海に咲く夢・番外編 / 柳 (後編) 前編へ/中編へ
大石と共に国の歴史について学ぶ為、柳は城の書庫へ来ていた。
該当する文献を選び、机に何冊か積み上げてから席に着く。
向かい合って座る大石はすでに本を読み始めている。
柳も分厚い歴史書を開き、調べようと思っていた所を探し出して目で追い始めたが、いくらもしないうちに頭は別のことを考え始め、追っていた文字は頭の中を素通りしていった。
数ページ捲った後で己の状態に気づき、仕方なくページを戻す。
数日前から気を抜くと思考が別の所へ飛んでしまい、そうなるまいと四六時中気を張っていれば今度は疲れから思考が散漫になった。
「・・・ぎ、・・・柳、・・・・・・大丈夫か?」
「あ、ああ・・・すまない。なんだ?」
大石に声をかけられていることにすら気付けなかった自分に、内心溜め息を漏らし、柳は大石の方を向く。
大石は柳を見つめ、そして安堵したように小さく笑う。
「気分が悪いとかでなければいいんだ。少し休憩するか?」
「大丈夫だ。続けよう」
意識して一字ずつ文字を追い、頭の中に書き込むようにして集中する。
やっとのことで本の内容にのめり込んだ時にはもう学習時間の終了時刻だった。
「柳、この後なんだが、予定を変更してもいいか?」
「かまわないが・・・何か急な予定でも入ったか?」
本を書棚に戻した大石が視線で入口を指す。
そこには見慣れた銀髪が立っていた。
「仁王か。では城外へ?」
「ああ。城下町の道場にかなり使える剣士がいるらしい。午後の稽古はそこへ行ってみようかと思って」
「それなら俺も同行しよう」
「いや、柳は少し休んでてくれ。たまにはゆっくりするのもいいだろ?」
大石の申し出に、そういう訳には、と口を開きかけた柳を仁王が制する。
「俺がついとるから心配いらんよ。お前さんはあれこれ予定を詰めすぎじゃ。ちぃとは息抜きも必要ぜよ」
2人がかりで休めと言われたら柳も食い下がれない。
仕方なく承諾して城下へ出掛けて行く二人を見送った。
**
「・・・という訳で暇を出された」
「俺としてはこうして蓮二が尋ねてきてくれて嬉しいけどね」
自分のあまりの不甲斐なさに消沈した柳は、ちょうど午後の勤めを終えた幸村を訪ねていた。
こんな時ばかり頼って申し訳ないとは思うものの、不思議な包容力を持つ幸村といると少しずつ気分が落ち着いてくるのでつい来てしまう。
幸村が入れてくれたお茶のカップを両手で包み、立ち上る香りに癒されて目を閉じる。
この現状を打破する手立てを考えなければ、いずれ永久に暇を出される日も遠くないと、知らず溜息が洩れた。
「やだなぁ、蓮二。そんな悩ましい顔して溜息なんかつかないでくれる?襲っちゃうよ?」
「神官らしからぬ発言だな・・・・・・俺はそんな顔をしているのか?」
「色っぽくてゾクゾクする」
「・・・・・・・・・」
意識して表情を引き締めてはみたが、幸村が何を以って悩ましい顔と評しているのかがわからなければ、解決になっているかどうかも不確かだと思い当たって、柳は無駄な努力を早々に打ち切る。
それに、そんな風に見られる原因にも心当たりがあり、隙あらば思考が飛んでいく先もその原因にあった。
誰にも知らせず、夜に真田の部屋へ行くようになって二月半が過ぎた。
初めの頃こそお互いどこか気まずい思いがあり、事を済ませてすぐに退室していたものの、最近ではその後で短時間だが話をするようになっていた。
きっかけは、帰ろうとした柳を真田が、茶でも飲んでいけと引き止めたことだ。
真田からすれば用だけ済ませて追い返すのは忍びないといったところだろう、と柳は推測する。
自分で言い出したくせに、気まずい雰囲気の中、無言で顔を突き合わせて茶を啜るという空気に堪えかねた真田が、四苦八苦して捻り出した話題に柳が乗り、そうこうしているうちに話が盛り上がり、気づけば夜が明けていた。
