fish 10
細かな光がきらめく月の中を翔けるように泳ぐ。
水槽の中で泳ぐエージを思い出して真似た、ヒレを使う泳ぎ方にもようやく慣れた。
辺りにエージや英二の姿はないかと絶えず視線を走らせる。
果ての見えない白銀の月。
でも必ず見つけ出せると信じて泳ぐ。
しばらく泳いでいると、かすかに声が聞こえた気がした。
英二のじゃないけど、聞き覚えのある、声。
確かにどこかで聞いたことがある。
誰の声だったろう。
こんな所に知ってる人間がいるなんて。
声のしたほうに泳いでいくと徐々に人影が見えてくる。
あれは・・・そうだ、確か、佐伯。
いつだったか英二と一緒にいた佐伯だ。
どうしてここに・・・そう思った時、佐伯の影から一匹の赤い魚が飛び出した。
「エージ!!」
「えっ?あ、あれ?ええっ?おーいし!?」
エージがいる方に泳いでいくと、俺に気がついたエージもこちらに泳いでくる。
鮮やかな赤いヒレ、虹色に反射する鱗。
とても綺麗な、俺のエージ。・・・よかった、見つけられて。
「おーいし?なんでサカナになってんの?って、なんでここに?」
「エージを連れ戻しに・・・えっ?」
エージが喋ってる。
それに、この声は。
「エージ。・・・もしかして・・・英二、」
「誰かと思えば大石くんじゃないか。その姿は不二の仕業?」
近寄ってきた佐伯を見て、エージがさっと俺の後に隠れた。
学校の帰りに佐伯に会った、あの日の光景が蘇える。
『オレのこと連れて行こうとしてんだよ!』
あの時はただの冗談だと思ってたのに。
「ここへエージを連れて来たのは君なのか」
「そういうことになるかな」
「・・・エージは返してもらう」
「返さないよ、って言ったら?どうする?」
楽しそうに笑う佐伯に余裕が見える。
確かにこの小さな魚の姿ではどうすることもできない。
それなら。
「エージ、逃げるぞ」
「えっ?」
小声でエージを促して、手を繋ぐ代わりに俺の青いヒレをエージの赤いヒレにからませた。
そのまま猛スピードで泳ぐ。
俺を魚に変えた人のところまで逃げることができたら、なんとかなるかもしれない。
少なくとも人の姿に戻してもらえば、エージを守れる。
戸惑っていたのか、最初は俺に引かれるように泳いでたエージも、すぐに自分で泳ぎ始めた。
エージは元から魚だから俺よりも泳ぐのは上手だ。
遅れまいと必死で泳ぐけど、いつの間にかエージが俺を引っ張るような格好になっている。
「エージ、先に行ってくれ。エージひとりの方が速い」
「いやだ!オレは大石と行くの!」
「でも、」
「ダメだったらダメッ!」
エージを先に逃がそうかと考えたけど、どうやらそれは諦めるしかないようだ。
泳ぎながら後を振り返ると、追ってきている姿は見えない。
もうだいぶ引き離せたんだろうか。
「ね、大丈夫っしょ?オレ達の方が速いよ」
「そうみたいだな」
「へへっ、おーいしと一緒に泳いでるんだから、誰にも負けないもんねー」
楽しそうに笑うエージと光の海を手を繋いで泳ぐ。
そういえばこんな夢を見たな。
あれが正夢になるなんて思いもしなかった。
俺が魚の姿になるなんて。
でも、それならやっぱり英二は。
「エージ。
『菊丸英二』 は人間になったエージなんだろ?」
「・・・そーだよ。もう、やっと気づいてくれた・・・」
からみつくエージの赤いヒレにきゅっと力が込められる。
「ごめんな。本当にそんなことがあるとは思わなかったんだ」
「んーん。いいよ。こうして会いに来てくれたしさ」
「なんとかここから脱出して、一緒に帰ろうな」
「・・・・・・」
「エージ?」
急に黙り込んだエージは、それまで休ませることなく動かしていたヒレを止める。
どうしたのかと思ったら、そのまま体をぶつけるように抱きついてきた。
「エージ、どうしたんだ」
「ゴメン!ごめんね、大石。せっかく迎えに来てくれたけど、オレ、オレは・・・」
「菊丸は帰れないんだ」
細い光の糸が四方八方から降り注ぐ。
それはまるで網の目のようになって俺達を捕らえた。
ゆらりと揺れた空間から現れたのは佐伯。
もうずいぶん遠く離れたと思った。
追いかけてきてる気配もなかったのに。
