海に咲く夢・番外編 / 忍足(後編) 前編 / 中編
夜になり、結局この日も一泊することになった忍足は、寝台に横になって天井を眺めていた。
今日は1日ボート遊びで過ごし、日が落ちて視界が悪くなってからやっと陸に戻ってきた。
小さなボートとはいえ、情事に至れないことはなかった。
まして、昨日よりも心を開いていた岳人を落とすのは訳なかった、と思う。
だが、忍足はボート遊びの後、そのまま岳人を帰した。
興味を無くしたというのでもない。その証拠に今でも抱きたいとは思う。
「・・・なんでやろな」
忍足は独り言を呟いて目を閉じる。
『なぁ、このボートでお前の国まで行ける?』
真剣な顔でそう聞いてきた岳人に無理だと答えた。
『俺、降りたくない』
日が暮れてボートを岸につけた後、先に降りた忍足が手を差し伸べると首を振った。
このまま乗ってる訳にはいかないだろうと宥めすかして降ろしたが、その後は俯いたまま終始無言だった。
笑わせてやろうと並べ立てた、とっておきの気障な口説き文句すら耳に入らない様子で、さすがに気になった忍足がどうした?と聞けば、これにも首を振るだけで何も答えなかった。
陽が落ちるまでは元気だったのに、陸に戻る間際から急変した理由がわからない。
人はそれぞれ色んな事情を抱え持っている。
だが一時の恋愛ゲームを楽しみたいだけの忍足には関係のないことだ。
それは相手が岳人であっても同じ、はずだったが。
「・・・まぁ、しゃあないか。明日は帰らなあかんしな」
今までも全戦全勝とはいかなかった。落ちない相手だっている。
岳人もその1人だった、それだけだ。
諦めて寝ようと部屋の灯りを落とすと、微かにドアが軋む音がした。
なんだろうとドアを見ると、暗闇の中、唯一カーテンから零れる月灯りで人が立っているのがわかった。
誰何する前に忍足に向かって歩いてきた人影が、近づくにつれはっきりと見えてくる。
「・・・岳人」
驚いて声をかけるが返事は無く、岳人はそのまま近づいてきて忍足の寝ている寝台に膝で乗り上げた。
「どうしたんや、岳人」
「・・・これ、お前にもらったペンダント、嬉しかったからさ。俺もお前になんかあげたいんだけど、俺なんにも持ってないから」
そう言うと岳人は忍足の隣に入り込んでするりと身を横たわらせた。
「・・・本気なん?」
そう問えば、迷いの無いまっすぐな瞳で見つめてきて頷く。
まさか岳人に夜這いをかけられるとは思いもしなかった忍足は、その意図がわからずに混乱しつつも、訪れたチャンスは逃すまいと手を伸ばす。
「・・・なぁ、名前。お前、忍足なんていうんだ?」
探るように触れ合わせた唇を離すと、岳人がそう聞いてきた。
「侑士」
「侑士。侑士。侑士、ユーシ・・・」
教えられた名前を刻み付けるように何度も何度も繰り返して、「うん、覚えた」と岳人が微笑む。
その顔は、今朝のペンダントを手にした時と同じ、幸せそうな笑顔だった。
**
早朝から外で剣の稽古をしていた跡部は、汗を流そうと戻ってきた宿泊先で、今にも踊りだしそうなほど上機嫌の忍足とかち合った。
「おい、なに朝から浮かれてやがるんだ。気色の悪いヤツだな」
「そら浮かれるわ・・・夕べは天国やったしな。・・・ほんま、最高やったわ」
昨夜の情事はすぐに脳裏に蘇ってくる。
経験が浅いのか、終始物慣れない様子で戸惑う顔が初々しく、そのくせ敏感でどこを愛撫しても過剰に反応する。
縋り付いてくる腕も、耐え切れずに唇から零れる甘い吐息や声も、これ以上無いほど忍足を煽った。
だが跡部は、夕べの記憶に顔を緩ませている忍足を呆れたように見遣る。
「あー?当たり前だろうが。それ用の人形だぞ?悪かったら不良品じゃねぇか」
「はぁ?」
「飼い主よりも先に食いやがって、あとで揉めても知らねぇからな」
「ちょ、ちょう待ってくれ、跡部。なんの話やねん、人形とか飼い主とか」
天国からいきなり現世に、それも悪い予感を伴う現実に引き戻されて、忍足は慌てて跡部に問う。
その様子から悟ったのか、跡部が眉を寄せた。
「・・・・・・まさか、知らなかった、とか言うんじゃねぇだろうな」
「だから、何が?」
呆れたように溜息をついた跡部が説明してくれた事実を忍足は信じられない思いで聞く。
そして、昨日のボート遊びの時の態度や、夕べの意図に気づいた時にはすでに走り出していた。
**
乾に手を貸してもらいながら高速艇に乗り込もうとした岳人の足が、船縁にぶつかって鈍い音を立てた。
今朝から思うように体が動かず、苛立ったように岳人が船縁を蹴る。
「かなり重症だね」
桟橋に見送りに来ていた不二が、抱えあげられて船に乗せられた岳人を見て言う。
「昨日までは問題なく動作していたから、各パーツの機能というより動作プログラムのバグだろう。依頼人に渡す前に欠陥がわかってよかったよ」
