フランス料理人伝:第一話

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>>>第一話:宮廷料理人ヴァテール >>>番外編:サン=テグジュペリ
-目黒(品川区上大崎)のフレンチレストラン:ラ・フィーユ・リリアル-
◇◆◇宮廷料理人ヴァテール外伝◇◆◇
 シャンティイ城でのコラション(軽い食事)
Vatel: François Vatel ou Fritz Karl Watel,dit
ヴァテール(フランソワ・ヴァテール、本名フリッツ・カール・ヴァテル、通称ヴァテール)

<・・・・・王(ルイ14世)は木曜の夜に御成りになりました。
狩り、街灯、月の光、遊歩、黄スイセンで覆われた場所での軽いお食事、
全ては予定通りに運び、晩餐が執り行われました。
幾つかのテーブルで肉のローストが足りなくなりました。
多くの晩餐会において、我々はいつも期待を裏切られる
(※即ちこの晩餐に於いては期待以上であった?)
ということが要因でした。
その事実はヴァテールの身に襲い掛かりました。

彼は繰り返しこう吐き捨てるのでした。
「面目丸潰れにございます、これほどの恥辱に耐えられましょうか。。。」

彼はグールヴィル(大コンデ公の代官。ヴァテールをコンデ公に紹介した人物)に言いました。
「目眩がする。12日間私は睡眠をとっていないのだ。指令を出すのを手伝っては頂けませぬか。」
グールヴィルは出来るだけ彼の気を鎮めようとしました。
25番目のテーブルで、王のテーブルではありませんでしたが、肉のローストが足りなかったのです。
そのことがヴァテールの頭の中で反復し続けるのでした。

グールヴィルはそのことを大コンデ公に報告しました。
殿下はヴァテールの部屋の中まで赴き、仰せられました。
「ヴァテールよ、すべてはうまく運んでおる。王の夜食より上等なものは、なにもなかったのだぞ。」
すると、彼は答えました。
「殿下のご親切は私に追い討ちをかけるばかりでございます。私は知っているのです。2テーブル分の肉のローストが足りなかったことを。」 
「全くそんなことはない。」
と、大公は仰せられました。
「なにも怒ることではない。すべてうまく行っているのだ。」

夜になってからの花火は成功とは言えないものでした。空が雲に覆われていたのです。それは1万6千フランいたしました。

朝の四時、ヴァテールはみな寝入っているのを承知で、あちこち駆け回っておりました。
やがて魚の荷をふたつしか積んでいない出入り商人に出会い、尋ねました。
「これで全てなのか?」
商人は言いました。
「ウィ・ムッシュー。」
彼は知らなかったのです。ヴァテールが全ての港に手配していたことを。。。。。

ヴァテールは暫らく待ちましたが、他の出入り商人がやってくる気配はまったくありませんでした。
彼の顔には今にも火が付きそうでした。
彼はもう他の魚は届かないものと思い込んでしまいました。そしてグールヴィルを見つけると言いました。
「ムッシュー、こんな恥辱の中で、私はもう生きては行けない。」
グールヴィルはそんな彼を相手にしませんでした。

ヴァテールは自分の部屋へと登って行き、ドアに剣の柄を押し当てると、その剣先は彼の身体を通り抜けました。
それは三度目の“突き”でした。なぜなら“ふた突き目”までは、死に至らなかったのです。彼は自刃で果てたのでした。
程なくして魚があちらこちらから届き、料理人達に魚を配る為に皆ヴァテールを捜しました。
彼らはヴァテールの部屋まで来るとドアをノックしました。
そしてこじ開け、血の海に溺れる彼を見つけました。
皆、絶望しているコンデ公の元へと走りました。
ムッシュー・ル・デュック(コンデ公長男・ルイ三世・ド・ブルボン)は泣きました。ヴァテールと共にブルゴーニュ中を回遊したのです。
コンデ公は酷く悲しみながら王に伝えました。

ひとはくちぐちにこう囁きます。彼は思う通りに栄光を手に入れすぎたのだ、と。・・・・・>
※以上、“セヴィニェ侯爵夫人がその娘グリニャン夫人に宛てた手紙
 :Grande et Petite Histoire des Cuisiniers de l'antiquite a nos jours:Editions Robert Laffont,S.A.,Paris,1989より私訳抜粋

。。。。。時はルイ14世の絢爛豪華な治世下、大コンデ公の居城、シャンティイ城において前代未聞の大宴会が執り行われた。
                      その総指揮を執りながらも、悲劇の最期を遂げ、セヴィニェ侯爵夫人が、その書簡にしたためなければ、
                                       あわやその存在すらも葬り去られようとした男がいた。。。。。

ヴァテール
<有名な給仕長、1635年スイス人の両親から生まれる。1671年没。>
料理界に名を残しながらもこれだけ謎の多い人物もいない。
なぜなら、今の世に伝わる偉大な料理人の全ては誉れ高きそのレシピ、そして耀かしい経歴を自らの書物、
並びに時の資料集の中に残しているにもかかわらず、彼の場合、その例から大幅にもれる。
彼の存在を現代に至るまで正確に我々に伝える資料は、上に記したセヴィニェ夫人による書簡しかない。
その数、三千人であったとも伝えられる大宴会をこなせるような偉大な料理人であったなら、
何故に、今の世に彼の“作品”がなにひとつ伝わらないのか?
(※:クレーム・シャンティイが彼の発明というのは単なる“うわさ”に過ぎない。)
それだけではない。
後に“偉大な料理人”として、現代に至るまでその名を馳せるカレームも、
その著書の中で、彼の名を取り上げながらも、偉大な“料理人”として紹介しているわけではない。
むしろ、ブリヤ・サヴァランのような“美食家・料理研究家”的扱いをしている。
とは言え、料理を賛美する言葉や、当時の料理人のレシピなども、ヴァテールはなにひとつ残していないのだから、どちらにしても疑問は残る。
では、大コンデ公とルイ14世との、政治的な駆け引きの中で彼は葬り去られてしまったのか。。。
それは料理を含めた芸術の保護・発展に努めるフランス文化の性質上、想像し難い。

<総監督、ムッシュー・ヴァテールの亡骸は大コンデ公の馬車によってここまで運ばれました。
                                          私の受領届にサインした朝臣たちの指示によって墓地に埋葬する為に。>
※“ヴァテールが埋葬されたシャンティイのサン・フィルマン小教区の教会の牧師による記録
  :Grande et Petite Histoire des Cuisiniers de l'antiquite a nos jours:Editions Robert Laffont,S.A.,Paris,1989より私訳抜粋>

その後、ヴァテールの墓は誰も目にすることは無かったという。。。
“自殺”だということで共同墓地に葬られ、“貢献”したとはいえ、大コンデ公より爵位を授かることもなかった。。。
それに追い討ちをかけるかのように、我々料理人にとってのバイブルでもある「ラルース・ガストロノミック」
<Nouveau Larousse Gastronomique:par Prosper Montagne:1960-Librairie Larousse,Paris>
の中で、“偉大な料理人”フィレアス・ジルベールはこう結ぶ。

<・・・・・しかし、たとえ当時彼が“給仕長”に過ぎなかったとしても、我々は少しだけ“フィクション”だったのだと容認することが出来る。
    最後に唱えようではありませんか。享楽主義者のベルシューの甘い詩のように。。。>

       『おー、貴方!、国家によって食事の重要な役目を担っている。
                              彼に悔恨を与えるがよい。だが模範とは、するべからず。』

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