。それでも3人の違った可愛さには何の変わりもないのですが、、、

心の「鼻」も育てたい

自分の幼き日を思い出してみると、重度の障害児にしては鼻っ柱の強い子どもでした。よく分からないけれど、自分に自信を持っていたような気がします。自らを取り巻く現実のきびしさを知りながらも、そんな事実を跳ね返してしまうほどの自信を持っていたような、それが自らの幼少期の記憶です。

ぼくの両親、とくに父親はわが子に障害があることなど関係なく、何か少しのことが出来るだけで大喜びしてほめてくれました。そんな両親の笑顔を見るのが嬉しくて、ぼくは不自由な手足でどんなことにもチャレンジしていました。

ところが今、わが子たちのあまりのヤンチャぶりに、つい高圧的に叱ってしまったり、頭ごなしな言い方をして、反省しています。
うちの父親に比べて、なんと自分は狭い心で子どもたちと接していたのか。もっと大らかにと、子育ての心構えを変えました。

はたと素人ながらに気づいたのです。まだ幼児といわれるときには、最低限のしつけ以外は何をしても、ほめてやり鼻高な子にしてもいいのではないかと思います。

いずれ大人になれば、現実は甘くはありません。むしろ自分の実力のなさや、不運な思いをすることは数限りないのでしょうから、せめて子ども時代ぐらいは鼻高々に育てたいと思うようになりました。

わが子といえども親の私有物ではなく、未来からのあずかりものだと考えるならば、たくましく心の折れない大人に成長してもらうために日々、どうしたらいいのか悩みますが、ぼくの父親のように、いまは何をしてもほめて子育てしたいです。


鼻よ!
高くなれ


夏、大阪から来た友達と
ディズニーランドに行きました



リヨウは、はげしいです

コウの、スイミングスクールで


2011/07/31

裸のふたり

焼いて食べよう

2011/06/21

天使と野獣



リョウは、1歳半になり
いまのお気に入りはミニカーと、小生の背中を滑り台にして遊ぶこと
とにかく気が強いリョウの行く末が心配だ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2011/03/03

『とうたんは車イス』(コミカレ、春号掲載予定)

               中村 勝雄

 昨年の秋。5歳になったコウは最近、ぼくの障害を知り始めて驚いている。

「お父さんは、脳性マヒなんでしょ。萩原さんとか、知子ねぇさんとは違うんだよね」

 普通の5歳児なら『脳性マヒ』という言葉は似合わない。コウの思考回路の発達は不
明だが、ぼくはとっさのことに、そうだよ、としか答えられなかった。わが家には障害
者の友人たちも遊びに来る。萩原は骨の障害だし、知子ねぇさんは脊椎損傷だ。

 それでも次男にとってお二人は、プラモデルを組み立ててくれたり、おいしい食事を
作ってもらったりと尊敬の存在になっている。彼にしてみれば、お父さんも含めてみん
な車イスに乗っているがその違いを分り始めているらしい。

 みんなちがって みんないい 金子みすゞの、有名な詩の一節だが次男はわが家に生
まれながらにして、それを肌身で感じながら日々、どんどん成長している。

 いま、この社会の子育て事情をながめていると、相変わらずほかの子と自分の子ども
を比較して騒ぎ過ぎているように見えて仕方がない。

 たまに友人たちから、幼児の子育てに悩んで泣かんばりに相談される。ほかの子に比
べて落ち着きがない。言葉の数が同年齢の子より少ない。そのほか様々だ。ぼくは専門
家ではないがその子たちと、わが子たちも一緒に遊んでみると、さほどの問題を感じな
い。

子どもたちの発達の過程には個人差があるだろうし、均等に全員が同じ発育ばかりの
子どもばかりなら、その方が不気味な気がする。クローンのSF映画になってしまう。

詳しく友人たちに話を訊いてみると、なんとなくほかの子と、自分の子の違いが気に
なりインターネットで検索してみると、多動症や発達障害に何かしら該当しているらし
い。そして悩む。情報社会の弊害といえば簡単だが、親たちの苦しみは大きい。