「逃げちゃだめだろ、菊丸。あ、大石くんはちゃんと帰してあげるから心配いらないよ」
「帰れないって・・・。どういうことだ」
「いろいろ事情があってね。ほら、菊丸、大石くんを離してあげないと、彼が地上へ帰れないよ」
光の網の中、俺にしがみつくようにしているエージを絶対に離すまいと抱きしめる。
ここで手を離したらきっともう、2度と会えない。
「やれやれ、困ったな・・・。菊丸、わかってると思うけど、もう時間が無いよ」
腕の中でエージの体が、大きく震えた。
時間・・・。最初にここに来た時にも言われた、時間。
「エージ、時間って、いったい・・・」
「菊丸。今なら急げば間に合う。不二に魔法を解いてもらうんだ」
「・・・もう、いいんだ。オレ、大石がここに来てくれただけで、すっごい嬉しかったから」
「エージ?」
しがみついていたエージの腕が緩む。
ゆっくりと顔を上げたエージが、じっと俺を見つめる。
「ごめんね、大石。オレ、消えちゃうんだ。でもさ、人間になって、大石といられて、すっごい幸せだったから、後悔はしてない」
「消えるって・・・!!なぜ・・・」
「ごめんね。好きだよ、おーいし。大好き」
底の見えない暗闇に突き落とされた気がした。
エージが消える。
いなくなる。
もう会えなくなる。
大きな瞳からポロポロと涙をこぼして、それでも幸せそうにエージは笑う。
・・・そんなこと、受け入れられるわけ、ないじゃないか!!!
「佐伯!エージが消えずに済む方法があるのか!?」
「ある。でも、それを実行するには菊丸の了解がいる」
「エージは俺が説得する!なんでもいいから、エージを助ける方法を教えてくれ!」
「大石、オレ・・・」
「好きだよ、エージ。だから消えたりしないでくれ。・・・そんなのは、耐えられないよ・・・」
驚いたように俺を見ているエージを引き寄せて、その唇にそっと口づけた。
好きだよ、エージ。俺の部屋の水槽にいた頃から、いや、たぶん初めてエージを見た時からずっと、俺はエージに恋をしていたんだ。
***
部活が終わって暗くなった道を足早に家に帰る。
部屋に灯りをつけて、真っ先に水槽に向かう。
「ただいま、エージ」
小さな白い体、手足には赤いヒレ。
俺の小さな恋人は水槽の中でクルクルとはしゃぐ。
「エージ、今日は満月だよ」
カーテンを開け放した夜空に、大きく浮かぶ金の月。
一緒に見上げていたエージは待ちきれない様子でクルリ、またクルリと回る。
エージが人間になる為に月の魔法を使ったこと、期限付きの条件があったこと、話は全て不二が説明してくれた。
条件はクリアできた。だけど、ほんの数秒だけ時間をオーバーしていた。
本当なら時間が来た時点でエージは消えてしまうはずだった。
それがこうして今でも元気でいるのは、俺がエージに好きだと告げた時がちょうど本来のタイムリミットにギリギリ引っかかったのと、佐伯がエージを魚の姿に戻していた為に月の魔力が持続したという幸運が重なった結果だ。
もし、俺が時間に間に合っていたら。
もっと早く英二の正体に気づいていたら。
決して考えなかったわけじゃないけど、こうして消えずにいてくれる、それだけで充分だ。
食事と風呂を済ませて部屋に戻る。
水槽の前に机を置いて、学校の予習と復習を終わらせる。
いつもはこの後、寝るまでの時間をエージと遊んだり話したりして過ごす。
でも今日は満月だ。
時計の針が12のところで重なる。窓から金の光がまっすぐに水槽に差し込む。
光を浴びたエージの姿がゆらゆらと揺らめいて、やがてはっきりと人間の姿に変わる。
英二の姿に。
時間内に半分だけ条件をクリアして、中途半端に成就した魔法は満月に威力を発揮する。
満月の夜、0時から月が消えるまでの間だけ有効な魔法。
「おーいし!」
水に濡れた素肌のまま飛びついてくる英二をタオルで包んでやりながら抱きとめる。
魚の姿のエージは綺麗でとても愛らしいけれど、こうして抱きしめることはできないから。
寄せる唇にキスを返して、瞳で笑い合う。
満月の夜だけは俺達を隔てるものは何も無い。
このまま朝まで抱き合っていよう。ずっと。
-end-
(05・07・23−05・10・30)