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バイトが終わって帰る前に本屋に立ち寄ろうと駅に足を向ける。
小さな本屋だから品揃えはあまりいいとは言えないが、遅い時間まで開いているのが便利だ。
歩きながら今日の昼に店であったことを思い出す。
俺の名前を知っていた、高校生くらいの少年。
気になってあれから何度も考えたけれど、やっぱり心当たりが無い。
名前だけなら知っていても不思議はないかもしれない。
バイト先の制服にはネームプレートがついてるんだし。
でも彼は。
ひどく驚いた顔をして俺を見ていた。
そして俺が彼を知らないとわかった時の、傷ついたようなあの表情が。
道の途中、噴水がある広場を通りかかった時に視界に入ってきた、ポツンと座り込む人影。
肩を落とした頼りなげな様子が気になって、目を凝らして見ればあの少年だった。
思わず駆け寄って声をかけるとびっくりしたように顔を上げる。
「あ・・・。大石・・・さん」
今にも泣き出しそうな顔をしている彼の隣に腰掛ける。
そして落ち着かせるように出来るだけ穏やかに話かけた。
「言いにくいなら『さん』はつけなくていいよ。それよりも初めに名前を教えてくれないかな。なんて呼んだらいいかわからないから」
「・・・菊丸英二」
名前を聞いた時、泣き出すんじゃないかと思った。
でもそれを堪えるようにうつむいて小さな声で答えてくる。
名前を聞いても覚えがなかった。
そんなに記憶力が悪い方じゃないから、やっぱり俺は彼を知らないということになる。
でも、知り合いじゃないからといって、このままほっておくなんて出来ない。
「菊丸くんでいいかな?菊丸くんは俺のことを知ってるの?」
彼はうつむいたまま小さく頷く。
どうして知っているのか聞きたかったけど、彼の態度からそれは後にしたほうがいいと判断する。
とりあえずはひどく憔悴してる彼の事情を聞いたほうがよさそうだ。
「なんか困ってることがあるなら、俺でよければ相談にのるよ」
「・・・わかんないんだ。全部。なんでこんな・・・」
混乱している彼の、前後したり違うところへ飛んでいったりしてしまう話を、自分なりに頭の中で整理しながら聞いていく。
ひととおり聞き終えたときにはすでにだいぶ時間が経ってしまっていた。
「とりあえず、今日は俺のところに泊まっていくといいよ。それで、どうするかは明日起きてから考えよう」
「・・・オレの話信じるの?」
「確かに信じられないような話だね。でも、菊丸くんが嘘は言ってないっていうのはわかるから」
硬い石段から腰を上げて隣を振り返ると、うつむいたままの彼の肩が震えているのが目に映った。
心細かったのを必死に堪えていたんだろうと思うと自然に体が動く。
うつむいたままの姿を抱き込んで、泣いてる彼の髪をなでる。
「大丈夫、ちゃんと戻れるよ。それまでは俺がずっとそばにいるから」
*****
「へぇ・・・、ここが大石の家なんだ」
「大学に入ってから1人暮らしを始めたんだ」
「え?大石って大学生なの?」
「大学も来年で卒業だよ」
「年上かなー?って思ってたけど、4つも上なんだ・・・変なかんじ」
マンションの部屋に帰りつく頃には彼もだいぶ気分が落ち着いたようだった。
部屋の中を物珍しげにあちこち眺めたりしている。
「菊丸くん、お腹空いてるんじゃないか?」
「・・・グーグー言ってる」
お腹を押さえて照れたように笑う彼につられて笑みが浮かぶ。
そういえば初めて笑った顔を見た気がする。
まだ幼さがわずかに残る顔は笑うと可愛い。
料理が得意で手伝ってくれるという彼とキッチンに立って、材料になりそうなものを探してみる。
「えっと、ひとつ頼みがあるんだけど」
「なに?」
「菊丸くん、じゃなくて英二って呼んでくんない?」
「英二。これでいい?」
