迷霧奇譚




今回で二度目になる倫敦の街は霧が深かった。
古いレンガ造りの街は物憂げで静かな印象を受ける。
人々はゆっくりとした足取りで、僅かに俯くようにして歩く。
それも太陽を覆い隠す霧のせいだろうかと大石は思う。

宿泊先のホテルにチェックインし、時間を潰そうと街へ出た。
仕事での渡英だが、今日の夜にクライアントと会って食事をして、明日午後から打ち合わせをすれば用件は終了する。
滞在予定は二泊三日、念の為に入れた一日は何事もなければ観光に充てられる。
だが、浮ついた気分はまったくと言っていい程無い。
倫敦は大石にとって忌まわしい街だった。

深い深い霧は街を包み込み、全てを覆い隠すように重く圧し掛かる。
考えまいとしても頭から離れない記憶に抗いながら、あても無くただ歩き続ける。
気付けば街灯の灯り始めた道には人ひとりいない。
慌てて時計に目を向ける。
クライアントとの約束まで1時間を切っている。
戻らなくては、そう思い、来た道を振り返って大石は愕然とした。
立ち込める霧が道を、街を隠してしまっている。
点々と灯る街灯すらおぼろげで、とても戻る道などわかりそうにない。
「どうしたの?」
突然掛けられた声に驚き振り返れば、いつの間に傍に来たのか1人の青年が立っていた。
にこやかに笑う顔はどこか見覚えがある気がするが思い出せない。
「道に迷ったんだね。この霧じゃ歩くのは危険だよ。晴れるまで僕の店にいればいい」
「ありがとうございます。でも俺はこの後約束があって、」
「これじゃ相手も出て来られないから大丈夫。ほら、あそこが僕の店だよ」
さあ、と腕を取る青年の指す先、霧の中にそこだけはっきりと小さな家が見えた。
まるで妹の持っていたドールハウスのような、白い洒落た家だ。
大石は青年に腕を引かれるまま店に向かう。
頭の中では仕事の約束をどうしようかと考えながらも、何か拒否することのできない力に導かれるように足が動いていた。

無数の蝋燭が灯る店内には、繊細な骨董品や古い人形が整然と並べられていた。
「うちはアンティークショップなんだ。気に入ったものがあったら言って。これも何かの縁だし、少しくらいなら値引きするよ」
青年はそう言って笑うと、お茶を淹れるからと店の奥に入っていく。
1人取り残された大石は、仕方なく店内を眺めて回った。
こういったアンティーク類は見れば綺麗だと思うが、コレクションするような趣味も、自宅に飾るような場所も、まして買えるだけの金も無い。
骨董類は総じて高価と相場が決まっている。
貧乏暇無しの一介の会社員である大石に手が出せる代物では無かった。
なかなか戻って来ない青年に、大石は意外と広い店内をくまなく歩く羽目になる。
いい加減店内も見尽くし、まだだろうかと青年が入っていった店の奥へ続く通路を覗いた。
奥への仕切りに使われているカーテンが半分だけ開いている。
その中に椅子に掛けた人影があるのを目にし、大石は危うく声をあげかけ、寸でのところで堪えた。
ここへ案内した青年以外は誰もいないと安易に思い込んでいたのだ。
「失礼」
店の人だろうかと声をかけついでにお辞儀をしてみたが、人影は身動きひとつしない。
訝しく思い、再度目を凝らして見るが、よくある何かを人と見違えたという訳でもなく、明らかにそれは人だ。
もう一度声をかけてみるべきか、それともこのまま立ち去るべきか迷っていると、奥からティーセットを持った青年が顔を出した。
「お待たせ。・・・ああ、これ?」
青年は大石が妙な顔をしているのを素早く見て取り、視線の先を追って笑う。
「これはね、等身大の人形なんだ。みんな人だと思って驚くんだよね」
そう言って青年がカーテンを大きく開ける。
店内の蝋燭に照らされて人形の姿が顕わになった。
大石は限界まで目を見開く。
驚きも過ぎると声すら出ない。
椅子に掛けたその人形は、大石のよく知った顔に似ていた。
いや、似ているなんてものではない。
それはかつての親友、菊丸英二そのものだった。



