海に咲く夢・番外編 / 仁王




午前中の訓練で負った打ち身の痛みに眉を顰め、右足を引きずるようにして屋敷を飛び出した。
いくら練習用の剣とはいえ、大人が、それも容赦なく打ち込んでくれば、骨から脳天に響く程度には痛い。
毎日の地獄のような特訓のせいで体中の痣は消える間も無く、それどころか新しい痣が日増しに増える。
やってられるか、馬鹿馬鹿しい。
心の中で毒づいて仁王は走る。
逃げたのがわかれば父の弟子達が探しに来るだろう。
そして捕まれば2、3発殴られた後、今日の分の訓練と称して寝る時間も与えられずしごかれるのはわかっている。
どれだけ悲惨な結果が待ち受けているかを知っていても走る足は止まらない。
人を殺す為の訓練に明け暮れる毎日に死ぬほど嫌気がさしていた。

屋敷からだいぶ離れた所まで来たことを確認して仁王は足を止めた。
立ち止まると途端に流れ出す汗と共に、体のあちこちが激しく脈打って痛み出す。
歯を食いしばって痛みをやり過ごし、みっともなく崩れ落ちそうになる膝を叱咤して、すぐ脇の石段にどうにか腰を下ろした。
何かで気を紛らわそうと正面に目を向けると、石段前の広場で自分と同じ年頃の子供が模造刀で遊んでいるのが見える。
覚束ない手つきで見よう見真似の型を取り、口々に騒ぎながら交互に打ち合っている。
武芸が盛んな青の国では、子供もこうして遊びながら剣を学ぶ。
子供だけではなく、大人も男女共に空き時間には剣を振るっているのがこの国の光景だ。
まだ遊びの範疇でしかない剣の稽古に、楽しそうに笑っている子供の声が仁王をいっそう憂鬱にする。
呼吸も落ち着き痛みもいくらか和らいでいるのを確認して石段から腰を上げた。

1人になりたかった。
話し声や笑い声なんか1つも聞こえない所に行きたくて、ひと気の無い淋しい道を選んで歩く。
家の数がまばらになり、もう少し歩けば鉱山へと続く道にさしかかるところで、ふいに背後から声をかけられた。
「仁王くん!」
振り向かなくても声の主はわかる。
今は構ってやる余裕も無く、仁王はそのまま無視して歩く。
「待ってください、仁王くん!」
聞こえなかったとでも思ったのか、さらに大きな声で呼び止めながら、走ってくる軽い足音が聞こえる。
仁王は溜息をつくと諦めて立ち止まり、顔だけ振り向いた。
さらさらとした栗毛をなびかせて走り寄ってきた相手は、なにが面白いのか楽しそうな笑顔を仁王に向けてくる。
仁王と同じく城で働く父を持つ柳生は、知り合ってからというもの、決して愛想のいいといえない仁王になにかと話しかけてくるちょっと変わった少年だった。

「こんな時間に会うなんて珍しいですね。今日は稽古はお休みですか?」
「サボリ」
一言で答えてまた歩き出す。
そっけない返事で話をする気がないことを察して欲しかったが、柳生は一緒に並んで歩き出してしまった。
「大丈夫なのですか?仁王くんのおうちは厳しいでしょう」
「殺されるかもしれんね。まぁ、別にかまわんよ、そうなったらなったで。好きにしたらええ」
「そんなことあるわけがないでしょう。それに、冗談でも自分の命を軽んじるような言い方は感心できません」
「・・・あのな、柳生」
仁王は足を止めて向き直る。
ただでさえ憂鬱で、気分が最高潮にささくれ立っている。
こんな時に説教じみた言葉を聞かされれば怒らずにいろという方が無理だ。
「俺は毎日、人様の命を奪うお稽古をさせられとるんよ。その俺が自分の命だけ大事じゃいう方がおかしかろ?」
「そんな言い方は止めてください。あなたは王を守る為に敵を倒すのでしょう?それに、あなたが倒れたら王を守る人がいなくなるではありませんか」
「はっ、そう言えば聞こえはいいのう。だが敵だって人間なんよ?人殺しには変わらん。王様とやらがお綺麗でいる為に俺が手を汚すんじゃ。でもって、最後は王様を庇って死んで、めでたしめでたし、か?やってられん。俺は一体何なんだ?」
柳生が眉をしかめるのがわかったが、腹の底に淀んで溜まった怒りは一度口にしてしまえば止まらない。
「だいたいな、俺は王様とやらに会うたこともないんよ。どこの馬の骨かも知らん奴の為に、なんで俺がこんな思いをせにゃらんのか教えて欲しいのう。周りの奴らや親父は、やれ尊い仕事だの、重要な仕事だの言いよるけどな、そんな立派なもんやったら、やりたい奴が他にいくらでもおるじゃろ?俺はごめんじゃ」
柳生に言っても仕方の無いことだし、ただの八つ当たりでしかないのは充分承知している。
こうなるのがわかっていたから無視してやったのに、それに気づかず寄って来たお前が悪い。
機嫌の悪い時に出遭ってしまったのが運の尽きと諦めてもらおう。

