月の体温




ゆっくりと小さくなっていく後姿を公園の入り口でじっと見守る。
後ろ髪を引かれるように英二が何度も振り返る。
そんな顔をしないで欲しい。
引き止めたくなるから。


『30日の朝から家族で出掛けることになっちゃったんだ』
『行きたくないってずいぶんゴネたけどダメだったんだ』

28日の夜から30日の俺の誕生日まで英二が泊まりに来る約束だった。
部活後、泊まりの準備をしに1度家に帰った英二がうちに来たのは、もう22時を回った頃だった。
玄関先で迎えた英二は家族とケンカになったのかふくれっつらで、そして泣きだしそうだった。

29日の夜までしかいられないとぐずる英二に、それで充分だと慰めた。
長期の旅行に出るわけでもなし、またすぐに会えるじゃないかと。
毎年一緒だった俺の誕生日を別々に過ごさなければならないのは残念だけど、それでも前日までは一緒なんだから、と。

あの時はまさかこんなに離れがたくなるとは思っていなかった。
一分一秒でも長く英二といたくて、家の近くまで送ってきてしまう程。

夜の気配を濃くした公園の入り口に佇んだままの俺を春の夜風がゆるりと取り囲む。
いつまでもこうしてここに立っているわけにもいかない。英二の姿もすでに見えなくなった。
俺も家に帰ろうと重い足を踏み出した時、さらさらと鳴っていた葉桜が、突然吹いた強風にザァーッと音を立てて大きく枝を揺らした。
頬をなでる強い風。冷えた夜の。

俺の頬に触れた英二の指。

昨夜の記憶が唐突に蘇る。
記憶と共に息が止まりそうな程の熱が体中を狂おしく駆け巡った。
堅く目を閉じてやり過ごそうとした俺の、うわべだけの理性をあざ笑うかのように風が舞う。

激しく打ち鳴らす桜の枝。嵐のような風。
見上げれば、葉の隙間から覗く淡い白い月。

暗闇に浮かぶ朧な輪郭。
白かった英二の体。
冷えた指とはうらはらに熱を宿した体。

手にはまだ英二の肌の感触が残っている。
しっとりと汗をはらむ髪や肌の匂いを覚えている。
なのに意識して思い出そうとしたとたん、記憶は曖昧で切れぎれなものへと変わっていく。
全てをこの目に、体に、心に、なにひとつ忘れないように刻み付けたいと思ったのに。

耳元で唸る風に英二の声が混じる。
熱く、かすれる声。
何度も俺の名前を呼ぶ、英二の。


欲しいと願ってはいけないと思った。
焼け尽きそうなほどに焦がれていても。
決して求めてはいけないのだと思っていた。
・・・英二も同じ飢えを抱いていると知るまでは。

『欲しいなら欲しいって言えよ』
『そう思ってんのはオレだけじゃないだろ?』

挑発的な言葉、きつい眼差し。
強気な態度を震える唇だけが裏切る。
堪らずに抱きしめた。
英二が望んでくれるなら他に恐いものなど無い。何も。

許された俺の中の濁った熱が英二を焼き尽くす。
肌をうねらせて、涙を流しながらも、英二は俺の熱を受け容れた。
俺の背にすがりついた英二に、ただ想いは深まるばかりで。

夢なんかじゃない。俺は確かに英二を。
英二を抱いたんだ。


激しく渦巻いていた風が止む。
頭上の桜がまたさらさらと柔らかい音を立てた。
薄雲が切れて白い月の光が差し込む。

今更ながら身の内をひたひたと歓喜が湧き上がってくる。
震えるほどの喜びを噛み締めて、ひとつ息をついた。
止まっていた足を動かす。
早く帰ろう。
そうしないと英二のところへ飛んで行ってしまいそうだ。
今の俺には翼があるから。




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