極楽島 25
床に倒れているオーナーの体を足で蹴って仰向けにさせた。
抜いた剣を首に向けて狙いを定める。
真上から突き降ろそうと大石はゆっくり剣を振り上げた。
これで終わる。
体中に渦巻いている怒り、悔恨、不安、焦燥。
今では全てが混ざり合って、ただ黒い憎悪の塊のような熱を剣に込める。
握る手に力が篭った。
キラリと小さな光が走る。
その光は振り上げた剣にぶつかり、カツンと小さな音を立てて床に落ちた。
光の正体は小指半分ほどの細く鋭い銀の針。
オーナーの肩に刺さっているのと同じ、仁王の投げ針だ。
大石は下の甲板にいる仁王に目を向ける。
ひらひらと手を振る仁王の横では、ちょうど丸井に海から引き上げてもらっている英二がいた。
ずぶ濡れでドレスの裾を絞っている英二の肩を仁王が叩き、次いで上を指差す。
英二が上を見上げ、そこに立つ大石を見て両手を大きく振った。
「おーいしー!」
手を振るだけでは足りなかったのか、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして笑っている。
英二が跳ねる度に水飛沫が辺りに散り、陽の光にキラキラと瞬く。
隣に立つ丸井も真似して手を振りながら飛び跳ね、それを見て仁王が笑っていた。
大石の体から張り詰めていたものがすうっと抜け落ちる。
海風がそれを攫うように吹き、代わりに潮の香りを残した。
自然と剣を持つ手が下がった。
歩きながら剣を鞘に納め、柵の側まで行って下にいる英二に手を振り返した。
助けることができた。
間に合ったんだ。
そうはっきりと認識した途端に体が鉛のように重くなり、大石はその場に座り込んだ。
賑やかな声と共に下にいた3人が上がってきた。
放心したように柵に凭れて座っている大石に英二が飛びつく。
「良かったぁ、帰れるー!もうオレ、どうしようかと思っちゃったよ。変なとこ連れて行かれるし、気持ち悪いこと言われるし!」
英二の声が、触れる体の温かさが、現実を伝える。
英二が帰ってきた。ここにいる。
大石の口元に久しぶりの笑みが浮かんだ。
「遅くなってごめんな。怪我は大丈夫か?」
「ケガ?ああ、さっきの。大丈夫、ちょっと切っただけだもん」
抱きついていた体を離し、喉と頬の傷を確かめる。
すでに血は止まっていて赤い筋だけが残っていた。
「オレより大石の方が酷いよ?痩せたし目の下も真っ黒だし。・・・ごめん、オレが心配させたんだよね」
「もういいんだ。英二が帰ってこれたから。今日はゆっくり眠れるよ」
うん、と頷いた英二の濡れた髪を撫で、ふとその背後に目を向けた大石は、繰り広げられている光景に微かに笑った。
仁王に縄で縛り上げられたオーナーを丸井が蹴ったり踏んだりしている。
容赦ない蹴りにオーナーの体は転がって柵にぶつかり、それでもまだ足りないとばかり飛び蹴りの構えを見せた丸井を仁王が羽交い絞めにしていた。
暴れる丸井を押さえ込んでいる仁王に、大石は気になっていたことを尋ねる。
「黒羽はどうした?」
「ちょこっと怪我をしてのう、先に柳が高速艇で極楽島へ運んだ。心配はいらんちゅうとったぜよ」
「そうか。それじゃ俺たちも極楽島へ戻ろう」
大石の声に英二と丸井がおー!と拳を振り上げ、仁王は了解、と答えて操舵室へ降りていった。
港に着くまでの間に船室を探し、そこにあった服に着替えた英二は脱いだドレスを絞って小脇に抱える。
それを見ていた大石は不思議そうに捨てないのかと聞いた。
「これ、もしかして本物の母上のドレスかもしれないんだよね。だったら捨てらんないし」
「こないだお会いした時は小柄な方だと思ったけどな。本物なら英二は着れないんじゃないか?」
「あーっ?そっか、そうだ!オレが母上のドレスを着れる訳ないじゃん!え、じゃ、これは?」
「ドレスの特徴を記憶してて、似たものを作らせたんじゃないか?」
「そうかも。今でも目に浮かぶーとか言ってたし。うう、思い出したら鳥肌が立った・・・」
英二は部屋の中にあったゴミ箱に抱えてたドレスを投げ込んだ。
「それにしても英二の母上に想いを寄せてたとはな」
「オレもビックリした。でも、母上を無理矢理攫うとかは考えて無かったみたいで安心したけど」
