■■■海の底■■■
水槽で魚が跳ねた音がした。
灯りを落とした室内は水槽のライトで青く滲み海の底にいるような気分になる。
「眠い」
だるそうな英二の声が小さく耳に届く。
水槽から視線を転じれば目を擦る英二は夢の淵に一歩踏み出しかけている。
汗の乾いた髪は縺れて顔の半分を覆い隠す。
いつもなら邪魔臭そうに髪をかき上げるのにそんな体力すら残っていないようだ。
「もう寝るか?」
「・・・うん」
髪を梳いてやると甘えた仕草で俺の肩に顔を埋める。
毛布を引き上げて包むようにして抱き寄せれば熱さの余韻が残る体を寄せてきた。
すぐに聞こえてきた微かな寝息に胸の内を充たされて目を閉じる。
耳を澄ますとまた魚が跳ねた音がした。
さっきまで腕の中で魚のように跳ねていた英二もすでに夢の中だ。
安らかな寝息に誘われるようにして眠りに入る。
できることなら同じ夢を見たいと思った。
■■■夜の箱■■■
夜で出来た箱の中だ。
壁も床も天井も夜一色であるその中に英二が仰向けで横になっている。
なぜか丈の短い浴衣を着ている英二の膝が、夜の中に仄白く浮かび上がっていた。
大石は英二の傍らに片膝をつく。
ここは夜の中だから当然英二は眠っている。
寝息は聞こえないが微かに上下する胸が呼吸を刻む。
じっと顔を見れば伏せた瞼はくるりと弧を描いた睫に縁取られている。
口角の上がった唇はまるで笑っているようで、誘われるように大石は手を伸ばす。
なめらかな頬の線を指で辿り、そのまま首筋へと滑らせた。
指先に脈を感じる。
鎖骨の窪みに触れ、骨の形を指でなぞる。
もっと奥へ触れたかったが、きっちりと合わさった浴衣の襟が大石の指を拒む。
諦めて今度は袖から出ている手に指を這わせた。
緩く閉じた手に触れているとぴくりと微動した。
・・・手はあまり面白くない。
夜でなくても触れることができる。
大石の視線が英二の白い足に移った。
膝でにじり寄るようにして投げ出されている足に近寄る。
形のいい足を余すところ無く丹念に眺め、やがて見ているだけでは物足りなくなって、右足首を手に取った。
甲から爪先を手で撫でるとひんやりと冷たい。
両手で包むようにして英二の足を自分の頬に押し当てた。
そのまま甲に口付ける。
手を滑らせて膝までを撫で上げ、ふくらはぎを撫で下ろした。
肌は滑らかで肉は堅くしまっている。
愛おしむように右足を抱き、繰り返し撫で擦っているうちに冷たかった足は温かくなる。
充分に堪能した右足をそっと床へ降ろすと英二が僅かに睫を震わせたが、起きることはない。
夜の箱の中にいるうちは、好きなだけ、好きなように英二に触れることができる。
今度は左足首を取って顔を寄せ、匂いを嗅ぎ、舌を這わせた。
つ、と舌が動いた箇所が濡れていく様が艶めかしい。
踝から骨を舌で辿るようにして膝頭に行き、骨を溶かす程に執拗に舐めた。
英二の足は甘いような痺れるような、なんとも言えない快楽の味がする。
もっと深く味わいたいが膝の上にある裾が邪魔をした。
この奥に、さらに甘い蜜があるというのに。
両手で抱えていた左足を少しだけ高く持ち上げた。
するりと裾がすべり腿の手前で留まる。
膝頭を超えて裾が捲れたところまで舌を這わせた。
大石の背筋を喜びが走る。
膝裏に手を掛けてさらに高く掲げた。
白い腿は自ら発光しているかのようで、思わず奥を覗き込んだ。
だが裾の中にも夜が浸透していて、ただ黒々と闇が鎮座している。
もう少し、もう少しだけと、膝立ちで足を抱えあげた拍子に、大石の手が英二の浴衣の裾に触れた。
はらりと捲れて白い腿が顕になる。
一番鳥が鳴く。
しまったと思った時は既に遅く、白々と陽が昇り出す。
為す術も無く、夜の箱が朝の光に溶けて霧散するのを苦々しく見守った。
欲を出すのではなかった。
大石は深く深く溜息をついた。
■■■雲■■■
練習の合間の休憩、座った姿勢からパタンと後ろに倒れると、目の前に青い青い空が広がった。
夏の空ほどギラギラしてない太陽と、千切れかかった薄い綿みたいな雲。
汗かいて気持ち良くくたびれた体が、ふわぁっと空に吸い込まれて、ふわふわっと浮いて行くみたいで、とってもいい気分。
「英二、寝るなよ」
突然青い空ににゅっと生えた触覚付きの黒い頭、その下にくっついてる顔が笑う。
なんとなくその笑い方がふわふわしてる薄い雲に似てるなって思ったから。
「おーいしって雲みたい」
「クモ?・・・それはどういう意味なんだ?」
「にゃははは〜、内緒だよん」
よっ、と勢いをつけて起き上がる。
訝しげな顔で首を捻ってる大石にデコピン食らわせて笑えば、考えるのを諦めた大石がやれやれって笑った。
大石って雲みたいだ。
空にふわふわ浮いてて、見てるとなんか気持ちがほわーっとしてきて和んじゃう雲。
そっか、だから見掛けると背中に飛び乗りたくなっちゃうんだな。
ほら、曇ってさ、乗っかったら気持ち良さそうじゃん?
