fish 8




英二を連れて帰宅し、風呂と夕飯を済ませて部屋に上がる。
窓のカーテンを開けた英二の頭上、ガラス越しの夜空に明るい月。

「キレイだね。こないだは満月だったよね」
「ああ、あの日も今日みたいに雲がなくて、月がはっきり見えたな」

エージと部屋で満月を眺めていたのは、わずか10日前のことだ。
あの時は黄金に輝く丸い月だったけれど、今日のは半円になった銀の月。
ガラスに張り付くように熱心に月を見上げる英二の姿はあの日のエージと重なって、かすかな不安が胸をよぎる。
・・・馬鹿なことを。なにも心配する必要なんか無い。大丈夫、英二が消えたりするわけないじゃないか。

ありえないとわかっていても、ふとした瞬間にエージと英二が重なる。
もともとエージは不思議な魚だった。
エージなら、もしかしたら、こんな風に人間の姿になって、俺の前に現れることがあっても。

「おーいし」

月を背にした英二が真摯な眼差しで俺を見つめる。
赤い髪。感情を映し出す大きな瞳。エージが人間だったら、きっとこんな姿で。

「オレね、大石のことが好きだよ。ずーっと好きだったんだよ」

エージと英二が重なる。
まっすぐな瞳で俺を見て、いつも小さな体いっぱいに俺を好きだとはしゃいでいたエージ。
俺だってエージが好きだよ。いっそのこと、魚になれればいいと本気で思ったくらいに。

「大石はオレのこと、好き?」

いつの間にかすぐ目の前まで来ていた英二に腕を取られて我に返る。
・・・何を考えてるんだ、俺は。

「もちろん好きだよ。英二が転校してきてくれて、会えて本当によかったと思ってるんだ」
「・・・うん。ありがと。・・・オレもね、大石と話せて、一緒に遊べて、ホントによかった」

笑っていつものように抱きついてくる英二の笑顔が、ほんの一瞬悲しげに見えて、俺はまた不安になる。
いったい俺の何が英二を悲しくさせるんだろう?

「なぁ、英二。日曜日の夜ことなんだけど、八つ当たりっていうのは嘘だろ?」
「・・・嘘じゃないよ」
「ずいぶん考えたけど、わからなかったんだ。ごめんな、鈍くて。だから教えてくれないか。ちゃんと知りたいんだ、英二がどうして怒ったのか、なぜ悲しいのか」
「・・・・・・」
「え?」

英二が小さな声でなにか言った気がしたけれど、聞き取ることができなかった。
聞き返しても返事は無い。ただしがみつくように抱きつく英二の腕に力がこもる。
なぜだか 『離れたくない』 って言ってるような気がして、俺も英二の背中に回した腕に力をこめる。
こんなふうに英二が抱きついてくるのはいつものことだ。
なのに、なぜか胸騒ぎがする。
今日の英二はいつもと様子が違う。

部屋の中で無言のまま抱き合う。
しばらくして英二の腕の力が緩んだ。
俺の肩に埋めていた顔をあげた英二は、いつものちょっといたずらな笑顔を浮かべている。

「こうやってると恋人同士みたいだよね」
「えっ?あ・・・いや、まぁ、・・・うん」
「おーいし、顔赤いよ?」
「それは・・・」

俺をからかっておかしそうに笑ってる英二には、さっきまでの悲壮感のかけらもない。
・・・俺の考えすぎなんだろうか。
そうならいい。何事も起こらず英二との幸せな時間をこのまま過ごしていいけるなら。

「あー、英二。いつまでも笑ってないで、そろそろ今日の分の勉強を・・・」
「ちょっと待った!あのさ、今日だけはそれ、ナシにしよ?ね、お願い」
「無しって・・・。こういうのは毎日やっとかないと、」
「わかってる!だから今日だけ特別で!だって、オレ、もっと大石と話してたいんだもん」
「話ならいつだって、いくらだってできるだろ?どうして今日だけ特別なんだ?」
「細かいことは気にしなくていーから!」

今日は勉強したくないーってウソ泣きまでしてみせる英二に苦笑する。
仕方ない、無理に始めたところで、これじゃ身にならないだろうし。

「今日だけだぞ?明日はちゃんとやるんだからな?」
「・・・うん!」

勢いよく飛びついてきた英二を抱きとめて、とりあえず床に座るよう促した。
いつものように隣へ座った英二は、俺と腕をからませたまま、もたれるように寄り添う。
学校での話や部活の話と取り留めのない会話を続け、いつしか俺達のちょうど正面にある水槽の、熱帯魚の話になっていた。
そうだ、英二にエージの話をしてみようか。
誰にも話したことの無い、不思議な魚エージの話。
英二は信じてくれるかな?

「英二、水槽の中に一匹だけ赤いのがいるだろ?」
「うん」
「あの赤い魚はエージっていうんだ。今は普通の魚だけど、・・・あれ?」

部屋の灯りがチカチカと点滅する。
それを何度か繰り返した後、部屋は暗闇に包まれた。

「電球はこないだ換えたばかりなんだけどな・・・。停電かな?」
「おーいし、外は電気ついてるよ」

窓を開けて外を見ていた英二が辺りの状況を報告する。
部屋の電球を確かめていた俺は、その声に英二の方を振り返って息を飲んだ。

夜空に浮かぶ月からまっすぐに差し込む光。
暗い部屋の中で、英二だけが浮遊する銀粉に包まれるように淡い光を放つ。

「えっ!?なに、これ!?嘘だ、だって、まだ時間あるじゃん!!」

呆然と立ち尽くしてた俺を英二の悲痛な叫びが呼び戻す。
光に包まれてパニックを起こしてる英二の側に駆け寄る。
何が起こってる?
これはなんなんだ!

「英二!!」
「おーいしぃ・・・。うー、ヤダよぅ・・・オレ、もっとここに、大石の側にいたい」

大きな瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。
なにが起こっているのかわからないまま、ただ不安に駆られて、英二を窓の側から離そう、月の光から隠そうと手を伸ばす。
だけど、光に阻まれるように英二に手が届かない。

「英二、英二!!」

なんとかして英二をこの光の中から助け出したい。
まるで壁のようになっている光を思いっきり拳で叩くけれどビクともしない。
英二がなにか言っているけれど、もう声も聞こえない。
光の壁に手をつくようにして、泣きながら俺を見つめる英二の姿が陽炎のように揺らめく。
そしてまるで掻き消えるように、英二はいなくなった。



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