英二 in ワンダーランド 後編 (6周年記念 2010/4/25〜5/12)
小さなサイズに縮んだ英二はドアを潜り抜けた先にある庭園を歩いていた。
きちんと手入れがされ、整然と整えられた美しい庭園も今の英二の目には入らない。
頭の中を占めているのは不思議の国のアリスの物語。
下の姉のお気に入りだったこの童話は、子供の頃に何度となく読み聞かせられた覚えがある。
忙しく走っていく白ウサギを追いかけて穴に落ち、そこからアリスは不思議な国に迷い込んだ。
笑いだけ残して消える変な猫や、お茶会をしている帽子屋のことは記憶に残っている。
だが、いくら考えても物語の結末を思い出せない。
「こんなことなら真面目に姉ちゃんの話を聞いとくんだったなぁ」
なんせ幼稚園の頃の話である。
少しでも早く外に遊びに行きたくて、半ば強制的に聞かされていた姉の読む童話などほとんど上の空だった。
「忙しいって言いながら走ってた大石って、やっぱ白ウサギ?」
はたして、アリスは白ウサギを捕まえられたのだったかどうか。
幼い日の記憶を引っ張り出そうと、うんうん唸りながら歩いていた英二の耳に、突然人の話し声が飛びこんできた。
「無理ですよ、宍戸さん!もう間に合いません!」
「うるせー、長太郎!やるしかねーんだよ!」
聞き覚えのある声と、その会話に出てきた名前に、英二は木の陰からそっと覗き見る。
「うーわ、やっぱ宍戸と鳳だ。なにやってんだろ?」
ペアルックなのか、似たようなハートマーク柄のTシャツを着た2人は、なにやら口々に文句を言いながら植え込みの花にペンキを塗りたくっている。
大輪の白い花が次々と赤く染められていくのが遠目にもわかった。
「花に赤ペンキ・・・なんかそんな話もあったな、アリス」
じっと宍戸と鳳を眺めているうちに、Tシャツのハート柄も遠い記憶に引っかかった。
「なんだっけ?あのハート柄。あれもお話に出てきた気がすんだけど」
うーん、と腕を組んで英二が首を捻る。
思い出せそうで思い出せない。
「宍戸さん!大変です!あれ!!」
「大変でもなんでもいい、とにかく塗れ!」
「もう遅いです!!!」
鳳の悲痛な叫びに、記憶と格闘していた英二が呼び戻される。
見れば神輿のようなものを担いだ一行が宍戸たちのすぐ前方まで迫っていた。
2列縦隊で歩いてくる一行はみな宍戸や鳳と似たようなハート柄のTシャツを着ているが、神輿を担ぐ者と、その神輿に跨るように座る者だけが、どこかで見たような黄色いジャージを着ている。
並んだハート柄のTシャツ、そしてハートの数や配置が英二の記憶を呼び覚ました。
「そうだ!トランプだ!トランプの兵隊が出てきたんだった!」
一行は宍戸と鳳の前で行進を止め、神輿に跨っていた人物が悠然と立ち上がる。
肩にかけていた黄色いジャージが風に吹かれてはためき、それを見た鳳が持っていたペンキ缶を取り落とした。
「トランプの兵隊と、あとは、なんだか怖い女王が出てきて、」
「そいつの首をはねろ!」
「そうそう!ハートの女王が首をはねろって言って、・・・え?」
英二はぎょっとして目の前の光景を凝視する。
哀れにも宍戸と鳳はハート柄Tシャツのトランプ兵に捕まって、あっという間にどこかへ連れ去られてしまった。
*
トランプ兵たちが歩き去った方角に城が見えた。
おそらくあれがハートの女王の住処なのだろう。
「なら、あっちに行かなきゃいんだよね。じーちゃんもよく『触らぬ神に祟りなし』って言ってたし。わざわざ怖いとこに行く必要もないし、っと」
捕まってしまった宍戸と鳳は気の毒だが、あんな恐ろしい女王様の元から救いだすなんて無理、と英二はきっぱり結論を出す。
また女王の行進なんかとかち合わないうちにさっさと大石を見つけて逃げ出すに限る。
英二はくるりと城に背を向けて歩きだす。
ところが、頭上から「そっちじゃなかよ」と声がした。
見上げると大きな木の張り出した枝に仁王が寝そべっている。
そんなところに寝転がってよく落ちないなと思いつつ、英二は「何が?」と返した。
「大石のいる所」
口元に薄く笑みを浮かべたまま、仁王は指で城を指し示す。
「げ。マジで?もしかして、大石は城に行ってるとか言う?」
「城で舞踏会があるんよ。でも大石は遅刻したからのう・・・」
笑みを崩さないまま仁王が肩を竦める。
その仕草に英二は嫌な予感がして青ざめた。
あの恐ろしい女王の舞踏会に遅刻なんてしたら。
「今頃はこんな姿になってるかもしれん」
仁王の首から下がすうっと消えていく。
笑った顔だけが木の枝にふわふわと浮いていた。
「大石が首をはねられちゃうってこと!?」
焦る英二の問いに顔だけの仁王はただ笑みを浮かべる。
「大変!」
「まぁ、これはこれで身軽と言えば身軽じゃけど・・・ん?」
顔だけの仁王は今まで英二のいた場所を見下ろす。
だがそこにはすでに英二の姿は無く、顔を巡らせれば城に向かって飛ぶような速さで走っていく後ろ姿があった。
曲がりくねった道の生け垣を掻き分け、踏み倒すようにして英二は城へと最短の直線コースを取っていた。
植えられた赤いバラの花弁が舞い散るのを気にはしてられない。
急がないと大石の首が胴から離れてしまう。
早く早くと急かす足はもつれそうになりながらも、英二はどうにか城に辿りついた。