**



店の売り物であろうアンティークなテーブルセットを大石と青年が囲む。
大石の隣には、先程の等身大の人形が、これも行儀よく椅子に座らされていた。
店主である青年の心遣いだ。
大石は憑かれたように人形に魅入る。
こうして見ていてもまるで英二が傍にいるようだと思う。
7年も前に行方の知れなくなった英二が。
「よほど気に入ったんだね。その人形、実は僕の宝物で非売品なんだ。だから欲しいと言われても断ってるんだけど・・・そうだな、君なら大事にしてくれそうだし、売ってあげてもいいかな」
「・・・売る?」
人形に全身全霊を傾けている大石に、青年の言葉は切れ切れにしか届かない。
そっと手を伸ばし、膝の上に揃えられている白い指に触れると、陶器の冷たさと滑らかさがあった。
本当にこれは人形なのだとようやく理解する。
「ただし、安くはないよ。僕の宝物だからね、それ相応の値段」
続く青年の出した金額は、これから先働いて手にできる給料全てを注ぎ込んでもまだ足りない。
大石はようやく人形から目を離し、青年に顔を向けた。
「・・・無理だ。俺は平凡なサラリーマンで資産がある訳でもない」
「そう?僕から見れば破格の値段だけど。残念だね」
非売品だという青年の言葉に嘘はないらしい。
あっさり引いた口調に駆け引きは感じられなかった。
大石は再び人形に目を戻す。
見れば見る程、人形は英二に似ていた。
触れたままだった人形の指先は、大石の体温で微かに温もりを保っている。
・・・これは英二ではない。ただの人形だ。
そう思っても、すでに離れ難くなっているのがわかる。
青年が小さく笑う声がした。
「まるで人形に恋したみたいな顔だよ。仕方ないな、それじゃ特別に貸出してあげる。英国での滞在は3日って言ってたよね。その3日間、君は人形とホテルの部屋で2人きりで過ごす。どうかな?」
「・・・金額は?」
今度青年が提示した金額は、大石が現在財布の中に入れている分で払える程だった。
「いい?期間は3日。その後はちゃんと返却してもらうよ」
「わかった」
「ふふ、商談成立。人形は後でちゃんと届けるから心配いらないよ。ほら、ちょうど霧も晴れた」
青年が窓の外を指す。
少し前まで白い磨りガラスだと思っていた窓は、外の景色を鮮明に映し出している。
霧に囲まれていた時は絶えていた通行人も、何事もなかったように道を歩いていた。
青年に送り出され、大石は店の外へ出る。
通りをしばらく歩き、ふと振り返ると、白い外観の小さな店は、人通りと、再び辺りを覆いだした霧で僅かに輪郭を残すだけとなっていた。
これは現実だろうかという思いが今更ながら襲ってくる。
あの店も、英二に似た人形も全て、霧が見せた幻だったのではないか。



**



ようやくホテルに戻ると、フロントには2通のメッセージが届いていた。
1通は食事の約束をしていたクライアントからで、明日の夜に延期するという内容だ。
もう1通には名前がない。
中を確認すると、お届けが完了しました、と一言だけ書かれていた。
大石は急ぎ部屋へ向かう。
鍵を開けるのすらもどかしく、焦るあまり何度も鍵を取り落とした。
やっとドアが開き、大石の目は部屋の左側、ソファに掛ける後ろ姿に釘付けになる。
幻ではなかった。あの店も、青年の約束も。
後ろ手に部屋のドアを閉める。
ソファに歩み寄り、室内灯の下で改めて人形を見つめた。
滑らかな肌は陶器、灯りを反射する澄んだ瞳はガラス、柔らかな赤毛は何かの繊維だろうか。
「英二」
堪らずに呼びかけ、そっと人形を抱きしめる。
7年。
この英国の地で行方不明になってから7年だ。
「会いたかった」
堅く冷たい感触は人形でしかないことをありありと示していたが、それでも大石はかまわなかった。
ずっと会いたいと願っていた。