さすがに徹夜明けで聖騎士団の訓練や、大石について勉強や剣の稽古をするのはきつく、次回からは注意をするようになったが、それ以降は就寝と決めた時間ぎりぎりまで話をしてから帰るのが習慣となっている。
そうして少しずつ積み重ねた時間が柳の想いに深い色合いを加えていく。
「心、ここにあらず、って感じだなぁ」
声をかけられてハッと幸村を見れば、頬杖をついた姿勢で楽しそうに柳を見ている。
またやってしまったと思わず天を仰ぎ、柳は幸村に溜息混じりで詫びた。
「・・・すまない」
「悩み事なら相談に乗るよ?・・・って言っても、話さないんだろうな、蓮二は」
「・・・・・・申し訳ない」
悪戯っぽく笑う幸村は、たぶん自分と真田のことに感づいているんだろうと柳は思う。
良くも悪くも真田は馬鹿正直で何でも顔に出てしまうし、挙句自分がこの有様では聡い幸村がおかしいと思わないはずはない。
行為自体はばれても構わないが、真田にすら隠し通している心の内だけはたとえ幸村といえど知られる訳にはいかない。
この想いだけは絶対に誰にも知られてはならない。
責め立てて聞き出すような真似をせず、必要になったら話してくれと言ってくれる幸村には、心から済まないと思ってはいても。
「・・・俺は精市には甘えてばかりだな。精市が俺にしてくれることをいつか返せる時がくればいいが」
「返すなんて水臭いこと言わないで、蓮二は俺に愛されてればいいんだよ」
「そんなことを言うとつけあがるぞ」
「いいんだって。蓮二は特別」
立ち上がった幸村が柳の背後に立つ。そして後から腕を回して包むように抱きしめた。
「大好きだよ、蓮二」
正直にいって、柳はどうして幸村が自分にここまでしてくれるのかわからない。
だが、無条件に注がれる愛情は心地よく、後ろめたさや罪悪感、落ち込んだ気分をも癒してくれる。
「俺も精市が好きだ」
肩越しに振り返ってそう言うと、満足そうに微笑む幸村の唇が柳の頬に落ちた。
**
夜に教会裏での稽古を終えて、いったん自室に下がった後で柳は真田の部屋へ向かう。
最初の頃は真田の体の周期がわからず、1週間に1度くらいの割合で訪ねていた。
真田は決して自分から求めることはしなかったが、ある日、前のように目の下に隈を作っているのを見かけて、1週間では長すぎたと判断した柳は、今は4日に1度の頻度で真田の部屋へ行っている。
ドアの前に立つとノックをする前に扉が開く。
無言で中に入るよう促す真田はいつまで経っても行為そのものに慣れることはなく、事が済むまではどこか緊張した表情で目を合わせることもない。
だが、そんな真田が柳には愛おしい。
人はどんなことでも時間をかければ慣れていく生き物だ。
そして慣れてしまえばさらに多くを望む欲深い生き物でもある。自分のように。
自ら寝室へと入っていく真田の後を柳も追う。
真田はいつものように寝台に横になり、目を閉じて更に己の手で目を覆った。
そうして初めて柳は深く息を付く。
胸の内に狂おしくくすぶるこの想いは、この行為があくまでも友情に端を発していると信じてくれている真田に対しての裏切りにほかならない、ということを充分承知していた。
だから、自分の想いが表情や言動、仕草、そして触れる指先から、ほんの僅かでも滲み出ることがないよう細心の注意を払う。
心も感情もすべて押し殺し、機械のように迅速に的確に処理を終えることだけを念頭においた。
**
その日、柳は政務を終えた大石が待つ書庫へと足を急がせていた。
あと数メートルで書庫に着くという時、並びにある礼拝堂の扉から血相を変えた神官が走るように城の外へと向かっていくのを見かけた。
何事だろうかと思いつつ、いつまでも大石を待たせるわけにはいかないと、柳は書庫の扉を開けた。
てっきり中には大石だけがいるものと思っていた柳は、仁王がそこにいたことに驚き、さらに2人の表情からなにかよくないことが起こったのだと感じ取った。
「何かあったのか?」
歩み寄った柳に仁王が答える。
「教皇が倒れたんよ。教会の中は上を下への大騒ぎじゃ」
