からくり猫の見る夢は epilogue




足元にまとわりついて、ミー、ミー、と茶トラの子猫がか細い鳴き声をあげる。
「なんだ?どうした?さっきご飯は食べたばかりだろ?」
キッチンでコーヒーを淹れていた大石は、手にしていたカップを置くと子猫を抱き上げた。
菊丸が次々拾ってくる猫たちの中でも一番の新参者は、抱いている大石の顔を見上げて何かを訴えるように鳴き続ける。
そのあまりの必死さに、ふと嫌な予感がして大石はリビングに足を向けた。

部屋の南側にある大きな窓の下、暖かな日差しが零れ落ちるソファで菊丸がうたた寝している。
大石の家の中で、真っ先に菊丸のお気に入りとなった場所だ。
布製の古いソファはあちこち糸がほつれ、飲み物をこぼした染みがあったりするが、窓から覗く木々の葉と同じ深緑の色で大石も気に入っていた。
最近では菊丸と猫たちに占拠され、大石の座る場所は無くなっているのだが。

陽に透けて淡い金に輝く菊丸の赤い髪が伏せられた睫毛にかかっている。
低めの背凭れに片腕を乗せ、その腕を枕にするように頭を傾けて、うっすらと笑みを浮かべた唇は幸せな夢を見ているようだ。
菊丸の膝には毛玉みたいな白とグレーの2匹の子猫、膝に乗り切れなかった猫たちはソファの上や足元でそれぞれが気持ちよさそうに眠っている。
思わず、呼吸すら気兼ねしてしまうような静けさがあった。
まるでそこだけ時間が止まってしまったみたいに、・・・いや、止まってしまったのだ。
「こうして見ると1枚の絵みたいだな。タイトルをつけるなら・・・そうだな、幸せの光景」
センスないかな、そう自嘲して大石は腕に抱いた子猫を撫でた。
子猫は菊丸を見ながら、大石が驚いたほど大きな声で一度鳴くと、大石の胸を蹴ってソファの上まで跳躍した。
ミーミーと呼びかけるように、訴えるように子猫は菊丸に向かって鳴く。
背凭れに飛び乗り、顔の近くに移動してまで鳴き続けるが、菊丸は目を覚まさなかった。

緑の惑星に菊丸を連れてきてから約2年半。
それが長いのか短いのかはわからない。
だがいつかこの日が来るのはわかっていたことで、大石もとうに覚悟はしていた。
幸せそうに眠る菊丸は、もう、目覚めない。
動力炉の停止だった。



**



菊丸が停止して数日後、家の電話が鳴ったが、大石は出なかった。
このタイミングでかけてくるなら、まず間違いなく黒部だろう。
黒部のやり方はよく知っている。
菊丸の動力炉の復活を条件に、また何か仕事の依頼をしようとしているのだ。
もしかしたら火星でのレプリカントクーデターに関することを。

昨年、レプリカントたちが決起し、火星で暴虐の限りを尽くしていた統治者を追い出した。
クーデターは、その後も火星を取り戻そうとする人間たちとレプリカントたちの間で戦いを続けている。
TVのニュース番組で取り上げられる火星の報道には、クーデターを起こした主犯グループのレプリカントとして大石が知っている顔を映し出す。
真田と柳だ。
どういう経緯で彼らが火星に戻り、再度クーデターを起こしたのかは大石にはわからない。
ただ、もう二度と戦うことはしたくなかった。
相手が誰であれ、レプリカントとは。



**



なにが起きようと生きてる者は絶えず流れる時間の中にいる。
それは大石も例外ではなく、何を想おうと、何をしていようと、無情なほどに月日は淡々と流れ去った。
菊丸が停止してからすでに1ヶ月が経つ。
猫たちは今までどおり気ままに日々を過ごしている。
茶トラの子猫だけが寂しがって終始菊丸の傍にいたが、それでも日が経つにつれ、目覚めない菊丸に慣れてきたようだった。
大石は単純に悲しいと言いきれない、複雑で曖昧な気分の中にいた。
レプリカントである菊丸は、動力炉の停止、人でいうところの死にあっても、その姿形にはなんの変化も見せない。
人のように朽ちることも無く、ただ眠り続ける。
実際、菊丸は眠っているだけだ。
タイレル社に持ち込み、動力炉を復活させれば、また元のように喋り、動き回ることもできる。
正直に言えば、数日に一度かかってくる電話の誘惑に揺らぐこともあった。
黒部の条件を呑みさえすれば菊丸はまた動けるようになるのだ。
だが、大石がレプリカントハンターから足を洗う事は、菊丸の望みでもあった。
『何があっても、もう仕事受けちゃダメだかんね!いい、大石、何があってもだよ?』
あれはいつの日か自分が停止してもという意味だったのだろうかと、今更ながら大石は思う。
大石が覚悟していたように、きっと菊丸も覚悟していたのだろう。