 ぼく自身も障害者なので、わが子の成長には注意深く見ているが、たとえ何か問題が
あったとしても可愛いわが子であることには何の変わりはないと思っている。だから友
人には専門家に診断されたならば別だが、仮想空間のインターネットを判断基準に一喜
一憂するのは、あまりにも短絡過ぎるのではないだろうかと伝えている。

 実は、わが家の長男はダウン症で肺が弱く、1歳2ヶ月で早世した。いま次男と1歳
の三男を育てながらこの瞬間、いっしょに過ごし触れ合っていることが、どれほど大切
な時間であるかを実感している。

 つい子どもたちには過保護になり甘やかしてしまうが、いつかは親離れして行くのだ
からと思うと、ぼく自身も悩みながら『迷いの子育ての時間』も楽しんでいきたい。


2011/0105

新年になって、また騒がしい日常になった。
コウは、きょうから保育園が始まり、お疲れさんと歯磨きもせず
気づくとダウンしていた。
するとリョウもつられて寝た。いまリョウはお兄ちゃんが大好きで、くっついて離れない。
なんとか、このまま朝までと願う。
このすきに、ぼくは原稿を書くしかない。

さぁパソコンのスイッチを入れよう。




2010/12/31

もうすぐリョウは、1歳になる。ぼくを楽しいオモチャだと思っているらしく
とくに顔をたたくのがお気に入りだ。


2010/11/24

最近のリョウは、つかまり立ちが大好きでまいってしまう。
ぼくは生まれてこのかた49年間も歩けないのに、リョウはもうすぐ歩きそうだ
そこで食事や、急ぎの原稿を書くときにはおぶってしまうしかない。
わが家ではこれからコウの5歳の誕生日やクリスマスは、やはりおんぶしかなさそうだ。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2010/06/08

『私の人生を変えたOTとの出会い』(OTジャーナル 2010,6月号)より

 今年の元日は、深夜というか早朝に妻が突然の破水をして始まり、4歳の息子のことなどで久しぶりに私は重度の障害者とは思えないほどの、めまぐるしい数週間を過ごした。

健常者の父親なら、自分で妻が不在の間、幼い息子の面倒を看ることも出来るのかも知れない。

そんな私にとって妻の予期せぬ緊急入院は、これ以上にない緊急事態だった。予定では2月上旬だったはずが、よりによって元日というのは、自分でもよく乗り切ったと思う。

 妻から早すぎると言われても、私は昨年の初夏から事前の準備を始めていた。お腹の赤ん坊を含め、家長の私としては4人の安全を何よりも第一に考えなければならない。

一人暮らしになる自分のことは、ホームヘルパーの事業所に詳しく相談しておいた。もちろん病院にも、健常者の夫のように急には駆けつけられない事情を赴いて伝えた。

 おかげで事前の周到な準備が功を奏し妻の入院期間、息子は楽しく児童相談所で過ごすことが出来、もう一人元気な息子も授かった。無事に母子ともに退院し、二人の息子も戻って来てからの数日は、ほっとして気持ちがゆるみ、全身の筋肉痛に悲鳴を上げた。親しい友人からは、かつおは障害者手帳を返したほうがいいと揶揄された。友人は健常者の立場から、私の事前の準備などに驚き、障害者とは思えないと首をかしげていた。

 したがって私は普段から、自分の障害についての説明に困る。食事も着替えも出来ないのに、平気で世界各地に車イスで一人旅をする。いまでは数冊の本を世に出し、職業は「作家」となっているから自分でも不思議でならない。そのうえ二人の息子の父親になってしまったのだから、自分でも首をかしげてしまう。子育ても可能な限り手助けしている。

 こんな私の人生の大きな転換点となった時期に、二人のOTの先生との出会いがあった。このお二人との出会いがなければ、おおげさではなく今の私は存在していない。障害を克服して生きることを登山に例えるとしたら、その登頂方法の基礎やトライする大切さを教えていただいた。