「教皇が!?それで容態は?」
「城からも医師をやったが、まだ様子はわからない」
柳の頭に先程すれ違った神官が浮かび、ついで幸村の顔が浮かんだ。
「教皇は精市の祖父だ。何事もなければいいが」
「それが問題になっておっての」
「どういうことだ?」
「教会内ではすでに次期教皇に誰を据えるかで揉めとるんよ。今のところ、最有力候補が幸村精市じゃ」
まさか、と絶句した柳に大石が頷く。
「今、教会内で一番の権力を持っているのが現教皇派だ。教皇が持ち直せばいいが、万が一の時は・・・」
「精市は俺達と同い年だぞ?いくらなんでも若すぎる!」
「反対派もそういうちょる。・・・そこで1つ懸念があるんじゃ。反対派には過激な手段を厭わないのが数人おっての」
「・・・精市が狙われるというのか・・・?」
蒼白になった柳を大石が励ますように肩を叩く。
「大丈夫だ。そんなことは絶対にさせない。その為に仁王に来てもらったんだ」
「・・・仁王が?」
「俺と真田、あともう1人、来月から兵士として城に勤めることになった黒羽いう奴がおるんよ。幸村は元々誰よりも強いんじゃし、4人おったら敵が複数で来ても対応できる」
「城を警備している兵士をつけようかとも考えたんだが、あからさまな警護は却って敵の手段を陰湿にすると仁王に言われた。確かに、仁王や真田が幸村の傍にいても警戒はされないからな」
大石と仁王のおかげで柳はどうにか衝撃から立ち直り、頭も冷静な判断を始める。
「仁王、よろしく頼む。俺も時間が空いた時はできるだけ精市の傍にいよう」
「まかせんしゃい」
「それがいい。本当は柳を幸村につけてやりたいんだが、そうすると俺が困るからな・・・」
ごめんと大石に謝られて柳は笑って首を振った。
柳は大石の家臣なのだから謝る必要なんてないと言いたかったが、胸に詰まって言葉が出なかった。
最近の失態続きを大石も内心呆れているだろうと思っていたし、このままいけばいずれ、お前は必要ないと言われるのではないかと恐れていた。
だが、大石はまだ自分を必要としていてくれる、それが何よりも嬉しく柳の心の支えになった。
**
教皇の容態は意識不明の膠着状態が続き、倒れてから5日が過ぎた。
教会では24時間体勢で祈祷が続き、その裏では相変らず次期教皇を誰にするかで政治的な駆け引きが行われていた。
柳は大石が王に付いて政務を行っている間、真田は聖騎士団の訓練が無い時間、仁王と黒羽は常時幸村の傍で異変に備えている。
この5日間は特に何事も無く、取り越し苦労であればいいと思った翌日、事態が急変した。
最悪だったのは、一瞬だけ意識を取り戻した教皇が次期教皇に幸村を推薦してしまったことだ。
これによって反対派は後が無くなった。
「今夜が一番危険だ。今日は俺も精市の部屋に泊まろう」
「それじゃ、蓮二は俺と一緒にベッドで寝よう。あとの奴は床で寝ろよ」
「・・・柳の予想が当たれば、寝てる暇は無いと思うんじゃけど」
「おい、こいつ、本当に神官なのか?」
聖騎士団の訓練で外している真田以外が揃った幸村の部屋は、当の本人である幸村が緊張感のかけらも現さない為、友人同士が遊びに来ているような賑やかさだった。
だが、どんなに軽口を叩いていてもそれぞれは警戒を怠たらない。
いつ何時敵が襲ってきても、それを迎え撃てるだけの訓練はここにいる全員が幼い頃から積んできていた。
予測した通り、深夜に5人の男が幸村の部屋へ襲撃してきた。
絶対に仕損じることのないようにと送り込まれた男達は、ひと目でそれとわかる傭兵だった。
幸村が強大な呪力を持ち、且つ大人の兵士が本気でかかっても勝てないと知っている反教皇派の神官達は、傭兵に呪い避けの護符を持たせていた。
灯りの無い狭い室内でプロの傭兵を相手に剣のみで戦い抜き、どうにか撃退して部屋に灯りをつけると、中は惨憺たる有様となっていた。
「怪我をした者は?」
「黒羽が怪我をしとる」