「うん」
照れたような顔とは違って、今度は満面の笑みを見せてくれる。
さっきの話でも思ったけれど、彼・・英二が元いたところの俺は、英二にとってとても大切な存在だったようだ。
名前や顔が一緒でも俺本人ではないけれど。
それでも、呼び方とかそういった些細なことで少しでも英二が安心できるのなら。
ありあわせの材料でどうにかパスタをこしらえて2人で食卓につく。
「食べ終わったら家に電話してみないか?もし家がちゃんとあったら、おうちの人は心配してると思うよ」
「・・・うん」
「俺がかけてみようか」
「いい。オレがかける」
決心したように顔をあげてきっぱり答える姿に好感を覚える。
突然の出来事に困惑したり泣いたりしたけど、きっと芯はしっかりしてるんだってことがわかる。
英二に電話機を渡すと、真剣な顔で受け取る。
クッションの上に正座して数回深呼吸している、その横に俺も座った。
ひとつひとつ間違えないように番号をダイヤルしていく様を見守る。
英二の耳に当てられた受話器からかすかに漏れ聞こえる呼び出し音。
1回、2回、・・・・5回、10回、20回。
「・・・誰も出ない」
「どこかへ出かけてるって事は?」
「うち、家族多いから誰かいると思う」
「使われておりませんってアナウンスは入らないから、番号自体は生きてるようだね」
複雑な表情で鳴り続ける呼び出し音を聞いている英二の手からそっと受話器を取り上げて電話を切った。
「明日の朝、もう一度かけてみよう」
頭を軽くポンポンと叩いてやると、うん、と素直にうなずく。
疲れてる英二にシャワーを浴びるよう勧めて、その間に着替えになりそうなものを用意する。
身長は10センチも変わらないから、俺の服でとりあえずは間に合う。
明日になったら英二が覚えてる番号に片っ端から電話をかけてみて、それでもだめなら直接行ってみればいい。
信じられない出来事でも実際に起こっているからには、なにか解決策があるはずだ。
幸い大学は夏休みだし、バイトは毎日入ってるわけでもない。
英二の手伝いをしてやれる時間はじゅうぶんにある。
必ず元のところへ帰してやろうと心に決めて食事の後片付けに取りかかった。
*****
*****
翌朝、こっちの大石に電話を借りて覚えてる限りの電話番号にかけた。
結果は全滅。
オレの家は相変わらず呼び出し音だけだし、大石や不二の家は違う人が出た。
現在使われておりませんってアナウンスも何度も聞いた。
それでも昨日よりもへこまなくて済んだのは、隣に大石がいてくれたからだ。
オレと同い年の大石も年上の大石も、側にいてくれるだけで大丈夫、なんとかなるって思わせてくれるところが似てる。
どっちも大石なんだから似てるって言うのはヘンかもしんないけど。
それにしても、こんなのってまるでテレビでやってた『世にも奇妙な物語』の世界みたいだ。
実をいうと、朝起きたら自分の部屋で寝てて、全部夢でしたーなんてのを期待してたんだけど、やっぱりこれは現実で。
これからどうなっちゃうのかなぁ?とか帰れるのかなぁ?とか不安はてんこ盛りだけど、大石がいるし。うん、がんばろう、オレ。
「英二、大丈夫か?疲れちゃったか?」
心配そうに聞いてくる大石にちょっと笑う。
こういう過保護で心配性なとこもおんなじだ。
「大丈夫だよ。いっぱい寝たから元気元気〜」
元気さをアピールするのにマッスルポーズを作って見せると大石が笑う。
「そりゃよかった。それじゃ昼食も兼ねて外へ出ないか?家はどうなってるか見に行こう」
「うん、そだね。そうしよ」
そうだ、このままじっとしててもなんにもわからない。
なにがどうなってるのか、この目でちゃんと確かめてやる。
心の中で気合を入れてオレは大石と外に出た。
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