想い
吹きすさぶ風が、ほんのわずかに春の匂いを運んでくる。
まだ、もう少し。
まだ、早い。
わずかに覚醒した意識で大石は考える。
いつもながらこのタイミングが難しい。
でもここで間違えるわけにはいかない。
遠くでかすかに春告鳥の声がした。
まだだ。
焦ってはいけない。
大石は小さくゆっくりと呼吸をする。
まるでまだ眠っていると装うように。
だけど期待に高鳴る胸がわずかに大石のつぼみをほころばせる。
もうすぐ、また英二に会えると思うだけで。
英二はとても綺麗な赤い花だ。
初めてその姿を目にしたときの感動を大石は今でもはっきりと覚えている。
真っ赤な薄い花弁をふわふわと風になびかせて。
咲けたことが嬉しくてたまらない様子できらきらと輝いていた英二。
だから思わず声をかけた。
英二は驚いたように上を見上げて、そして鮮やかに笑った。
ああ、だめだ。
こんなに浮かれてしまっては花が開いてしまう。
大石はひとつ、深く呼吸して舞い上がる気持ちを宥める。
早く咲きすぎてはいけない。
英二より先に散ってはいけない。
5年前の春、庭の持ち主が大石の足元にいくつかの種をまいた。
そして咲いたのが英二だ。
長く同じ場所で咲き続けることに膿んだ大石には、この世界に生を受けたことを小さな体いっぱいで喜ぶ英二が
眩しかった。
共に過ごした日々が忘れられず、その翌年、大石は逸る気持ちのまま、まだ冷たい風に花をほころばせた。
結果、英二と過ごせたのはたった2日。
そのうえ大石が散る姿を見て泣き出した英二は、まだ開いて間もない赤い花びらを2枚も落としてしまった。
あの時のことを思い出すと、大石の胸は今でもキリキリと痛む。
もうあんな失敗はしないと心の奥深くに誓って、注意深く空気を探る。
切りつけるように鋭かった風が、だんだんとゆるくなっている。
もう少し。
あと少しだ。
待つ時間は長くはない。英二のことを想えば。
静かに目を閉じている大石の口元に淡く笑みが浮かぶ。
薄い英二の花弁は、開くまでの間、柔らかな緑の殻に守られている。
その殻の中に無理矢理赤い花を詰め込んでいる英二の、寝起き姿はクシャクシャでとても愛嬌がある。
もちろん、お洒落な英二はそのままになんてしておかない。
朝日の中でそれはそれは丁寧におめかしをする。
だから大石はそれを木の上から見守って、もういいかな、終わったかな、と思う頃に声をかける。
まるで寝起きの顔なんて見ていないよ、というように。
春告鳥がすぐ傍の木に止まって一声鳴いた。
もうそろそろだろう。
花開く準備をしよう。
大石は頭をまっすぐに上げてピンと背筋を伸ばす。
ゆっくり大きく呼吸をすれば花弁が少しずつほどけていく。
今年の英二はどんな話をしてくれるだろう。
毎年生まれ変わる一年草の英二は、その前の季節のことを何も覚えていられない。
まっさらな英二は当然大石のことも知らない。
それでも大石は寂しいとは思わない。
花が終わる前に必ず翌年の約束をしてくれる英二は、1度も約束を違えたことはない。
春になれば大石の真下にその赤い花を咲かせている。
溜めていた力を少しずつ抜いて花弁が開くままにまかせて、大石は閉じていた瞼を開く。
足元には目覚めたばかりの可愛い姿の英二。
よかった。今年も最後まで一緒にいられる。
早春の風を心地よく受けながら、大石は英二の支度が終わるのを待つ。
最初はいつものように声をかけて、それから。
「あれ?ねぇねぇ、そこのおっきな白のお花さん!」
「・・・えっ!?」
「あのさ、前に会ったことないかなぁ?オレ、その白い花がとっても好きだって覚えてるんだけど」
不思議そうに上を見上げている英二に、大石が破顔した。
春告鳥がその声を高らかに響かせる。
春が始まる。
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(06・01・02)