「なーに、こんなのかすり傷だ。舐めときゃ直る」
黒羽に手当てをし部屋を片付けてから、柳達は今後の対策を話し合い始めた。
今夜の襲撃が失敗したとなれば、相手はさらに多くの傭兵を集めかねない。
「なぁ、もう少し広い部屋に移れねぇか?今日以上の人数でこられたら、戦うどころか身動きもできねぇぞ」
「それよりも、何か理由をつけて宿舎の門前に兵士を置くというのはどうだ?精市に直接護衛をつけるのでなければ問題ないと思うが」
「それよりも、敵さんに脅しをかけに行ったらどうかのう」
柳、黒羽、仁王の間で様々な意見が出る横で、真田は無言で眉間に皺を寄せ、幸村は不機嫌なオーラを周囲に放ちながら何か考え事をしている。
「精市、どうした?」
「俺は教皇になんかなりたくないんだよね。教会の教義は古臭いし堅苦しくって窮屈だし。つまり、俺の利害は敵の方と一致するってことなんだよ」
「だが、傭兵を送り込んでくるような輩とは手を組めないぞ」
「俺だって嫌だよ。邪魔者は消せなんて頭の悪い連中と組むのはごめんだね。それで何かいい手はないかって考えてたんだけどさ」
思うような策が見つからないのか、幸村がイライラと指先で机を叩く。
「敵さんに暗示をかけるんはどうかの?お前さんならできるじゃろ」
「ああいう狂信的な奴らは暗示にかかりにくいんだよ。時間もかかって面倒だし、それなら殺しちゃったほうが早いって」
「・・・こいつは本当に神官なのか?なんかの間違いじゃねぇのか・・・」
仁王の提案にとんでもない回答を返した幸村を見て黒羽が小声で呟く。
柳は考えついた幸村の意に沿う提案をほんの一瞬だけ逡巡した後、口にした。
「精市。しばらく身を隠したらどうだろう。もちろん、神官の籍はそのままで、だ」
「つまり、敵さんはターゲットが有効なまま見失って手も足も出せず、教皇側も幸村がいなければ後に据えことはできん、こういうことか」
「身を隠すって、どこへ?」
「どこでも。精市の好きなところへ。・・・できれば国外の方が安全だろう」
提案した柳を幸村は静かに見つめる。
たぶん、この程度のことなら幸村は考えついただろうと柳は思う。
そして却下したのだろう。もしかしたら柳の為に。
「名案だね。さすが蓮二だ」
椅子から立ち上がった幸村がすぐ隣に立っていた柳を抱擁する。
そのまま、柳だけに聞こえるように耳元で「いいのか?」と囁いた。
柳はそれに頷くことで答え、幸村の背中に回した腕に力を籠めた。
**
明日の夜になれば新たな刺客が送られてくるかもしれないことから、出発は翌早朝と決まった。
漁師に知り合いのいる黒羽に西国までの船を頼み、幸村と真田は簡単な旅支度を整える。
幸村に言われて真田の仕度を手伝っていた柳は、襲撃の後、一言も口を聞いていない真田が気になり、仕度の合間に話しかけた。
「弦一郎、何かあったのか?」
柳の問いに真田が仕度の手を止める。
「・・・ずっと考えていたのだ。教会とは、神官とはなんなのだろうか、とな」
「弦一郎・・・」
「教義に従い、神を信仰し、神に仕える、それが教会や神官の在り方だと思っていた。だが現実は違う」
力なく呟くように話す真田が傷ついているように見えて、柳は思わず真田を抱きしめた。
祖父によって植えつけられた教義こそが正しい道だという概念が、今夜のことで足元から崩れてしまった。
教義にあるように弱いものを助け、常に己を高め、全ての人を愛し、神に感謝を捧げて生きる。
そんなことは理想でしかなく、今となっては組織化した教会にそんな教義の入り込む隙間などないことは誰でも知っている。真田以外の人間ならば。
「教会や神官がどうであってもお前には関係ないだろう?弦一郎は自分が信じた正しい道を貫けばいい」
「・・・蓮二。俺にはもう、何が正しいのかわからんのだ」
「それならば、お前の思うままに進めばいい。お前なら間違うことはない」
「・・・俺の思うままに、か。・・・それが教義から外れることであっても間違いではないのか?」