 小学4年生のときに出会った母親のような安藤先生と、私が16歳のとき担当だったきびしい兄のような高田先生だ。

 昭和43年、私は親元を離れて小学校と訓練設備が一体化した施設に入った。ゆうかり園という名称だった。

自分の障害について私は、小学校へ入る前から絶望していた。どう見ても普通ではない体をしている。なぜこんな障害者に生れてしまったのか? さめた心は、年齢のわりに成長し、いびつな心理状態になっていた。子どもらしくない影を持つ、もう一人の自分がいるようで訳も判らずに怖かった。

 どうもがいても、ほかの人のようには生きられない。これから先に楽しい未来などないだろう。小学校の低学年で、漠然とそう判ってしまった。

 障害児のくせに生意気で子どもらしからぬ態度が嫌われるか、親元を離れても平気でいるせいで好かれるかだった。その後、成長するにつれ、いやというほど大人になってから障害者のきびしい現実を知る。それは幼き日に想像したよりも遥かに悲しい事実ばかりだった。

 それでも何故、自暴自棄にならずに済んだのか? なにもかもが、うまくいかないとき安藤先生の優しい笑顔と、高田先生からの強気なアドバイスが脳裏に思い浮かんだ。

 ゆうかり園でのOTの時間は、安藤先生が当時はとても貴重品だった電動ひらがなタイプライターの操作習得を私への訓練とした。

「中村クンは、このタイプライターをやって、いろんなことを書いてごらんなさい」

 そう言って先生は、紙をセットしてくれた。

 当時、OT室にタイプライターは1台しかなかったと記憶している。オリベッティー社製で、高価なものだったに違いない。それを安藤先生は棚から降ろし、私の訓練時間には続けさせた。ほかにも持ちやすいフォークを作り、自力で食事が出来るように試行錯誤をしてくれた。障害の重い私に、先生は少しでも自分で出来る喜びを知ってほしかったのだろう。

 一方、養護学校の高等部に受け入れてもらえず、私は中学浪人し行き場がなく入所したリハビリ更生施設で高田先生はOTの担当だった。

 そのころの私は、なんの夢も持っていなかった。いや持ちようがなかった。この国の社会という仕組みは、私を受け入れないシステムになっていた。たいした学力もなく、働くことなど絶対に不可能なのだから、ぼんやりと障害を受け入れ考えないようにしていた。

 そんなときに出会った高田先生から、私の心を見透かされているように言われた。

「きみは、こんなことも自分で出来ないの」

 驚いて頭にきたが、先生は私の出来ないと自ら思い込んでいる弱さをお見通しで、やる気にさせ何にでもトライする気持ちを持たせたかったのだろう。さまざまなディバイス、本来は歯科医が歯形を取るために使う「ブルーオストロン」を使って持ちやすいスプーンなどの工夫や、あらゆることに出来ないと決めつけない発想の転換癖を教わった。

 だが当時、お二人の先生とも私の現在を思いもしなかっただろう。まさか三流とはいえ作家となり父親にまでなるとは・・・

 もしかしたら自分が、一番驚いているのかも知れない。

 それでも先生方のおかげなのだ。のちにワープロが登場し、いまではパソコンで原稿を書いているが、そのキーボートのキー配列は、ひらがなタイプライターと同じで最初から困らず自由に、指は動いた。安藤先生がパソコンの出現を知っていたはずはないが、ひらがなタイプライターの訓練が実を結んでいる。

 ほか生活のあらゆることで、私のような重度の障害者は、とにかく全て創意工夫して乗り超えるしかない。高田先生は、私に考えるチカラの基礎を教えてくれたように思う。自分のことをよく知り、知恵をめぐらし、どんなに失敗しても工夫してチャレンジする。その繰り返しが必ず成功につながっている。ダメだと最初から決めつけないことを教わった。

 ともすれば派手さのない作業療法士という仕事かも知れないが、私という障害者に不可能に思える登山のスタートをきらせ、朝陽のあたる山頂にたどり着かせた事実は間違いない。

