海に咲く夢 2部 15
早朝、自主的に馬術の練習をこなした跡部は、自室に戻ってシャワーを浴びると朝食までの空いた時間を読書に充てて過ごしていた。
本を読むことは好きだが他を捨ててまで優先することでもなく、必然的に一日のうちの僅かな余暇にしか手にすることがない。
ページを捲るついでに片目でちらりと時計を見遣り、あと10分程度かと確認した時、窓ガラスをコツコツと叩く小さな音が聞こえた。
視線を上げると窓の外、テラスに置かれた椅子の背に青色の小鳥が止まっている。
跡部は本に栞を挟み机に置くと、窓辺に歩み寄って両開きの窓を大きく開いた。
差し伸べた手に止まった小鳥は、その細い足に自分の体より丈のある紙筒を付けている。
慣れた手つきで書簡を取り外し、すぐ傍に立つ従者に鳥を預けて机に戻った。
報告書に目を通し終えた跡部は、細かな字が書き連ねられたそれを机に放り、部屋の外で控えている兵士に忍足を呼ぶよう指示した。
柳が訪ねて来て話し合ったという大和からの報告書には、大石の処刑まであまり時間が無いという結論に至ったとある。
すぐにでも救出作戦を実施したいので、潜入している全員の現状を把握しておきたいというものだった。
急な呼び出しを受けた忍足は、さして急ぐでもない足取りでゆるりと廊下を進む。
跡部の元で主に諜報活動を任されている忍足は、無作為に伸ばしているような髪と丸眼鏡のせいで一見すると親しみやすそうな印象を人に抱かせた。
口を開けば直すつもりの無い出身国の訛りが蠱惑的な低音の声で紡がれて、話し相手は魅入られたようにどんなことでも喋り、忍足の意のままになる。
暇つぶしに男女見境なくたらして歩く不良貴族の忍足を、もっと有意義で面白い暇つぶしをさせてやると諜報役に抜擢したのは跡部であった。
ノックもせずにドアを開け、そのまま呼び出した相手の傍へ歩み寄る。
「なんや朝っぱらから。なんぞ急変でもしたん?」
「東国に潜入しているメンバー全員の名前と今日現在のポジションを出しておけ」
「・・・いよいよ、ってわけやな」
「作戦当日は東国の城に出入りしている商人の中にも手勢を潜り込ませるぞ。バックアップできる人間は多いほうがいいからな。手配しておけ」
「了解。やっと面白なってきたわ」
楽しげに笑う忍足が退出して部屋に静寂が戻る。
束の間思案するように腕を組んだ跡部は、部屋付きの小間使いに朝食を告げられ、従者と共に部屋を出た。
大石とその妹の救出に関してのシナリオはほぼ完成している。
例え予定外のことが起こったとしても、柳と大和がそれぞれについているなら心配はないだろう。
船で逃走を続けている大石の仲間達にも二艘の護衛をつけているし、なにか問題があったとの連絡もない。
この2件はもう手放しても大丈夫だ。あとは放っておいても勝手に転がる。
「やっと本題に入れるぜ」
うっすらと笑った唇から零れた言葉に隣を歩く従者が頷く。
救出班が行動を開始すると同時に、自分の計画も実行する。
一斉に多方向から攻撃を受けたら奴はどうするだろうか。
「奴の踊りをたっぷり楽しませてもらうとするか。もっとも楽しめるほど踊ってくれるか疑問だがな」
「ウス」
俺様の国をコケにしやがった借りは倍にして返してやる。
灯りをともした薄暗い廊下から朝日の差し込む食堂への扉が開かれる。
眩しいほどの光の中に立つ跡部は高揚する気分を抑えることなく笑った。
**
仁王は悄然と肩を落として寝台に座る英二を見下ろした。
隣に立つ南はさっきから同じ小言を繰り返し繰り返し言って聞かせている。
朝食後の休憩時間、他の傭兵が部屋に戻ってこないのをいいことに鍵までかけて英二は説教されていた。
南が懇々と敵地で勝手な行動を取る危険性を説いている傍らで、仁王はしてやられた気分に苦笑いする。
