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うちから電車で駅3つのところに俺の通う大学がある。
英二を連れて助教授と約束した時間に間に合うよう、昼には家を出た。
助教授が今日、学校に来るという情報は得ていたけれど、急に行って時間を取ってもらえるかわからない。
そう思って朝のうちに大学に電話を入れた。
英二の身に起こっている不可思議な現象の話を簡単にしたら、助教授の方から会いたいと申し出てくれた。
「やぁ、よく来たね」
ドアをノックすると長身に白衣をまとった人物に出迎えられた。年は30代前半くらい。この人が噂に名高い乾助教授だろう。
前もって英二から聞いていた特長のひとつである、度のきつそうなメガネが俺と英二の姿を捉える。
簡単な自己紹介を終えると室内に通されたが、その壮絶なありさまに一瞬足が立ち入ることを躊躇した。
窓にかけられている遮光カーテンは半分しかあけられておらず、薄暗い空間には積まれた本がなだれて散乱している。
資料なんだかゴミなんだか判別が付かない紙の山、壁のあちこちには得体の知れない落書き。
これじゃ何年も使っていない物置と間違われるんじゃないだろうか。
隣にいる英二が特に気にするでもなく室内に入るので、俺も足元に気をつけながら後に続く。
「大石、乾の出す飲み物には気をつけろよ」
小声で注意を促してきた英二の声が聞こえたのか、乾助教授のメガネがキラリと不穏な光を放つ。
適当に座るようにと案内された応接セットにも、得体の知れないメモのような小さな紙が山のように積まれている。
表面にうっすらと埃が乗ったその紙類をそっとテーブルに移動させて、どうにか座る場所を作った。
「それじゃさっそくだが話を聞こう」
向かい側に座った乾助教授が、パソコンになにやら入力しながら話を促す。
英二がこれまでのいきさつを説明し、こちらに来てからの分に関しては俺も補足をしながら、大体のところを話し終える。
「なるほど、実に興味深い」
満足そうにうなずく助教授は、英二と俺の話を恐るべき速さでパソコンに入力している。
それを見ていた英二が、複雑な表情を浮かべていたかと思うと、いきなりハイ!と手を上げた。
「えーっと。質問していい?・・・じゃなくて、いいですか?」
「ああ、かまわない。それと、無理して敬語を使う必要はないよ。慣れない言葉は話すのに気をとられて、肝心な内容が疎かになるからね」
話しにくそうだった英二がほっと息を吐く。
こちらでは大学の助教授でも、英二の世界では同級生で友人だ。
友人に対して敬語で話すというのは、違和感があっても無理の無い話だと思う。
「こういう話って、証拠とかないことが多いと思うんだけど、どうやってホントかウソか見分けるの?」
「その時々で違ってくるが、主に細部まで説明させるとわかる場合が多い。話が矛盾してきたり、言ってることが変化する場合は嘘である確率が高いな」
そっか、とちょっと安心した様子の英二は、もしかしたら助教授のもっているデータの信憑性を知りたかったのかもしれない。
話題が話題なだけに、それは俺も気になっていたところだ。
「えっと、オレももっと細かい話とかしたほうがいい?」
「真偽を確認する為なら必要ないが、データとしてはさらに詳しいところを聞いておきたい。実に貴重なサンプルだからね」
「んん?よくわかんないけど、オレの話は信じたってこと?」
「君とは初対面だが、俺が作る健康ドリンクのことを知っていた。それ以外にも君は俺の事をよく知っていそうだ。
そこにいる彼と同様に俺も君の世界にいたんだろう」
これには英二も俺もさすがに驚いた。
乾助教授が向こうの世界で、英二の同級生だった話はまだしていない。
2人分のびっくり顔を見た乾助教授は満足そうにメガネを指で押し上げる。
「些細に思えることに重要な事実が隠されている、ということは以外に多い。ゆえに、どんなデータでもないがしろにはできない、ということだ」
さすが、データ命の人間コンピューター、と英二が感嘆したようにこぼす。
「さて、それじゃもう少しデータ収集に付き合ってくれ。今度は俺が質問しよう」
「あ、待った!データ収集はいいけど、オレが帰れる手がかりになりそうなデータは持ってるの?」
「あるが、現時点では君のデータが足りない。不確定要素が多いとそれだけ確率が下がるよ」
「わかった、協力する。なんでも聞いて」
俄然やる気になった英二は、意欲的に乾助教授の質問に答えていった。
はたで聞いていると、そんなことが関係あるのか?と思わず疑問を感じる質問がかなり多い。
先程の助教授の説である、些細なことでも、といったあたりに起因するものなんだろうか。
およそ3時間近く経過し、さすがに英二がぐったりしてきたあたりで助教授の質問は終了した。
「ご苦労様。さて、今のデータを分析すると・・・君のパターンに1番近いものは1963年アメリカ・コロラド州の主婦、マリアン・バーソンのデータだな」
「・・・誰、それ?」
「君と同じように突然別世界へ迷い込んだ女性だ。彼女はスーパーで買い物をして、店を出た時には違う世界にいた。正確には1951年のスペイン」
「その女性は帰ってこれたんですか?」
「ああ。迷い込んでから1年6ヶ月後に、やはり突然戻ってきたそうだ」
思わず英二と顔を見合わせる。
「突然ってことは、偶然みたいに、ってこと?」
