からくり猫の見る夢は 10
菊丸はベッドの上で大きなクマのぬいぐるみを抱えたままぼんやりと寝転がっていた。
自分がレプリカントであると知って一晩経ち、後に残ったものは怒りでも悲しみでもなかった。
いや、残ったものなど何も無いというのが正しいかもしれない。
頭の中から体や手足の隅々まで広がっているのは何も無い空洞。
今の菊丸には自分が空っぽの容れ物のように感じられる。
幼い頃からの記憶も、家族も、自身で培ってきたと思っていた物の考え方や趣味嗜好に至るまで、全てが他人の手によるプログラムだった。
もしも明日、タイレル社に呼び出され、そのまま研究室で新たな性格や顔に造り替えられても、文句のひとつも言えない。
レプリカントには人権もないのだ。
菊丸は抱えたぬいぐるみを見る。
子供の頃に買い与えられ、成人した今でもずっと一緒にいる大事な友達、という設定だったぬいぐるみ。
自分もこれと変わらない。
ただ動いたり言葉を発したりできるだけだ。
**
疾風のような柳の鋭い蹴りが大石の左腕にヒットする。
「くっ・・・」
あまりの速さに避けきれず、大石は左腕を押さえて後ろに飛び退る。
その間にも攻撃の手を緩めない柳の手刀が大石の頬を掠めた。
さらに後ろへ下がった大石は右手で頬を拭う。
皮膚が切れたのか手に鮮血がこびりついた。
「どうした?ここ数日で戦闘の勘は戻っただろう?」
数歩先に佇む柳から目を離さないまま大石は逡巡する。
柳のデータを回収したいタイレル社の意向を考えれば、できるだけ電子銃は使いたくない。
だが充分武闘派で通る柳の戦闘力を考えれば、警棒や素手で戦うには限界がある。
「残念だが悠長に考え事をしている時間はやれない」
再び柳が攻撃をしかけてくる。
大石は取りだした伸縮型警棒で柳の攻撃をさばこうとしたが、まるで動きを読まれているかのように封じられ、あげくちょっとした隙を突かれて警棒を弾き飛ばされた。
柳の膝が大石の鳩尾に入る。
とっさに後ろへ引いたが軽くはないダメージを受けた。
鳩尾を押さえ、咳き込みながら大石はホルスターの電子銃を抜く。
接近戦での攻撃力は柳の方がはるかに上だ。
このまま電子銃の使用をためらっていたら自分がやられてしまう。
できるだけ体の中心部を避けて体内データが破損する危機を少なくすれば、手足の1本くらいは無くなってもタイレル社からクレームは付かないだろう。
そう考えて大石は柳に銃を向ける。
実際に銃口を向けてその先に柳の姿を見れば大石の胃がきりきりと痛んだ。
すらりとした優雅な姿は美しく、どこから見ても人でしかない。
それを手足の1本くらいと考えてしまうような、そんな仕事をなぜ自分は請け負っているのか。
「行くぞ」
葛藤する大石にも、向けられた銃にもかまわず、柳が大石に襲いかかる。
止むを得ず撃った銃から放出された電流は、大石の心の迷いを表して標的から外れた。
柳の攻撃を受けつつ、何度か銃を撃つ。
かろうじて上着の裾に当たった1発以外はすべて外れ、床から露出した電気コードに当たった1発が室内の灯りをいくつかショートさせた。
床で散る火花と共に柳の頭上の灯りも消える。
薄暗くなった部屋で、ゆるりと攻撃の構えを解いた柳が静かに大石に問う。
「俺の持つデータが欲しいか?」
「・・・それが依頼内容だからな」
「もしもお前が今まで生きてきた人生のデータを全て抜きだされ、余すところなく他人の目にさらされるとなったらどんな気分だ?」
「・・・・・・」
「それが嬉しいと言うならお前は立派な露出狂だぞ?」
おかしそうに笑った柳の体がふらつき、数歩よろめいたかと思うと壁に手をついた。
「・・・ああ、ここまでか」
呟いた柳の目が虚空に据えられ、漆黒の双眸がすうっと流れるように動いて大石を捕らえた。
口元に勝ち誇ったような薄い笑みを浮かべる。
「データは渡さない。この記憶も、心も、想いも、全てはこの柳蓮二のものだ」
「・・・何をするつもり、」
大石が最後まで言い終わる前に柳の体ががくんと膝を着く。
両腕で痙攣する自分を掻き抱くようにしながら床に崩れ落ちた。
「!!」
大石は駆け寄り柳を抱き起こす。
「・・・俺は、自壊・・・ウイルスを持って・・・、それを・・・発動」
唐突に柳の言葉が途切れる。
頭脳回路と共に体内データや全ての機能も壊してしまった柳の瞳は、ただの硝子玉になり、もう何ものをも映してはいなかった。
**
菊丸がいないので自らタイレル社に連絡を入れた大石は、そこで社長の黒部に報告に出向くよう依頼された。
黒部に聞きたいことは山ほどあり、ちょうどいいとばかりに大石は了承する。
回収班の到着を待ち、柳蓮二だったレプリカントを積み込んだ車にスタッフと乗り込む。
シートを被せられた物言わぬ機械の体は、精巧だがただの人形にしか見えない。
顔や体に破損は無いというのに、対峙していた時のしなやかな強さや、しっとりと艶を含んだような雰囲気はもうどこにも残っていなかった。
・・・菊丸もこうなるのだろうか。
ふと大石は思う。
あの華やかな明るさも、どこか甘えたような眼差しも、動力炉が停止すれば全て消えて、ただ愛らしい顔立ちの人形となってしまうのだろうか。
タイレル社に到着し、大石は最上階の社長室へと向かう。
ノックをして入室すると、奥の執務室から黒部が顔を出した。
「予定を入れていた相手が急に都合が悪くなり、会議をキャンセルしてきましてね」
黒部は自ら立ち上がり、大石を出迎えると来客用ソファに掛けるよう促した。
「1人、回収できましたね。思ったよりも早い成果です。さすが、私が見込んだだけのことはあります」
「その件についてですが、実は自壊ウイルスを使われました。依頼されていた頭脳回路や体内データ回収は不可能じゃないかと」
「そのことなら心配無用です。これは柳蓮二を作成した担当者と私だけが知るトップシークレットで設計書にすら記載されていませんが、柳の脳内には自動バックアップの機能を持たせたデータ格納領域がありました。もちろんバックアップ用ですから、緊急時には隔離されウイルス感染の心配もありません」
さらりと言ってのけた黒部の言葉に大石は微かな嫌悪を覚えた。
動力炉が停止間際だったとはいえ、自身に自壊ウイルスを使うことへの恐怖が無かったとは思えない。
そこまでして自分の記憶や心を人の手から守ろうとしたのに、これでは柳が憐れ過ぎる。
「・・・こうなることも全てお見通しだった、ということですか」
「私は用心深い性質なのです。何事もありとあらゆる方向から検討しておけば、どんなことが起きても対処できますので」
さも当然のように言われて、大石の中で燻った嫌悪が諦めに変わった。
そうだ、黒部はこういう男だ。
この冷徹な辣腕家は、相手が人間でもレプリカントでも、恐らく自分自身に対してさえ同じ態度でいられるのだろう。
以前タイレル社に勤務していた頃に度々味わった気分を思いだし、大石は痛む胃を押さえる。
菊丸の事や火星でのクーデターなど、山ほどあった疑問もすでに聞く気力を失い、今はただ一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
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