1度きりの恋 6
翌日のサロンはいつもより人が多かった。
久しぶりに顔を出した跡部はあっというまに友人たちに捕まり、オレは特に呼ばれることもなかったのでピアノの前に座って思いつくまま曲を弾いていた。
数曲弾いた頃、サロンに大石子爵が来た。
走ってきたのか微かに息を切らし、サロンを見回す。
そしてすぐにピアノの傍にやってきた。
「こんにちは」
大石子爵の会話はいつも挨拶から始まる。
オレもこんにちはと返して、ケースからヴァイオリンを取り出す大石子爵を見ていた。
「今日は何を弾いてくださるんですか?」
「なんでも、君の好きな曲を」
「それじゃソナタの40番は?」
そう言うと大石子爵が笑って頷いた。
モーツアルトのソナタ、ピアノとヴァイオリンの協奏曲。
伸びやかなヴァイオリンの音色にピアノがテンポ良く絡む。
こうしていると賑やかなサロンの話し声は耳に入らなくなる。
聞こえるのはオレのピアノと大石子爵のヴァイオリンだけ。
まるでこの場に2人きりしかいないみたいだ。
音は絡まり、溶け合い、また離れて互いに追いかけあう。
楽しくて、弾きながら笑みが湧き上がる。
そっと横に立つ大石子爵を窺うと、オレと同じで楽しそうに笑っていた。
**
悪友共に囲まれて過ごすサロンにピアノ曲が流れた。
BGMになりそうな曲をちゃんと選んで演奏するところはなかなか気が利いてる。
サロンに入ってからしばらく菊丸の様子を見ていたが、特に親しい奴がいるわけでもなさそうだった。
思い過ごしなのか、たまたま今日は来ていないだけなのか。
「それで、その美術商ってのがどうにも胡散臭い奴でさ、」
「もしかして、モネの絵を持って来たんじゃないですか?」
「そうなんだよ、って、なんで知ってるんだ?」
友人たちは最近華族の屋敷を回っている美術商の話で盛り上がっている。
先月俺のところへも来たが、あれはニセモノを掴ませようとする詐欺だ。
「バーカ、あれは贋作だ。買ったんじゃねぇだろうな?」
「買ってねぇよ!・・・危なかったけど」
母親が趣味に合わないと反対したとかで難を逃れたそいつをみんなしてからかう。
そんな馬鹿話に興じているとふいに耳に協奏曲が飛び込んできた。
目の覚めるような鮮やかな音に目を向けると、菊丸と大石が演奏しているのが見えた。
菊丸には有名な音楽家を家庭教師につけて徹底的にしごかせたし、大石はヴァイオリンの腕を買ってサロンに出入りを許した男だ。
その2人が競演すれば素晴らしいものになるのは当然の結果だ。
実際、俺の耳は心地よい音楽に満足している。
だが、だからこそ気づいた。
・・・まさか、大石だったとはな。
真面目を絵に描いたような男が好みだとは予想外だが、あの様子だと菊丸の片思いでもなさそうだ。
演奏をしている2人は音と同様、時折視線を絡ませ微笑み合い、そこだけ別空間を作っている。
「やっぱりあの2人の演奏はいいよな。なんていうか、息がぴったり合ってるんだよ」
隣に座っていた友人の呟きにふと見れば、サロン中の人間が演奏に聞き入っていた。
「いつもああやって弾いてるのか?」
「うん?・・・そうだなぁ、いつもって訳でもないな」
「ずいぶん親しげだな」
「そうか?演奏してる時以外はあまり一緒にいるところを見ないけど」
演奏が終わり、拍手喝采が起こる。
俺も手を叩きながら大石を見据えた。
周りの人間は誰も気づいていないようだが、俺の目は誤魔化せない。
**
彼がサロンに出てこなくなり3日経った。
思いきって執事に聞いてみたら、跡部伯爵と一緒に別荘へ行っているということだった。
1週間の予定と言っていたから、あと4日は我慢が必要らしい。
最近は毎日会えていたから、たった3日でも会えないと辛かった。
とはいえ、まさか別荘に押しかけるわけにもいかず、仕方なく俺は会える日を指折り数えて待った。
そして1週間目、待ちに待ったその日、俺は朝から落ち着かず、部屋でヴァイオリンを練習して指を慣らしたり、意味もなく庭に出たりで時間をやり過ごし、ようやくいつもの時間になって家を出た。
知らず早足になるのを押さえながら跡部邸に向かう。
広い屋敷の中をサロンまで案内されるのすらもどかしく、急く気持ちを抑えるのに苦労する。
サロンに入り、中を見回すが彼の姿は無い。
そのうち来てくれるだろうと窓際のソファに座って、やっと気持ちも落ち着いた。
サロンの他の客と話しながらも入り口のドアに何度も目を向ける。
1時間経ち、3時間経ち、5時間が経った。
ひとり、ふたりと客が帰り始め、粘ったものの彼の顔を見ることは叶わず最後の客と一緒に部屋を出た。
別荘から帰ったばかりで疲れて休んでいるのかもしれない。
きっと明日は会えるだろう。
そう思い、また足繁く跡部邸に通ったが、5日経っても彼は現れなかった。
→7