昼休みに
Chapter1 乾
乾は昼休みの廊下を部室へ向かってゆっくりと歩いていた。
時間が空いたのでデータの整理をしたい。
ここ最近他校との練習試合が多く組まれ、様々な選手のデータが取れたのはいいが、あまりに量が膨大過ぎて家で纏めているだけでは追いつかなくなった。
かといって教室でノートを広げると好奇心旺盛なクラスメートがやたらと覗き込んでくる。
静かなところで誰にも邪魔されずに作業をするには部室が1番だった。
もっとも先客がいなければの話だが、と顔を上げた乾の視界にパタパタと軽快な足音を響かせて走る菊丸の姿が入り込んだ。
昼休み、そして菊丸の走る方向。
乾の頭がカシャカシャとデータを読み込み答えを弾き出す。
答えは大石。
「あー、乾!大石見なかった?」
当たり。
「いや、会わなかったよ」
「んーもう、どこ行ったんだろ。教室にはいないし、委員会でも先生の用事でもないし・・・。あ、そだ!乾のデータだと大石はどこにいる確率が高い?」
些細なことでもデータを頼りにされると嬉しい。
乾は得意げに手にしていたノートを開くと、大石の項目から昼休みの行動範囲データを読み上げた。
「教室や委員会という選択肢を除くと、1組の手塚の所が48%、6組の菊丸の所が32%、4組の河村の所が、」
「・・・ちょっと待て。なんでオレんとこが2番目なんだよ」
「なぜと言われても今までのデータからすると、」
「大石の1番はオレ。わかった?」
「・・・・・・・・・」
指を突きつけられて乾は言葉に詰まる。
菊丸に統計がと言ったところで通用しないであろうことはデータを見るまでもなく明々白々だ。
「おっと、こんなとこで立ち話してる場合じゃなかった。じゃね、ちゃんとデータ書き換えとけよー!」
言うだけ言って菊丸は乾に背を向けるとパタパタと走り去っていく。
「書き換えろと言われてもな・・・」
乾は閉じたノートで軽く肩を叩く。
とりあえず大石の項目に菊丸の主張という形で書き加えておくことにした。
Chapter2 海堂
昼食を取り終わり、きっちり10分おいてから海堂は昇降口へ向かった。
昼休みの残り時間は全てトレーニングに充てる。
これはすでに日課になっていた。
階段を降りてまっすぐ下駄箱を目指した海堂は、影からふいに飛び出して来た菊丸に驚いて思わす固まった。
「あ、海堂。ごめん、ごめん、びっくりしちゃった?」
菊丸は歩み寄ってくると宥めるように海堂の腕をぽんぽんと叩く。
固まっていた体の力がすーっと抜ける。
改めて、ちぃーっす、と挨拶すると菊丸が笑った。
それにしても、と海堂は辺りを見る。
ここには2年の下駄箱しかない。一体なんで菊丸がいるんだろう。
「こんなとこで何やってるんすか」
素直にそう聞くと、大石探してんの、と答えが返って来た。
「見なかった?」
「すんません、見てないっす」
「そっかぁ・・・ホントどこ行っちゃったんだろ。さっきからずーっとずーっと探してんのに!」
眉を寄せてぶうっと膨れた菊丸を見ながら、この人は怒り方もなんだか可愛いと海堂はぼんやり思う。
自分は普通にしていても怖がられるのに、と理不尽な気分になっていると、突然菊丸に頭を撫でられた。
驚いてまた体が固まる。
「海堂ってさ、なんか人に慣れない野良の猫みたいだよね。よーしよし、オレは怖くないぞぉ」
「・・・・・・菊丸先輩」
「んー?」
少しも悪びれない大きな瞳が笑う。
ふしゅぅ、と小さく息を吐いて、俺は猫じゃねぇ、という言葉を飲み込んだ。
この人には敵わない。
からかわれているとわかっていても、こうして笑っているところを見ると怒る気が失せてしまうのだ。
ふしゅぅ、ともう1度息を吐いて気を取り直した海堂は、あの、と口を開く。
「・・・俺も探しましょうか、大石先輩」
「うんにゃ、いーよ。海堂、これからトレーニングだろ?」
「っす」
「そんじゃ頑張って行ってこーい!オレも頑張って大石探すから!」
じゃーねー、と大きく手を振りながら菊丸が駆けて行く。
それを見送ってから予定通り下駄箱へ行き靴を取り出す。
