極楽島 17




中年の漁師はうんざりした顔をしていた。
1日船を貸して欲しいと申し出て、断られるというやりとりを延々と繰り返している。
貸すと漁に出られないと言われれば1日漁をして稼げる代金の3倍を払うと答え、素人に船を貸して壊されたら困ると言われれば自分も船を所有して4年近く航海をしていると説明し、尚且つ万が一破損があったら弁償するとまで約束した。
それでも漁師は頑なに首を縦に振らない。
薄青の景色が白み、地平線の向こうに朝日が昇りつつある。
頼むからもう家に帰らせてくれと哀願する漁師を引き留め大石は交渉を続ける。
諦める気はなかった。
なんとしてもこの船を借りて英二を助けに行きたい、それはもはや執念といえた。
「あれ、おっちゃん?何やってんの?」
場違いなほど明るい声が響く。
途端に漁師は救いの神だと言わんばかりに大石の脇をすり抜け、声の主の元へ駆け寄った。
例え仲間が増えたところで交渉を打ち切る気はないと、ゆっくり振り向いた大石の目が見開かれる。
漁師の救いの神である見知らぬ若い男と一緒にいるのは、慈郎を背負った黒羽と仁王だった。



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やっと朝食を終えたばかりというまだ早い時間に迎えはやってきた。
白砂邸へ行くことを承諾した3人は白い檻のような館からようやく外に出ることができた。
外から見るとその館は背の高い木立に深く覆われ、人目から隠すように建てられている。
促されて朝日が零れ落ちる木立の中の細い道を行く。
先頭を昨日の執事が歩き、その後をブン太、英二、岳人の順で続いた。
両脇には5人の男が英二たちを逃がさないよう隙の無い目つきで警戒しながら歩いている。
執事は老齢で戦力外だが、5人の男達は立ち居振る舞いや、歩き方1つみてもかなりの手練だとわかった。
さりげなく男たちの観察をしていた英二は、ここで逃げるのは無理かもしれないと思う。
一瞬振り返ったブン太も同意見だったようで、目で何もするなと合図してきた。
ここで暴れて警戒が厳しくなったらこの先逃げるチャンスが減る。
館を出て船に乗るまでに逃げられなくても、船の上で逃げるチャンスがあるかもしれない。
最悪、白砂邸に着いてからでも、そして全員が無理でも1人逃げれば救援を求めることができる、それが昨日話し合って決めたことだった。
木立を抜けると入り江に白い中型船が停泊していた。
英二は来た道を眺め、ここが小さな島であることを知った。
外から見ると館は見えない。
ただ木が茂る小さな島でしかなかった。
船に近寄ると中から1人の男が出てきた。
よく焼けた褐色の肌に涼しげな白の上下を着ている。
英二はこの男に見覚えがあった。
大石と一緒に行った港近くの高級そうな大型宿泊施設のオーナーだ。
こいつが犯人だったのか。
英二は心の中で呻き、込み上げてくる怒りをどうにか抑える。
オーナーは3人の顔を順に眺め、英二に目を留めると嬉しそうに微笑んだ。
「それでは君たちを私の楽園に招待しよう。何も心配することはない、綺麗な服を着て美味しいものを食べ、美しい音楽に酔いしれる、まさにこの世の楽園だ」
歌うように話すオーナーが、さぁ、と手を差し伸べる。
英二が動かずにいると、今まで後に隠れるようにしていた岳人がなぜか誘われるように前に出た。
岳人が差し出された手を取る。
英二とブン太はそれを唖然として見ていた。



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射し込む朝日の眩しさに柳は目を覚ました。
寝台に横になったまま天井を眺め、1つ1つ記憶を反芻する。
充分に休息の取れた頭はすぐに明確な答えを呼び出し、柳は片手で顔を覆うと自己嫌悪に低く唸った。
なんという失態だ。
自己管理ができずに仁王に強制的に眠らされるとは失態にも程がある。
仁王は普段があの調子だから冗談でどんなことでもやりそうに思われがちだが、実際はきちんと冗談で済む事・済まない事の線を引いている。
その仁王に限度を超えた強硬手段を取らせた、それほど自分は情けない有様を晒していたということだ。
柳は深く溜息をつき、寝台から体を起こした。
半分だけ閉じられたカーテンからは明るい陽射しが差し込んでいる。
部屋に仁王の姿は無い。
よく眠ったせいで頭も体も軽かったが、気持ちは底なし沼に嵌まり込んだようだった。
前から大石に引き摺られ過ぎると仁王に指摘されていた。
大石は1つの事に集中すると他が見えなくなる。
そんな時こそ一歩離れて状況を冷静に把握するのが自分の役目だと、頭ではわかっているのに。

何ひとつ解決していない今、落ち込んでいる場合ではないと寝台から立ち上がり、部屋のテーブルに広げられたままの地図を手に取った。
椅子に座り、跡部の調査結果にもう1度目を通しながらも溜息が洩れる。
常に完璧でありたいと願うのに少しも叶わない。
幾度目かの溜息を落とした時、バタバタと廊下を走る足音が聞こえ、続けて部屋のドアがノックも無しに開かれた。
「蓮二!ごめん、手紙、今朝読んで、」
飛び込んできた木手の姿に柳は驚き目を瞬かせる。
木手に突然名前を呼び捨てされたことも驚きだが、顔の前で手を合わせ必死に謝っている元気一杯な様も到底普段の木手からは想像できない姿だ。
「ホント、ごめん!実は島に結界を張って新しい呪術の実験をしててさ、使い鳥が・・・、蓮二?」
椅子に座ったまま呆気に取られている柳の様子にやっと気づいた木手が、おーい、と声をかけながら柳の前で手を振ってみせる。
呪術、使い鳥、手紙。
混乱しながらもどうにか回答を弾き出した柳は、精市か?と小声で訪ねた。
「そう、俺だよ。手紙でやり取りするより直接来たほうが早いと思ってさ。ほら、これがあるから」
木手の姿をした幸村が首にかかった黒い石を指先でつついた。
「そういうことか。驚かさないでくれ。俺は木手の気がふれたのかと思ったぞ」
「あははは。こいつも少しは役に立ってもらわないとね。ところで蓮二、本題だけど、英二王子が消えたって?」
「ああ。英二王子と西国の丸井、岳人が行方不明だ。手がかりはほとんど無いと言っていい」
「わかった。それじゃ俺の方でも調べてみるよ。なにかわかったらまた来るから」
笑ってヒラヒラと手を振った直後に木手の表情がいつもの様子に戻った。
幸村から木手本人へと変わる過程を目の前で見せられた柳は、表情や雰囲気が違うというだけで同じ顔形がこうも異なって見えるものかと感心する。
当の木手は何が起こったのかわからないようで、目の前の柳を怪訝そうに見て、次に部屋をぐるりと見回した。
「俺の部屋ではないようですね。なぜか柳クンの部屋に来たという記憶がないんですが、どうして俺はここにいるのか知ってたら教えてもらえますか」
柳は言葉に詰まる。
木手の性格から言って、幸村に傀儡として使われたと知れば激怒しかねない。
「何か用があると言って入ってきたようだったが。木手も探索に加わってくれているそうだな。疲れが出たんじゃないのか?」
「・・・そう、ですか、俺が自分でここへ。・・・・・・失礼、部屋で少し休みます」
釈然としない顔で首を捻りながら木手が部屋を出て行く。
どうにかやり過ごせたことに胸を撫で下ろし、次に幸村が来た時は木手を放置して帰らないように言わなければと柳は思った。




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