話しながら船室を出ると、こちらに向かって歩いてきた丸井が手を振った。
「もう着くってさ。おっさんを甲板まで降ろすから手伝ってくれぃ」
「いいよー。行こ、大石」
ああ、と頷いた大石と共に英二と丸井は操舵室から上へ登る。
もうすでに目の前には極楽島の港が迫っていた。
千石と亜久津が待機させていた自治の警備隊にオーナーを引き渡す。
先に港に着いていた岳人はすでに話を終えており、後から到着した英二と丸井が証言の為警備に呼ばれた。
翌日には大石と柳、仁王、忍足が経緯を説明する為に呼ばれ、3人が行方不明になった日のことからオーナーを捕まえるところまでを話したが、千石が3人を運んでいたことや、宿泊施設で小火を起こしたこと、船の上で船員や護衛を数人始末していることは伏せた。
警備隊は白砂邸や英二たちが監禁されていた島へ向かい調査を行うことになり、それが終わるまで大石たちは島に留まるよう要請された。
「黒羽の怪我は全治4ヶ月、最低1ヶ月は絶対安静ということだ。本人は1ヶ月で治ると言っているがな」
「俺のせいでずいぶん無理をさせた。急ぎ旅ではないし、治るまでは島に留まろう」
先に宿へ引き上げていった仁王、忍足と別れて大石と柳は港の造船所へ向かう。
すでに修理が終わっている船を造船所から港へ移し、今度はその足で町中にある療養所へ向かった。
中に入ると賑やかな笑い声が聞こえ、見れば1番奥の寝台を日吉と英二、丸井が囲んでいた。
「よっ、大石!」
いち早く気づいた黒羽が声をかけてくる。
寝台に寝かされた黒羽は両手足に添木を当てられ、尚且つ包帯だらけの体を寝台に固定されていた。
自由になるのは首から上だけという状態だが、本人は楽しそうに笑っている。
「すまなかった、黒羽」
寝台に歩み寄った大石が頭を下げる。
「いいって。王子も無事助かったしよ。それより、体術ってのは凄ぇもんだな。体が治ったら柳に稽古つけてもらおうと思ったぜ」
「それがいいだろう。体術を学んでいればここまでの怪我は負わずに済んだ」
「そうですね。剣術と体術ではかわし方ひとつ取っても違いますし」
柳が言うのに日吉も同意する。
「まずはゆっくり休んでくれ。治るまで俺たちもここに滞在する」
「出発していいぜ。ここにいたってやる事ないだろ?治った頃迎えに来てくれりゃいいよ」
「それが、島の自治警備が今回の件を調査していて、終わるまで島を離れられないんだ」
そりゃ面倒だな、と言う黒羽に、丸井が、だから!と身を乗り出した。
「わざわざ警備に渡すなんてしないで、重し付けて海に沈めりゃ良かったんだって!」
「そーだ、そーだ!」
英二も一緒になって拳を振り上げるのを柳が抑えた。
「その方が楽なのは確かだが、それでは事件が解明できない。行方不明になった身内や友人を探し続けている人もいるだろう」
柳に諭されて丸井と英二は顔を見合わせ、なるほど、と納得する。
「そういう訳だからゆっくり養生してくれ。欲しい物があれば言ってくれれば持ってくる」
「今は体も動かせねぇし、特に必要なものもないな。退屈なんで時々遊びに来てくれりゃいいよ」
「わかった」
それからしばらく黒羽の側で話しながら過ごし、大石たちは宿へ戻った。
**
宿に戻り部屋に引き上げようとした大石を日吉が呼び止めた。
「すみません、少しお話があるんですが」
「俺たちの部屋でいいか?」
かまわないと答えた日吉を招き入れ、部屋の中央テーブルにつく。
「話というのは?」
「実は、俺と丸井さんなんですが、自治警備の調査が終わったら、西国に帰ることになりました」
えっ、と驚いた声を上げたのは、言われた大石ではなく英二だった。
「日吉も?なんで?!」
「王位継承戦が半年後に開催されることが決まったんです」
「そうか、いよいよ景吾王子と決戦だな」
「はい。大石さんの船に乗せてもらったことは本当にいい修行になりました。今なら跡部さんと存分に戦えると思います」
青の国の船で学んだのは武術だけではない。
柳が講義する幅広い学問はもちろんのこと、航海中の嵐やトラブルのような緊急時の対処方法、友人と呼べる人たちとの生活から生まれる絆、仲間を信頼してそれぞれが自分にできる最善を尽くすこと、そういったたくさんのことを学んだ。
