海に咲く夢 2部 18
朝食にゆっくり時間を取りすぎたせいで規定の時間を僅かに遅れてしまい、怒られるのを覚悟して慌てて兵舎の広間へ駆け込んだ英二は、ざわざわと落ち着かない室内にあれ?と首を傾げた。
傭兵達は手持ち無沙汰であちこちに固まってなにやら話し込み、兵士は困惑顔で広間を出入りしいている。
何かあったのだろうかと辺りを見回し、傭兵達と話をしていた南を見つけて英二もそこへ入っていく。
「ね、どーしたの?なんかあった?」
「もう時間を過ぎてるってのに上官様がお出でになられねーんだよ」
「部屋で寝込んでるんじゃねぇか?なんか病弱そうな顔してたしな」
傭兵が軽口を叩いて笑い、南がそういうことらしいと頷く。
そういえば、と英二も改めて室内を見回す。
いつもは1番にここへ来ていて、傭兵や兵士が集まってくるのを待っているはずの知念がいない。
北宿舎は午前と午後に知念が兵隊達の采配を振っているから、知念がいないとみんなどこでなんの仕事をすればいいかわからない。
「こりゃ、今日は休暇ってことでいいんじゃねぇか?」
「そうだな、ちっとばかり早いが、酒場でも行って飲んだくれるか」
輪の中の傭兵達が勝手に盛り上がり、英二と南がどうしようかと顔を見合わせたところで、入り口からパンパンと手を打つ音が聞こえた。
室内のざわめきがピタリと収まり、全員がいっせいに入り口に目を向ける。
「遅くなりましてすみません。さぁ、みなさん、集まってください。今日の仕事を割り当てますよ」
割り当て表を手に入り口に立っていたのは大和、そして片眼鏡の男。
片眼鏡の男が大和に一言二言囁き、それに大和が頷くと片眼鏡の男は兵舎を出て行く。
「え?大和?」
英二の頭に?マークが大きく浮かぶ。
大和が城へ入り込んでいたのは知っていたが、どうして知念ではなく大和が北兵舎にいるのか理解できない。
「ほら、ボーっとしとらんで行くぜよ」
いつの間にか傍に立っていた仁王に背を押されて英二も大和の元へと進んだ。
大和から割り当てられた警備の場所へ移動しながら、英二は隣を歩く仁王の腕を引いた。
「なんであそこに大和がいたの?知念は?」
「知念は行方不明だそうじゃ。身の回りの物も無かったって話じゃし、逃亡かのう」
「逃亡!?なんで?」
「そんなことまではわからんよ」
英二から見れば知念は片眼鏡の男と共に東国の城の警備を担う要だった。
それなのに逃亡するというのがわからない。
「大和は?」
「知念が見つかるまでの代理ってとこかの」
「ふぅん・・・」
「大和の指示を見逃さんように気をつけんしゃい」
「え?それって・・・」
すれ違う兵士に英二と仁王が口を噤む。
充分に離れるまでやり過ごしてから、先を歩く仁王が顔だけ振り向く。
「作戦はもう始まっちょる」
それだけ言うと、仁王はさっさと自分が警備する場所へ行ってしまった。
**
ブン太は必要最低限の物だけ身に付けて、鏡で不自然さがないか確認する。
赤也には買い物に行くと言えば、いつものことだと疑われずにここから出られるだろう。
少しだけ緊張が覗く顔を2,3度軽く叩いて和らげる。
城の門を出てしまえば例え追っ手がかかっても逃げ切れる自信があった。
ひとつ深呼吸して踵を返す。
部屋のドアを開けるとキッチンに立つ赤也が皿を手に振り返った。
「はよーっす!」
「おう」
短く返してそのまま外へと続くドアに足を向ける。
「あ、ブン太さん!」
あと一歩でノブに手が届くというところで赤也に声をかけられた。
無視すれば不自然に映るから足を止めて振り返る。
「見てくださいよ、これ!」
得意げに赤也が顔の前に掲げたのは、両手程の籠に山盛りの焼き菓子。
「おおっ、ずいぶん豪勢じゃん。なんだそれ」
「いつも肉買いに行ってる店のおばちゃんがくれたんすよ。なんか親戚の子が来ててみんなで焼いたんだって」
「へぇー、そりゃラッキーだったな」
「でしょ?ブン太さんが喜ぶだろうなーって思って起きるの待ってたんすよ」
満面の笑顔でブン太が菓子を取るのを待っている赤也に苦笑いが漏れる。
