Cat Xmas
部屋に入るとベッドの上からお帰り〜という元気な声がした。
ただいま、と返して机の上に鞄を乗せると、待ってましたと言わんばかりに英二がピョンと机に飛び乗る。
「おーいし、遊ぼ?」
小首を傾げた可愛らしいポーズで誘うのは子猫の英二、俺の飼い猫だ。
「遊ぶのはいいけど、英二、お腹は空いてないのか?」
「ママにさっきミルクもらったもん」
「それじゃ着替えるから少しだけ待ってて」
そう言うと、にゃー、と猫らしい返事をして英二が机から飛び下りた。
着替えながら見ていると、ベッドの下からお気に入りのテニスボールを引っ張り出している姿が見えた。
人の言葉で喋る不思議な猫だが、遊び方は普通の猫と変わらない。
着替えを終えてしばらくは英二のボール遊びに付き合ってやる。
日中部屋で退屈させていることへの小さな罪滅ぼしだ。
晩ご飯の時間まで遊んでやり、食事の後風呂に入って、寝るまで勉強をする。
それから英二と一緒に布団に入って一日が終わる。
これが俺たちの日常だった。
小さな変化を感じたのは部屋のカレンダーが12月半ばに入った頃だった。
初めはなんとなく英二に元気がない、その程度だった。
お気に入りのボールで誘ってもあまり気乗りしない様子でいる。
具合が悪いのかと思ったけれど、ミルクはちゃんと飲むし猫用クッキーも食べる。
ボールに飽きたのかと猫じゃらしを買ってきたが、それにもあまり興味を示さなかった。
「なぁ、英二。なにかあったのか?」
膝に乗せて小さな体を撫でながら聞くと、英二がピクリと耳を動かした。
「英二?」
「・・・なんにもないよ。なんで?」
「元気がないみたいだから」
「それは、えーっと・・・、ほら、寒くなってきたし。オレ、寒いの苦手」
言うなり、英二は体を起こすと、俺のトレーナーの中に潜り込んでしまった。
確かに英二は猫だし、寒いのが苦手だというのは本当のことなんだろうけど。
でもそれだけじゃない気がする。
「英二、俺が学校から帰ってくるまで、居間で母さんとコタツに入ってれば?」
「んーん、ここがいい」
中でモソモソ動いていた英二が俺をよじ登って、トレーナーの首の所から顔を出した。
滑り落ちないように片手で服の上から英二を支えてやる。
「心配しなくてもだいじょぶだよ、おーいし」
「わかった。でも、なにかあるなら、ちゃんと言うんだぞ」
「にゃー」
猫語で返事をした英二は、トレーナーの首元から顔を引っ込めると、またモソモソと中で動き回り、裾からひょいと顔を出したかと思うと、そのままベッドの下に入り込んでしまった。
24日、クリスマスイブ。
朝から英二はそわそわと落ち着かないでいた。
気にはなったが俺には学校があり、母さんにそれとなく英二の様子を見るよう頼んで家を出た。
学校が終わってから飛ぶように家に帰れば部屋にはちゃんと英二がいて、俺はほっと胸を撫で下ろした。
それで初めて俺は、英二がどこかへ行ってしまうような気がしていたことに気づいた。
「英二、ただいま」
「お帰り、おーいし。・・・あのさ、」
「どうした?」
聞くと英二は、何か言いたいような、でもどう言っていいかわからないとでも言うように考え込んだ後、いつものテニスボールを引っ張りだした。
「ボールがどうかしたのか?」
「遊ぼ?」
「それはいいけど、なにか言いたいことがあったんじゃないのか?」
「えっとね、オレはだいじょぶだから、心配はいらないよ、って言いたかったんだー」
「・・・英二、」
それからは何を聞いても大丈夫の一点張りで答えてもらえず、仕方なくボール遊びをして夜になった。
いつもより少し早く布団に入ったのに、いくらもしないうちに目が覚めた。
ベッドの脇に置いてある時計を見ると、23時50分と表示されている。
一緒に寝ていたはずの英二が布団の中にいなくて、部屋の中に視線を向ける。
橙の薄明るい常夜灯に照らされる部屋で、布団から抜け出した英二が忙しく動き回っていた。
いつ隠しておいたのか、ベッドの下から俺のハンカチを取り出し、これもまたどこかに隠していたらしい猫用クッキーをハンカチの端に器用に包みこむ。