きっと王宮の中では一生知ることのできないものだろう。
「うう・・・寂しい・・・。でも!日吉は跡部を倒して西国の王様になるんだもんね。オレ、応援してるから!」
「ありがとうございます」
頑張れ、絶対負けるな!、と鼻息も荒く応援してくれる英二に日吉は微笑む。
あまり人付き合いの得意ではない自分がすんなり船に馴染めたのは、この人懐こい春の国の王子がいてくれたからだ。
「まだしばらくはこの島にいるので、それまではよろしくお願いします」
「出発する時は言ってくれ。港までみんなで見送りに行くから」
はい、と答えて日吉は部屋を出た。
大石たちの船に乗ったのは跡部に命じられたからだったが、今となっては良かったと心から思う。
色々あったが楽しい旅だった。
**
部屋に入ろうとドアノブに手をかけたところで、隣の部屋のドアが開いた。
顔だけ出した木手が手招きするのに従って隣の部屋へ向かう。
部屋に入るとそのまま肩を押され、中央のテーブルへ連れて行かれた。
恭しく椅子を引く木手に微かに笑って柳が席に着く。
「お疲れ、蓮二」
柳の隣の椅子を引き、腰掛けた木手がにこやかに笑う。
相変らずその外見に若干の違和感があるが、幸村が側に居ることでやっと柳は張っていた気を緩めた。
「精市もお疲れ様。おかげで王子たちを無事救出できた」
柳が礼を言っている間に幸村はテーブルの上に置かれた茶器を手に取る。
注がれた茶を受け取ろうと手を伸ばした柳は、幸村が僅かに目を細めて、覗き込むようにじっと自分を見ているのに気づいた。
「どうした?」
「蓮二の顔に悩みの相が出てる」
「悩みの相?」
「うん。なにか1人で悩んで、1人で解決しようとしている顔」
図星を突かれて柳は言葉に詰まる。
大石を支えきれず一緒に溺れてしまう不甲斐無い自分。
それを克服する為にはどうすればいいのか。
何事にも揺らぐことの無い強靭な精神を身につける、それには強くて優しい仲間たちから離れて、たった1人で己と戦うべきではないのか。
「それは蓮二の悪い癖なんだってこと、知ってる?」
幸村はいつもそうだ。
隠していることをあっさりと見抜く。
「・・・精市はなんでもお見通しだな。俺の心も水鏡で見れるのか?」
「そうじゃないよ、蓮二」
冗談に紛らせて自嘲の笑みを浮かべた柳の手を幸村が取った。
「蓮二のことが好きだからわかるんだ。だから、たぶん気づいてるのは俺だけじゃないと思うよ。みんな口に出さないだけで」
「それも情けない話だ」
眉を寄せて拗ねたように顔をそらした柳に幸村は笑う。
いつも冷静で落ち着いていて、実年齢よりも大人びて見える柳がこんな顔をすると誰が知っているだろう。
「蓮二ー、そんな可愛い顔して拗ねてると襲っちゃうぞー」
「・・・木手の姿でか?やめてくれ」
背中に悪寒が走ったぞ、と嫌そうに眉をしかめた柳に幸村が爆笑する。
それにつられるように柳も笑い出す。
笑いながら柳は、1人で考えるのはやめにして幸村に相談してみようかと思った。
**
いったん宿に戻った仁王は仮眠を取って夕方に宿を出た。
まっすぐ裏町へ向かい、いつもの酒場で千石と亜久津が並んでいる姿を見つけた。
「まだ飲むには少し早かろ?」
そう声をかけた仁王に千石が笑顔で自分の隣の席を勧める。
「無事解決したお祝いだよ。おかげで島から逃げ出す必要もなくなったしね」
「お前さんには世話になったからのぅ、ここは俺が奢るぜよ」
「まじ?ラッキー♪」
「その代わりっちゅうのもなんじゃけど・・・慈郎の作った借金をちぃとまけてもらえると助かるんじゃが」
まさかあそこまで派手に負けるとは思わんかった、と項垂れた仁王を千石が笑う。
「いいよ、チャラで。俺が話をつけておくよ。仁王くんたちには俺が事件に関わってたこと言わないでもらったしね」
「あー、ありがたい。うちの財布担当は恐いんじゃ・・・」
「もしかして、柳くん?」
声を潜めた千石に、仁王も小声で、当たり、と返す。
途端に千石が腹を抱えて笑い出した。
目尻に浮かんだ涙を拭きながら、千石がグラスを傾ける。
「仁王くんでも恐いんだ。なんかわかるなー。俺も柳くんに詰め寄られた時は冷や汗が出たからねー。彼は綺麗な顔してる分、怒ると迫力あるよね」
