海に咲く夢・番外編 / 柳 (中編) 前編へ/後編へ
「秀一郎王子、この後少し外してもいいか?」
「ああ、かまわない。いつもの所だろ?」
「精市がたまには顔を出せと言っていたぞ」
「俺も行きたいとは思ってるんだけどな・・・時間が出来たら行くと伝えてくれ」
夕食後、食堂から出たところで大石と別れた柳は、まっすぐに教会裏へ向かった。
知り合ったばかりの頃は大石もよく一緒に幸村達と剣の稽古をしていたが、昨年から王の政務の一部を手伝うようになり、今までのように自由に行動できる時間があまり無くなってしまった。
次期宰相の柳も政だけではなく、他国の情勢や数多の学問を習得する為に忙しくはあったが、夕食を終えた就寝までの間、日によっては僅かに1時間弱ということもあったが、ほぼ欠かさず教会裏へと日参している。
出会いから3年経ち、神学徒だった幸村と真田は、それぞれ神官と聖騎士予備軍となった。
幸村が持つ強大な呪力はいまや知らぬ者が無く、早ければ10年後には教皇の座を手にするのではという噂まである。
そして真田は、元聖騎士団の長を勤めていた祖父が現教皇に厚い信任を得ていることから、教皇の孫と同年に誕生するとわかった時点ですでに次期教皇となる幸村を守る使命を定められていた。
自らも同様に生まれた時にはすでに主が決まっていた柳は、同じ立場にある真田に特に親近感を感じている。
「蓮二!」
教会裏では幸村と真田が剣を交えていた。
いち早く柳の訪れに気づいた幸村が真田の剣を受けながら左手を軽く挙げる。
いつものように柳を迎えてくれた真田と幸村に笑み返し、ふと気付いて真田を見つめた。
「弦一郎、顔色が悪いようだが、大丈夫か?」
「蓮二、蓮二。真田の顔が悪いのは生まれつきだって」
「・・・幸村。蓮二は顔色、と言ったのだ」
毎度からかわれながら一向に学習しない真田が憮然と返す。
「馬鹿だなぁ。蓮二は優しいから遠まわしに言ってるだけだよ」
「だいぶ意味が違ってくると思うが・・・そうなのか?蓮二」
さも当たり前のように言われ不安になったのか、眉を下げた情けない表情で尋ねてくる真田に柳は笑いを噛み殺して首を振る。
「いや、顔色の話だ。少し疲れているようだぞ。聖騎士団の訓練はきついのか?」
「時間は長いが訓練自体はさほどでもない。・・・心配はいらん」
「そうか、それならいいが」
何でもないと言いつつ、僅かに目を泳がせた真田が気になったが、言いたくないことを無理矢理聞くのも憚られ、柳は頷くに止どめる。
しばらく様子を見ておかしいようなら、その時に話を聞いてみよう。
どんな真剣な話でも真田が絡むとからかわずにいられないという病を持つ幸村のいない時に。
それから数日、顔を合わせる度に疲労の度合いを色濃くしていく真田に、やはりおかしいと確信した柳は、大石に頼んで昼間に短い時間をもらった。
この時間なら幸村は神官の務めをし、真田が所属する聖騎士団は休憩を取っているはずだった。
聖騎士団の練兵場へ行き目当ての姿を見つけた柳は、ちょうど外の水飲場へ出ようとしていた真田を捕まえた。
「・・・蓮二!」
「まだ休憩時間はあるな?少しだけ付き合ってくれ」
驚く真田を半ば強引に練兵場の裏まで引っ張っていき、他に誰もいないのを確認してから柳は口を開いた。
「弦一郎、俺で力になれることはないのか?」
「・・・なんのことだ」
「そんな憔悴しきった顔でなんのことだもないだろう。鏡を見てみろ」
「・・・・・・・・・」
12歳という歳のわりに子供らしさの無い真田の精悍な顔は、いまや目の下に隈を作り頬も微かにこけるという酷い有様になっている。
教会裏での夜の稽古も疲れのせいか小さなミスを連発し、昨日はとうとう幸村に怒鳴られていた。
柳の問いに押し黙ったまま目を伏せた真田に、柳は小さく溜息をつく。
「無理に理由を問い質そうというのではない。俺にできることがあれば、と思っただけだ。・・・すまない、よけいなお節介だったな」
「・・・いや、そんなことはない。なんというか、その・・・、夜眠れなくてな。それだけだ」
「眠れない?」
「う、うむ。それで疲れて体が動かなくなるまで、夜中に訓練をな。そうすると眠れるのだ」
「そんなことをしていたら、いくらお前が頑丈だといっても早晩体を壊すぞ。不眠症ならよく効く薬草があるから、」
「いや、そうではない。その、・・・」
険しく眉を寄せた真田は、薄っすらと顔を赤らめて口篭る。
それを見た柳はあることに思い当たり、汗をかきつつ口の中でもごもごと言葉にならない言葉を発している真田を見遣った。
平均からすると多少早い感がないでもないが、真田は同年代の中でもかなり体格はいい。
人より成長の早い真田ならば、眠れない理由が思春期の体の事情である確立はかなり高かった。
「・・・そういうことか。無理して夜中に訓練などしなくても、自分で処理をすればいいだろう?」
