1度きりの恋 / 番外編・跡部




息抜きをしに庭に出た。
仏蘭西行きの準備はほぼ終わっている。
段取りさえつけてしまえば、後の細かい部分は有能な部下たちが勝手にやる。
観光で何度か行ったが、芸術の都、花の巴里などと称されるだけあって、街角でもどこからか耳に心地よい楽器の音色が聞こえてくる美しい街だ。
各国から貴族たちが集う社交界は日本とは比べ物にならないくらい華やかさがある。
・・・綺麗な街を見せたかった。
着飾らせて向こうの社交界にもデビューさせるつもりだった。
だが、奴はもういない。

何が足りなかったのか。
昨夜からずっと考えていたが答えはわからなかった。
俺にあって大石に無いものならいくらでも思いつく。
地位、名誉、財産、人脈、才能、数え上げればキリがない。
それに引き換え大石にあって俺に無いものなどありはしない。
だが菊丸は大石を選んだ。

庭を散策していると番犬にしている犬が2匹駆け寄って来た。
菊丸がポチとクロと呼んで可愛がっていた犬だ。
訓練士にいくら調教してもらっても人懐こい性格が抜けず、番犬には向かない。
ただ菊丸のいい遊び相手になっていたから、他の犬とは入れ替えず屋敷にそのまま置くことにしていた。
その2匹が俺と屋敷の方を交互に見遣り、何か探しているような素振りをしている。
「菊丸を探してるのか?あいつならもういねぇよ、出て行っちまったからな」
そう言ってやると理解したのか、悲しげに鳴く。
「仕方ねぇよな、全部捨てても後悔しないくらい惚れちまったんだとよ」
芝生に腰を下ろし、鼻面を寄せてくる犬を撫でてやる。
家の者がきちんと手入れをしているせいで、動物特有の匂いは薄く、2匹からは陽の匂いがした。
そういえばいつだったか、庭で遊んでいたという菊丸を抱き寄せた時にこんな匂いがした。
陽の光、芝生の緑、そんな匂いだ。
今思えば、そんな自然の匂いの方が普段つけさせていたコロンよりも似合っていたのかもしれない。

「明日は仏蘭西やって言うのに、こんなところで遊んでてええんか?」
大阪訛りの声がした。
顔だけ振り向けば手に包みを下げた忍足が立っている。
「土産持ってきたで、明石焼き。この店のな、めっちゃ旨いねん」
「フン、財閥の御曹司のくせに、相変わらず庶民の食い物食ってやがるのか」
「旨いもんに庶民も金持ちもないやろ?旨いもんは旨いんや」
許しを得るでもなく勝手に俺の隣に腰を下ろした忍足は、土産だと言っておきながら自分で包みを開けた。
「ほんまは出来たてが最高なんやけど、ここのは冷めても旨いし。ほら、食べて」
箱の中には丸い卵焼きのようなものが並んでいる。
ひとつ摘まんで行儀よく座っていた犬の口に放りこんでやった。
「ちょ、ちょう待てや、跡部!」
咀嚼し終えた犬が一声ワン!と鳴く。
「旨いってよ。良かったな、忍足」
「・・・ホンマ信じられへんことするわ、この人」
ぶつぶつ言いながらも俺がもう1匹の犬にくれてやるのを諦めたように見ている。
「で?わざわざ土産まで持ってなんの用だ?」
「別に用ってほどのことやないけど。仏蘭西行く前に顔出しとこか思て」
「暇な奴だ」
鼻で笑ってやるが気にしたふうもない。
箱に入った明石焼きを1つ摘まんだ。
前にも思ったが、さっぱりした上品な卵焼きといった感じで悪くない。
うちで抱えているシェフが作る料理とはまた別の次元の旨さだ。
・・・シェフの料理と卵焼き、か。
「なぁ、この明石焼きとうちのシェフが作る料理、お前だったらどっちを食いたいと思う?」
「どっちか、っていう話なら跡部んとこのシェフを取るわ」
「だよな」
「でも時々は明石焼きが食いたなるやろな」
「一生どっちかしか食えないとしたら?」
そう聞くと忍足は何か言いたげな眼差しで俺を見て、明石焼き、と答えた。
「跡部んちのシェフが最高なんは知ってるけど、一生明石焼きやお好みが食えへんかったら辛いわ」
「最高に腕のいいシェフが贅沢な食材をふんだんに使った料理を出してもか?」
「俺にとって大阪の庶民の味ゆうんはどうにも捨てられへんもんや。これは金でどうにかできるもんとちゃうんよ」
「フン」
金でどうにかできること、できないこと。
金で手に入るもの、入らないもの。
そんなことくらい俺だって知ってる。
金をかけて、心をかけて、それでも手に入らないものだってある。
「ああ、でもシェフやのうて跡部が毎回手料理作ってくれるんやったら、明石焼きは諦めるわ」
「あー?誰が作るか、バーカ」
くだらないことを言った仕返しに箱ごと明石焼きを犬にくれてやる。
「うわ、全部?そりゃないで」
泣き事を言っている忍足を無視して立ちあがり、体に付いた芝を軽く払って屋敷に足を向けた。
「あんな、俺も来月仏蘭西行くねん。日本食が恋しなったらお好み作ったるで。愛情たっぷり入ったやつ」
背に投げかけられた声に振り向かず、そのままもう一度、バーカ、と言ってやった。





→end

(09・05・17)