海に咲く夢 3部 25
晴れ渡る空に花火が打ち上げられる。
青の国の人々と隣国である西国、東国から来た人々で、街の至る所はどこもかしこも所狭しと人が溢れかえっている。
そこかしこに青の国旗がはためき、ここぞとばかりに店や露店は声を張り上げ客を呼び込み、広場では音楽を奏でる者や芸を見せる者に人垣ができる。
行き交い立ち止りする人々は、みな晴れやかで嬉しそうな笑顔を浮かべている。
東国の侵略で国が滅んでから約6年、人々が心から願っていた青の国の復活である。
城の庭園は開放され、そこに特設した場では戴冠式が行われていた。
全身青一色の王が着る装束を身にまとった大石が、教皇に渡された王冠を戴く。
それを英二は青の臣下が並ぶ末席で見つめていた。
長い旅だったと思う。
途中から旅に加わった英二ですらそう思うのだから、大石や柳の感慨はもっと深いだろう。
英二は貴賓席を眺める。
そこには旅の途次で出会った様々な顔があった。
西国からは即位して王となった跡部が日吉や忍足たちと一緒に来ていた。
昨日の夜に青の国に着いた跡部たちは、修復が完了した賓客の間で大石や英二と挨拶を交わした。
西国の戴冠式は先月行われていたが、国の代表者がはっきりしていなかった青の国からは誰も出席することができなかった。
「本当にすまなかった。西国に何かと世話になっていたのに大事な式に出席できないなんて」
大石がそう言って詫びると跡部はフン、と鼻で笑う。
「西国の戴冠式の主役は俺様だぜ?誰がいなくたって俺様がいれば成り立つんだから気にすることはねぇ」
「跡部さん1人きりの戴冠式というのも面白かったでしょうね」
皮肉な笑みを浮かべながら日吉が混ぜ返し、想像した英二が吹き出した。
むっとした跡部が文句を言おうとするのを南と東方が止める傍ら、丸井がもっとやれと煽る。
忍足と岳人はそれを見て笑い、そしてその横には不二と手塚もいた。
「跡部が即位した時の恩赦で僕も西国に帰れることになったんだ」
そう言って微笑む不二は嬉しそうで、それを手塚が優しい瞳で見ている。
良かったねと一緒になって喜びながらも英二は、そうなると呪術者の島には真田と幸村と赤也だけになり寂くなってしまうんじゃ、と心配になる。
だが、心配は無用だと一緒に賓客の間に来ていた幸村が笑う。
「俺たちもこの機会に青の国に戻ることにしたから。こないだお爺様に会ってちゃんと話し合いもしてきたしね」
驚く英二に真田は無言で頷き、赤也はVサインをして見せる。
不二や幸村が呪術者の島へ行った経緯を知っている英二は、それぞれが自分の国へ帰れることになったことが本当に嬉しかった。
他に招待客として呼ばれていた千石や亜久津にも会った。
千石たちは仁王に頼まれて叔父の身辺調査で山岳地帯へ行っていたという。
「もうさぁ、大変だったんだよー。山ばっかりで」
「だから最初に言っただろうが。てめぇには無理だって」
「そうなんだけどさぁ、仁王くんの頼みじゃ断れないしね?」
「嘘つけ。前払いの報酬をさっさと使い込んで、断れなくなっただけだろうが」
どこまでも悪びれない千石に亜久津が細かな突っ込みを入れ、その会話がおかしくて英二も大石も笑う。
来賓には英二の父である春の王も来ていた。
遠路はるばる駆けつけ、昨夜遅くに青の国に着いた父は、今は亡き親友の息子を抱きしめて即位することを心から喜んでいた。
そして英二の、このままずっと青の国に留まりたいという願いも快く許してくれた。
来年には英二の兄が王として即位し、位から退く父はまたその頃に遊びに来くると約束もしてくれた。
来賓や国の人々が見守る視線の中、王冠を戴き、背筋を伸ばして真っ直ぐに立つ堂々とした大石の姿を見て英二は微かに笑う。
最初に会った時は海賊だと思った。