座って靴紐を結びながら、どこかで大石を見かけたら菊丸が探していたと伝えよう、と海堂は思った。
Chapter3 手塚
「あ!手塚ーっ!」
大声をあげるなり猛然と向かってくる菊丸が見えた。
ここは廊下だ。
それを全速力で走ってくるとは何事だ。
手塚の眉間に皺が寄る。
規律を乱す奴は許さん。
「手塚!、おーいしを」
「菊丸、グランド10周」
「はぁ?」
廊下の真ん中で睨み合う恰好になった。
見えない空気が嵐のように渦を巻き、脇を通り過ぎる生徒が怯んだように足を止める。
「大石を返せ」
「20周だ」
噛み合わない会話に火花を散らす2人を周りの生徒達がハラハラしながら見守る。
今の手塚の頭にあるのは菊丸に規律を守らせることだけだ。
だが、肝心の
『廊下を走るな』 の一言が足りないばかりに、菊丸には通じていないということが手塚にはわからない。
断固として意志を貫く証に手塚は腕組みをして菊丸を見据える。
だが、早々に対峙することに飽きた菊丸が、あのさぁ、と溜息混じりに口を開いた。
「オレ、大石に用があるんだけど」
「それがどうした」
「どうしたー、じゃなくって!大石、どこ?」
「見ていない」
「ちぇっ、それならそうと早く言えよー!あーもう昼休みが終わっちゃうじゃん」
規律を守らせる為に説教をするつもりが、いつのまにか菊丸に文句を言われている。
なぜそういうことになったのかはわからないが、もしかしたら悪いことをしたのかもしれない。
謝る必要があるだろうか。
手塚はさらに眉間の皺を寄せて悩む。
菊丸の相手をするのは手塚にとって難題だ。
会話や態度の移り変わりの速さについていけない。
こんな時に大石がいてくれたら、心底そう思う。
人付き合いが苦手な自分をいつもフォローしてくれる大石は、驚くべきことにこの菊丸の親友なのだ。
それだけでも尊敬に値する。
「しゃーない、もっかい2組へ行ってみるか。そんじゃね、手塚」
悩んでいる間にまた事が進展してしまったようだ。
何事も無かったように走り去っていく菊丸の後姿を見ていた手塚は、今度大石に菊丸と会話をするコツを教えてもらおうと思った。
Chapter4 越前
お昼も食べ終わったことだし、あとはどこか静かな所で昼寝でもしていよう。
越前は騒がしい昼休みの廊下を校庭へと向かう。
校庭から部室棟がある道の途中、少し入り込んだ木立ちの間に最近お気に入りの昼寝スポットがあった。
昼休みには人が来ない場所だからゆっくり寝れる。
購買横の自販機でポンタを買ってから行こうとしたところで、廊下を走ってくる菊丸が見えた。
気がついた時には回れ右をしていた。
条件反射であって、決して菊丸が嫌いだとかいう訳じゃない。
ただ菊丸に絡まれると長くなるのだ。
貴重な昼寝の時間が削られるのは避けたい。
「あ!おチビちゃんだ!おっチビ〜」
そっと進行方向をかえた越前の背中にガバッと体重がのし掛かる。
遅かった・・・どうしてこの人はこう目敏いんだろうかと、越前は小さく溜め息をついた。
捕まったからには気が済むまで遊ばれるだろう。
願わくば昼寝の時間が残りますように、と誰ともなく祈って越前はおぶさっている物体に顔を向けた。
「重いっす。こんなとこでなにやってるんすか、菊丸先輩」
「おーいし探してんの。見なかった?」
「見てないす。そんじゃ俺はこれで」
邪険にならないように肩に回されてる腕を外そうとしたが、それはいっそう力を込めて越前の肩に抱きついた。
振り返るとすぐ真横に菊丸の顔がある。
大きな猫目がじっとりと恨みがましく睨んでくるのを直視できずに目を逸らした。
猫は好きだけど、この猫はでか過ぎる。
「おチビちゃん冷たい」
「そんな事言われても」
副部長がどこにいるかなんて知らないし、俺にはどうしようもないんだけど、と越前は心の中で呟く。
どうやってこの場から逃げるかを思案していた越前は、突然菊丸に頬ずりされて驚くよりも呆れてしまった。
・・・なんなんだ、この人は。
「おチビ可愛い〜。どーしてこんなにちっちゃいんだろ〜」