「それはできん。予備軍とはいえ、俺は聖騎士なのだ」
そんな馬鹿な、と言いかけて柳は言葉を飲み込んだ。
確かに聖騎士は性に対する戒律が厳しかった。
女犯どころか自慰すら禁じていた時代もあったと聞いた事がある。
だが、それは昔の話で、今は聖騎士でも現役のままの婚姻を許されているし子供も出来る。
しかし真田は、古い時代の聖騎士であった祖父に教育をされ、昔の戒律を準じるよう教え込まれていた。
押し黙り考え込んだ柳をばつの悪い思いで見ていた真田の耳に、休憩終了を告げる練兵場の鐘の音が聞こえた。
「すまん、蓮二。もう休憩が終わる」
「ああ・・・そうだな。休憩時間を無駄に使わせてしまったか」
「そんなことはない。その、心配をかけてすまん。体には充分気をつけると約束する」
生真面目な顔で口を一文字に結び詫びる真田に、そうしてくれと柳は微笑み練兵場を後にした。
夜も23時を回った頃、柳は聖騎士団の宿舎がある城の東へと向かっていた。
色々考えた末に出した結論は答えだけ見れば至極単純なものであったが、それを実行に移すとなるとさすがに勇気がいった。
躊躇し迷った柳を実行に踏み出させたのは、日増しにやつれていく真田の身を案じる思いだけだった。
前に幸村と共に何度か訪ねたことのある宿舎の中に足を踏み入れた柳は、まっすぐに真田の部屋を目指す。
少しでも足を止めようものなら決意など簡単に揺らいでしまいそうで、そうならないように殊更足を急がせた。
2階の手前から1つ目の部屋、扉に視線を向けた時、ちょうどその扉が開いた。
練習用の剣を携えて部屋を出ようとしていた真田は、階段を上ってくる柳の姿に驚き目を瞠る。
蓮二、と発しかけた声は、柳の静かに、と口に指を当てる仕草でかろうじて止まった。
柳はそのまま真田を部屋に押し戻し、自らも部屋に入って鍵をかけた。
「どうしたのだ、こんな時間に・・・」
「体には充分気をつけると約束しただろう?それなのにまた外へ行こうとしたな?」
「いや、しかし、このままでは・・・」
睨む柳の視線にしどろもどろで応じていた真田は、観念したように肩を落とした。
「・・・今の戒律はそんなに厳格なものではないということは知っている。だが、俺にはできん」
「わかっている。・・・弦一郎、俺を信じて任せてくれないか」
「どういうことだ?」
問いには答えず、柳は真田の腕を引いて隣にある寝室へ向かう。
「横になってくれ」
寝台を指差す柳に疑問を感じながらも真田が素直に従う。
仰向けに横になった真田の両目を片手で覆った柳は、自分自身も落ち着けるように深く息を吸う。
「・・・蓮二?」
「今からすることにお前は一切関知しない。俺が勝手にすることだ。いいな?」
普段よりも静かでどこか冷淡にさえ聞こえる柳の声に、何かを感じ取った真田が目を覆う柳の手首を掴んだ。
「・・・蓮二、何をする気だ?」
「お前を楽にしてやる」
「・・・!馬鹿な!そんなことをすればお前が罪に落ちる!」
「俺は聖騎士ではない。故に戒律に縛られないから罪も無い。・・・正直、お前がそうして憔悴した顔をしているのが俺には辛い。だから、これは俺自身が楽になる為にすることだ。勝手を言って済まないが暫く我慢してくれ」
眉を寄せた苦しげな柳に真田は言葉を失う。
柳にこんなことを言わせる自分が心底情けなく、かといって生まれたときから祖父に植えつけられてきた概念を壊すこともできず、真田はきつく目を閉じるとさらにその上を自分の手のひらで覆った。
「・・・すぐに済む。楽にしていてくれ」
「・・・・・・・・・」
柳は真田の服に手をかけ、必要最低限だけ着衣を乱す。
できるだけ真田の心に負担をかけないよう機械的に済ませ、洗面所を借りて手を洗った。
寝室に戻るとどこか放心したような顔の真田が寝台に腰掛けており、柳の心が痛む。
人体の仕組みに逆らう不自然な戒律のせいで苦しむ真田を助けたかったが、もしかしたらより苦しめる結果を生み出したのかもしれない。
自分のしたことは間違いだったのだろうか、そう考えると、たちまちのうちに後悔の波が押し寄せ柳は耐えるように拳を握り締めた。
戸口で立ち竦む柳に真田が視線を向ける。
そのまま頭を掻き毟るようにした後、立ち上がって柳の傍まで歩いてくると、いきなり両肩を掴んで抱き寄せた。
「すまん。お前にとんでもないことをさせてしまった」
「・・・謝らなくていい。俺の為にしたことだ。・・・少しは楽になったか?」
「ああ。何か重い物が体から抜け落ちたようだ。これで久しぶりにゆっくり寝れる」
「・・・・・・そうか。良かった」
「蓮二・・・ありがとう」
抱く腕を緩めて真正面に立った真田を見た柳は、今の言葉通り晴々とした真田の表情に安堵の息を付く。
今更のように震える手を隠すように押さえて柳は真田に微笑んだ。
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