前を大きくはだけたシャツに多数の装身具をザラザラと付け、頭には真っ青な布を巻いた格好は海のならず者以外の何者でもなかった。
その海賊にさらわれ、無理矢理船に乗せられた時は本気でどうしようかと焦ったほどだ。
逃げるのに失敗してやむを得ず一緒に旅をするうちに船の仲間たちとも仲良くなり、そして大石の真の姿も知った。
自ら仲間になることを望み、受け入れられた時の喜びは今も忘れていない。
その後も、東国の塔に幽閉されていた大石を助けに行ったり、極楽島では母に執着するオーナーに言い寄られたりと、旅の間のことは思い返すだけでも波乱に飛んだ色々な出来事が蘇ってくる。
そんな旅も無事終わりを告げ、大石は青の王になった。
やっぱり大石には海賊よりも王の方が似合う。
庭園に集まった人々の祝福と期待の視線を受けている大石を見ながら英二は思う。
父母を亡くし、国を亡くし、自らも命を狙われ戦い続けてきた大石が、やっと祖国を取り戻し王になった。
辛く長い旅にあっても決して失う事の無かった優しさと強さは、きっとこの国の人々を幸せにするだろう。
英二は人々を見渡し心の中で囁く。
だからみんな安心して暮らしていいよ、と。
**
戴冠式が終わり、場所を王宮の広間に移して祝いの宴が行われている。
その中を仁王は出口に向かいゆっくりと歩いていた。
広間には柳が采配した警備の兵に混じって黒羽や慈郎の姿もあった。
近衛兵の正装である白の上下に青の制帽と腰帯を身に着けた姿はなかなか見栄えがする。
上背もあり体格のいい黒羽は当然として、小柄で終始眠そうな顔をしている慈郎ですらきちんと正装すれば立派な兵士に見えるから不思議だと仁王は思う。
広間の隅に近い壁際には片手に飲み物を持った木手が所在無さげに立っている。
この場にいるのは居た堪れない気分だろうが、それも今日までだ。
木手の出身地である美海島から便りが届いたのが昨日、中には砂地だった島に緑が蘇ったこと、悪辣な真似をしていた島長が追放されたことが書かれていた。
晴れて美海島に帰れることになった木手は明日青の国を発つ。
そして広間の中央、次から次へと祝いの言葉を述べる客たちに捕まり、歩くことすらままならない様子の大石と両脇に従う柳と英二。
仁王は広間の扉にもたれて王となった大石を束の間眺める。
そしてそっと広間を抜け出した。
城の廊下を進み、兵士や使用人たちが使う部屋が並ぶ中を通り過ぎて、いったん王宮の外に出る。
そこから庭園の裏を歩いていくと古い塔があった。
塔の下で警備をしていた兵士と一言二言話した仁王は、兵士が持ち場から離れるのを見送って塔に入る。
式典などで使う物が入れられている物置の1階から石造りの階段を登って2階に上がり、仁王は鍵のかかっていない扉を開けた。
「こんばんわ」
そう声をかけると寝台に寝転がっていた赤澤が起き上がった。
「どうした。とうとう俺たちの処刑でも決まったか?」
「今日は式があったし、まだ客もおるから血生臭いことはせんよ。明日はわからんけど」
平然と答える仁王に赤澤が苦虫を噛み潰したような顔になる。
そのまま、部屋の隅で椅子に掛けて本を読んでいる観月をちらりと窺い、赤澤は仁王の耳元に顔を寄せた。
「頼む、観月だけでも逃がしてやってくれ」
そう小声で囁くのに仁王が笑う。
「ベタ惚れじゃのう」
「うるさい。俺はあいつを守ってやると約束したんだ。男は約束を守るもんだろ」
あくまで観月に聞こえないよう小声でやり取りをしながら赤澤が憮然と腕を組んだ。
「まぁ、俺もそのつもりでおったからの。ちう訳で、2人とも逃がしてやるけぇ、どこでも好きなとこに行きんしゃい」
「え?」
信じられないという顔で赤澤が仁王を見る。
観月も読んでいた本から顔を上げてこちらを見ていた。
「叔父上の正体を話してくれたら赤澤と一緒に逃がしてやるって約束を観月としたんよ。約束は守らんといかんからの」