甘い匂いを漂わせつやつやした黄金色の菓子は確かに食欲をそそる。
それに、ここを出ればもう二度と赤也と会うことはないかもしれないと思えば、菓子を食べる時間くらいつきあってやってもいいかという気分になった。
ドアへ向けていた足を戻して簡素な木の椅子を引く。
腰掛けると赤也が菓子の入った籠をブン太の目の前に置いた。
「ブン太さんはカフェオレっすよね」
そう言ってキッチンに舞い戻った赤也の後姿を眺めながら、焼き菓子を手に取った。
起きたばかりで空腹だったのもあって、ひとくち口にしたらもう止まらず、籠に入った菓子を半分ほどあっという間に平らげた。
さらに次へと手を伸ばしかけたところでカップを手にした赤也が戻ってくる。
その赤也の姿がぼやけて見えて、なぜだろうと考える間もなく体が椅子から滑り落ちた。
驚き、起き上がろうとしたが、手も足も動かない。
自由の利かない体で目だけをどうにか動かして、すぐ傍に立つ赤也を見上げる。
カップを持ったまま、驚くでもなくブン太を見下ろしていた赤也がクスリと笑った。
「・・・こんな手に引っ掛かっちゃうんだから、さすがブン太さんっすよね」
「・・・てめ・・・赤・・・也・・・」
「アンタと暮らせて楽しかったっす。でも、下手打っちゃしょーがないよね・・・・・・バイバイ」
赤也が話す言葉の最後はもうほとんど聞き取れなかった。
瞼を開けていることすらままならず視界がどんどん狭くなる。
体どころか指1本動かせず、声すら発することもできずに、ブン太は深い闇の中へと落ちていった。
**
報告に訪れた兵士が知念の部屋に入る。
北兵舎から戻っていた木手が促すように視線を向けた。
「どこにもおりません。城門の中は各兵舎、城内部まで探しましたが」
「警備に当たっていない兵士を城外へ派遣して探すように」
「はい」
兵士が退出し、木手は座っていた椅子から立ち上がる。
昨日の夜、赤也に知念は西国のスパイだと言われて、真相を確かめるためにここへ来た。
だが、知念は部屋におらず、そのまま待ったが帰ってこなかった。
部屋を調べれば、金と僅かな衣服、そして身の回りの細々したものが一緒に消えている。
表面だけ見れば、正体がばれた為の逃亡と考えられないこともなかった。
だが、あまりに何もかもが都合よく整いすぎていておかしい、と木手は思う。
昨日は赤也の言葉に動揺もしたが、冷静になって考えてみれば知念が西国の手先になるはずがない。
そもそも、知念は東国に来る前からの仲間で、西国との関係など木手の知る範囲ではなかった。
それならば赤也が嘘をついた、つまりは赤也が敵の手先なのか。
そう考えて木手は緩く頭を振った。
自分のミスを指摘された意趣返しに嘘をつくくらいなら無いとは言えない、が、敵の手先というのはありえない。
赤也は木手自身が東国の貧民街で拾ってきた孤児だ。
街で大人数人相手に大立ち廻りしていた腕を見込んで、仕事を手伝わせる為に連れて来たのだ。
それならば知念はなぜ姿を消したのか。
城の内部に入り込んだ敵に付狙われてやむを得ず逃げたとも考えられる。
だが、それなら何か伝言があってもいい。
そう考えて、部屋の隅から隅、机の裏やベッドの下まで確認したが何も見つからなかった。
嫌な予感がした。
予感を実現させない為には信頼できる手勢が必要だ。
王女の警護に離島に派遣している凛なら急がせれば明日には城へ戻せる。
海へ逃亡している残党を狩らせている甲斐は呼び戻すのにも時間がかかりそうだが、トラブルが長引くことを考えれば戻るよう伝えておいたほうがいいだろう。
木手は自室へ戻る道を歩きながら今後の算段を纏め上げる。
どこの誰が動いているのか知らないが、思い通りにはさせない。
この国を牛耳るという遠大な計画はまだ始まったばかりだ。
こんな些細なことで全てを無駄にするわけにはいかなかった。
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