次にお気に入りのテニスボールをハンカチに乗せ、これも包んだものの、自分の頭ほどの大きさに英二はしばし悩んでいるようだった。
やがて覚悟を決めたのか、ハンカチに包まれた荷物を手と口を使って上手に首に巻きつける。
荷物は背負いたかったのだろうけど、立ち上げると重さで前に落ち、首の下に下がって歩きにくそうだ。
それまで俺は黙って英二のすることを見ていたが、さすがに部屋の猫用扉から出ようとしたので声をかけた。
「英二」
「にゃっ!!」
かなり驚いたようで、英二は全身の毛を逆立てて飛び上がった。
「こんな夜中にどこへ行くんだ?」
「にゃー・・・にゃおー」
「誤魔化しても駄目だぞ」
「うー、・・・ごめん、おーいし。明日の夜には帰ってくるから見逃して」
「英二はずっと家の中にいるんだから、外に知り合いなんていないだろ?明日の夜までどこへ行く気なんだ」
「それは、えっと・・・、あ!もう時間がないー!、ごめん、おーいし!」
英二が身を翻すと猫用扉から飛び出そうとする、が、首に巻いたハンカチの中のボールが引っ掛かった。
もがく英二がハンカチ荷物を解くより先に、ベッドから出た俺が英二を捕まえる。
「ダ、ダメだって、おーいし、離せー」
「暴れても無駄だよ、英二。ちゃんと訳を・・・」
言いかけて俺は目を瞠る。
英二の小さな体から、不思議な煙のような靄が立ち上がった。
「にゃ・・・間に合わなかった・・・」
英二の声が靄の中で力なく響く。
靄はだんだんと大きくなり、やがて座っている俺と同じくらいまで膨れ上がった。
手の中の英二の毛並みが感じられなくなって、俺は焦って靄を払うように手を振る。
「英二?英二!」
「・・・だからダメって言ったのに」
靄の中から声がして、ほっとしたのと同時に俺は目が飛び出しそうなほど驚いた。
靄が晴れたそこには、俺と年の変わらない人間が、裸のまま所在無さ気に身を縮めている。
「・・・、・・・・・・君、は?」
「・・・英二」
「英二は猫で・・・、・・・」
目の前の光景を信じられない思いで見つめた。
猫の英二はどこにもいない。
その代わりにうずくまる彼の首には、猫の英二が荷造りしたボールとクッキー入りのハンカチがぶら下がっている。
「だからヤだったんだ・・・オレ、ただでさえ人の言葉を喋る変な猫なのに、クリスマスには人になっちゃうんだもん」
しゅん、と項垂れる彼がぶるりと身を震わせる。
俺は慌てて布団から毛布を取り出し、彼に羽織らせた。
「その、本当に、猫の英二なのか?」
うん、と頷く姿に、俺はやっと目の前の現実を認めようという気になった。
「そうか、クリスマスだけ人になるのか。不思議な猫だとは思ってたけど」
「・・・オレ、追い出されちゃう?」
「ええっ?なんでそんな、」
「だって、変だもん、オレ。気持ち悪いじゃん、こんなの」
「確かに普通の猫とは違うけど、だからって気持ち悪いなんて思わないよ。そりゃびっくりはしたけど。追い出したりはしない、そんな心配しなくていいんだよ」
「ホント!?」
毛布の下で英二の目がきらりと光る。
「本当だよ。俺が英二を追い出すわけないだろ?」
「おーいしー!」
大好き、と言って飛びついてきた人の姿の英二に俺は物凄く焦った。
「ま、待ってくれ、英二。その恰好はちょっと」
「好きー、大好きー」
「や、だから、裸のままで抱きつくのは、」
しどろもどろになりながらも、手探りで見つけた毛布を引き寄せて英二を包む。
猫の英二も俺にくっついているのが好きで、俺もそれが可愛いと思っているけど、さすがにオスとはいえ人の、それも全裸で抱きつかれるとドキドキしてしまう。
人になった英二の顔は猫の時の可愛さのままなのだ。
「おーいし、これからもずっと一緒だよね!」
「もちろんだよ」
頬を摺り寄せてくる英二にちょっと情けないほどにやけながら、俺は毎日がクリスマスだったら、なんて不謹慎なことを考えてしまっていた。
→end (08・12・07)