「・・・ですが、それは僕が話したのではなく、」
戸惑ったように口を開いた観月を仁王が手で制す。
「話そうとしとったじゃろ?実際、あの場に叔父上が来なければお前さんが話してたろうし」
逃がしてくれるという仁王を信じていいものか、困惑を隠しきれない観月と赤澤が顔を見合わせる。
「さ、お二人さん。のんびりしてる時間は無いんよ。見張りの兵士はもうすぐ戻ってくるじゃろうし、さっさと支度してくれんか」
仁王に促されて逃げる覚悟をした赤澤が椅子に掛けたままの観月の腕を取る。
「観月。ここにいれば何かしらの刑は受けることになるんだ。少しでも望みがあるならそれにかけよう」
逡巡するように目を泳がせていた観月も赤澤の熱意に押されて頷く。
「・・・わかりました」
立ちあがった観月が赤澤と共に歩いてくるのを待って仁王は塔の中を先導する。
すっかり陽も落ちて薄暗くなり始めた庭園の裏には他に人影も無い。
仁王は2人を導いて城の裏門近くにある商人たちが使う小さな扉の前に立った。
現在の警備は表門と宴の開かれている城の広間に集中していて、裏門は閂がかかっているだけだ。
まだ人手の足りない城では要所以外は見張りの兵士すらいない。
仁王は手にしていた鍵で扉を開けると2人を外に出した。
「いないのがばれたら追手がかかるかもしれんから青の港は使わんでな。いったん東国に出てそっから船に乗るのが安全じゃろ」
「こんなことを聞くのはなんだが、俺たちを逃がしてお前は大丈夫なのか、仁王」
騙されていたとはいえ、一時は仲間だった相手を赤澤が気遣う。
それに苦笑して仁王は大丈夫だと答えた。
観月たちの姿が遠ざかり見えなくなるのを待って仁王は一度城を振り返る。
思い残すところが無いでも無かったが、振り切るようにして扉の外に出た。
父の代と違って平和な今は王に向けられる刺客など無い。
あったとしても柳が采配している近衛兵たちが大石の身を守るだろう。
英二を巻き込んでの策略は大石を激怒させ、観月を嵌める為に唆した暗殺計画での失態はこともあろうに大石を危険な目に合わせるところだった。
その上、国の略奪を計った観月と赤澤を逃がしたとなれば、もう仁王には大石の傍に留まれる理由などない。
仁王はいまだ人通りの多い表通りを避け、鉱山へと続く道を歩く。
鉱山から山道へ入ってしまえば国境の門を通らずに西国でも東国でも入ることができる。
「さて、本当に失業した訳じゃのう・・・再就職はやっぱり用心棒か?」
ぽつりと呟いて星が瞬きだした空を見上げる。
大袈裟に考えるようなことではないはずだった。
出会いの数だけ別れはあって当然、来るものは拒まないが去る者は追わない、人にも物にも執着はしない、それが自分の生き方だ。
なのに、このどうしようもなく襲いかかってくる喪失感はなんだろうか。
仁王は空を見上げたまま立ち尽くす。
どうにも足が動かなかった。
「におーっ!」
微かに声が聞こえた気がした。
どのくらい突っ立っていたのか、体が冷えきった感覚だけがある。
「におー!」
今度は間違いなく聞こえた。英二の声だ。
声のした方を振り返ると走ってくる人影が3つあった。
近づくにつれはっきりと見えてきた姿に仁王は目を丸くする。
城で行われている祝いの宴の主賓である大石がいた。
「んもーっ!探したじゃん!!」
怒る英二は逃がしてなるものかとばかりに息を切らせたまま仁王の袖を掴んだ。
「警備を疎かにしてこんな所で何をしている」
柳はいつもと変わらぬ涼しげな佇まいで微かに眉をしかめる。
仁王は正面に立つ大石を見た。
何か言わなくてはいけないと思ったが言葉は出なかった。
「戻るぞ、仁王」
心の内を察しているのか大石は何も聞かない。
「俺は、」
