からくり猫の見る夢は 8
テストは普段使っていない3階の部屋で行われた。
窓から細い三日月が射し、それ以外は机の上に置かれた小型のスタンドだけが部屋を照らす灯りだった。
使い慣れた自分の部屋やリビングではないことがより菊丸を緊張させる。
自分は間違いなく人間だと思ってはいたが、物音ひとつない部屋で机を挟んで大石と向かい合わせに座っていると、なぜだか不安な気持ちが絶えず胸の底から湧きあがってきた。
「それじゃ始めようか」
長い沈黙で菊丸の不安を煽るだけ煽った後、やっと大石が口を開いた。
菊丸は大石を睨みつけるようにして頷く。
大丈夫だ、自分がレプリカントなんかであるはずがない。
「君は砂漠を歩いている。少し先を見るとラクダが膝を折って首を伏せていた」
「・・・ラクダ?」
「そう、ラクダだ。知ってるだろう?」
「・・・本物を見たことはないけど」
「ラクダに近寄るとぐったりとしているのがわかった。どうやら水が欲しいようだ。君は水を持っているがラクダにはやらなかった。なぜだ?」
「・・・え?・・・意味が、わかんない」
「水をやれはラクダは元気になるかもしれない。だが君は自分の水をやろうとはしなかった。その理由を聞いてる」
大石の目が観察するようにじっと菊丸を見据える。
菊丸はひどく混乱した頭で必死に質問の意味を考えていた。
死にそうなラクダに水をやらなかった理由。
理由?
「答えられないなら次の質問をしよう」
必死に回答を導き出そうとしている菊丸を突き離すように大石が言う。
思わずカッとして菊丸は席を立ち、机を手で叩いた。
「待ってよ!今の質問の答えは?!」
「答え?別になんでもいい。ラクダに近寄るのが怖かったから、でも、水はあと少ししか無かったから、でも。このテストにはこれが正解だという答えは無い」
「正解が、無い?」
大石の答えに呆然とした菊丸は、力が抜けたように再び椅子に腰を下ろした。
不安は今やはっきりとした形を持って菊丸を覆い尽くそうとしている。
レプリカント判定テスト。
レプリカントと人を見分ける為の。
菊丸の手が小刻みに震える。
「次の質問だ。君のガールフレンドがポルノ雑誌に載っていたが、君は彼女を問い詰めたり怒ったりはしなかった。その理由は?」
大石の質問が続く。
だが、次も、その次の質問にも菊丸は答えられなかった。
正しい回答の無い問いに対する回答。
そんなものはいくら考えても理解できないしわからない。
額に冷や汗が浮かび、蒼白な顔で菊丸は震える唇を噛む。
「まだ続けるか?」
「・・・嘘だ。こんなの、デタラメに決まってる!だって、大石にも写真見せたじゃん!オレんちは9人家族で、姉ちゃんが飼ってるオウムが、」
「記憶の移植だ。恐らく、タイレル社の開発室の社員か、その親戚にでも元の記憶の持ち主がいるだろう」
「・・・記憶の移植?・・・それじゃ、オレの、家族は・・・オレは、」
それ以上は言葉が出なかった。
大石が机の上のスタンドの灯りを消す。
「明日は俺ひとりで行く。済まないがこの家からは出ないようにしていてくれ」
席を立った大石はそのまま2階に間借りしている部屋へと去って行く。
細い月明かりだけが照らす部屋の椅子に1人掛けたまま、菊丸は動くことができなかった。
**
まだ陽も昇る前から軽いトレーニングに出ていた真田は、人々が起き始める頃ようやく住処に戻った。
目深にかぶったトレーナーのフードを上げ、持っていたタオルで軽く汗を拭う。
シャワーを浴びようとバスルームへ移動しかけた時、寝室のドアが開いた。
「おはよう。・・・何度も注意したのに、またトレーニングに出たな?」
寝起きの気だるさが残った顔で柳が軽く睨む。
その艶めかしさから逃げるように真田はバスルームへと移動した。
「そんなに激しい運動はしとらん。体が鈍るから動かしてきただけだ」
背を向けたまま答えると柳が含み笑う声がする。
「コーヒーを淹れておく。昨日、豆を手に入れたんだ」
「わかった」
振り向かずに答えて真田はバスルームへ入る。
ドアを閉めてから大きく息を吐いた。
柳と2人きりでいたこの半月、よく今日まで忍耐を保てたと思う。
自分が邪な目で見ているせいなのか、それとも元からそうなのかはわからないが、柳は普段の何気ない仕草ひとつにも微かな色香が漂う。
そのくせ本人には自覚がないから性質が悪かった。
シャワーの蛇口を思いっきり捻り、叩きつけるような湯で汗と共に邪念や欲望を洗い流す。
バスルームから出る頃には幾分気分もさっぱりとしていた。
リビングには香ばしいコーヒーの匂いが満ち、テーブルには湯気の立つカップが置かれている。
その傍らには缶詰肉を挟んだホットサンドも並んでいた。
だが、柳の姿は無い。
「蓮二!」
もしや、と真田は慌てて寝室の扉を開ける。
「・・・どうした、大声を出して」
驚いた顔で振り向いた柳に真田は心の中でほっと溜息を吐いた。
「すまん。その、もう出かけたのかと思ってな」
「黙って行ったりはしない」
おかしそうにくすくすと柳に笑われ真田の顔に血が昇る。
「そうか」
照れ臭さを誤魔化すようにまだ濡れた髪を乱暴にタオルで拭いている手を柳が止めた。
「あまり強く擦ると髪が傷むぞ」
「別にかまわん。それに元より硬い髪だ、このくらいどうということはない」
「そう言わず大事にしてくれ。俺の好きな髪だ。真っ直ぐで硬めだけれど触れていると心地いい」
柳の指が真田の髪を愛おしげに梳く。
「まるで弦一郎そのものだな」
「・・・蓮二」
最後の最後という時になって、初めて柳が口にした睦言は、甘いよりも切なく響いて真田の心を締めつけた。
時限付きの動力炉は激しい運動をすればそれだけ活動可能な時間が短くなる。
いくら抗体を入れているとはいえ、終始体内でウイルスが活発に働いている柳の残り時間はもういくらも無い。
真田は腕を伸ばし柳の体を抱き寄せる。
互いに想い合っていながら、ろくに触れたことすらなかった。
触れてしまえば欲しくなる。
だが深く繋がることは叶わずに、触れられなかった時よりもいっそう酷い渇きに悩まされる。
そんなわかりきった愚を犯すことはできなかった。
背に回った柳の腕に一瞬力が入り、そして真田の肩に埋めていた顔を上げる。
柳のひんやりとした唇が触れる。
ウイルス感染を防ぐために固く閉ざした唇の接吻は、まるでままごとのようだったがそれでも真田の背筋を甘く痺れさせた。
このまま離したくなかったが、柳の腕がやんわりと真田の胸を押す。
「すまない、弦一郎。先に行く」
「・・・うむ。心残りのないよう、存分にな」
精一杯の虚勢を張って送り出せば柳が綺麗な笑みを見せた。
すでに身支度も終えていた柳は、ベッドの上に置いていたコートを手に取り寝室を出ていく。
もうこの部屋に戻ってくることもないだろう。
仕方がない、自分たちは色恋よりも戦いを選んだのだ。
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