英二が東塔に行きたくてイラついていたのは知っていたし、行動を起こすのは夜中だろうとあたりもつけていた。
こういった事態は予想できたからこそ入り口に1番近い寝台を選び、英二が完全に寝るまでは自分も眠りにつかなかったというのに。
坊ちゃん育ちの王子様に裏をかかれるとは、俺もヤキが回ったかのう。
こっそり心の中だけで呟けば、切れ者の参謀が揶揄するように笑う顔が脳裏に浮かんだ。
実のところ、英二は仁王の裏をかいた訳ではない。
夜中に東塔へ行こうと計画していたものの、起きている仁王の気配に出て行けず、布団の中で眠った振りをしているうちに本当に寝てしまった。
たまたま夜明け前の薄暗い時間に目が覚めて、それをチャンスと抜け出しただけだったのだ。
東塔で人に会ってしまい、慌てて帰ってきた英二は、宿舎の入り口で英二を探しに行こうと血相を変えた仁王と南に鉢合わせた。
さすがに白々と明けてきた空に夜勤の兵士達の交代時間ということもあって、その場は部屋に戻されるだけで済んだが、当然それで終わりとはいかなかった。
「で?抜け出して東塔へ行ったんはわかったが、慌てて帰ってきよったんは?」
放っておけばいつまでも説教を続けそうな南の肩を叩き、仁王が1番肝心な部分を問いただす。
「・・・・・・えーっと・・・」
気まずげに視線を逸らした英二の態度で仁王にある予想が浮かぶ。
「誰かに会うたんじゃろ、それも東塔で」
「!!」
驚いたように目を瞠った英二に、仁王はやっぱりそうかと呟く。
「どんな奴じゃった?」
「・・・オレみたいな赤毛の、若い男の人」
「一発で当たりを引いたか。お前さん、くじ運が強いのぅ」
「へ?どういう意味?あの人、なんなの?」
「他の兵士から聞いた話では、東塔の番人は若い男が2人。片方は赤毛じゃ」
ええっという狼狽した声は隣にいる南から聞こえた。
「で、でも!オレのこと、見逃してくれたし!そんな悪い人には見えなかったよ!」
「いい人か悪い人かっていうんは問題じゃないき。要は敵か味方かちぅことなんよ」
「・・・いくらなんでもこれはまずいだろ。どうするんだ?」
あの人なら大丈夫だと力説する英二と、この世の終わりのようにどんよりと暗い顔をした南、双方を見遣って仁王はやれやれと肩をすくめた。
「どうするも何も、作戦実行まで日がないんじゃし、今更変更はできん。なるようになる」
「そんな悠長なことで大丈夫なのか・・・?」
「赤毛の番人がその気なら王子はここへ帰って来れんかったろうし、俺達もまとめて捕まえる気なら朝メシなんか食わせとかんよ。心配いらん」
「そうか、そうだよな!はぁ・・・よかった」
大袈裟な仕草でほっと胸を撫で下ろした南を横目で笑って、仁王は英二に視線を向けた。
口元に笑みを貼り付けたまま、英二にずいっと顔を寄せる。
「・・・今度勝手な真似をしたらお前さんのことは仲間じゃと思わんき、よう覚えときんしゃい」
気圧されて仰け反るように後ろに引いた英二がコクコクと何度も頷いた。
英二としても自分がどれだけ危険な状況にあったかはわかっているつもりだ。
相手が悪ければ今頃無事でこうしていることはなかったかもしれない。
その場は逃げおおせても顔を見られたからには、仁王や南諸共捕らわれていたのは明らかだ。
英二は腰掛けていた寝台から立ち上がり、改めて2人に謝った。
「ごめんなさい、もう1人で勝手に出掛けたりしません」
「そうそう。焦らんでもすぐ会えるきに。・・・たぶん今週中にな」
えっ、と聞き返した英二に仁王は、決まったら教えるとだけ笑って答えた。
具体的な予定が見えたことで英二の中のもやもやがすーっと晴れる。
もうすぐ会えるという言葉を何度も胸の中で反芻しながら、急に眩しく感じた朝日に目を細めた。
→16