1度きりの恋 2
家に招待状の届く夜会には全て行った。
初めは彼が高級娼夫だということに衝撃を受けたが、時間が経つにつれどうでもよくなった。
彼が何者でもいい、ただ一目その姿を見たい。
寝ても覚めても彼の姿が頭から離れない。
乾にそのことを話すと複雑そうな顔でそれは恋情だと言われた。
毎夜出歩いても彼に会えた日はほとんどなかった。
跡部伯爵も事業が忙しいらしく、自身で夜会を開くことも、他の夜会に顔を出すこともそうそうない。
残念ながら今日の夜会もハズレだ。
「夜会嫌いの大石子爵が連日夜会に日参していると評判になっているよ」
乾が笑う。
「俺のことが?」
「お目当ては誰だろうってさ」
「・・・よほど暇なんだな」
「真面目で好青年、由緒正しい家柄とくれば、年頃の娘を持つ親としては結婚相手に申し分がない」
乾の言い分を聞き、そういえば最近特定の家からの招待状が多かったことを思い出す。
どこかの夜会の席では主催者の夫人に娘を紹介されたこともあった。
なるほど、そういうことだったのかと納得する。
「・・・諦める確率は・・・28%ってところかな」
乾が溜め息をついた。
諦めるもなにもない、俺は彼に会いたいだけだ。
どうこうしようとか、まして自分のものにしようなんて少しも考えてない。
何度か夜会に出たことで、高級娼夫が裕福な華族たちのステイタスであることを知った。
美しい娼夫たちは夜会の華だ。
1人だけではなく、数人の娼夫を抱えている華族もいると聞く。
今日開かれている幸村公爵の夜会にも、黒髪で端正な顔が人形みたいに美しい高級娼夫がいた。
「どうしても彼に会いたいなら方法がなくもない」
呟くように言った乾に振り返る。
「え?」
「明日の手塚伯爵の夜会に来るといい。跡部伯爵も来るから」
「招待状をもらってないぞ?」
「心配ないよ。手塚とは旧知の仲だ」
中指で眼鏡を押し上げる乾を見る。
跡部の囲う高級娼夫に思いを寄せている俺を応援をしてくれるとは思えない。
それなのに会わせてくれるという乾の真意を知りたかったが、逆光になった眼鏡の奥の瞳は見えなかった。
**
真昼にサロンで行われる茶会は、夜会とは違って穏やかでゆったりした時間だ。
過剰な装飾も騒々しさもなく、ガラス越しに差し込む自然の陽光の中でみな思い思いに寛いでいる。
忙しい跡部は仕事に疲れるとこうして友人たちと共に過ごす。
ここに出入りできるのは跡部が本当に気に入ってる者ばかりだ。
「菊丸」
跡部がピアノの側で手招きをした。
BGM代わりに何か弾けというつもりだろう。
オレはまっすぐピアノに向かう。
芸術に造詣の深い跡部にとってはピアノもヴァイオリンも教養のひとつらしい。
オレも跡部の家に来てから数人の教師をつけられて、毎日うんざりするほど練習させられた。
その甲斐あって今では客の前で弾くことを許される程度には上達した。
椅子を引き、鍵盤を前にして座ると、もう1人見かけない男が呼ばれてきた。
ヴァイオリンを手に緊張した面持ちでオレの横に立つ。
「こいつは大石子爵だ。ヴァイオリンの名手だと乾が勧めるから連れて来た。俺様の耳に適うようならサロンに出入りさせてやる。菊丸、ヴァイオリンとピアノで協奏曲をやれ。曲は大石に選ばせろ」
大石子爵がオレにぎこちない会釈をするのに笑顔で返した。
「曲は何がいいですか?」
「そ、それじゃ、タイスの瞑想曲を」
「わかりました」
ピアノが前奏を弾き始めるとすぐにヴァイオリンが澄んだ音を奏でだした。
どうにか楽器を弾きこなせる程度のオレには音の良し悪しなんてわからない。
でもこのヴァイオリンは好きだと思った。
雨が降った後の澄んだ空気、汚れや埃を綺麗に洗い流された町に吹く風を胸いっぱいに吸い込んだような、そんな清々しさ。
オレがピアノを弾くのでなければ、目を閉じてうっとりと聞き入っていたいくらいだ。
静かな余韻を残して曲が終わる。
感嘆のような溜息があちこちから聞こえ、それがやがて拍手になった。
「合格だ、大石。お前はいつでもこのサロンに、自由に出入りしていい。俺は多忙だからそういつもいる訳じゃねぇが、ここに来る奴はみんな勝手に過ごす。乾も時々顔を出すしな」
「ありがとう」
跡部が差し出した手を大石子爵が握り返す。
芸術にうるさい跡部が認めたということは、かなりの名手なんだろう。
あの、と大石子爵が遠慮がちにオレに声をかける。
「君も、ありがとう。ピアノ、上手なんだね」
ありがとう、という言葉に驚き思わずオレは大石子爵を見上げた。
華族たちは使用人や、まして娼夫に礼を言ったりなんかしない。
じっと見つめてしまったことで大石子爵が困惑しているのがわかって、オレは取り繕うように笑顔を浮かべた。
「ヴァイオリンも素敵でした。また聞かせてくださいね」
「俺の演奏でよければいくらでも」
そう言ってはにかんだように笑う大石子爵はヴァイオリンだけでなく人柄もいいようだ。
そしてオレはふと、もしかしたらこの人は、オレが跡部に囲われている高級娼夫であるということを知らないのかもしれない、と思い当たった。
真面目そうな大石子爵はあまり夜会に出たりしなさそうだ。
それならオレのことをどこかの華族の人間だと思ってても不思議はない。
ふいに小さな悲しみが胸を襲う。
今はこんなふうに対等の人間としてオレに接してくれる大石子爵も、やがてオレの正体を知れば他の華族たちと同じになるんだろう。
どれだけ努力をしてもオレが人として扱われることはない。
高級娼夫は金持ちが自慢できる美しい芸術品で、愛玩用のペットでしかないのだから。
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