「あ、英二。休憩終わったぞ」
「おっしゃ、そんじゃもいっちょ、いきますか!」
大石の笑った顔がふわふわしてて気持ちいいなんてことはオレだけの秘密。
たとえ大石にだって教えてあげないんだもんね。
■■■決戦前夜■■■
眠れなくて電話をかけた。
「ごめん、おーいし。もう寝てた?」
「いや、まだ起きてるよ」
「んーじゃさ、ちょっとだけ、いい?」
「眠れないんだろ?いいよ」
「あ、もしかして、大石も?」
「やっぱり、やっとここまで来たな、って思うとな」
「そーだよね、俺達、ここを目指してずっとやってきたんだもんね」
「長かったような、あっという間だったような、不思議な感じだな」
「そだね・・・色々あったもんね」
「・・・英二にはたくさん大変な思いをさせたよな」
「それはお互い様なんじゃん?ほら、オレ達ダブルスなんだしさ、持ちつ持たれつ、ってやつだよん」
「はは、その台詞、最初に会った時の英二からは想像もつかないな」
「しょーがないじゃん、オレ、シングルス希望だったんだからさ」
「そうだよな。・・・今思うと、あの英二がよくダブルスやる気になったよなぁ」
「おーいしが誘ったんじゃん!ダブルスやんないの?とか言ってさ」
「あの時は、アクロバティックに飛び跳ねてる英二と、ダブルス組んだら面白いだろうな、って思ったんだよ。それに、あの頃の英二は攻撃力は高かったけど隙も多かったから、俺が組めたら、フォローしてあげられるのにな、って思ったんだ」
「1年大石、生意気ー」
「ほんとだな」
「・・・でもさ、生意気なチビ大石のおかげで黄金ペアが生まれたんだよね。だって、オレ、あん時誘われなかったら、たぶんずっとシングルスでレギュラー取り目指してただろうし」
「そうだな。そう考えると、あの時、英二をダブルスに誘ったのも運命だったのかな、って気がするな」
「オレ達の出会いは運命だったと、こういう臭いセリフを吐くわけだ、大石くんは」
「・・・本気でそう思ってるよ、俺は」
「う・・・今、絶対、真顔で言ったろ。・・・恥ずかしいヤツ」
「俺とダブルス組んでくれてありがとうな、英二」
「・・・だーかーら。・・・ちぇっ、オレだってありがとうって思ってるよーだ。大石のバーカ」
「ははは。・・・明日、頑張ろうな」
「おうよ!中学3年間の全部をぶつけちゃる!」
「それじゃ、明日のために、もう寝ないとな」
「・・・うん。・・・そんじゃ、オヤスミー!!」
プツッ、ツー、ツー、ツー・・・・・・
「・・・おやすみ、英二」
■■■つやつやリップ■■■
大石は部室で並んで着替えている菊丸に、ふと目を留めた。
「英二」
「んー、なに?」
「ほら」
振り向いた菊丸に、大石はポケットティッシュを差し出す。
「へ?なに?ティッシュ?」
「ちゃんと口拭いとけよ」
「は?クチ?」
「揚げ物かなんか食べただろ?口がベタベタしてるよ」
一瞬きょとんとした菊丸だったが、すぐになんのことかわかって眉を吊り上げた。
「お・お・い・し〜!!」
「え?」
「これはリップ塗ってんの!ベタベタじゃなくて、ツヤツヤしてんの!!」
「リップって、リップクリームのことか?」
「そう!ったくもぅ・・・、なんだよ揚げ物って・・・」
「ごめん、まさか英二がリップクリームつけてるなんて思わなかったから」
「冬になって唇が荒れてきたからつけろって、ねーちゃんがくれたんだよ」
それに、と続けて、菊丸が大石の耳元で囁く。
「おーいしだってガサガサの口にちゅーするよりいいだろ?」
「なっ!なに言って・・・!」
思わず大声を出してしまった大石が、慌てて周りを見回す。
何事かと振り返った数人の部員に、なんでもないからと笑ってごまかす大石を見て、隣の菊丸が大笑いした。
■■■今日はバレンタイン■■■
「大石ー、オレにチョコは?」
「え?チョコ?あれ、なんか約束してたっけ?」
「ひどーい、大石。愛が足りなーい」
「なにがどうしてチョコと愛が結びつくんだ・・・」
「今日はバレンタインなのにぃ・・・しくしく」
「・・・あのなぁ。それを言うなら、英二だってオレにチョコくれてないじゃないか」
「だって、オレ、チョコ好きなんだもん。あげるより貰いたいじゃん?」
「・・・そういう理屈を通すのか」
「えー、だって大石はあんまチョコ好きじゃないじゃん。だから大石がオレにチョコくれた方がいいんだって」
「言ってることは滅茶苦茶だけど、なんだか妙に説得力があるな・・・」
「ね?オレにチョコちょーだい?」
「・・・わかった。そこのコンビニのでいいなら買ってあげるよ」
「マジ?やりぃー!!大石大好きーっ!」
「その代わり、英二も俺にチョコレートくれること。いいか?」
「へ?なんで?大石、甘いの嫌いじゃん」
「こういうのは別。気持ちの問題だから」
「ふっふーん、なるほどなるほど。つまり英二くんのチョコが欲しい、と」
「当然」
「にゃっはっはっは。いいよーん、そんじゃオレの愛がいーっぱい詰まったチロルチョコを買ってあげよう!あ、大石はオレに生チョコの詰め合わせ買ってね」
「・・・それはずいぶん差が大きくないか?」
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