1度きりの恋 7
跡部の別荘はすぐ隣に牧場があり馬がいた。
オレは乗馬を教わり、どうにか並足で駆けることができるまでになった。
馬に乗って近くの湖まで行きピクニックをしたり、一緒に連れて行ったポチとクロと遊んだりして、別荘での一週間はあっという間に過ぎた。
別荘から戻った夜、明日からはまた仕事で家を空けるという跡部に呼ばれた。
「これからは俺のいない時はサロンへの出入り禁止だ。わかったな」
「・・・なぜですか?」
突然の禁止宣言に驚いたオレは思わず理由を聞いた。
「自分の胸に聞いてみるんだな」
そう言われても心当たりなんて無い。
サロンに来ている跡部の友人たちになにか不快な思いでもさせたろうか、それとも知らないうちに粗相でもしただろうかと考えていると、跡部が
「わからないか」 と言って憐れむように笑った。
夕べの話はそれで終わってしまったから、結局オレは理由がわからないままだ。
それでも跡部の命令ならオレは従うしかない。
最近は毎日のようにサロンに出ていたのに、急に出るなと言われてオレは戸惑う。
以前はあまりサロンも好きじゃなくて気が向かないと出なかったけれど、その時どうやって過ごしていたのかは思い出せなかった。
行動を制限されてるわけじゃないから、サロンにさえ出なければ今までどおり屋敷の中や庭も自由に行き来することはできる。
だけど、なんだか部屋を出る気もしなかった。
仕方なく手近にあったレコードを取り出して針を下ろす。
軽快なモーツアルトが流れる中、長椅子に横たわって目を閉じた。
ピアノ曲なのにヴァイオリンの音色が聞こえた気がして目を瞠る。
レコードから流れる曲を注意深く聴いたが、やっぱりピアノの音だけだ。
針を少し戻して聴き直したけどピアノの音しかしない。
なぜヴァイオリンが、と考えて、最後にサロンに出た日のことを思い出した。
さっき聞こえた気がしたヴァイオリンは、この曲を好きだと言ったオレの為に大石子爵がヴァイオリン・パートを自分で作って弾いてくれた、あのメロディだった。
そうか、サロンに出られないということは、もう大石子爵のヴァイオリンが聞けないんだ。
脳裏にピンと背筋の伸ばしてヴァイオリンを弾く大石子爵の姿が浮かぶ。
話す声や、笑顔までもヴァイオリンの音色と共に思い出したら胸が痛くなった。
もう、会えないんだろうか。
今までみたいに笑いながら話したり、一緒に過ごすこともできなくなるんだろうか。
時が経って、跡部の許しが出たらサロンへは行けるようになるかもしれない。
でもその時に大石子爵はまだサロンに来ているとは限らない。
来ていたとしても、もう前みたいにオレに話しかけてはくれないかもしれない。
胸の痛みは悲しい想像しか生み出さず、オレは小さく溜息をついた。
**
跡部伯爵のサロンに向かおうと家を出ると門の所に乾が立っていた。
「やぁ、久しぶり」
そう言って眼鏡を押し上げると乾は俺に向かって歩いてきた。
「こんな所でなにやってるんだ、乾。用があるなら入ってくればいいのに」
「今ちょうど来たところなんだ。歩きながらでかまわないから少し話そうか」
乾に促され一緒に歩き出す。
「今日も跡部のサロンか?」
「そうだよ」
答えると乾の足が止まった。
「乾?」
「諦める確率は77%だったんだ。大石はあのサロンで自分に望みは無いと知るはずだった」
「・・・それで俺を跡部伯爵に紹介したのか」
「大石は頑固だからな、周りが何を言っても現実を見るまでは納得しない」
乾の言うことは当たっている。
そして俺は現実を、いや、真実を見た。
彼の本当の姿を。
「これは友人としての忠告なんだが・・・、もう止めにしないか。お前がどうあがいても、跡部がいる限り菊丸は手に入らない」
「俺は、」
言いかけて口を閉じた。
以前の俺なら彼を手に入れようなんてことは考えなかった。
ただその姿を、彼の笑う顔を、たった一時でも見られればそれでいいと思っていた。
でも今は違う。
彼の声をずっと聞いていたい、ずっと俺の傍で笑っていてほしい。
彼が、欲しい。
「残酷なことを言うようだが、大石に跡部と張り合えるだけの財力は無い。高級娼夫の菊丸を手に入れるというのは、そういうことなんだよ」
俺の心の声が聞こえたように乾が言う。
高級娼夫、夜会の宝石、華族たちの財力のステータス。
確かに、俺の家には高級娼夫を囲うような財力は無い。
だけど俺は。
「ごめん、乾。もう行くよ」
立ち止まったままの乾を置いて俺は歩みを進める。
諦めるなんてことができるくらいなら、会えないのがわかっているのにこうして跡部邸に通ったりなんてしない。
俺は彼に出会ってしまった。
もう止まることなんてできるはずもなかった。
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