「教義が全てではないだろう?」
「・・・そうだな」
真田の様子が落ち着いたのを見て取った柳は、抱きしめていた腕を解く。
だが、自分の背に回されていた真田の腕は、緩むどころかさらに強く抱き寄せられて柳は戸惑う。
「・・・弦一郎?」
「すまん・・・もう少し、このままでいいか?」
きつく抱き寄せられ、耳元で真田の声が聞こえ、柳は背筋を走った戦慄を必死で堪える。
「・・・蓮二はいつも良い香りがするな」
柳の忍耐に気づかない真田は、柳の首筋に鼻先を埋めるようにして陶然と呟く。
「匂袋の香りだろう。気に入ったのなら弦一郎にもひとつ渡そう」
どうにか意識を逸らそうと返事をしてみたが、もはやちゃんと言葉になっているかどうかも自信がない。
「匂袋か。それがあればいつでも蓮二が側にいるような気分になれるかもしれんな。貰えるか?」
「今身につけているのでよければ。外すから腕を緩めてくれ」
「あとでいい」
せっかくの好機も跳ね除けられて、耐えるのもそろそろ限界になった柳はが困惑したまま真田に問う。
「・・・弦一郎。どうしたんだ」
「・・・ずっと、こうしたいと思っていた。夜にお前が訪ねて来て、帰っていくのが辛かった。いつも帰したくないと思っていた」
真田の告白に驚愕した柳の体がびくりと震える。
それを柳が拒絶したものと勘違いしたのか、真田は苦く笑って拘束を解いた。
「勝手を言ってすまん。だが、当分会えなくなるのだと思ったらつい、な」
信じられない言葉に呆然としていた柳は、離れていく腕と体の感触で我に返った。
そのまま離れていこうとする真田を今度は柳が腕を取って引き止める。
真田の胸に身を預けるように寄せて腰に腕を回した。
「予想もしていなかった。弦一郎も俺と同じ気持ちを抱いていたとはな」
「・・・蓮二、では、お前も?」
「弦一郎は聖騎士だから、禁忌を犯させてはならないと思っていた・・・いいのか?」
「俺が思うままに進めと言ったのは蓮二だぞ」
「そうだったな・・・」
顔を見合わせて笑い、そのままお互い見つめ合う。
どちらからともなく寄せて触れ合った唇は背筋が震えるほど甘く歓喜に満ちていた。
**
早朝、黒羽が用意した漁船へ乗り込む幸村と真田を大石も含めた4人で見送った。
「精市、体に気をつけて、元気で」
「蓮二、俺が蓮二のこと大好きだって忘れないでよ」
「忘れるわけ無いだろう?俺も精市のことが好きだ。それは忘れないでくれ」
「忘れないよ。ほとぼりが冷めたら帰ってくるから、それまで待ってて」
「ああ。待ってる」
抱き合って別れを惜しむ幸村と柳を大石達は黙って見守る。
ほとぼりが冷めるまでといっても、それがいつになるかは誰にもわからない。
「やっぱり蓮二を連れて行きたい!大石、蓮二を貰っていい?」
「いくら幸村の頼みでもそれは聞けないな」
「幸村、蓮二は次期宰相だぞ。無茶を言うな」
「そんなことはわかって言ってるんだよ。真田のくせに生意気言うな」
「・・・なっ!」
理不尽な言われように反論の言葉が出ず、ぱくぱくと口を動かすだけの真田に皆が笑う。
「さて、名残は尽きねぇが、そろそろみんな起きて来る時間だぞ。船を出したほうがいいんじゃねぇか」
黒羽に言われて渋々柳を離した幸村が、先に漁船に乗り込む。
「ではな」
「弦一郎も元気で。精市を頼んだぞ」
真田が頷き、幸村を追って船に乗った。
漁船が港を離れていくのを4人で見送る。
「淋しくなるな、柳」
「またすぐに会える日が来る」
「幸村がなかなか戻ってこれんようなら、こっちから会いに行けばいいんよ」
「それもそうだ。父から成人したら戴冠式までは外国を回っていいと言われている。柳も一緒に行くか?」
「ぜひ同行させてもらおう」
小さくなっていく船を見送りながら、柳は不思議とあまり寂しいとは感じなかった。
離れていても心が繋がっていれば寂しいことはないのかもしれないと、そう柳は思った。
→end (07・10・28〜07・11・12)