今、傍らにある奇跡




窓から暖かな風が吹き込む4月30日。
俺の部屋にはまるでここにいるのが当たり前のように寛いでいる英二がいる。
部屋の小さなテーブルには小さな丸いケーキ。
チョコレートのプレートに『HappyBirthday』の文字が書かれているけれど、最後の方はスペースが足りなくなったんだろう、『day』が縦書きになっていた。

「砂糖少な目で作ったんだから、ちゃんと食えよー」
「もちろん。英二が作ってくれるものならなんでも食べるよ」
「うっわ、なーんか男前な発言してるぞぉー」
「嘘偽り無しの本心です」
「ぷくく、大石くんってば恥ーずかしーい奴ぅ」

笑う英二の顔を見ながら、幸せってこういうことを言うのかな、なんて考えてしまう俺は確かに恥ずかしい奴かもしれない。
でも、青学でテニス部に入って、初めて英二と話をした時は、まさか2年後にこんなふうにしているなんて想像もつかなかったんだ。



**



中学に上がってからは初めての誕生日前日。
母さんに今年の誕生日には誰を呼ぶのかと聞かれた朝、真っ先に頭に浮かんだ菊丸英二の顔に正直言って僕はかなり困惑した。

憧れていたテニスの名門、青春学園に入学してまだひと月弱の4月。
私立だから小学校の時の同級生は数えるほどしか青学に来ていない。
当然、まだそれほど親しくなった友達もいなかった。
同じクラスや同じ部活だったりすれば少しは話をする機会もあるけれど、そんな中でも菊丸とは一言も話をしたことは無い。
かろうじて挨拶くらいはしたかもしれない、そんな程度だった。

それなのに、なんで顔が浮かんだんだろう。

頭の中に疑問符がいくつも浮かんで、首を捻る僕に母さんが怪訝そうな顔をする。
とりあえず言い訳のように、もう中学生なんだから誕生日会なんてやらなくていいよと言って家を出た。

授業が終わり、放課後になって部活が始まる。
部室で体操着に着替えてコートに出ようとしたところで、入れ違いに駆け込んできた赤毛が目に入った。
後手に閉めようとしたドアの僅かな隙間から、先輩にからかわれて文句を言っている菊丸の声が聞こえる。
相手が誰であっても物怖じしない菊丸は、入部してすぐに先輩達のいいおもちゃになってしまった。
先輩達だけじゃない、廊下や教室で見かける時も菊丸の周りにはいつも人が集まっている。
そんなふうに誰とでもすぐに仲良くなれる菊丸を少しだけ羨ましいと思う。

「なに?」
「え?」

考え事をしていたら、いつの間にか菊丸が目の前に立っていた。
なぜか怒ったような顔で僕の顔を見ている。

「な、なにって、」
「いま、ずーっとオレのこと見てたじゃん。なんか言いたいことあんなら言えよ、って言ってんの」
「あ、えっと、それは・・・」
「なんだよー、はっきりしろよ」
「違うんだ、なんていうか、その。・・・ごめん」
「はぁ?なにそれ。へーんな奴」

呆れたような顔をして菊丸が背を向ける。
数人が固まっている中へ菊丸が戻っていくと、こちらを伺うように見ていたその中の連中から笑いが漏れた。
僕も慌ててその場から離れる。
まずい、ぼーっと菊丸のことを考えてるうちに、じっと見つめてしまってたみたいだ。
それもこれも、誕生日の話をしていた今朝、菊丸の顔が頭に浮かんだせいだ。
訳も無く熱くなった頬を手で叩きながら、菊丸達がいるところとは反対側のコート端まで移動する。
ちらりともう1度菊丸に視線をやれば、もう僕のことなど忘れたみたいで仲間達と楽しそうに話していた。

1年生は素振りと球拾い、それが毎日の練習メニューだ。
なんでも基礎は大事だから素振りに不満はないけど、球拾いは結構辛い。
ものすごく遠くまで飛んでいってしまった球を拾いに走り回らないといけないし、拾う球は1つ2つじゃない。
校庭20周、その後素振り、そして球拾い。
疲れてへとへとになりながら拾っていると、コートの反対側から歓声が聞こえた。
なんだろうと思って顔を上げると、飛んでくる球をジャンプして空中でキャッチした菊丸が見えた。
宙に飛んだ体は斜めに傾いでいて、思わず息を飲む。
だけど菊丸は地面に倒れこまずに片手を付いて、くるりと器用に一回転して立った。
得意げなピースサインに先輩達からも拍手が沸く。
怪我をしなくて良かったと思ったのと同時に、拍手と歓声の中で笑う菊丸の笑顔に強く惹かれた。
自分の傍であんなふうに楽しそうに笑ってくれたら嬉しいだろうな、そう思った。

たぶん、そんな日はこないだろうけれど。

そして、なんとなくだけど、今朝菊丸の顔が浮かんだ理由もわかった気がした。



**



「あー、それ、覚えてる!大石がオレにガンつけててさー、なんだコイツ、って思ったんだよねー」
「・・・ただ見てただけなんだけどな」
「いんや、あれは絶対ガン飛ばしてたね!ケンカ売る気満々って感じだった!」
「そんなわけないだろ・・・」

ほんの2年前の昔話に英二は楽しそうに笑っている。
テーブルのケーキはすでに半分以上が無くなっていて、そのほとんどは英二のお腹の中だ。
ちゃんと食えよ、って言いながら、俺が食べる倍の速さで自分が食べてるんだから笑ってしまう。

「あの時は、まさか2年後に、英二が作ってくれたケーキが食べれるとは思わなかったな」
「オレだってまさかのまさかーだよ。だって、大石ってすっごい真面目クンで、オレみたいに騒いでる奴とか嫌いなんだろうなーって思ってたもん」
「いつも賑やかで楽しそうだなって思ってたよ」
「ちぇっ、それならもっと早くから仲良くなれたんじゃん。なんか損した気がするー」

ぷぅっと膨れたままで、またケーキを口に運んでいる英二に、体の中からふわりと幸せな気分が込み上げる。
英二とダブルスを組んだのは1年の秋。交流のなかったそれまでの数ヶ月すら惜しんでくれるのが嬉しい。

「過ぎたことはどうしようもないから、その分、これから一緒にいればいいんじゃないか?」
「・・・そっか、そだね。よぉーし、そんじゃこれからずーっと、もうジイちゃんになるまで大石はオレと一緒にいるんだかんね!約束!」
「約束するよ」

小指を差し出してきた英二と指きりしながら、楽しそうに笑っている顔に魅せられる。
どんな約束でもするよ。
英二がこうして俺の傍で笑っていてくれるなら。



=HappyBirthday、大石!=


→back                                                                                                                          (07・04・29)