海に咲く夢 2部 14




東国の城で生活するようになって4日目。
兵士に混じって城の警備をしたり、訓練をするだけの日々に英二はしびれを切らしていた。
仁王や南に言わせると、まだたったの4日しか経っていない、のだが、英二にとっては、もう4日も経っているのだ。
その間も大石を助ける為の行動を何か起こしているならともかく、ただ上官である例の顔色の悪い男に言われるまま仕事をこなしているだけである。

顔色の悪い、頬のこけた男は名前を知念と言い、英二が怪しいと常々感じている片眼鏡の男といつもなにやらこそこそ話している。
一度さり気なく片眼鏡の男のことを知念に聞いてみたが、知らなくていいことだと一蹴された。
兵士でもなく傭兵でもなく、かといって只者ではない。
城の兵士があの2人に接する態度からみても、ここでかなりの権限を持っていることが窺い知れる。
大石を攫った連中の仲間かもしれないといくら英二が訴えても、仁王はまともに取り合ってくれない。
それどころか南にまで神経質になり過ぎてるんじゃないかと言われてしまった。

得体のしれない2人組みのことも気になるが、大石のことも心配だった。
どんな扱いを受けているかわからないから早く助けたいのに時間ばかりが過ぎていく。
せめて様子を探るだけでもと東塔へ行こうとしたが、仁王にきつく止められた。
ままならないことばかり多すぎて、英二はかなりストレスを溜め込んでいた。

「ね、仁王、」
「あー、だめじゃ」
「・・・まだなんも言ってないんだけど」
「毎日同じ事を言われとるからの」

今日の仕事は北塔の入り口の警備だった。
少し離れた所で兵士が警備をしている為、英二は仁王に近寄って小声で話す。

「だって、いつまでもこんな警備なんかやってたって、」
「我慢しんしゃい。物事にはタイミングちゅうもんがあるきに」
「だったら、そのタイミングがいつなのか教えてくれたっていいじゃん!」
「しーっ、でかい声出しなさんな」

仁王が目線で兵士を指す。
見れば兵士が訝しげにこちらを眺めていた。

「ほら、仕事は真面目にせんといかん。持ち場に戻りんしゃい」

仁王に追い払われて英二は渋々持ち場に戻った。
戻りながら、北塔の右手に見える東塔を見つめる。
あそこに大石がいる。
もう頑丈な城壁を超える必要も無く、同じ敷地内で、走ればたぶん5分もかからない塔の中に、大石がいる。
中には入れなくても、せめてあの東塔の下まででもいいから。

よし、決めた。
英二は心の中でこっそり決意する。
そろそろ我慢も限界に来ていた。



**



もうすぐ夜が明けようかという頃、ブン太は足音を忍ばせてそっと部屋を出た。
東の空の群青がほんの僅かだけ色を淡くしている。
寒さに上着の前を合わせると、懐の中で鳥が小さく鳴いた。
ブン太は足早に塔の裏手、城壁の近くへ回り込む。
辺りに人がいないのを用心深く確認してから、懐に忍ばせていた使い鳥を表に出した。
足の金具に手紙を取り付けた鳥の色は黒く染められている。
報告書を秘かに運ばせるには人目の無い夜に鳥を飛ばすしかなく、闇に紛らせるには闇色に染めるしかない。
ブン太としては本来の鮮やかな青の方が好きだったが、そんなことを言っている場合でもなかった。

「頼んだぞ」
鳥に小さく声をかけると返事をするかのようにチチチと鳴く。
押さえていた手を離し、鳥を夜空に放ってから、ブン太は部屋に戻ろうと塔の入り口へ歩き出した。
が、数歩でその足は凍りついたように動きを止めた。
人がいる。
ただし、相手も塔の裏から現れたブン太に驚いたようで、同じように固まっていた。
睨み合う事数秒、それが何十分にも感じられる。
心臓が早鐘を打ち、額に冷や汗が浮かんだ。
鳥を放す所を見られたか。どうする。始末するか?
ベルトの後に差し込んだ短剣に手をかけ、ブン太は一歩、足を進める。
慎重に間合いを計るようにさらに進めた一歩で相手の顔が判別できるまで近づいた。
逃げようかどうしようかと逡巡しているのが見て取れる、その顔に見覚えがある。
どこで見たのか考えようとして唐突に思い出した。
王子を助ける為に潜入しているうちの一人だ。
一気に緊張が解ける。
後手に握っていた剣の柄から手を放し、ブン太は詰めていた息を大きく吐いた。

「おまえ、新入りの傭兵だろぃ」
声をかけると相手の体が大きくビクリと跳ねた。
返事はなく、ただ大きな瞳が警戒を露にしている。
「こんなとこでなにやってんだ、とは聞かないでやる。それよりもさっさと帰った方がいいぜ?ここには恐ーい連中が山ほどいるんだ。・・・見つかったらおまえ、問答無用で消されるぜ?」
「・・・オレのこと、見逃してくれんの?」
「俺はもう眠ぃんだよ。面倒なことはお断り。わかったら早く行きな」

信じていいものかどうか迷っている様子に、ブン太は手振りでさっさと行けと促す。
複雑な表情で、それでもペコリと頭を下げると、そのまま一目散に駆けて行った。
ブン太と同じ赤毛の後姿が走り去り、やがてその姿が見えなくなる。
それを見送った後、もう1度視線を左右に巡らしてからブン太は部屋に戻った。



ブン太が塔の中に入ると同時に1人の男が、英二が去っていったのとは反対側の建物の影から姿を現わした。
東塔を見遣り、何か考え込むように口元に手を当て俯いた横顔を雲間から月が照らす。
顔を上げ踵を返して男が立ち去ると、月も雲に覆われて、辺りはまた闇に閉ざされた。



**



眠れぬ夜の幻聴だと言われればそうかもしれない。
でも、確かに聞こえた。英二の声が。
大石は壁に手をついて、まるでそうしていれば石の壁が透けて外が見えるかのように凝視している。
たった一言だったけれど、音の少ない深夜だからこそはっきりと聞いた。
あれは英二の声だ。

ブン太から、潜入した仲間は英二と仁王、そして西国の南と教えられていた。
だからすぐ傍まで来ていることは知っていた。
だが、話で聞くのと実際にその声を聞くのとでは大きく違う。

「英二」

声を聞けば顔が見たくなる。
顔を見れば触れたくなり、触れれば抱きしめたいと思うのだろう。

「英二」

会いたいという想いが大きな波のように大石の心を揺さぶる。
決を下さなければならない優先事項が山積みなこんな状況下、自分の心などは最下層へ追いやっていたはずが、こんなにもあっけなく溢れ出す。
何も与えられなければいくらでも耐えられる。
なのに、欠片でも手にするともっと多くを望んでしまう。

堰を切ったように渇望が沸き起こる。

「英二」

今の大石の中には国のことも、木手の要求も、仲間のことも、何ひとつなかった。
あるのはただ英二への想い、それだけだった。





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