■47 君の声 ■
街の雑踏の中、ふと足を止めた。
辺りを見回しても見知った顔はなくて、止めていた足をまた動かす。
たぶん、同じ名前の人がいたんだろう。
エイジなんて名前は珍しくない。
そうは思っても、知らず視線が辺りを探していることに内心苦笑しながら歩く。
母に急に頼まれた買い物で駅前まで来た。
土曜の午後で人は多いけれど、だからといってここに英二がいるなんて偶然はないだろう。
そんな偶然があったら・・・それは嬉しいけれど。
用事を済ませて帰路に着く。駅前からバスに乗ろうとした瞬間、はっとしてまた足を止めた。
バスの運転手が怪訝な顔をするのに、軽く頭を下げて乗らない意思表示に代える。
走り出すバスに目もくれず、駅前の混雑した人ごみを丹念に探す。
声が聞こえた気がした。
英二の声が。
だけど、その場に留まらず流れ去って行く人々をいくら目で追ってみても英二の姿は無い。
・・・気のせい、か。
幻聴が聞こえるようじゃそうとう重症だ。
携帯電話を取り出す。
かければコール音2回で繋がる。
『もしもし、おーいし?』
ああ、本物の英二の声だ。
わざわざ街中で足を止めたり、バスを乗り過ごしたりしなくても、こうすればちゃんと聞くことができる君の声。
『おーい?どしたー?』
「ごめん、今外にいるんだけど、なんか英二の声が聞こえた気がして」
そうしたら本当に声が聞きたくなったんだ、と続けたら、電話の向こうで英二が笑った。
<2008・1・6>
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■50・約束 ■
広い広い所だった。
見渡す限り平坦な大地が続き建物どころか木1本生えていない。
風は緩やかで暖かく、辺りは紗に覆われたように柔らかな光で満たされている。
時折風に乗って微かに花の香りがした。
ここがどこなのか、どうしてここにいるのかはわからない。
いつここへ来たのか、どうやって来たのかも思い出せなかった。
なんだかとても気持ちのいい所だけどオレの他には誰もいない。
歩いていればそのうち誰かに会えるだろうと気軽に考えていたけれど、いくら歩いても誰にも会わないし、いくら見渡しても人影すらない。
そのうちきっと、そう思って歩き続けても、ただ広くてなんの目印も見当たらないここは、本当に自分が歩けているのかも分からなくなる。
もしかしたらずっと同じ場所にいて、一歩も進んではいないのかもしれない。
そう思ったら足が動かなくなった。
疲れたのかもしれないと座り込んだら今度は立ち上がれなくなった。
少し休もう。
そうして膝を抱えて、暮れることのない世界をぼんやり眺めているうちに、さっきまでなんの為に歩いていたのかも忘れた。
どれだけの時間をそうして過ごしていたのかわからない。
なんせ光も風も少しの変化も見せないんだ。
ほんの1時間なのか、それとも10年が経ったのか。
こうして座っている自分は本当に自分なのかも分からなくなった頃、遠くにゆらゆらとした影が見えた。
影は段々と近付き、やがて人の形を為す。
さらに近付いて顔が分かる程になって、そして彼が目の前にしゃがむのをじっと見ていた。
「どうしたんだ?」
話しかけられたこともその言葉の意味もわかったのに、返事をする為の言葉が思い出せなかった。
仕方なく黙って彼を見つめていると、ふっと笑った彼に腕を引かれてオレは立ち上がっていた。
もう立つことは出来ないと思っていたから、どこもなんともなく自然に立ち上がれたことに驚き、目をぱちぱちと瞬かせると、彼はまた笑って、「行こうか」
と歩き出した。
そのまま彼に腕を引かれて歩き出す。
「もう少しだから頑張ろう」
喋ることをしないオレに彼は話しかける。
腕を引いていたはずの彼の手は、いつの間にかオレの手と繋がれている。
「ほら、あそこに虹が見えるだろ?」
彼が指差す方を見ると空に鮮やかな虹があった。
「あれが門なんだよ」
門と言われてもなんのことだかわからなかったけれど、とりあえず歩く目的ができたのは嬉しかったから頷いた。
かなり長いこと歩いても虹は少しも近付かなかった。
手を引いてくれている彼の口数も段々少なくなっていく。
そしてとうとう彼が立ち止まった。
「・・・少し休もうか」
そう言って笑った顔は見るからに元気がなかった。
続いて座ろうとした彼の、手を引いて制止する。
「座ると立てなくなるよ」
そう言うと彼が驚いた顔をした。
「話せるのか?」
言われて初めて自分が喋ったのだと気がついた。
「・・・うん、喋れるみたい。ずっと話しかけてくれてたから、思い出したのかも。話し方」
「そうか」
彼が照れたように笑うから、それにつられてオレも笑う。
「もう少し歩いてみようよ。そうしたら門に近づけるかもしれないし」
「そうだな」
2人で手を繋いでまた歩き出す。
彼もここがどこなのか知らなくて、オレ以外には誰にも会わなくて、ずっと1人で歩いてたって話してくれた。
オレも彼も自分の名前すら覚えていなくて、話をしようにも、風が気持ちいいね、とか、空が不思議な色だね、とかくらいしかなかったけれど、なんだか一緒にいると楽しくって、2人で笑いながら歩いた。
そうしているうちにオレ達は虹に辿り着いた。
大きな虹の真下には真っ暗で深そうな大きな地面の裂け目があった。
「・・・ここが門?」
「・・・たぶん、そうなんだと思う」
「・・・・・・・・・」
2人で地面の亀裂に立って下を覗き込んでみる。
真っ暗な裂け目は底が見えないほど深くて、オレは足が竦んだ。
「・・・恐いか?」
「・・・うん」
「・・・でも、この門を通らないと向こう側へ行けないんだ」
「向こう側って?」
「ごめん、よくは知らないんだ。でも俺達は向こう側へ行かなきゃいけないんだよ」
「そうなの?」
「うん。だから、一緒に行こう。手を繋いでいけば恐くないよ」
「・・・オレの手、絶対離さないでくれる?」
「離さない。もし離れることがあっても、ちゃんとまた繋ぎに行くよ。約束する」
彼の目がまっすぐオレを見る。
だからオレはうん、と頷いた。
固く手を繋いでオレ達は地面の亀裂に飛び込む。
一気に落ちていくのかと思ったけど、落ちる速度はゆっくりで、約束どおり繋いでいてくれる彼の手が暖かい。
ゆっくり、ゆっくり落ちて行きながら、オレは少し眠くなった。
瞼が重くなって目が開けていられなくなって、完全に目が閉じる瞬間に少しだけ彼を見ると、オレと同じくらいだった背丈の彼は小さな金色の球になっていた。
ああ、そうか。
きっと向こう側へはこうやって金色の球になって眠ったまま着くんだ。
でも、ずっと手を離さないって約束してくれたから、向こう側に着いたらまた彼と一緒に歩いていける。
そう思ったら不安も心配もきれいさっぱり消えてなくなって、俺はそのまま眠りに落ちた。
<あの世からこちら側へ・2008・3・2>
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