なにか考え込んでいる柳生に背を向けて再び歩き出す。
いくらなんでももう追いかけてはこないだろう、そう思ったのだが。
「・・・会ってみればいいじゃないですか」
「はぁ?」
「王に謁見を申し出れば・・・いえ、年齢的にあなたが守るのは王子の方ですね。王子なら私の友人に頼めば会えますから、お願いしておきましょう」
「いらんことをせんでええ」
「実際に会ってみて、守る価値が有るか無いか、あなた自身で判断すればいいじゃないですか」
「ははっ、王子を値踏みしろって?」
「あなたは命を懸けるのですから当然の権利ですよ。・・・このままではあなたが苦しいでしょう?」
「・・・・・・・・・」
「そうと決まれば早いほうがいいですね。約束を取り付けたら仁王くんにお知らせします。では」
来た道を走って戻っていく柳生の後姿を仁王は呆然と見送る。
多少変だとは思っていたが、ここまでとんでもないことを言い出す奴だとは思っていなかった。
王の子供だというだけで無条件に人から崇められる王子、それを品定めする為に会えとは。
・・・それも面白いか。会うてどんな奴か見てやろう。
王宮という温室で大事に育てられているのが苦労知らずの脆弱な馬鹿王子なら、確かに柳生のいうとおり命懸けで守る必要なんてない。
その時は家なんて放り出して東国か西国へ逃げてしまえば親父だって追ってはこれないだろう。



**



柳生から連絡が来たのは2日後だった。
午後の稽古を抜け出し、柳生と共に王宮内の練兵所へ行くと、そこには大人の兵士に混じって剣の稽古をしている子供が2人いた。
驚いたことに2人とも本気で向かってくる大人の兵士と互角に剣を交わしている。
「ここまで!休憩!」
訓練を奥で監視していた兵士長が号令を下すと、戦っていた兵士達が一斉に剣を止めた。
子供2人は相手をしていた兵士に礼を取ると、柳生と仁王に向かって歩いてきた。
「柳生、彼が仁王か?」
肩で黒髪を切りそろえた一見少女のような外見の子供が柳生に話しかける。
背は仁王より少し小さいが、年頃は同じくらいに見える。
「そうです。仁王くん、紹介します。次期宰相の柳くん、そして秀一郎王子です」
稽古でかいた汗を袖で拭っていた王子が、曇りの無いまっすぐな目を仁王に向ける。
およそ子供らしくない強い眼差しは、次の瞬間に緩み柔らかな笑顔に変わった。
「君が仁王か。よかった、一度会いたいと思ってたんだ」
差し出された手を仁王はぎこちなく握り返す。
予想とはかなり異なる王子に半ば面食らったせいで、会ったら言ってやろうと思っていた言葉が胸の奥で鳴りを潜めてしまった。
「少し狭いが、奥にある休憩室を一部屋借り受けている。済まないが王子はこの後勉学があるので時間は30分程度しか取れない。それで構わないか?」
柳が確認するように問い、仁王はそれに頷き返す。
「では王子、30分経ったら迎えに行く」
「ああ、わかった。行こう、仁王」
「2人きりで話するんか?」
仁王が戸惑ったように柳生を見遣る。
「その方が話しやすいでしょう?私と柳くんはここで待っていますから」
仮にも一国の王子に対してあまりに無防備な有様に呆れながら、招かれるまま後について歩く。
子供だとはいっても、仁王は赤ん坊の頃からおもちゃの代わりに短剣を与えられて育った暗殺者だ。
大人の兵士と互角に戦えるとはいえ、仁王がその気になれば目の前の王子を亡き者にするのは容易い。
無意識に相手の急所を目で捉えながら、攻撃の手順を頭の中でシミュレートする。
目の前の王子は、後ろを歩く仁王が何を考えているのかも知らずに、休憩室のドアを開けて中へ入っていった。

