1度きりの恋 3
夜会に出るのは控え、昼間に跡部のサロンへ出入りするようになった。
幸い、俺のヴァイオリンは評判が良く、行けば歓迎される。
彼はいつもサロンにいるという訳ではなかったが、それでも夜会に行くよりは会える回数が増えた。
他の客にせがまれればピアノで俺と競演もしてくれる。
その時にわずかだが言葉を交わすことができた。
「君の好きな作曲家は?」
「モーツアルトを」
「それじゃ今度練習してくるよ」
「楽しみにしています」
彼は完璧な美しい笑顔を浮かべて会釈するとそのまま他の客の元へと去っていく。
綺麗な笑み、優雅な仕草、そつのない会話。
彼は誰と居てもそれを崩さない。
何度か会ううちに、それは彼が纏う鎧なのだとわかった。
生まれながらに裕福な者ばかりが集うサロンや夜会で、娼夫である彼が身を守る為の鎧。
それは華やかで凛々しく美しいが、悲しくもあった。
跡部のサロンを退去し自宅へ戻ると、うちに長年努めている年嵩の使用人が笑みを浮かべて迎え出た。
「お帰りなさいませ、秀一郎様。奥様がお待ちですよ」
「母さんが?」
「良いお話ですって」
急かされるように背を押されて居間へと連れて行かれる。
内心でまたかと溜息をこぼした。
部屋に入ると嬉しそうな笑みを満面に浮かべた母が手招きをする。
案の定、母の前には所狭しと広げられた写真たちが並ぶ。
「・・・ただいま戻りました」
「お帰りなさい、秀一郎さん。ほら、貴方もこちらでご覧になって。素敵なお嬢さんばかりで目移りしてしまうわ」
「・・・母さん、何度も言うようですが、俺はまだ結婚する気は、」
「あら、このお嬢さんとても美人よ。ドイツに留学していてヴァイオリンとピアノが得意なのですって」
抗議をさらりと受け流して母が写真を押し付けてくる。
仕方なく写真に目を落とすと、清楚で優しげな女性が微笑んでいた。
「こちらの方は可愛らしい感じだわ。秀一郎さんはこういう方がお好きかしら」
新たに渡された写真には、美人とは言えないが愛嬌のある女性が慎ましやかに微笑んでいた。
次々に母に渡される写真に付き合いながら、俺の頭にはつい先程まで同じ場所にいた彼のことが浮かんでいた。
写真の中で微笑む女性たちは、みなそれなりに美しかったがそれだけだ。
生きる為に日々戦っている彼の、凛とした美しさに適う人などこの写真の中にはいない。
「母さん、悪いけど、今回も全て断ってください」
「・・・またなの?少しでもいいと思った人はいなくて?」
「残念ながら」
そう言うと母は大袈裟なくらい肩を落として溜息をついた。
「困ったわね。これではお嫁さんを迎えられないわ。秀一郎さんは理想が高すぎるのじゃないかしら」
恨みがましい母の視線に苦笑いを返して居間を出る。
写真の女性たちの顔はもうすでに忘れかけていた。
**
まだサロンに残っている客たちに挨拶をして自室に下がった。
跡部がいない時はサロンに出なくてもいいことになっている。
それでも最近自然と足が向いてしまうのは大石子爵のことが気になっているからだ。
初めて会った時からあの人はオレに対する態度を変えない。
こないだ夜会でも会ったから、もうオレが高級娼婦であることは知ったはずだ。
夜会に出てくる金持ちたちは、決まって暇を持て余し噂話ばかりしている連中だ。
聞こうと思えば生い立ちから趣味、誰と付き合って誰に振られたと事細かに教えてくれる。
『君の好きな作曲家は?』
あの人の声が耳に蘇る。
夜会でオレを口説こうとする金持ちの馴れ馴れしい声とは違う、どこか遠慮してるような声。
『それじゃ今度練習してくるよ』
本当にオレの為に練習してくる気なんだろうか。
あの人の言葉が、この世界では当たり前になっている社交辞令とはどうしても思えなかった。
なぜなんだろう、どうしてオレに声をかけてくるんだろう。
まさか、とか、もしかしたら、と思うたびに、そんなことがあるはずないと打ち消す。
人柄の良さそうなあの人のことだ、きっと誰に対しても優しいんだろう。
鏡に映った自分の姿を見据える。
絹のシャツ、高価なピアス、指輪、ブローチ。
髪は外国製の薔薇の香油で艶やかに撫でつけられ、使用人たちに肌や爪の先まで磨かれている姿。
全て跡部に与えられたものだ。
金で囲われる高級娼夫、それがオレの姿。
オレに純粋な好意を抱く人なんていない。
寄ってくるのは高級娼夫を口説き落として自慢したい奴らだけだ。
オレは大きく深呼吸して気持ちを引き締める。
甘い夢を見て泣くのはもうたくさんだった。
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