「余計なお世話っす」
ムニムニと頬を押し付けられ、頭を撫で回されしているのを投げやりな気分で放置した。
だけど、人通りの多い購買の近くではクスクスと笑いながら脇を通り過ぎていく人の視線が恥ずかしい。
「ねぇ、菊丸先輩。ここで俺にじゃれてても大石先輩は見つからないっすよ」
「あ!そーだった!大石!」
ガバっと身を起こした菊丸が今思い出したと言うように手を叩いた。
忘れてたのかと突っ込みを入れたくなったが、また長くなるからやめた。
「そんじゃまったね〜おチビ」
去り際にくしゃくしゃと頭を掻き回して菊丸が駆け去って行く。
手櫛でざっと髪を直しながら越前は昼寝スポットに向かう。
歩きながら、あの大きな猫に副部長が首輪とリードを付けておいてくれればいいのに、と少しだけ思った。
Chapter5 大石
大石は早足で歩きながらちらりと時計に目をやった。
昼休みはあと7分で終わろうとしている。
間に合うかどうかぎりぎりってところかな、そう心の中で呟いて足を止めないまま周囲を眺めた。
2組の教室が数メートル先に見え、出入口から飛び出してくる菊丸が見えた。
「英二!」
そのまま背を向け走り去って行きそうな菊丸を呼び止める。
持ち前の驚異的な身体バランスで、走ろうと前傾していた体を菊丸はくるりと振り返らせた。
「おーいし!!!」
妙な体勢を一瞬で立て直しそのままダッシュしてくる菊丸に、さすが、と大石は笑う。
「やっと見つけたぁー、んもう、どこ行ってたんだよ!」
「提出物があったからお昼を食べ終わってすぐに職員室に行ってたんだ。それから6組に行った」
「へ?6組に来たの?」
「うん。そしたら不二が、英二は2組に行ったって言うから戻って」
「うー、もしかしてすれ違いってやつ?」
ぶうっと膨れた菊丸の背を宥めるように軽く叩いて、それから、と大石は続ける。
「2組に戻ったら英二はすぐに出て行ったって聞いて、探してたら乾に会って。階段を降りて行ったって言うから、昇降口から外に出てみたら今度は海堂に会った」
「あれ?」
菊丸は何か思い出そうとするように天井を睨みながら首を傾げている。
込み上げてくる笑いを堪えながら、大石はさらに続けた。
「その後、校庭で越前に会って、校舎へ戻ってきたら手塚に会った」
「あー!それってオレと同じルートだ!」
大きな瞳をまん丸にして驚く菊丸に大石が笑う。
意図した訳でもないのに、結果的に菊丸の後を丁寧になぞるルートを歩いていた。
菊丸といると時々こういう不思議に出会う。
その度にどこか深いところで繋がっているようで嬉しくなった。
「大石はオレの後を追っかけてたのかぁ。それじゃ見つからないはずだぁ・・・」
がっくりと肩を落とした菊丸が大きな溜息をつく。
まさに骨折り損をやらかしてしまった菊丸は気の毒だったが、大石にとっては楽しい昼休みだった。
行く先々で会う人みんなから、菊丸が走り回って自分を探していたと言われた。
乾は怪しい笑顔で、海堂は心配そうに、越前は眠たげに、手塚は困った顔で。
それを気恥ずかしいような、照れ臭いような気分で聞いていた。
「それで?英二。俺になにか用があったんだろ?」
項垂れている菊丸の気分を変えるようにポン!と軽く頭を叩いてやる。
「あ、そうそう!あのさ、今日の部活で新しいフォーメーションの、」
・・キーン♪・・コーン♪・・・カーン♪・・コーン・・♪・・・
予鈴が喋りかけた菊丸を遮る。
「あーっ、昼休み終わったぁ〜・・・」
「時間切れ、だな」
「ううう。でも、あと5分くらいなら・・・」
「6組は次、音楽で移動だろ?」
「はっ!そーだった!うー・・・じゃ、次の休み時間!大石んとこ寄るから、どこにも行かないこと!いいな!」
「了解」
大石が拳を差し出すと菊丸も拳を出してパチンと合わせた。
「じゃね、おーいし。じっとしてろよー!」
菊丸が走り去るのを見送って2組の教室に入る。
次の休み時間が待ち遠しくなった。
→end (4万打感謝小話 2008・08・27-09・27)