1度きりの恋 4
テーブルの上に溢れんばかりに積み上げられた大小の箱を見遣る。
手前にあったビロード張りの小さな箱を手に取って開けた。
一揃いになった大粒のサファイアを摘み上げ、窓から差す陽に翳す。
色も透明度も申し分ない。
石を取り寄せるのに3月かかったが待った甲斐はあった。
菊丸の瞳と同じ色だ。
頷くとテーブルの脇で控えていた業者が深々と頭を下げる。
「跡部伯爵にはいつもご贔屓にしていただき感謝しております」
「お前のところの品は確かだからな。さすが代々続く老舗だけはある」
「ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべて業者が再び頭を下げる。
執事に目で合図をすると、業者を連れて部屋を出て行き、代わりに3人の使用人が入ってきた。
「運んでおけ」
「かしこまりました」
使用人たちがテーブルの上に積まれた箱を手際よく運び出す。
それを目で追いながら、そろそろもう1つ衣裳部屋を用意した方がいいかもしれないと考えた。
菊丸の部屋へ向かう。
運び込まれた品で部屋の中はまだ片付けきらず、使用人が忙しそうに動いている。
菊丸は窓際の椅子に腰掛けたままそれを眺めていた。
クロゼットにしまわれようとしていた淡い光沢のある絹のシャツを取り、菊丸の側へ歩み寄る。
俺の意図を察した菊丸が椅子から立ち上がる、その胸元にシャツを当てた。
「まあまあ、ってところだな」
そう言ってやると菊丸は口元だけで微笑んだ。
手にしていたシャツを使用人に返し、テーブルに置かれた小箱を取る。
中に入っていたサファイアのピアスを取り出し、菊丸の耳に付けた。
顎に手をかけ上向かせる。
瞳と同じ色のピアスは赤い髪にも映えた。
「思ったとおりだ。よく似合ってるぜ」
特注で作らせたピアスをつけた菊丸は、期待を裏切らない見栄えで俺を満足させる。
どれだけ着飾らせ高価な宝石を身に纏わせても菊丸自身がそれに負けることはない。
菊丸は無言で俺を見つめる。
そう、この瞳だ。
高価な宝石を凌駕する強い瞳。
初めて菊丸を見た時、目が気に入った。
娼夫でありながら媚びへつらうことのないプライドの高さ、意思の強さ、そんなものが透けて見える目だ。
今も黙ってされるがままになっているが、その瞳の強さは変わらない。
「今日の夜会にはこれを付けて出ろ。服は好きにしていい」
「わかりました」
菊丸が笑う。
けちのつけようが無い完璧な笑みだった。
**
夕べの夜会にも出たのに、翌日のサロンにも行くというのは少し気が引けたが、それよりも彼に会いたい欲求の方が上回った。
夜会では挨拶程度にしか言葉をかわすことができず、俺は彼を遠くから眺めているしかない。
でもサロンでなら、ほんの少しだけ彼との距離が近くなる気がした。
家で練習してきたモーツアルトを頭の中でおさらいしながら跡部邸へ足を踏み入れる。
「申し訳ありません、ただいまサロンの模様替えをしておりまして、それがまだ終わっておりません」
跡部家の執事が申し訳なさそうに頭を下げる。
仕方がないので出直そうとした俺は、執事に引き止められ、模様替えが終わるまで庭を散策することになった。
跡部邸は屋敷も大きいが庭も広い。
よく手入れされた庭を歩きながら、彼もこうして時々は散歩をしたりするんだろうかと考える。
様々な思いが浮かんでは消えしながらぼんやりと庭を歩いていると、突然叫び声が聞こえた。
何事かと辺りを見回せば、大型の洋犬が2匹、誰かに襲い掛かっているのが見えて咄嗟に走った。
**
跡部が番犬として飼っている中でポチとクロだけは人懐こかった。
オレが庭に出て行くと物凄い勢いで走り寄ってくる。
