からくり猫の見る夢は 9
部屋に戻り、大石は早々に床についたが、なかなか眠りはやってこなかった。
あれでよかったのか。
他に方法があったんじゃないのか。
目を閉じると蒼白な顔で震える唇を噛みしめていた菊丸の顔が浮かぶ。
これでいいんだ。
俺の仕事は脱走レプリカントを狩ることで、それを遂行する障害になるものを取り除くのは必要悪だ。
そう言い訳してみても苦い後悔は消えず、今にもベッドから飛び出して、まだ3階の部屋にいるだろう菊丸の元へ走りそうだった。
だが、と大石は自分を戒める。
今更菊丸の元へ行ってどうしようというのだ。
さっきのテストはデタラメだ、君はレプリカントなんかじゃない、そう言えば済むというのか。
済むはずがない。
聡い菊丸はテストの意味がわかったはずだ。
プログラムされたコンピュータを頭脳とするレプリカントと人間の大きな違いは想像力だ。
特定のシチュエーションを示してその場に立った時を想像する、自身の身に置き換える、そんな奇妙な思考を成し得るのは人間の脳だけだ。
寝付けずに大石は寝返りを打つ。
くるくると表情を変え、よく笑い喋る天真爛漫な菊丸と、事実を突き付けられ色を失い震えていた菊丸が交互に瞼の裏に浮かぶ。
作られた心にだって傷はできる。
――もう取り返しはつかない。
夜が明け、朝になり、大石は身支度を済ませて間借りしている部屋から出た。
明け方、菊丸が自分の部屋に戻った気配がしたが、それきり後はしんと静まり返って物音ひとつしない。
大石は玄関に向かう足でちらりとダイニングのテーブルを見遣る。
いつもならそこには簡単な朝食やコーヒーが用意され、「おはよ」 という菊丸の眠そうな笑顔があった。
重い気分と鈍く痛む胃を抱え、大石は物の乗っていない小ざっぱりしたテーブルを振り切る。
ほとんど眠れなかった体は鉛が詰まっているように重く、昨日の戦いの疲れも抜けていない。
大石は頭を切り替えるように深く呼吸する。
今日戦う事になるだろう相手は今までの雑魚とは違う。
今は戦いに集中しなくてはならない。
**
しばらく裏町をうろついていた大石の前方、数メートル先に2体の旧型レプリカントが現れた。
とっさに大石は身構えたが襲ってくる気配はない。
よくよく見れば片方のレプリカントは左足を僅かに引きずり、もう片方のレプリカントは右腕が動かないようだった。
2体はついて来いとでも言うように時折大石の方を振り返りながら先に立って歩く。
案内された先はほとんど瓦礫の山と言っていいような廃墟ビルだった。
元は事務所としてでも使っていたのか壁際には古い事務机が寄せられている。
剥がれた床からはケーブル類が露出し、うっかりすると足を取られそうだった。
2体のレプリカントが奥に消えていく。
暗かった室内が突然白熱灯に照らされ、大石は手のひらで目を庇うように覆う。
しばらくして目が慣れ、覆ってた手を外すと、いつからいたのか奥の壁に1人の男が立っていた。
黒部から貰った写真の脱走レプリカントのひとり、柳蓮二だ。
柳は上背のある細身の体をオフホワイトの緩やかな衣装に包み、大石に向かい一歩踏み出す。
「伝説のハンターと会えて光栄だ。できれば伝説と呼ばれる所以を聞かせてもらいたい」
「・・・レプリカントハンターという肩書がついた最初の人間だというだけだ」
「ああ・・・そういえば過去の経歴にタイレル社勤務とあった」
興醒めだと言わんばかりに柳が肩をすくめる。
「・・・わざわざ俺の経歴まで調べたのか」
「俺のデータも黒部から貰っているだろう?お互い様だ」
さも当然といった顔で柳は答えるが、タイレル社のデータベースはそう易々と外部からの侵入を許したりしない。
大石の頭に明け方読み直した柳のプロフィールが浮かぶ。
脱走レプりカントのブレイン的役割、情報処理能力はスーパーコンピューター並み。
それに加えて、と大石は柳を注視する。
黒部からもらったデータにはなかったが、立ち居振る舞いの隙の無さは武術も身につけていると見て間違いはないと思えた。
「ところで、今日は1人なのか?いつも一緒にいる赤毛の秘書はどうした?」
「家で留守番してる」
「・・・なるほど。あれはレプリカントか」
あっさりと柳に看破され大石の頭にカッと血が上る。
そもそもレプりカントを操るような能力を柳が持っていなければ、真実を知らせて菊丸を傷つけることもなかった。
「ああ、そうだ。レプリカントを操る敵との戦いに巻き込みたくはないからな!」
「賢明な選択だ。俺が持つレプリカント操作ウイルスはタイレル社製で強力、且つレプリカントなら旧型新型問わず有効だ」
予想外の事実に大石が驚き目を瞠る。
「ウイルス・・・タイレル社製だって?」
頷いて微かな笑みを浮かべた柳はまた一歩大石に近づく。
「火星で労働させられているのは9割がレプリカントだ。それを統括している人間は10人に満たない。そんな環境でもしレプリカントが暴走したらどうなる?」
「そうか、暴動鎮圧のためのウイルス」
「そういうことだ。皮肉にもレプリカントである俺が使うことになったが」
柳は緩やかな足取りで一歩、また一歩と大石に近づく。
亀裂の入った壁から吹き込む風は柳の髪を揺らし、その容姿と相まって大石は幻を見ているような気分になった。
「面白い話を教えてやろう」
すでに残すところ3メートル弱という距離で柳が足を止める。
警戒を解かないまま大石は柳の話に耳を傾けた。
「現在の火星の最高権力者は性格的にかなり問題がある人間だ。あの男はレプリカントを作業ロボットと称し、気に入らないことがあると平気で暴力を振るい破壊する。感情を持つレプリカントたちはみな日々怯え暮らしていた」
火星の状況については大石も噂程度だが耳にしたことがあった。
地球の権力者の子息をそれなりの地位につけなくてはならず、だが性癖に問題があった為に通常の惑星の統治などは無理だと判断された。
そこで選ばれたのが人口の9割がレプリカントである火星だ。
ほとんど人間のいない火星なら最も被害が少ないだろうという理由だったと聞く。
「そこへ精市を始めとした俺たちが送り込まれた。精市はカリスマ性があり、頭も切れ行動力があった。横暴な権力者に刃向う反骨精神をプログラムされた精市と、通常の数倍のデータ処理能力を持った俺、並みの兵士以上の戦闘力を持った弦一郎が、そんな状況を見たら結果は火を見るより明らかだと思わないか?」
「・・・レプリカントは人間を攻撃できないよう抑止するプロテクトがかかっている」
「俺たちには最初からプロテクトなど設定されていない」
柳は涼しい顔で事も無げに言うが、それはとんでもない事だった。
もしそれが本当だとしたらタイレル社が、黒部が仕組んでいたのは。
「レプリカントによるクーデター」
大石の考えを読んだように柳が告げる。
「そんな馬鹿なことが」
「黒部は用意周到で無駄が無く、行動には全て意図がある。その姿勢は賞賛に値する程だ。・・・さぁ、お喋りはこの辺にしておこうか」
それまで絵画のように佇んでいた雰囲気を一転させ、柳が風のような速さで大石に向かってくる。
黒部が計画したという火星でのレプリカント・クーデターについて大石が考える暇は与えられなかった。
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