fish 2




「今夜は満月か」

窓のところに立った大石が空を見上げている。
大きく開け放たれたカーテンの向こう、夜空に浮かぶ金の月。

「ほら、エージ見てごらん。まん丸のお月様だよ」

水槽の傍へ腰を下ろした大石が、窓の外を指差す。

『キレイだね。オレ、月って初めて見たよ。おっきくて光るんだね』

ガラスに張り付いて月を眺めてたオレを大石が笑う。

「気に入ったみたいだな。それじゃ今日はカーテンを閉めないでおこうか」




夜半過ぎ、大石が眠ってしまった後もオレは泳ぎ回っていた。
灯りを落とした部屋の中、月の光が窓からまっすぐにオレのいる水槽に差し込んでいる。
淡く金色に輝く光の粒が、水の中でキラキラと舞う。月の欠片が水に溶け込んだみたいだ。
なんだか気持ちがいいし体も軽くて、オレは目を閉じたままゆらゆらと泳ぐ。
しばらくそうしていたら、今まで緩やかだった水が急に流れだした気がして、オレは目を開けた。
濃紺の夜空、金の道が月へと続く。そのまわりに散らばる星達。

え?なにこれ、どーなってんの?

見慣れた大石の部屋が一変している。
大石が寝てるはずのベッドも、オレがいるはずの水槽のガラスも見えない。
オレは月に向かって伸びる光の中を流されるようにして泳ぎながら、あたりを見回す。
後を振り返った時に大石の部屋の窓が見えた。
光の道の片方は月へ、その道を反対にたどると大石の部屋の窓へと続いている。

大石の部屋が変わったんじゃない、オレが水槽の外へ飛び出しちゃったんだ!

ヤバい、早く戻らないと帰れなくなる。
慌てて窓の方へ向かうけど、流れが逆だから引き戻されてしまう。
必死になって泳いでも、窓はだんだん遠くなっていく。
どうしよう。このまま流されたら大石に会えなくなる。そんなのイヤだ。
ヒレなんか千切れてもかまわない、とにかく泳がなくちゃ。
がむしゃらにヒレも体も動かして、小さくなっていく窓を睨みつけるように見つめながら、流れに抗って泳ぎ続けた。




・・・もう窓は見えなくなった。
疲れ果てた体はピクリとも動かない。
そしてあとは流されるまま、オレは月へと着いてしまった。
細く伸びている金の道。
あれをたどれば大石の所へ帰れるはず。
絶対諦めない。諦めるもんか。体力が復活したらもう1度泳いで、必ず帰るんだ。

「お客さんなんて珍しいな」

突然聞こえた声にびっくりして振り返るけど、誰もいない。

「誰?どこにいるの?」
「僕はここに住んでる不二。君の目の前にいるけど、形が無いから見ることはできないよ」

ここにいると言われてじっと目を凝らしてみるけど、見えるのはあたりを包む金の光だけ。

「全然わかんない。見えない人なんて初めて会ったよ」
「ふふふ。君も変わった姿をしてるね」
「人間になりたいって毎日思ってたらこんなふうになって・・・って、のんびり話してる場合じゃなかった!オレ、帰んなきゃ」

ちょっとだけ体力も戻ったし、ぐずぐずしてて月の道が消えちゃったりしたら大変だ。

「そうか、君は月の川を流されてきたんだね。帰るならもう1時間待ったほうがいい。流れが変わるから」
「流れが変わる?」
「逆流するんだ」




時間が経っても太陽が出るまでは月の川は消えないと聞いて、オレは1時間待つことにした。
待ってる間、不二が話を聞きたいって言ったから、いろんな話をたくさんした。
大石のこと、オレが大石を大好きだってこと、一緒にいたくて人間になりたいこと・・・。

「だいぶ人間に似てきたと思うんだけど、まだ水の中にしかいれないから、やっぱ魚なんだよね」
「もったいないな。今の姿がとても綺麗なのに」
「だってこのまんまじゃ大石と一日中一緒にはいられないもん」
「そんなに人間になりたいなら、僕がエージを人間にしてあげようか」
「ホント!?そんなことできんの?」
「できるよ。ただし完全に人間になるには条件をクリアしなくちゃいけない。それに失敗すると・・・」

そこで言葉を途切らせた不二がじっとオレを見てる気がした。

「どうなるの?」
「人間にはなれず、魚にも戻れない。エージは消えて無くなる」

消えて無くなると言われてもピンと来ない。だから恐いとも思わなかった。
そんなことより人間になれるってことでオレの頭はいっぱいだった。
人間になったら大石となにをしようかとか、どうやって過ごそうかとか、楽しい想像ばかりで胸が弾んでしまう。

「リスクは高い。それでも人間になりたいかい?」
「うん!なりたい!」

即答したオレを不二がまたじっと見てる気がした。
つかの間、ピリピリと緊張した空気が漂い、それがふっと和らいだ。

「そうだね・・・エージなら大丈夫かもしれない」

不二が教えてくれた完全に人間になる為の条件は、あんまり簡単すぎてちょっと拍子抜けした。
10日間でクリアしなきゃいけないって言われたけど、1日で充分じゃないかなぁ。
「本当にいいんだね?」 もう1度念を押してきた不二に、オレは自信満々で頷く。

「それじゃ始めるよ。次に目が覚めた時、エージは人間の姿になってるからね」
「ん。わかった」
「目を閉じて。ゆっくり深呼吸して」

不二に言われたとおりに目を瞑ってゆっくり深く息を吸う。
静かに呼吸することを意識してるうちに、体の周りの空気が重くまとわりつくような感じに変わった。
ひとつ息を吸うごとに体の中に金の光が満ちてくるのがわかる。
すぐに頭も体も光でいっぱいになる。
目を閉じているのに眩しくて、光の洪水に呑み込まれるようにオレは気を失った。