 もしも今、目の前に作業療法士のタマゴの方がいらしたら、どれほどか障害者や高齢者にとって大切な仕事かをもっと話したい。

2009/11/30

コウにドレスを借りて
かわいいでしょ

2010/05/03





2008/12/03

コウは敬礼して
お巡りさんのつもり




2007/02/05

コウも2歳をすぎ、もうカイジュウだ〜

「親になってみると ()                                                        2006/07/03

この暑さのせいか書くことが浮ばず困っていると、ある編集者から「お子さんの事を書いたらどうですか」と言われた。うちには現在、生後8ヶ月の赤ん坊がいる。すでにつたい歩きを始め、生れて45年も経つのにまだ立つことも出来ないぼくを赤ん坊である彼は置き去りに、まるでエイリアンのように進化の過程を日々、突き進んでてる。そこで年末までの、わが子の観察記を綴ってみたい。
 まさか自分が父親になろうとは、ほんの数年前まで想像もしていなかった。しかし日々の成長には、おどろかされることばかりだ。昨年末に生れてきたのに、もう一日中、いたずらをしているか、寝ているか、ミルクか離乳食を食べているか、これをずっと繰り返している。最近のぼくは、パソコンに突進してくる彼の動きを気にしながら執筆に励んでいるが、中断されてしまうことは日常茶飯事だ。時として意味不明に激しく泣き出したり、すやすやと眠っている姿を見ていると、ふと自分の親のことに思いを馳せたり、なんだか重たい責任を感じてしまう。
 不確かなずいぶん昔の記憶だが、俳優・水谷豊さんの歌で「優しさを教えるなんて 咲く花に名前を聞くようなものさ。(中略)人生を教えるなんて 飛ぶ鳥に行方を訊くようなものさ」とある。まさに、その通りだと思う。
 ぼくは親として、それこそ彼のこれからを見守ってやることしか出来ない。ほかの父親のように力強く抱きかかえてもやれないし、いずれサッカーもキャッチボールもしてやれないのが現実だ。ましてやこんな時代に、彼をどう育てたらいいのだろう? 勉強なんかできなくてもいい。エリートになんかなってほしくもない。
 ただ、せめて人への感謝や、他人に対する優しさと、確固たる人生の羅針盤のようなモノは持ってほしいと願う。いや欲は言うまい。あいさつが出来て、人を傷つけることがなければ、それでいい。
 教育学の権威・佐々木先生の著書に、幼児期の教育について「つ、が付く年齢までは親が全力でその子に愛情をそそぐこと(趣旨)」とある。
 つまり、一つ・二つ・三つ・・・九つまで、しっかりと親が愛情をもって育てることが肝要らしい。手探りというか、不自由な手での子育てだが、よくいわれる「育児は育自」だと思っている。

親になってみると ()

人生とやらは、ほんの少し工夫すれば何とかなるものだ、と思った。親になってから、ずっと考えていた。どうにかしてわが子をだっこできないだろうかと。だが何分にも手が不自由なぼくには、とうてい普通の父親のようには無理なことだった。親たちはもとより、親せきや友人たちまで次々とわが子をだっこしているのに、生後の数ヶ月は、ばい菌がつくから、頬ずりさえぼくの母親から固く禁止されたほどだ。それでも今まで、どんなことでも知恵をしぼり創意工夫してきた経験から、わが子をだっこするための作戦(ミッション)を考えた。
 過去の45年間、車イスで生きてきた中での星の数ほどの課題や関門に比べれば、たぶん方法はあるさ、と経験値から思った。ところが、そうカンタンではなかった。普通、赤ちゃんをだっこする場合には「コワレ物注意!」の紙がいっぱい貼ってある荷物のように、細心の注意が必要だ。
 そっと両手で包み込む感じで、それこそ落としてしまうなどの失敗は絶対に許されない。ガラス細工のような精密機械というか、もっとも尊い「いのち」だからこそ父親としての衝動より、安全な方法を考えに考え抜いた。
 結果、だっこ帯なるモノを手に入れた。胸と胸を密着させて使用するのだ。
 本来は赤ちゃんをだっこしたままで両手が使えるように考案されたようだ。まさに手が使えないぼくにもその原理は、夢にまで望んでいたそのものだった。
 あらためてこの一連の目的達成までの経過を思い返してみると、そうしたい、強い希望があり、わが子の成長と道具がそろい、結果として、だっこが実現した。
 たぶん何事も、そうなのだろう。
 どうしても叶えたい目標があって、その実現へのステップを一つ一つクリアーして積み重ねることが肝要のようだ。