英二がいなくなったのは、大学の卒業旅行で友人たち数人と英国に行った時のことだった。
友人たちの話では、倫敦の街を皆で歩いている時に忽然と姿を消したのだという。
何かのトラブルに巻き込まれたのではという話もあったが、誰一人として揉めるような物音も、ましてや悲鳴なども聞いていなかった。
気付いた友人たちは慌てて霧が深くなってきた街を探したが、結局見つからず警察に駆け込んだ。
日本から家族も渡英し、友人たちや警察と一緒に必死に探したが手掛かりひとつ見つからなかった。
もちろん、話を聞いた大石も単身英国に渡った。
誰が探せなくても、自分なら見つけられるという自負があった。
なぜなら、大石は英二のことを愛していたからだ。
そのことは誰も、英二本人すら知らなかったけれど。
時が経ち、当局による探索が終了した後も、大石は可能な限り英国での滞在期間を延長して英二を探し続けた。。
だが、結局は大石も英二を見つけることはできなかった。



**



どのくらい時間が経っただろうか。
いつの間にかうとうととまどろんでいた大石は、背を撫でる手に起こされた。
夢現のまま、頬に触れる暖かな感触を探る。
自分は今どこにいるのか、一瞬わからなくなった。
腕が誰かを抱いている。
柔らかく、暖かな体温を感じる。
そこで頭が覚醒した。
はっと顔を上げると、人形の英二が笑っていた。
「・・・英二」
夢を見ているのだろうかと大石は思う。
店でも、そして部屋に届けられていた人形の英二も、すました顔で壁の一点を見つめていた。
こんなふうに微笑んで、自分を見ていたりしなかった。
「大石、久しぶりだね」
口角の上がった綺麗な唇が開き、言葉を発する。
大石は思わず、その唇に指で触れた。
暖かく、柔らかい。
人形のそれではない。
「英二、本当に英二なのか?」
「うん。そうだよ」
そう言って笑う英二は、確かに大石の記憶の中にある英二だ。
「英二」
背に回した腕に力を込める。
加えられた力に反発してくるしなやかな筋肉の感触、それでいてしっくりと馴染む暖かな体。
「・・・どこにいたんだ、ずっと探したんだぞ」
「ごめんね。オレ、大石やみんなが探してくれてたの知ってたよ。でも出て行けなかったんだ、霧の中から」
英二の声が大石の耳元で響く。
「霧の中?」
「うん。なんか、歩いてたら、霧がすごく深くなってきて、前も後ろも見えなくなったんだ。みんなと一緒にいたはずなのに、誰もいなくなってて」
大石は、アンティークショップの青年に声を掛けられた時のことを思い出す。
あの時も濃い霧が街を覆い、大石は1人きりで街角に立ち尽くしていた。
「少しずつ手探りで歩いてたら、なんだか知らないところに出たんだ。古い村みたいな」
「古い村?」
倫敦は都心部だ。
少し歩いたくらいで村と思えるような所に行きつくはずがない。
大石は少し腕を緩め、英二の顔を見た。
記憶を手繰りながら話していた英二が、大石を見て笑う。
「なんかおかしいよね。でも、オレ、そん時はおかしいって思わなくって。あー、家がある、誰かに道を聞いて帰ろうって、そう思って」
笑っていた顔が翳る。
「そこさ、霧の村って言うんだって。霧の中にある村。今までいた世界と次元が違うんだって、オレ、後から知ったんだ。そんなの、最初から知ってたらオレだって、」
言葉を途切れさせた英二が、大石の胸に顔を押し付ける。
そのまま何かを小声で呟いたが、押しつけられた唇は酷く籠って大石には聞き取れなかった。



**



同じリズムでコツコツと響く音が煩かった。
どうにも無視できず、大石は瞼を上げる。
見えたのはホテルの白い天井だ。
眠っていたことに驚き、大石は飛び起きた。
コツコツと響くのは、ホテルのドアだ。
慌ててドアに向かい、チェックインの時に自分で頼んでいたモーニングサービスを受け取る。
ボーイを帰して部屋のドアを閉めてから、大石は混乱を鎮めようと深く息を吐いた。
ソファには英二が座っている。
歩み寄って頬に触れ、陶器の冷たさに指を引いた。
「・・・夢、だったのか」
あまりにリアルな夢過ぎて、どれが現実なのかわからない。
手にはまだ昨夜の、英二を抱きしめていた温もりが残っている。
耳元で聞いていた声も、不可思議な霧の村の話も。
大石は人形の隣に腰掛け、昨日と同じようにそっと抱きしめてみる。
だが、堅い体の感触は昨夜のそれとは明らかに違う。
「英二」
声を掛けてみるが、人形は壁の一点を見つめたまま、微動だにしない。
考えてみれば当たり前の話だ。
人形が動いたり喋ったりするはずがない。
そうわかっていても、馬鹿馬鹿しいと思っても、もしかしたらと考えてしまう。
傍から見れば、人形を抱きしめ話し掛けるなんて狂気の沙汰だ。
それでもかまわないと大石は思う。
また昨夜のように英二に会えるのなら。