大石はコーヒーを淹れたカップの1つを菊丸の前に置き、自分はその向かい側の椅子に腰を下ろす。
菊丸は相も変わらず、柔らかな笑みを浮かべたまま眠り続けている。
動力炉が停止しているのだから、体の全ての機能も停止していると知ってはいても、こうも幸せそうな顔で眠っていると、つい、どんな夢を見ているのだろうと考えてしまう。
もし菊丸が夢を見ているとしたら、それはいつの夢だろうか。
植え付けられた子供の頃の記憶か、タイレル社で働いていた時か、それとも緑の惑星に来てからの夢だろうか。
その夢に自分は登場できているだろうか。
菊丸の傍で丸まっていた茶トラの子猫が、テーブルを超えて大石の膝に飛び乗り、束の間の夢想から大石を呼び戻す。
陽光に照らされる菊丸を改めて眺め、今の自分の感情に一番近い表現はたぶん、と大石は考える。
「そうだな、やっぱり寂しいよな」
膝の子猫にそう話しかけると、返事をするように大石を見上げてミーと鳴いた。


玄関のドア近くに足音がし、カタカタ、と郵便受けが微かな音を立てる。
電話に出ない大石に黒部は連日熱心に手紙を送ってくる。
面倒になって最近では郵便受けを見に行くこともしない。
そのせいか、配達員の足音はいつまでも玄関の辺りに留まっていた。
「仕方ないな。出るか」
一杯になっている郵便受けに配達員が閉口しているのでは気の毒だと、大石は膝の子猫を床に降ろし玄関に足を向けた。

鍵を外し、ドアを開けると、そこには見知らぬ青年が立っていた。
いつも見かける郵便配達員の制服ではなく、黒っぽい外套を着込み、目深にかぶった帽子と黒のサングラスで顔を隠している。
「・・・どちら様?」
大石の不審げな言い様に青年が苦笑いする。
「俺は幸村精市。突然の訪問で驚かせたかもしれないけど、怪しい者じゃないよ。柳蓮二と真田弦一郎の仲間だっていえば信用してもらえる?」
「真田と柳・・・レプリカントのか?」
「そう。で、悪いんだけど家の中に入れてもらえないかな。俺も結構有名人になっちゃって」
肩をすくめる幸村に、当り前だろうと大石は呆れる。
連日報道されている火星のニュース、その中でも一番露出が高いのが幸村というレプリカントのリーダーだ。
彼はタイレル社や全宇宙に向けて堂々と顔を晒しメッセージを発信している。
人間の側からすれば、不当に火星を占拠しているお尋ね者ということだ。
その幸村がなぜ自分を訪ねてきたのかはわからないが、いきなり戦闘になることもないだろうと大石は幸村を家に招き入れた。