うんうんと頷きながらグラスを空けた千石に仁王がボトルから酒を注いでやる。
隣で黙って飲んでいる亜久津にも注いだ。
「ところでさ、仁王くんはまだ島にいるんだよね?実はとっておきの所があるんだけど、一緒に行かない?」
「とっておきの所?賭場か?」
「酒場なんだけどさ、表通りにある洒落た店で、観光客の可愛い女の子がたくさん来る穴場があるんだよ。仁王くんが一緒に行ってくれるとナンパの成功率が上がりそうなんだけどなー」
どう?と期待に目を輝かせて聞いてくる千石に仁王は思わず苦笑した。
「ええよ。お前さんには借金をチャラにしてもらった恩があるしの。協力しちゃろ」
やったー!と椅子から飛び上がった千石は、今行こうすぐ行こうと仁王の腕を引く。
おかしな男だと笑いながら仁王はそれに付き合った。
**
木手は部屋で一人、首を捻っていた。
どうもここ最近、おかしなことが多過ぎる。
行った覚えのない場所に立っていたり、充分に寝てるはずなのに体が疲れて重く感じたりする。
この間は体中から油の匂いまでしていた。
記憶も飛んでいる。
いる場所は同じでも5時間くらい経過していたりする。
窓を開けに立ち上がり、カーテンを手にしたままの姿勢で、5時間もボーっとしていたなんて通常ならありえない。
いったい自分の身に何が起こっているのか。
まるで何かに体を乗っ取られでもしているようだ。
例えるなら悪霊のようなもの。
怨嗟、という言葉が脳裏を過ぎった。
戦を起こしたり人を裏切ったりと恨みを買う覚えは数え切れないほどにある。
「・・・魔除けでも作りますか」
木手は呟くと部屋を出た。
美海島では良くないことが続くと部屋の中に魔除けを吊るす習慣がある。
島神と海神を祭る美海島の人々は信心深く、木手も例外ではない。
木手は海岸へ向かいながら、祖父が作っていた魔除けの材料と作成方法を頭に思い浮かべていた。
**
腕の中で今にも眠りに落ちていきそうな岳人の、さらさらした髪を弄びながら忍足は、なぁ、と呼びかけた。
「岳ちゃん、1度、機械島へ行こか」
「ん・・・?・・・機械、島・・・?」
「いらんプログラムを解除してもらいに行くんや。そしたらもう恐い思いせんで済むやろ?」
閉じかけていた瞼が開き、岳人の大きな瞳が忍足を映した。
まだ紅く色づいている目元を指先で愛おしむように撫でる。
「ごめんな。ほんまやったら最初に解除しとかなあかんかったのに。俺のミスやな」
「・・・侑士のせいじゃないだろ。俺だってまさか依頼主に会うなんて思ってなかったし」
気が強くて意地っ張りなくせに芯は驚くほど脆い岳人。
自分の体が自分の意志でコントロールできないと知った時はどれだけ恐かっただろう。
甘えるように体を寄せて来る岳人を抱き寄せて、忍足はもう1度耳元で、ごめんな、と囁いた。
**
事件からひと月が過ぎ、自治警備の調査が終わった。
白砂邸に捕らわれていた者たちはそれぞれの家に帰り、執事を除く使用人たちは無罪となって解雇された。
使用人や護衛たちの証言からいくつもの余罪が出てきたオーナーは、重犯罪者として生涯禁固刑となり、罪人が集められる監獄島へ流された。
**
町中の宿は港近くの宿泊施設と違い海からは離れている。
それでも深夜、人の寝静まった町では微かな波の音が聞こえた。
英二は夜中にふと目を覚まし、隣で眠る大石の寝顔を眺める。
事件が解決し、昨日の昼に丸井と日吉は西国へ、忍足と岳人は機械島へ旅立って行った。
黒羽は脅威の回復力で、すでに杖をついて歩き回ることができるようになっている。
柳と仁王は1週間後の出航に合わせて毎日忙しく動き回っている。
船の修理の為に急遽立ち寄った島だったが、思わぬトラブルに巻き込まれた。
それもこうして大好きな大石の寝顔を眺めて波の音を聞いていると、まるで夢を見ていたような気分になる。
『おーいし』
声に出さずそう呼んで英二は抱きつくように腕を回す。
深い眠りについている大石は微動だにしないのが少しおかしくて、そしてこんなことすら幸せだと思ってしまう自分がおかしくて笑う。
隣に大石がいて、そして波の音が聞こえる。
それだけで充分幸せなんだと改めてそう思った。
→end
(08・05・12〜08・10・30)