**



午前中いっぱいを英二の傍で過ごしたが、結局英二は人形のまま、動くことも話すことも無かった。
やはり夢でしかなかったのかと失望しつつ、それでも後ろ髪を引かれながら大石はクライアントとの打ち合わせに出掛けた。
半ば上の空で会合を終え、断るに断れず、昨夜のディナーの埋め合わせに付き合う。
早くホテルの部屋に戻りたい。
もしかしたら、また人形では無く、生きた英二の姿で迎えてくれるかもしれないと、逸る気持ちが大石を落ち着かなくさせる。
そんな中、クライアントが口にした『霧の村』という単語に、大石は最初自分の耳を疑った。
英二の事ばかり考えていたので、何かを聞き間違えたのかと思ったのだ。
「すみません、今、霧の村、と?」
「そう。倫敦に古くからある伝承です。まぁ、お伽噺みたいなものですが」
日本から来ている大石を喜ばせようとしたのか、クライアントは伝承を詳しく教えてくれた。
「霧濃い中を歩いていると稀に踏み込んでしまう村で、そのまま引き返せば元の場所に戻って来れるが、村で何かを口にすると戻ることはできなくなる。その後はずっと霧の中で生きていかなくてはならない、そういう言い伝えがあるのですよ。だから迷信深い者たちは、街が深い霧に包まれた夜は決して表に出ません。昨日のような夜にはね」
話を聞きながら、大石はギリシャ神話のペルセポネを思い出していた。
冥府の食べ物を食べたことで地上に戻れなくなった少女。
そして、昨夜の英二の会話、あの時はくぐもって聞き取れなかった声が、鮮明になって脳裏に蘇った。
『・・・食べたりしなかったのに』
そう英二は言っていたのだ。
「なにか、助ける方法はないんですか、その霧の村から」
大石は縋るような思いで問いかける。
だが、クライアントは静かに首を振るだけだった。



**



ホテルの部屋に戻ったのは21時を回った頃だった。
真っ先にソファの英二を確かめたが、冷たい人形のままだ。
「英二、お前は霧の村で何か食べたんだな。それで戻って来られないんだろう?」
大石が話し掛けても人形は澄んだ瞳で壁を見つめるばかりだ。
「どうしたらまたお前に会える?会いたいよ、英二」
滑らかな陶器の頬を撫でる。
淡い桜色に塗られた唇は、昨夜触れた時のような柔らかさも無い。
大石はそっと陶器の唇に口づける。
途端にすうっと引き込まれるような睡魔を感じ、大石は昨夜もこうだったと思い出した。
唐突な眠り、そして目覚めた時には傍に英二がいた。
大石は人形を抱くようにして眠りにつく。
これでまた英二に会えるはずだ。