「その時は偶然だと考えられていたようだが、研究が進められていくうちに、いくつかきっかけと思える事柄が浮かび上がった」
「きっかけって?」
「彼女の場合だが、まず迷い込む前、つまりスーパーで買い物をしていた時だな。夕飯の食材を物色していて缶詰を手に取ったら、見たことのない言語で表記されていたそうだ。まずここが1番のポイント」
英二の顔に大きな?マークが浮かぶ。たぶん俺の顔にも浮かんでいるだろう。
だが質問を口にする前に助教授が右手をあげて制止する。
「彼女が偶然戻ってこれた日も、スーパーで買い物をしていたそうだ。戻ってきた時に手にしていた買い物袋には缶詰が数点入っていた」
「えーっと・・・。缶詰を買ったから帰ってこれたってこと?」
「それ以前にも缶詰を買ったことはあったそうだ」
「それなら缶詰の種類とか、そういう共通点でもあったんですか?」
「いや、もうひとつのポイント、時間だ」
「時間?」
「彼女が正確な時間を記憶していなかった為推測になるが、迷い込んだ日と戻った日、彼女は同じ時間に買い物をして、缶詰を手にしていた可能性が高い」
「時間と缶詰で、迷い込んだ日を知らずに再現していたから帰ってこれた・・・そういうことですか?」
「まだ証言データが不足しているから100%とは言えないが、その確率は高いよ」
「じゃ、オレの場合は?オレ、缶詰とか買ってないよ?」
「君の場合、缶詰にあたるものはカバンだ」
「カバン?なくなっちゃった?」
「持って入ったはずの自分のカバンが、いつの間にか他人のカバンになってしまっていた。君はこの時点でこちら側に迷い込んだんだ」
*****
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こっちの乾にお礼を言って、大学を後にした。
帰り際に新作の健康ドリンクをお土産に持たされそうになったけど、必死に辞退した。
乾のデータは信用してるけど、あの汁だけは信用できない。
乾からもらったアドバイスは、無くなったカバンと同じものを探すこと。
元もとのオレのカバンじゃなくても、同じカバンであれば店で買ってもいいんだって。
それを持って、大石がバイトしてるコーヒー屋へ同じ時間に入る。
それでオレは帰れる。
・・・乾は確率的には38%とか言ってたけど。これでも高いほうなんだって。
「この辺でカバンを売っているところっていうと、デパートとかだな。専門店っていうのはあまり見かけたことがないから」
大石と一緒に歩きながら、まずは駅周辺のデパートから回る計画を立てる。
大石の大学がある駅は人通りも多くてデパートやお店もたくさんある。
これだけ店があるんだから、オレのカバンだってすぐ見つかるよね。
「ところで英二のカバンってどんなのなんだ?」
「ディパックだよ。地が黒でオレンジのラインが入ってんの」
空中に指で絵を描いて、ここにこうラインが入ってて、ここにポケットがあって、と大石に説明する。
「そういうカバンなら探せばありそうだな」
「こっちで忍足が持ってたんだから絶対売ってるって!」
「本当はその忍足君に聞けば、どこで売ってるかわかるんだけどなぁ」
「オレ、忍足の家がどこかわかんない」
「それじゃやっぱり地道に探していくか」
歩いていて真っ先に目に入った駅ビルから攻略していくことに決めて、二人で中へ入る。
カバン売り場へ直行したけど、目当てのものは無し。
連絡通路を歩いて別のデパートへ。
そこのカバン売り場もハズレ。
いったん外へ出て、また別のデパートへ・・・と繰り返すこと6回。結果は全滅。
これは予想外だ。もっと簡単に見つかると思ってたのに。
「ここの駅付近にあるデパートはこれで全部回ったな・・・。あとは小さい店か。どこにあったかな・・・」
「思いつかないなら適当にその辺を歩いてみようよ。あれだけ店があるんだからカバン屋くらいありそうじゃん?」
それもそうだな、と笑った大石と一緒に、今度はショップが並ぶ通りを歩く。
ウインドウに1個でもカバンが飾ってあれば中に入っていって、店内をくまなく探したけどオレのカバンは見つからない。
駅からかなり離れた辺り、それこそ細い路地みたいなとこにまで入っていって店を探して回ったのに、結局見つけることが出来なかった。
大学を出た時はまだ明るかったのに、今ではすっかり夜になってる。
これだけ歩いて成果がないとだんだんと疲れがのしかかってくる。
重い足を動かして駅の辺りまで戻ると、あちこちの店がシャッターをおろして店じまいを始めていた。
「今日はここまでだな」
ひとつ、またひとつと明かりが消えていく街を見ながら大石もオレとおんなじ疲れた顔をしてた。
「すぐに見つかると思ったんだけどなぁ」
「明日、うちの近くの駅付近を探してみよう。ここほどじゃないけど、駅ビルもあるし規模は小さいけどデパートもあるから」
大石がなだめるようにオレの頭を軽くなでる。
これって向こうの大石もよくやるんだよな。もう、子供じゃないんだぞー!って思うけど、実はちょっと嬉しかったり。
「ありがと、大石。お礼に帰ったらまたマッサージしてあげんね」
「いや、それはいいから」
昨日のことを思い出したのか慌てて断る大石に、おかしくなって笑ってたら疲れも吹っ飛んだ。
そうだ、やっと手がかりができたのに、こんなとこで疲れてるわけにはいかない。
諦めなければきっとカバンは見つかる。ね、大石。
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