――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

親になってみると ()

 いままで現実をしっかりと見つめなければ車イスではやって来られなかったから、あまりファンタジックな話は好きではないが、わが子のぼくへの眼差しを見ていると、ひとつの仮説のような物語が舞い降りてきた。
 彼ら=赤ちゃんは、この宇宙のどこかでバスに乗り込んでやってくるのかも知れない。ある意味では、はるか昔から旅して来ているのではないだろうか、そう思えて仕方がない。
 バスたちの中で、ほんの数台がこの星の周回軌道に乗って、自分はどの家の子になろうか? まるで保育園の遠足のような大騒ぎをしながら、どんなお父さんお母さんの所に生れようか、それはそれは大変なうるさいバスの車内になっている。
「ぼくは、おもちゃをいっぱい買ってくれるおうちに行くんだぁ」
「わたしは、やさしいお母さんならどこでもいい」
「ぜったい前とおんなじお母さんのおうちに、ぼくは帰る!」
 赤ちゃんたちは、そんな会話をしながらバスツアーを楽しんでいる。そして自分で決めたおうちに舞い降りるに違いない。
 彼らは自分の意思でやってくる。その証拠なのか、うちへやって来た彼は車イスに乗せてやると喜んで、いつまでも降りようとはしない。あえてこの家に来たんだと強く主張してるようにしか見えない。
 よりによって、こんな父親を選ばなくても、ほかにいくらでも裕福で恵まれた両親の元に生れればいいものを彼はうちにやってきた。いったい、どうしてわが家を選んだのか聞いてみたいが、彼は答えてはくれない。ただぼくの車イスに乗りたがって泣くだけだ。きょうもこの星では、新しい生命がたくさん誕生している。
 つぎから次へと、赤ちゃんたちが嬉しそうに空から舞い降りてくる様子が見られたら、どんなに幸せな光景だろう。そう思って夜空を見上げてみた。そして、ふと身につまされた。宇宙から、彼らをあずかった親=大人として自分も一緒に成長せねばなるまい。ある詩人は「子供は自分たちのモノではない。未来からの使者なのだ」と記している。彼らの澄んだ瞳に親として、どう生きているのかを見つめられているのかも知れない。いや確かに見られているのだろう。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

親になってみると ()

 つい先日、彼は1歳になった。もう、つかまり立ちはお手のもの、はじめの一歩も秒読み態勢に入っている。
歩いた経験のない父親であるぼくには、ふしぎな光景だ。
 最初は、まさに「火中の栗」というにふさわしく、宇宙からわざわざ我が家を選んでやって来てくれた客人の彼をこわごわと触れることしか出来なかった。どこを触(さわ)っても、この世の物とは思えないほどやわらかく、
しなやかで温かなガラス細工のようだった。これで本当に大きくなるのだろうか? そう思う日々。息をしているか、熱はないか、耳は聞こえるか、目は見えているのか、何かアレルギーはあるのか、ときりがない。
 なかでも、なぜ泣いているのか分からないのは困り果てる。たぶん憶測だが、ただ泣いているというのは正しい表現ではなく、怒っていたり、何かを伝えようとしていたり、自分に与えられた使命=ミッションを忘れないよう復唱しているのだろう。

彼は、だれかに教えられた訳でもないのに、すくすくと成長している。疑心暗鬼なぼくの不安をよそに、検診のたびに医師からは「何の問題もないようですね」と言われる。日をおうごとに喜怒哀楽の表現も多くなり自己主張も激しい。
 もはや親の想像の及ばない世界へと、彼は羽ばたく準備をしているかにも見える。むかしぼくの母親が「わが子を自分のモノだと思わないこと。
そして、わが子は世界一だと信じること」(趣旨)と言っていたのを今、しみじみと心に刻もうと思う。