サロンの模様替えをしていると聞いて、少し息抜きをしようと庭に出たら、まるでオレが出て行くのを知ってたみたいに2匹が飛び掛ってきた。
2匹とも体が大きいから、走ってきた勢いのまま飛びつかれるとオレは吹っ飛ばされてしまう。
「こら!ポチ!クロ!」
倒されて庭の芝生に寝転がったところに2匹が圧し掛かってくる。
そのまま嫌というほど顔を嘗め回された。
「ダメだって、こら、うあっ!・・・もう」
どうにか体を起こし、クロの首を抱いて体を撫でてやる。
ポチが自分も撫でろとオレの服に噛み付いて引っ張った。
「わーかったって。ほら、ポチもいい子いい子。あーあ、芝生だらけになっちゃったじゃん。これじゃ1回お風呂に入らないとサロンに出らんないぞ」
髪も服も芝生と泥で汚れ、顔はポチとクロの涎まみれ、こんな姿を跡部に見られたらさぞ呆れ返るだろう。
でも、その跡部は朝早くにまた仕事で出かけて行った。
「今日は1日お前たちと遊んじゃおっかな」
ワン!と2匹が元気よく吼える。
「そだね、そうしよ。いっつも気取った顔ばっかりしてると顔が凝っちゃうし」
クロの顔をむにむにと揉み解してやるとポチがまた圧し掛かってきた。
あっという間にまた芝生の上に転がされ、ポチところころ転げまわる。
そうして遊んでいたらクロが一点を見据えて唸りだした。
ポチもオレを庇うように前に出て同じ方向に吠え立てている。
どうしたのかと思って見れば、そこにはなぜか大石子爵が立っていた。
「・・・大丈夫だよ、ポチ、クロ」
警戒している2匹に声をかけ、頭を撫でてやる。
吼えるのを止めた犬たちに安心したのか、大石子爵がこちらへ歩いてきた。
「ごめん、遊んでるところを邪魔しちゃったな。あんまり大きな犬だったから襲われてるみたいに見えたんだ」
まだ警戒を解いていない犬たちの側でしゃがみこんで大石子爵が笑った。
「いえ、こちらこそ驚かせてしまってごめんなさい」
「ずいぶん大きな洋犬だね。でも利口そうだ。名前はなんていうの?」
「ポチとクロと呼んでます。本当は伯爵がつけたもっと長い名前があるんですが憶えられなくて」
「ポチとクロか。こっちがクロかな?黒犬だし」
大石子爵がクロの目をじっと見て、こんにちは、と声をかけた。
害意がないことがわかったのか、クロの尻尾がぱたぱたと揺れる。
「サロンに来られたんですね。もうすぐ模様替えも終わると思いますから、そろそろ中に入って・・・」
言いかけてオレは目を瞠る。
敵じゃなければ遊び仲間だと思っているのか、ポチが勢いをつけて大石子爵に飛び掛った。
「わっ!」
「こら、ポチ!」
押し倒した大石子爵に圧し掛かって顔を舐めだしたポチを止めようと手を伸ばしたが、遊びの再開とばかりにクロがオレにじゃれついてくる。
「待てって、クロ!こら、ポチも、お客さんなんだからダメだって!うわ、」
クロもポチも大はしゃぎで手が付けられない。
清潔そうなきちんとした身なりをしていた大石子爵も、あっという間にオレと同じようにボロボロにされてしまった。
どうにか犬たちを止めて、揉みくちゃにされた大石子爵を救出する。
「すみませんでした。今、使用人を呼びますから」
「いいんだ、気にしないで。俺も子供の頃犬を飼ってて、よくこうして遊んでた」
大石子爵が笑う。
いつもの、どこか遠慮したような笑顔ではなく、まるで子供みたいな顔だ。
「とはいえ、さすがにこれでサロンに出るのはまずいな」
「着替えと湯を用意させます」
「いや、今日は帰るよ。もう充分楽しんだから。・・・明日、君はサロンに来る?その、モーツアルトを練習してきたんだけど」
「では明日、サロンでお待ちしています」
そう言うと大石子爵が照れたように微笑んだ。
この人には邪気も穢れもない。
オレはどうしたらいいかわからなくなって曖昧に微笑み返した。
→5