「・・・大石、起きて、大石」
揺り動かす手と、微かな声に目が覚める。
はっとして顔を上げると、予想通り、そこには人形では無い英二がいた。
「英二、よかった。また会えた」
大石は嬉しさに手を伸ばして頬を撫でる。
柔らかく暖かい、人間の英二だ。
英二はその手を自分の手で覆うように押さえて、少し照れたような笑みを浮かべる。
「オレも。特に今日は大石に会いたいって思ってた」
「今日?」
意味がわからず首を傾げる大石に、英二が時計を指さす。
時刻は0時を少し過ぎている。
「4月30日。大石の誕生日だよ。ハッピーバースデー大石。これが言いたかったんだー」
「・・・英二」
「よく一緒にお祝いしたよね。忙しくて会えない日でも必ずメールか電話してさ。でも、オレがこっち来てからはできなくなっちゃった」
しゅんと項垂れた英二は、自分で勢いをつけるよう顔を上げて満面の笑みを見せる。
「だからね、今回はちゃんとおめでとうって言えて、すっごい嬉しいんだー。やったぞー、大石のお祝いできたー!って」
大石は堪らなくなって英二を強く掻き抱く。
「ありがとう英二。俺もすごく嬉しいよ。毎年誕生日になると、英二から電話もメールも来ないのが寂しかった。他の誰に祝ってもらっても、英二の分が足りなくて」
「・・・うん」
英二の腕にもぎゅっと力が籠る。
そのまましばらく2人で抱き合っていた。
このまま時が止まればいいと大石は本気で思う。
英二が霧の中から戻ってくることが不可能なら、この夢か幻かわからない時の中でずっと暮らしていきたい。
「ホント、よかった、また会えて。オレね、どうしてももう一回だけ大石に会いたかったんだ。だから、霧に取り込まれたオレごと、人形に封じ込めてもらったんだよ。アンティークショップの店先に飾ってもらえれば、いつかまた大石が倫敦に来た時に気付いてもらえるかもって思って」
背に回っていた腕が緩み、英二が間近から大石の顔を覗きこんだ。
「もう大満足!あとちょっとだけど、一緒にいて、たくさん話しようね!今までの分と、これからの分、埋められるくらい。もう寂しくなくなるくらいたくさん」
あとちょっと、という英二の言葉が大石の胸に突き刺さる。
そうだ、あの店から英二を借りられたのは英国滞在の間の3日だけ。
明日には日本へ帰らなくてはならない。
たった1人で。
・・・また1人になるのだ。
大石は考える。
どうすればいい。
英二と、これから先も一緒にいるにはどうすれば。
「俺も、霧の中を歩いていれば霧の村へ行けるのか?そうすれば英二の所へ行けるのか?」
「・・・大石!ダメ、ダメだよ、そんなの。だって、」
驚いて止めようとする英二の髪を大石は宥めるように撫でる。
続けてその手で、額から頬、耳へと、形を確かめるように、愛おしむように辿った。
こんなふうに触れたいとずっと前から思っていた。
「英二のことが好きだ。ずっと昔、まだ学生の頃から好きだったんだ。こうして会えて、今でもその想いは変わらないことがわかった」
「・・・・・・」
以前は拒絶されるのが怖くて言えなかった言葉がここへ来て自然に口から出た。
大石の告白に英二は無言のまま、困ったように顔を歪ませて大石を見る。
受け入れられなくてもいいと大石は思う。
ただ、これからも傍にいることができればそれで充分だ。
「英二が霧の中から戻って来られないなら、俺がそっちへ行くよ。少なくとも1人でいるより寂しくはないだろ?」
「・・・バカ大石。オレだって、ずっと好きだったに決まってんじゃん。・・・でも」
額を大石の肩に当てるようにして英二が呟く。
「こっちに来たら、もう帰れないよ。友達にも、家族にも会えなくて。それに、このまま霧の中にずっといるのか、ある日突然消えちゃうのか、そんなこともわかんなくて」
「いいよ。もし消えるのでも、その瞬間まで傍にいたい」
英二をしっかりと抱きしめて大石は言う。
ずっと好きだったという英二の告白に、大石は天にも昇る心地だった。
後悔はしない、何を失おうとも。
この選択がどんな結末を迎えるのだとしても。
大石は英二の瞳をじっと見つめる。
ゆっくりと伏せられる睫毛に引き寄せられるように、そっと唇を重ねた。



**



倫敦の町並みを北へ歩いていくと、白い外壁のアンティークショップがある。
そこの出窓には2体の人形が並べて飾ってあった。
仲睦まじく寄り添うような人形の膝の上には『not for sell/非売品』の小さな札が乗っている。
昼過ぎに店を開けた青年は、表の鉢植えに水を遣りながら、出窓の中で微笑む2体の人形に笑いかけた。
「よかったね、英二。ちゃんと大石が迎えに来てくれて。大石、英二のこと、よろしくね」
瞬きしない人形たちは通りの向こうをただ静かに眺めている。
そのガラスの瞳が、珍しく晴れた午後の陽射しを受けて、きらりと輝いた。





Happy Birthday!                                                                       (11・04・29)