海に咲く夢 2部 17
木手は自室のソファで来訪者が来るのを待っていた。
嘲笑と憤りが混ざり合った複雑な笑みが束の間唇に浮かんでは消える。
あの生意気な顔がどんな表情を見せるのかと考えれば楽しく、だがまた手の内から裏切り者が出たという事実は許しがたいことだった。
味方の顔をして潜む敵はいくら取り除いても後から後から湧いて出る。
わずらわしさにいっそのこと東塔に幽閉している王子を始末してしまおうかと何度も考えた。
だが、木手の主であるあの男がそれを望まない。
まったく、と木手は苦々しく息を吐いた。
野心と欲ばかり大きくてそのくせ無能な主は、身に過ぎたことばかり望んで無理難題を押し付ける。
望みどおりにしてやる為に、どれだけこちらが苦労しているか少しは知ってもらいたい。
木手は部屋に置いた金細工の時計に目を遣った。
約束の時間を少し回っている。
相変わらず時間を守ることを知らないようだと独りごちたところへノックの音がした。
立ち上がりドアを開けてやる。
「10分の遅刻です」
「あれ?そーでした?おっかしーなぁ、間に合うように出てきたんスけど」
遅れたことを詫びるでもない相手に、これ以上言っても無駄だと割り切って木手は赤也を部屋に入れた。
いつもなら許可も得ず勝手にソファを占領する赤也は、珍しく部屋の中央に立ったまま木手に向き直る。
「で、用ってなんすか?誰か殺りに行くとか?俺、今日朝メシ当番で早起きしてるんで、ちゃっちゃと終わらせて寝たいんすけど」
「灯台下暗し、という言葉を知っていますか」
「はぁ?灯台、元暮らし?アンタが昔、灯台に住んでたって話っすか?生い立ちなんか聞かされてもねぇ」
怪訝そうな顔をしている赤也を鼻で笑うと木手は話を続ける。
「灯台のすぐ下は光が届かず暗いという諺ですよ。つまり自分の身近な部分は案外わかりにくいという例えです」
「・・・へぇ〜。で?まさかこんな夜中に呼び出しといて、うんちく垂れて終わり、ってわけじゃないっしょ?」
「キミの赤毛の相棒は敵の密偵です」
「ブン太さんが!?」
「気がつかなかったようですね」
木手は驚愕を浮かべた赤也の表情に満足したように笑んだ。
「以前から不審な行動があったので調べさせました。深夜にこっそり塔の王子の所へ行っていたようです」
「それって夜這いだったりして」
驚きから早くも立ち直った赤也の軽口に木手は薄笑いで答えた。
「他にも使い鳥で外部と連絡を取り合ったりしているようですが。まさか田舎の両親に便りを送っていたとでも思いますか」
送り先の相手がどこにいても間違わずに書簡を届ける使い鳥は、貴重な種で当然のごとく高価だ。
とても一般庶民の間で扱えるものではないことくらい赤也も知っている。
「・・・信じられねぇっす。だって、あの人全然そんな風に見えなかったし。いっつも甘いもんばっか食ってて」
「見張らせていた者を呼んで証言させましょうか」
「いや、いいっす。降参。俺のミスだって認めるっス」
赤也が観念したように両手を挙げて項垂れる。
次にその手を下ろし顔を上げた時には、先程までのお調子者な様子は鳴りを潜めていた。
感情の消えた冷酷な瞳がまっすぐ木手に向けられる。
「ブン太さんの始末は俺がつけますよ。俺の責任ってことで」
「当然ですね。しくじって逃がしたりしたらその時は、」
「無いから」
木手の脅しを冷たく遮って赤也は背を向ける。
まっすぐドアへ進み、ノブに手をかけたまま背後で自分を見つめているだろう木手に声をかけた。
「ああ、そうだ、アンタに言おうと思って忘れてた」
「なんですか」
「知念ってアンタの仲間、アイツ、犬っすよ。飼い主は西国」
「なんだと?」
赤也は振り返りあざ笑うように唇を歪めた。
「トウダイモトクラシ、だっけ?」
「・・・まさか、知念が」
絶句する木手をそのままにして赤也は部屋をあとにした。
**
夜間の見回りを終えた知念は、北側の兵舎に与えられている自室へ戻った。
他の傭兵達とは違い、狭いながらも独立した部屋が今は1番心休まる場所だった。
ゆっくり風呂に浸かり、その後で果実酒を少し飲んで、そして布団に入る。
些細なことだが、この時間が一日のうちで最も幸せを感じた。
バスタブに湯が溜まるのを待ちながら、果実酒の瓶とグラスをテーブルに用意する。
湯の様子を見に行こうとバスルームに足を向けた時、寝室の方から小さな物音が聞こえた。
咄嗟に置いていた剣を掴み寝室へ続く扉を開ける。
暗い室内に人の気配は無い。
部屋の灯りをつけて改めて見回したが、何も変わった様子はなかった。
音がしたように感じたのは気のせいだったかと寝室を出た知念の視界が翳る。
ハッとして目を上げるといつの間に入り込んでいたのか、知念のすぐ目の前に1人の男が立っていた。
手にした剣は使われずに、音を立てて床へ落ちる。
それを追うように知念の体も床へ崩れ落ちた。
**
ブン太は暗い階段を手探りで上階へと進んでいた。
塔の階段には数箇所に灯り取りの為の窓がある。
暗い深夜なら塔の窓から漏れる微かな灯りでも人目につくかもしれない。
今までは深夜に王子の元へ行く時は小さなランプで足元を照らしながら歩いていたが、もはやそれすら危なくてできなかった。
気のせいなんかじゃない、確かに見張られている。
そう確信したのは今朝のことだ。
もう限界だった。
命の危険を感じたら迷わず逃げろと言われている。
早くから東国に潜んでいたのに、救出作戦実行の今になって戦線離脱するのは正直言って悔しい。
だが、命には代えられない。
塔を登りきって牢に続くドアの鍵を開ける。
足音が聞こえていたのか亡国の王子は壁を背にして座っていた。
「よぉ」
声をかけると細い月灯りに相手の口元の笑みが見えた。
最初は警戒して必要なこと以外はろくに口も聞かなかった王子だが、最近は打ち解けて少しづつだが話をしてくれるようになっていた。
それだけにいっそう未練が残る。
もう少し手助けをしてやりたかった、心からそう思う。
「いきなりで悪いけどさ、俺、逃げっから」
「なにかあったのか?」
「んー、どうやらバレたっぽくてな。マジやばそうだからさ」
「・・・そうか。それなら早いほうがいい」
「ああ、そうするつもり。つっても夜は城門が閉まってるから、朝になってからだけどな」
「色々と世話になったな。礼を言うよ」
「いいって。これは俺の仕事なんだしさ。あ、あとな、もう作戦が始まってっから、木手の野郎もきっと動き出す。・・・気をつけろよ」
「わかった」
「それからな、赤毛の王子も元気そうだったぜ。こないだ会った話はしたよな?」
「ああ。聞いたよ」
「えーっと、他になんかなかったっけな・・・」
「もういいよ。ありがとう。あまり長居しない方がいい」
「・・・そうだな。そんじゃ、元気でな。機会があったらまた会おうぜぃ」
「気をつけて」
牢の中、鎖で繋がれた王子に気遣われて、ブン太は苦笑しながら手を振る。
東国の城に留まるのは危険でも、他でならまだできることはあるかもしれない。
ここを脱出したら掛け合ってみよう、そう考えながら暗い階段をまた手探りで降りた。
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