テーブルと椅子が3脚あるだけの小さな部屋だったが、窓から差し込む陽が白い壁に反射して眩しいほど明るい。
仁王に椅子を勧め、自分は向かい合わせの席に座るなり、さっそくだけど、と王子が話を切り出した。
「さっき柳が言ってたとおり、あまり時間がないんだ。先に君の話から聞こう」
「・・・話ゆう程のことがあるわけやないんよ。強いて言えば会うてみたかったちゅうとこじゃね」
「そうなのか?・・・それじゃ僕の話をさせてもらってもいいかな」
「そういえば俺に会うてみたかった、ゆう話やったな。なに?」
「まずは、ずっと影で王家を守ってくれていることにお礼を言います、ありがとう。仁王家の人達にも」
「・・・ああ、そのことか」
「だけど、僕が王になった時は、仁王の、その任を解こうと考えてる」
「・・・・・・は?」
一瞬何を言われたのかわからなくて、仁王は王子をまじまじと見つめる。
目を伏せて言葉を選ぶように話していた王子は、顔を上げると歳相応の子供らしい困ったような表情で仁王を見つめ返してきた。
「・・・おかしいと思うんだ。僕を狙ってくる敵なのに仁王が戦わなきゃいけないとか、身代わりになるっていうのが」
「別におかしくはなかろ?お前さんは王で、他に代わる者がないんじゃし」
「代わりになれる人がいないっていうのは仁王だって同じだろ?誰も誰かの代わりになんてなれない」
「王子は国の要になるんやから特別じゃき。斃れたらいかん人なんよ」
「斃れてはいけないっていうのはわかるよ。だから毎日かかさず剣の稽古もしてる。敵が襲ってきたらちゃんと僕自身が戦えるように」
「敵の方が上手やったら?」
「それは・・・、それは仕方ないかもしれない」
「死んでも、か?無茶苦茶いいよるのう。お前は王になる自覚があるんか?」
「・・・誰かを盾にして生き延びて、最後にたった1人になった王に意味なんてない、そう思う」

あぁ、柳生に嵌められた。仁王は心の中で溜息をつく。
ひ弱な温室育ちの王子様に一言皮肉でもいってやろうと思っていたのに、気がつけば王として何を犠牲にしても生き延びろと説得してしまっている自分がいる。
思わぬ展開に頭を抱えつつ、それでも不思議と嫌な気がしないのは、会っていくらも経たない王子に対して妙な親近感が芽生えてしまったせいかもしれなかった。
この王子は広場で遊んでいた無邪気で自由な子供とは違う。
自分と同じ、生まれながらに重いものを背負っている者だ。

