海に咲く夢・番外編 / 忍足(前編)
中編 / 後編
耳元で甘い言葉を囁きながら、指に絡めた襟元のタイをスルリと解いた。
声と唇で耳朶をくすぐられている相手は目を閉じて、うっとりとされるがままになっている。
解いたタイの隙間から覗く肌を指先で愛撫する手を止めないまま、忍足は心の中でこっそりと溜息をついた。
・・・ずいぶんお手軽やなぁ。身持ちが固いちゅう評判やったけど、どこがやねんって感じやな。
歯応えの無い相手にすっかり興醒めしているのに、口からはすらすらと定番の口説き文句が流れる。
所詮は退屈しのぎ、とりあえず、相手を気分良くさせたままやることやって、後は綺麗に去っていくだけだ。
王宮の中庭、外とはいえ植え込みと夜の帳が身を隠してくれるその場所で、まさに今、事に及ぼうとしていた忍足は、近寄ってくる足音に咄嗟に動きを止めた。
「忍足様、景吾王子がお呼びです」
植え込みの向こうからの聞き慣れた声は跡部付きの近衛兵だ。
こんな場所までわざわざ呼びに来るとは、仕事といえどご苦労なことだと内心同情しつつ、いいところを邪魔されたと不服顔の相手に合わせて大袈裟に溜息をついて見せた。
「・・・ツイてないわ、めったに無いチャンスやったのに・・・。王子の呼び出しじゃ断れへんし」
いかにも残念そうな声を作って心にも無い台詞を吐く。
だが、相手は忍足の不実に気づかずに目を潤ませて縋りついた。
「・・・また、誘ってくれる?」
「応じてくれるんやったら何度でも」
次は無いと思いつつ、優しい言葉をキスと共に贈る。
一度なら遊びで済むがそれ以上は相手を本気にさせる。
これは忍足なりの相手を傷つけない為の遊びのルールだ。
手早く着衣を整えた忍足は、律儀に植え込みの外で待つ近衛兵と共にその場を去る。
跡部からの呼び出しなら下手な暇つぶしよりよほど面白い用件が待っているはずだ。
今だ植え込みの中で涙に暮れているであろう一時の恋人のことも忘れ、忍足は期待に弾む足取りで跡部の元へ向かったが、その時にはまさか一月半にも上る航海へ連れ出されるとは考えもしなかった。
**
小型だが最新技術を搭載した高速艇が島の桟橋に停泊する。
訪問を知らされていた不二が迎えに出ると、乾は真っ白な布で包んだ大きな荷を肩に担いで降りてきた。
「ずいぶん大きな物だね。中身は何かな?」
「ここではちょっとね。不二の所へ運ばせてもらったら見せるよ」
「ふふ、なんか怪しいなぁ」
荷は大きさだけではなく重さもかなりあるようで、早くも乾の額には汗が浮かんでいる。
不二がそれじゃ行こうかと声をかけて歩き出すと乾が後をついて来た。
家に入ると乾は荷を不二の寝台の上に降ろした。
興味深げに見ている不二の前で包んでいた白布の包みを解く。
「・・・これは・・・人かい?」
「機械人形だよ」
「これが機械・・・すごいな、人間そっくりだ」
布の中から現れたのは人で言えば16、7歳くらいの顔立ちの綺麗な少年だった。
絹糸のように艶やかで真っ直ぐな赤い髪が鋭角に肩の辺りで切り揃えられている。
好奇心からその顔に指で触れた不二は、柔らかく滑らかな肌質に感動しながらも、閉じたまま微動だにしない瞼を不思議に思って眺めた。
「機械人形っていうくらいだから動くのかと思ったけど、こうして寝てるだけなの?」
「人間と同様に動く機能は持っているよ。ただ全てプログラムで動かすとどうしても機械感が拭えなくてね」
「そうか、それでここへ持って来たんだね」
「そういうことだ。頼めるかい?」
「いいよ。面白そうだし。やってみるよ」
不二が呪術の準備に取り掛かるのを乾は黙って眺める。
高価な材料と技術の粋を集めたこの世で最も人に近い人形。
その用途は唾棄すべきものだったが、酔狂な金持ちの依頼人がいなければ決して作ることが叶わなかったのも事実だった。
**
跡部の急な呼び出しの後、そのまま船に乗せられた忍足が連れて来られたのは呪術者の島だった。
