からくり猫の見る夢は 12




ドアを開け、部屋に入ってきた菊丸を見て、大石の胃はまたきりきりと痛みだす。
皺だらけの服は昨夜着ていたまま、くしゃくしゃになった髪は顔の半分を隠している。
入ってきたドアを背に、しばらくそのままぼんやりと佇んでいた菊丸がすうっと顔を上げた。
何か声をかけなくてはと思っていた大石は、虚ろな菊丸の視線と目が合い言葉を失う。
怒鳴って暴れてくれた方がまだマシだった。
こんなふうに壊れた姿を見せられたら、謝罪や慰めの言葉など口にできるはずがない。
――もう、どうすることもできないんだろうか。
深い後悔に苛まれたまま、ただ菊丸を見つめた。
息が詰まるような長い沈黙の中、菊丸の腕が操り人形のように動く。
壁のスイッチに指が触れた途端、部屋の灯りが落ちた。
カーテンの無い窓は表の街燈の光が入り込み、部屋を薄明かりで照らす。
戸口に立っていた菊丸の姿がシルエットとなってゆらりと動き、薄闇の中を泳ぐような足取りでゆっくりと寝台に近づいてくる。
黙ってただじっと見つめていた大石の前まで来ると、糸が切れて崩折れるように体を預けてきた。
伸し掛かられた菊丸の重みに押されるようにして大石は寝台に仰向ける。
すぐに唇に触れる柔らかな感触、それと同時に体をまさぐる手。
初心な子供ではないのだから菊丸が求めているところは聞かずともわかる。
相手が同性の、それもレプリカントであっても大石はためらわなかった。
――それで少しでも傷が癒せるのなら。
また以前の菊丸のように楽しそうに笑ってくれるなら、どんなことでもしよう。
大石は菊丸の背に腕を回すと体を反転させる。
組み敷いた形で間近からじっと瞳を見つめ、そのまま口づけた。



薄闇の中、熱い吐息が部屋を満たす。
汗ばむ肌を撫で上げ、深く穿つと菊丸が微かな声で喘ぐ。
甘く艶めいた声なのに時折混じる嗚咽のせいで、煽られるよりも胸の痛みを強く感じた。
乱れて顔にかかる髪を払い、涙で濡れた頬に口づける。
そのまま唇で拭ってやると菊丸の腕が縋るように首に絡みついた。
ふと、前に菊丸に言われたことを思い出し、舌先で愛撫していた耳元にそっと囁く。
「英二」
名前で呼ばれた菊丸が驚いたように泣き濡れた瞼を開いた。
その拍子に新たな滴がまたこめかみへ流れ落ちる。
「・・・もう一度、」
哀願するように菊丸が言う。
「もう一度呼んで」
「英二」
求められるまま何度も名を呼び、唇を重ね、跡が残るほど肌を吸う。
やがて嗚咽が止み、代わりにとめどなく甘い声が零れ始める。
薄闇が密度を増し、菊丸が大石をきつく締めつける。
ひと際高く鳴くと、大石の腕の中で体をのけぞらせて果てた。



**



真田は夢と現の間を行き来しながら寝台に横たわっていた。
カーテン代わりに窓に掛けた厚い布の隙間から、早朝の日差しが漏れて部屋の暗さを和らげる。
まだいいだろう、早く起きたところですることもない。
そう言い訳して窓から顔を逸らすように寝返りを打った。
もそもそと毛布の中で身動きする様は酷くだらしがないとわかっている。
柳がいれば秀麗な眉をひそめ、ひとつふたつの小言を口にしただろう。
だが、その柳はもう、いない。
毛布の暖かさに再びとろとろとまどろむ。
短い眠りの間に見る夢は全て火星にいた時のものだ。
灼熱の空と荒れ果てた大地の快適とは程遠い星で、毎日過酷な労働を強いられた。
それでも柳や幸村と過ごせたあの時間は、5年という短い生を精一杯生きたと感じられる充実した時間だった。
できることならあの日々の中でいつまでも過ごしたかったが、何事にも終わりはある。
仲間たちの中で今もあの時の記憶を持つのは恐らく自分だけだろう。
動力炉の停止まで、柳の予測通りなら今日を含めてあと2日。
ただし、これは激しい動作をせず、通常の生活をしたとしての残り時間だ。
戦闘するとなればおよそ半分と考えた方がいいだろう。
幕切れ前に自分が為すべきことさえできれば、後は初期化されようが解体されようが構わなかった。


昼近くなり、ただ寝台の中で自堕落に過ごしているのも限界を感じて真田は体を起こす。
横になり休息の真似ごとをしていたというのに、やけに体のあちこちが凝り固まったようで気持ちが悪い。
慣れないことをするものではないなと呟き、大きく伸びをする。
体をほぐすようにゆっくりと動かして、薄く汗ばむ頃にようやくいつもの調子に戻った。
空腹を感じてリビングへ移動する。
冷蔵庫の中には買い置きのミネラルウオーターとチーズ、肉や野菜の缶詰が入っていた。
適当に取り出してテーブルに運ぶ。
缶詰を開け、そのまま箸を使って中身を食べる。
ミネラルウオーターはボトルに直接口を付けて飲み、チーズは固まりに齧りついた。
『行儀が悪いぞ、弦一郎』
記憶の中の柳が言う。
「かまわん。どうせ食うのは俺ひとりだからな」
応えてみても相手がいなければ独り言にしかならない。
寂しさを振り切るように殊更がつがつと食べた。
味気ない食事でも腹には溜まる。今はそれで充分だ。
今夜、伝説のハンターの元へ出向く。
闘う時に思う存分力が出せるよう、腹が減ったりしていなければそれでいい。

一通り食べ終わり、缶もボトルも僅かに残ったチーズも一緒くたにしてゴミ箱へ放り込んだ。
『・・・弦一郎』
また記憶の中の柳が顔をしかめたが、今度は応えなかった。
何をしたところで、柳が目の前に現れることも、窘めてくれることも、もうないのだ。





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