玄関のドアを閉めてから、やっと幸村は帽子とサングラスを外して見せた。
「・・・本当にレプリカントリーダーの幸村なんだな」
「ニュースには蓮二や真田も映るだろ?これで俺の事信用してもらえた?」
「君が幸村だということはわかった。それで、わざわざこんな辺境の星まで、危険を冒して俺を訪ねてきた用はなんだ?」
「まったくだよ!俺は忙しいっていうのに、こんな遠い所まで出向かなきゃならないなんて、面倒だったらありゃしない!・・・でも、ま、しょうがないんだけどね。蓮二を行かせるのは心配だったし」
「・・・話が見えないんだが」
困惑する大石をよそに、幸村は部屋の中を見回す。
その視線がソファで眠る菊丸の上で留まった。
「彼がそうか。・・・やっぱり、もう停止したんだな」
独り言のように呟いた幸村が確かめようと菊丸の座るソファへと移動する。
が、その前に大石が立ちはだかった。
「用件を言ってもらおうか」
「あー、そんな怖い顔しなくても危害を加える気はないよ。そうだね、時間もそんなに無いし、用件を伝えよう」
幸村は手近にあった椅子に座ると、大石にも目線で座れと促す。
不思議と抗い難い雰囲気を持つ幸村に、大石は渋々指示に従った。
「手短にいくから、質問があったら言って。まず、そこで眠ってる彼は火星に連れて来てくれれば動力炉を復活させられるよ」
「火星に?タイレルの支社も無いのにか?」
「俺たちがその技術を持ってる。タイレル社の支配から逃れるには、自分たちでメンテナンスができることが必須だ。とはいえ、動力炉は一番難しい課題だったけどね」
自信に満ちた幸村の表情が話に真実味を持たせる。
火星を占拠しているレプリカントたちのスローガンは“ レプリカントに自由を ”だ。
「その話が本当だとして、英二を復活させる為の交換条件はなんだ?ボランティアじゃないんだろ?」
「条件は1つ、今後一切、タイレル社とハンター契約をしないこと。簡単だろ?」
「・・・タイレル社と?」
条件としての内容は理解できるが、なぜそれが条件になるのかが大石にはわからない。
高収入なレプリカントハンターは職業として人気も高く、プロアマ併せて無数のハンターたちが存在する。
火星の占拠という事態を解消しようとタイレル社がハンターを送り込んでいるのは想像がつくが、それにしても大石ひとりが加わらなかったところでたいして状況が変わるとも思えなかった。
大石の困惑を感じ取ったのだろう、幸村が笑みを浮かべる。
「俺たちは一度初期化されたけど、後からタイレルのデータベースに保存されてた以前のデータを取り戻したんだ。だから、蓮二も真田も伝説のハンターと戦った記憶を持ってる。その2人が、もう大石とは戦いたくないって言ってるんだ」
「・・・どういうことだ?」
「俺には蓮二と真田以外にも3人仲間がいた。火星から脱走する時に散り散りになったけど、結局は全員がハンターに捕らえられてしまった。・・・大石以外のハンターに狩られた仲間のデータを見たけど、酷い有様だったよ。両手両足を吹き飛ばされてたり、頭以外は原形を留めていないのもあった」
「・・・・・・」
大石は何も言えなかった。
戦闘技術が未熟なハンターが戦えば不必要にレプリカントを破壊することもある。
それだけじゃなく、趣味嗜好からレプリカントを嬲り殺すような悪質なハンターもいた。

部屋に沈黙が流れる。
いつの間にか陽も傾き、部屋の中に薄闇が漂う。
「蓮二が言ってた。大石はハンターに向いてないってさ。一度引退したんだろ?俺たちが出してる条件は、そう無理なものでもないと思うけど?」
それに、と幸村は続ける。
「タイレル社の支配から逃れた方がいいのは菊丸だけじゃない、大石も同じだ。ここらできっちり腐れ縁は断ち切れよ」
大石は思わず顔をあげて幸村を見た。
「以上、これが用件だよ。すぐに答えを出す必要はないけど、断るにしてもタイレル社の依頼だけは受けないでもらいたいな」
用は済んだとばかりに幸村が腰を上げた。
大石も釣られるようにして席を立ちながら、元々タイレル社の申し出を受けるつもりは無かったと告げる。
だが、幸村はちらりと視線を菊丸に向けると、「確率は81%」と笑う。
「・・・何がだ?」
「蓮二が弾き出した、最愛のレプリカントを復活させる為にタイレル社の条件を呑む確率だってさ。停止から3ヵ月後の予想数値らしいけどね。それで今回、慌ててここまで来たって訳」
心当たりあるだろ?と幸村に軽く胸を叩かれて大石は溜息を吐く。
確かに、時間の問題だったかもしれない。

再び外に出る為に幸村が帽子とサングラスを身に付ける。
それじゃ、と玄関のドアを開けた幸村に大石が声をかけた。
「来いと言われても、手段はどうするんだ?火星は今、一般の宇宙船は発着できないぞ」
大石の言葉に幸村がぱっと破顔する。
「準備ができたらここへ連絡して。この星に来るまで2週間程度かかるだろうけど、迎えを寄越すよ」
幸村が去り、小さなメモが1枚、大石の手に残る。
大石は家の中に戻ると、すぐさま旅の準備を始めた。





→end