楽しい事件が待ち受けているという当ても外れ、かといって跡部の命令に逆らうこともできず、渋々島へ降り立つ。
「・・・俺には洗練された都会の方が似合うんやけど」
「あーん?ガタガタ言ってないで、俺様の用が済むまでお前はナンパでもなんでも勝手にしてろ。暇つぶしは得意だろうが」
有無を言わせず連れてきたくせに、着いてみれば用は無いから勝手に時間を潰してろとのたまう。
同じ王子でも日吉や葵は礼儀正しいいい子なのに、どうして跡部だけこんなに我侭暴君なんだろうと忍足は肩を落とす。
大体、こんな辺境の島に遊ぶに値する相手がいるはず無い・・・そう思って辺りを見回していた忍足の目に、鮮烈な赤色が飛び込んできた。
物珍しげに色んな物を眺めたり触ったり、あげく飛び跳ねるようにあちこち移動する様子はまるで子供だったが、背の高さや顔つきを見ればせいぜいが自分より2、3歳下といったところだろう。
愛らしい顔の中でも一際大きな瞳が、好奇心でキラキラと輝いているのもなかなか魅力的だ。
「へぇ・・・こんな田舎でもおるもんやなぁ、跡部。ん?跡部?」
さっきまで隣に立っていたはずの跡部はすでに目的地へ移動してしまったようで、気がつけば忍足は1人取り残されていた。
「まぁ、ええわ。楽しみができたし」
忍足は口元に笑みを浮かべると、赤毛の少年のいる方へと足を向けた。
**
「おい、手塚!表に出て俺様と勝負しやがれ!」
ノックも無く人の家のドアを開けるなり戸口で仁王立ちしている跡部に、手塚はさして驚きもせずに椅子から立ち上がった。
「久しぶりだな、跡部。いつ来たんだ?」
「今、さっきだ。忙しい俺様がわざわざ足を運んでやったんだから、心してかかって来いよ」
「それはかまわないんだが・・・実は今から昼食を取ろうと思っていた」
「メシだぁ?チッ、仕方ねぇな。待っててやるからとっとと食え」
「すまないな。よかったらお前も一緒にどうだ?」
「俺様の舌は一流シェフの料理しか受け付けないってわかってんだろうな?で、昼食はなんだ?」
「俺の作ったスープとパンだ」
「なにっ!?お前が作っただと?フッ・・・面白い。腹を壊したりしねぇだろうな?」
「保障はしない」
「まぁいい。食ってやるぜ」
手塚の料理などというほとんど珍味に近いものを食せるとあって、跡部は上機嫌でテーブルについた。
**
およそ2時間、手を変え品を変えしながら話しかけ、忍足はようやく相手に会話をさせるところまでこぎつけた。
小柄な美少女のような顔立ちを裏切って、態度はでかく口も悪かったが、それも都会の洗練された貴族には無い新鮮さがあって、ますます忍足の興味を引く結果となる。
「岳人ゆうんか。顔に似合って可愛い名前やな」
「・・・お前さぁ、なんでそう気持ち悪いことばっかり言うんだ?頭おかしいんだろ」
「思ったことがすぐに口から出てしまうんや」
「頭も口もユルそうだもんな」
口説き文句を軽くいなされたあげく、ギャッハッハハと決して上品とは言えない笑い声を上げて腹を抱える姿を見ても、凹むどころかますます征服欲を掻き立てられる。
この生意気な顔が自分の体の下で、蕩けるような愛撫を受けて色を帯びていく様は想像するだけでも楽しい。
しかし、それには問題がひとつあった。
口説き落とす自信はあったが、多少の時間はかかる。
それまでに跡部が帰ると言い出す可能性が十二分にあった。
跡部がこうと決めたら忍足にそれを覆す手段は無く、かといって、岳人の為だけにこんな辺境の島に留まるのは論外だ。
・・・いつ頃帰るつもりなんか探っとかなあかんな。
自分の美学には反するが、リミットが短ければ少しくらいの強引な手は必要だ。
久々に胸躍らせる獲物に出会ったのだから、時間切れで引くことだけは絶対にしたくなかった。
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