「・・・心配せんでも、俺はそう簡単には殺られんよ。お前さんと俺自身を守るくらい余裕じゃ」
「敵の方が強かったら?」
「そんときゃお前さんを連れて逃げればいいだけよ。なにも正面きって戦うばかりが能じゃなかろ?時には逃げるのも立派な戦術じゃき」
「そうか・・・そうだな。ありがとう、勉強になったよ」
「王子は少し真面目すぎて危なっかしい。周りに1人くらいは不真面目でズルい奴が必要ぜよ」
「不真面目でずるい奴?」
「俺みたいな」
仁王が自分を指差して笑うと、目を丸くして瞬いていた王子が弾けたように笑った。
子供らしい笑い声が耳に心地よく、仁王も一緒になって笑う。
そこへコツコツと控えめなノックの音がした。
「王子、時間だ」
開いたドアからおかっぱ頭の柳が覗く。
王子はそれに頷き返して再度仁王に手を差し出した。
「仁王、なにかあった時には、僕を守るのじゃなくて、一緒に戦って欲しい。いいか?」
「承りました、王子」
握り返した手に力が篭る。
嬉しそうに笑った笑顔を残して王子が柳と去り、入れ替わりに柳生が部屋へ入ってきた。
「どうでした?王子は」
「・・・お前、王子に会うたことあるんじゃろ」
「ええ、ありますよ。王子は警護の関係であまり王宮の外には出られませんが、城の外の人に会いたいと言われて、柳くんが采配をしています。私も何度か招いていただきました」
「それなら王子に会うて俺がどういう反応するかもわかってたちゅうことじゃな」
「いえ、それはわかりません。確かに私は王子にお会いした時、次期王にふさわしい方だとは思いましたが、仁王くんが同じように感じるとは限りませんから」
「よう言う」
「本当ですよ。でもその様子だと仁王くんも私と同じ感想を抱いてくれたようですね。喜ばしいことです」
うんうんと頷きながら綺麗に笑ってみせる柳生に、こいつ結構策士なんじゃ、と危惧を感じつつ、今回の出来事に関して完全にしてやられた仁王は全面降伏するしかない。
それにそう悪い結末でもなかった。
長い間体の中に淀んでいた、なぜ俺が、という暗い塊は、すでに霧散して心も晴れ晴れとしている。
「さぁ、帰りましょうか、仁王くん。そういえば、また稽古をさぼってこられたんですよね。私も一緒に行ってお父様に謝りましょうか?」
「・・・やめてくれ」
からかうでなく、たぶん本気で言っている柳生に溜息をつきつつ、2人で城を出る。
これからはどんなに訓練がきつくてもサボれんなぁとぼやいた仁王に、柳生が嬉しそうに笑った。



**



それから3年後、柳生は機械島への招致を受けて旅立つことになった。
旅立ちの前日に柳生に呼び出された仁王は、手渡されたいくつかの武器に驚いて目を瞠る。
「なんじゃ、これ」
「仁王くんに使ってもらおうと思って作りました。いわゆる隠し武器です」
「隠し武器?」
「ええ。こうして使うんですよ」
柳生に教わりながら貰った武器を身に付けていく。
二の腕、膝、靴の爪先に踵。
重量はそれなりにあったが、特に動きを制限することはなく、服を着てしまえば身につけていることもわからない。
「へぇ・・・たいしたもんじゃのう」
「この武器が私に代わって仁王くんと一緒に戦います。王子を守り、そしてあなた自身も守れるようにと考えて作りました。・・・使ってくれますか?」
「なるほどな。重いと思うたらお前さんの分身じゃったか。柳生を背負って歩いとるようなもんやな」
「そんなに重いですか?!すみません、これでも軽い金属を使ったのですが・・・」
「冗談じゃって、本気にしなさんな。これ、使わせてもらうぜよ。・・・ありがとな、柳生」
「・・・仁王くんにお礼を言われたのは初めてかもしれません。今、とても感動しました」
「・・・あのな」
せっかく素直に礼を言ったのにと不貞腐れた仁王だったが、心の底から嬉しそうにしている柳生に毒気を抜かれて笑いが零れる。
「お前さんの分身は大事にするよ。元気でな」
「仁王くんも。また新しい武器を開発したら送りますね」
「その時は会いに行くから、連絡よこしんしゃい」




はい、と大きく頷いて笑った顔を今でも思い出す。
あれからもう5年以上経った。
仁王は青い海を見つめ、その先にある機械島に思いを馳せる。
久しぶりに会う友はどんな顔で迎えてくれるだろうかと考えれば、退屈な時間も楽しいものに変わった。




→end                                                       (07・09・24)