「彼を停止させる?」
「ああ、頼む。痛覚があるから分解時に暴れられると困る」
了承した不二が呪文を唱え始めた時、待ってくれと言う声と共に忍足が走ってきた。
「待ってくれ。岳人を、どこへ、連れてくんや」
「・・・侑士」
肩で忙しく息をつく忍足に、岳人がひらりと船から飛び降りて駆け寄る。
すぐ傍に人がいるにもかかわらず、そのまましっかりと抱き合ってしまった2人に、乾は唖然とし不二は笑い出す。
「彼、直ったみたいだよ。バグってもしかして恋の病なんじゃない?」
「・・・機械人形が・・・恋?」
どうにも解せないと乾が首を捻る。
だが、今朝から1人で歩くこともできなくなっていた岳人の不具合が、忍足の出現と共に解消したのも事実だ。
機械人形に呪力の魂が入ったことで人のように心を持つというのは大いに興味深かったが、目の前の問題としてはやっかいな現象だった。
普通のバグならプログラムを直せばいいだけだが、傍にいる相手によって出現するバグなど直しようが無い。
「1回持ち帰って岳人の記憶データを全てクリアするしかないな。記憶回路は脳の一番深い所に設置してあるから頭部を完全に分解しなくてはならないが、そうすると3日、いや5日は、」
「そんなことはさせへん」
問題の解決方法を考えるのに没頭していた乾は、いつの間にか岳人と並んで目の前に立っていた忍足の静かな声で顔を上げる。
「君には申し訳ないが、俺にとっても今回のことは予想外だった。すまないが諦めてもらうしかない」
「他の奴に売られるくらいなら俺が買うたるわ。なんぼでもええから請求書送って」
「悪いが、依頼人への納期まであまり期間が残ってない。金があっても作り直す時間はないんだ」
引かない忍足と引けない乾の話が膠着状態に落ちいる。
「それなら幸村が解決してくれるってよ」
打開策を提示したのは幸村を伴って現れた跡部だった。
「話は聞いたよ。要は依頼人に渡す人形があればいいってことだろ?」
事も無げに言った幸村に忍足と乾が顔を見合わせ頷く。
「簡単じゃないか。作ればいいんだよ」
「・・・簡単には作れない代物なんだが」
「なにもホンモノを作れなんて言ってないよ。見破られる心配がないニセモノで充分じゃないか」
幸村は説明を終えると屈んで砂を集め始めた。
何をしようとしているのか皆目見当もつかない乾や忍足はただそれを黙って見ていたが、幸村に手伝え!と怒られて慌てて同じように砂を集め始める。
しばらくして砂浜に人が横たわったのと同じ位の砂の山ができると、その胸の辺りに幸村が黒い石を埋め込んだ。
「さぁ、いくよ。見てて」
幸村が呪文を唱え始めると、それまでただの砂山だった固まりが生き物のように蠢き出した。
やがてそれは人の形を成し、砂から人肌へと色を変えてゆく。
顔にあたる部分に亀裂が入り、それが目と口を形成した時、砂人形はむくりと起き上がった。
「はい、出来上がりー」
「・・・岳人そっくりやん。砂からって・・・信じられへんわ」
「・・・4分28秒、か。俺は岳人を作るのに5ヶ月と11日かかったんだが・・・」
複雑な表情で砂から生まれたもう1人の岳人を見ていた乾と忍足をそのままに、ひと仕事終えた幸村が跡部に向き直った。
「そっちの用件は済んだから、あとは俺の用事を頼んだよ」
「ああ、わかってる。おい、忍足!出発するぞ!さっさと来い!」
「出発って、ちょ、待ってや、跡部。岳人はどうするん?」
「ああ?その人形はてめぇが買い取ったんだろうが。グズグズ言ってないでそいつも連れて来い!」
早く船に乗れと急かす跡部にわかったと返しながら、忍足は念の為に乾に了解を取る。
「そういうことやから、岳人、連れてくで?」
「・・・ああ。かまわないよ」
なぜか酷く消沈した様子の乾が頷いたのを確認してから、忍足は岳人の手を取った。
**
跡部の船が島を離れていくのを見送りながら、不二はいまだに落ち込んでいる乾の肩を叩いた。
「問題は解決したじゃない。幸村が作った人形なんだから心配しなくても大丈夫だよ」
「・・・ただの砂から、たったの4分28秒で・・・」
「ああ、なんだ。それで落ち込んでるの」
「・・・肌質や瞳は長年研究に研究を重ねて、やっと人間に近いものを編み出したんだぞ」
「やだな、泣かないでよ。幸村はなんでも出来るんだから張り合うだけ無駄だって」
それに、と不二が付け加える。
「乾が半年近くかけて、精魂込めて作った人形は幸せになったんだから、それでいいんじゃない?」
どんよりとした空気を背負っている乾に笑って、不二はもう1度船が進んでいく海を眺める。
自分が魂を込めて息づいた人形が、幸せな未来を掴めたのはやっぱり嬉しかった。
→end (07・10・08〜07・10・15)