舞踏会なら城の中かと扉に突進した英二は、庭の方から聞こえてくる騒がしい声に足を止める。
「そいつの首をはねろ!」
「あいつの首をはねろ!」
「どいつもこいつも首をはねろー!」
乱暴で滅茶苦茶な命令が庭から響く。
「こっちか!」
英二は回れ右すると庭の方へと駆け出した。
城の庭は足の踏み場もない程赤いバラが植えられていた。
わずかな木の隙間にトランプ兵と舞踏会の招待客らしき人々がひしめき合って立っている。
大石はどこだと辺りを見回す英二の目に、先ほど神輿周りにいた黄色いジャージ姿が映る。
木の隙間から覗き見ていた時は遠すぎて顔までは見えなかったが、肩に羽織ったジャージを風に靡かせて、嬉しそうに笑いながら首をはねろと連呼しているのは立海の幸村だ。
その両脇には真田と柳が控えているのも見える。
「うーわー、ハートの女王って幸村・・・怖すぎっ!大石は?・・・いたっ!」
ちょうど柳の斜め後ろに縄をかけられた大石が項垂れて立っている。
首をはねる順番待ちなのか、大石の前後にも同じように縄をかけられた人々がいた。
項垂れた行列は少しずつ前に進んでいる。
躊躇している時間は無い。
英二はバラの生け垣を掻き分け、人を掻き分けして強引に大石の傍まで移動した。
だが、自慢の赤バラを散らされた幸村が英二を見逃すはずはなかった。
「そいつの首をはねろ!」
嬉々とした声で幸村が英二を指さす。
途端に付近のハート柄Tシャツ・トランプ兵がわらわらと英二に向かってきた。
「おーいしっ!」
英二は大石を拘束している縄を解こうと焦る。
逃げる気などさらさらないのか、しょんぼりと項垂れた大石は全く協力しようとしない。
縄は固く結ばれていくら力を込めても解ける気配がない。
トランプ兵が包囲の輪を狭めてくる。
もう縄がかかったまま走って逃げるしかないと顔を上げた英二は、すぐ傍まで迫ってきているトランプ兵に目を剥いた。
もう駄目だ、絶体絶命、首をはねられる!
*
「ぎゃあああぁぁぁ!!!」
「うわっ!」
「たーすーけーてーっ!」
「英二!起きろ!英二!」
強く肩を揺さぶられて英二はがばっと体を起こした。
目の前に大石が立っているのを見て、慌てて腕を掴んで走り出そうとする。
「英二、英二!寝呆けてないでちゃんと起きろ!」
「へ?」
呆れたような顔の大石に英二はぱちぱちと忙しなく瞬きをし、そして急いで辺りを見回した。
見慣れた3年6組の教室。
他の生徒の姿はないが、校庭からは賑やかな声が聞こえている。
「あ、あれ?」
「まったく・・・いつまで経っても部室に来ないから、どうしたのかと思って来てみれば」
部室という言葉によくよく見れば、大石は青学のジャージを着ている。
ということは、今は放課後、部活の時間だ。
「もしかして、オレ、寝てたの?」
「そのようだな。まぁ、今日は天気もいいし、眠くなるのはわかるけど」
「なーんだ、夢だったんだぁ。よかった、オレ、ホント、もう駄目だと思った・・・」
そこで英二はようやく不思議の国のアリスの結末を思いだした。
あれは全てアリスが見た夢だったのだ。
大きく安堵の息を吐いた英二に大石が不思議そうに首を捻る。
「そういえばずいぶんうなされてたみたいだったけど、怖い夢でも見てたのか?」
「それがさー、不思議の国のアリスな夢でさ。白ウサギの大石が走ってくのを追っかけて」
「ああ、確か、映画がやってたな。テレビのCMでも頭に残ってたんだろ」
「そっか!そーだ、きっと!」
なるほどと手を打った英二に大石が笑う。
「面白そうな夢を見るところはさすが英二だな」
「面白いっていうか・・・オレ、もうちょっとでハートの女王の幸村に首はねられるとこだったんだけど?」
「幸村って立海の?」
「そう。すっごい嬉しそうな顔で、そいつの首をはねろー!って叫んでてさ、怖いのなんの」
思いだしたのか、ふるふると身震いする英二の肩を大石が励ますように叩く。
「ある意味、真田よりも怖いもんな。ところで、うちのスペードのキングも静かに怒ってるから、早く部室へ行こうな」
「うちのスペードの・・・って、もしかして手塚!?」
思わずスペード模様の王様スタイルな手塚を想像してしまい、英二が吹き出す。
「笑い事じゃないぞ。部活開始からもう30分以上経ってるんだ。首ははねられないけど、最低でもグランドを20周はさせられるから覚悟しとけよ」
「げ。やばい・・・」
大急ぎで支度しだした英二に笑って大石も手伝ってやる。
「おし、準備完了ー!行こ、おーいし!」
「あ、英二!廊下は走っちゃ駄目だぞ!」
止める間もなく走り出す英二の後を大石が追いかけた。
2人して廊下を駆けていくその後ろ姿を、誰もいなくなったはずの3年6組のドアからじっと見つめている生徒がいた。
その生徒が着ているのはハート柄のTシャツ。
大石と英二が廊下の角を曲がり、その姿が見えなくなったのを確認して教室の中を振り返る。
いつの間にか6組の教室の床は消え、底の見えない深い深い穴が開いていた。
その穴から蟻の行列のように一列になって登ってくる者たちがいる。
みな同じハート柄のTシャツを着た忠実なトランプ兵たちが、女王の命令に従おうとお伽噺の世界からぞくぞくと這い出してきたのだった。
→end