なにやら不安ばかりの世の中だから心配だ、そう嘆くのは簡単かも知れないが彼を親の尺度では、とうてい止められやい。いや止めることなど不可能だ。よくよく考えてみれば、彼らは親の持ち物などではないからだ。この、かなり疲れ果てた地球行きの過酷なバスツアーに自分たちの意思で乗り込んでやって来たのだから、親であるぼくたちは彼らに、未来を任せるしかないのだろう。
 そのためにも親として、また地球=現代社会をこんなに疲れさせてしまった責任者として、彼らへのバトンタッチまでの限られた時間に何が出来るのかを考えたい。
誰のためでもない。愛しい彼らが少しでも生きやすいカタチを目指すのは
ぼくたち親の大きな責任だと思う。そして、振り向かなくてもいい。自分たちで、やさしい時代をつくってほしいと伝えたい。

 ふしぎと親になってから、とても新鮮に見えてくるものがある。たぶんぼくは彼とともに成長していくのだろう。
 この1年、障害を持つ父親として自分の心に生まれる様々な感情も、すべてが嬉しい経験になっている。
よくいう「育児は育自」も子育てをしながら学び、
自分が親として何ができるのかを今も手さぐりで探している。

親になってみると ()

 親になってみての「喜びや戸惑い」を4回シリーズで書いてみる予定でいたが、うちの息子の進化はすさまじく、とうと
う歩き始めたので、親バカながら、ここに追記させていただく。歩いた経験のないぼくには、まさに驚きの光景だ。

 彼は、ほんの10日くらい前まではつかまり立ちは出来ていたが、それほどの変化はないままだった。親としては、あらぬ心配も頭の片すみをよぎっていた。ところが、その日は突然やって来た。ふいに彼を見ると何かが違っていた。
 つかまり立ちしていたテーブルから両手を離し、ふらふらしながら満足そうに笑っていた。
 思わずぼくは「わぁ」と声を上げてしまった。彼はその声に驚き、尻もちをついて泣き出した。

それからの進歩は早い。あれよあれよという間に、人類の進化の過程を目の当たりにするように彼は一歩、つぎに三歩と
立て続けに歩き出し、1歳と20日の今では、余裕で七〜八歩を歩き、本人は、うれしくてたまらない様子である。
あまりに動きが早くて、その二足歩行の姿はカメラに収められないが、得意そうな顔でヨチヨチと歩いては尻もちをつく、そんな繰り返しを一日中、遊びながら楽しんでいる。
 彼の成長は、それだけではない。もう自分はこうしたい、という意思を持っている。いくつも候補を並べ、真剣に選んだ初めてのクリスマスプレゼントには、あまり興味を示さずその箱が、いま彼には最高の遊び場となっている。箱の中で彼は、きゃっきゃと声を上げて遊ぶ。
そんな彼を見ていると、父親としては感慨深いものがある。

これからも彼は、どんどん成長して行くのだろう。
すぐにたくさんの言葉を覚え、春からは保育園でぼくには見えない世界でも生き、
彼は自分の世界を広げていく。
 親であるぼくは、いったい何をすればいいのだろうか?
 考えれば考えるほど、まったく分からない。しかし、もう考えるのをやめようと思う。
 彼の父親はぼくしかいないのだから、どんな事があっても何があっても、とことん彼に関わろうと決めた。
 車イスがゆえに、ふつうの父親にはなれなくてもいいのだろう。
 彼とたくさん遊び、いっしょに泣き笑いをしてみたい。
 肩の力を抜いて、ただ彼を見守ろう、と思う。
 教育しようとか、親だからと大上段に構えたりせずに、たとえば魚を食べさせて彼の空腹を満たすだけではなく、その魚の捕り方を教えてやりたい。けれど可愛くて、つい箱入り息子にしてしまうだろう。

 

 

トップページに戻る