「早く戻んないと!俺たちはともかく、主役の大石が抜け出してきちゃったんだから!」
どうにか絞りだそうとした言葉を英二が遮り、仁王の背中を押す。
「待ってくれ。俺は、」
背を押され、流されるように歩きだす足を仁王は力を入れて止める。
このまま何も無かったことにはできない。
「話は柳から聞いてる。お前のせいで英二に怒られて散々な目にあったんだぞ」
大石が溜息をつき、背後で英二の笑う声が聞こえた。
「それだけじゃ、」
「観月と赤澤の刑罰が確定した。青の国からの追放だ。本来なら明日言い渡すはずだったが、先にお前が刑を執行したようだな」
仁王の言葉を先取りした柳が言う。
「即位して全てが終わったわけじゃない。これからも手伝ってもらうぞ、仁王」
大石が笑って仁王の肩を叩く。
薄暗い鉱山の道をみんなで城へ向かって戻りながら仁王はなぜか泣きたいような気分になっていた。
**
祝いの宴が終わったのは深夜を廻った頃だった。
来賓たちが部屋へ戻り、まだ数の少ない兵士や使用人たちが後片付けをする中、大石たちもそれぞれ部屋へ下がる。
夜着に着替え寝台に入ろうとしていた大石の部屋の扉が小さくノックされた。
こんな時間に何かあったのだろうかと訝しんで大石は部屋の扉を開ける。
「英二?!」
扉の外には夜着の上に薄い毛織物を羽織った英二が立っていた。
「寒いんだけど。入ってもいい?」
「かまわないけど・・・どうしたんだ?こんな時間に」
「夜這いしに来たんだー」
「夜這い?!」
驚く大石に英二が笑う。
部屋へ入るなり宣言通りさっさと大石の寝台に潜り込んでしまった英二が、布団の中から手招きする。
嬉しくないといえば嘘になるが、かといって突然過ぎて大石はどうしたものか迷いながら寝台に近づいた。
「ほら、寒いんだから、ぼーっと立ってたら風邪引くよ?」
「いや、でも、英二。夜這いっていうのは・・・」
「はーやーくー!」
戸惑う大石を焦れた英二が引っ張り、ようやく大石も布団の中に入った。
「英二・・・」
「大石、おめでとう。やっと王様になれたね」
額がくっつきそうなほど顔をを寄せて英二が笑う。
「ありがとう。実を言うとまだ実感がないんだ。でもここまでこれたのは英二やみんなの助けがあったからだし、いい国を造れるよう精一杯努力していくよ」
「これからもみんなで一緒に頑張っていこうね。オレもずっと大石の傍で手伝うから」
「・・・ありがとう」
ずっと傍にいてくれるという言葉が嬉しくて大石はじっと英二を見つめる。
そうして見つめられるのがくすぐったいとでもいうように英二がまた笑い、その拍子に額がこつんとぶつかった。
「それからね、大石」
「なに?」
「大好き」
額を合わせたままじっと見つめあっていた瞳がすっと逸れ、大石は額に柔らかく温かな感触を受けた。
それは次に右の頬へ、鼻先へ、そして左頬へと移動して、最後に唇に降りてくる。
「英二・・・」
「大石がヤキモチ妬いちゃうのって、オレの愛情表現が足んないのかなぁ?ってちょっと反省した。だからね、オレはすっごくすっごく大石のことが好きだよって態度で示そうかなって」
「それで夜這い?」
「そう」
英二がくすくすと笑う声が静かな部屋に響く。
大石は体中が幸せで一杯になったような気分で目の前の英二を抱き締める。
腕の中にあるその感触を刻みつけるようにし、そして今度は自分から口づけた。
「俺も英二が好きだよ」
「知ってる」
悪戯っぽく笑う大きな瞳は幼い頃と少しも変わらない。
失くすものが多かった辛く長い旅だったが得たものもある。
その中で大石にとって一番大きいのは英二だ。
英二だけは何があっても決して失うことのないように、永遠にこの腕の中にあるように。
大石は祈るような想いで英二を抱いた腕に力を込めた。
→end (2009・7・27〜2010・2・14)