海に咲く夢 3
快晴の空の下、白い帆に風を受ける船は海面を滑るように走る。
爽やかな海風は甲板の手すりにもたれるようにして海を眺める英二の髪を乱す。
海賊に攫われて船に乗せられてから5日が過ぎようとしていた。
最初の1日目は衝撃の大きさに茫然自失しているうちに過ぎた。
ショックから立ち直った2日目、大石に、返せ!戻せ!と散々詰め寄ったが聞き入れてもらえず、脅しやウソ泣きまでして見せたが一向に効果が無かった。
それなら、と作戦変更した3日目、どうにか逃げられないかと頭を働かせながら船を散策し、設置されてる救命艇を発見、大喜びで練った脱出計画を実行に移したのが4日目の夜。
結果から言えば逃亡は失敗に終わった。
同じ船室を使っている大石が寝たのを確認して、それでも念には念をと逸る気持ちを抑えて時間が経つのを待ち、部屋を抜け出したのが深夜。
ひと気の無い甲板をそろりそろりと音がしないように歩き、目的の救命艇がある場所へ行ってみると、そこには柳がいた。
「海上で逃亡を図るには船が必要になる。そしてお前が1人で動かせる船といえばここには救命艇しかない・・・が、それは止めたほう賢明だ」
思いがけない姿に動けずにいる英二に、柳は淡々と説明を始める。
「まず第一にお前は海図を知らない。だから船の現在地も、最も近い島までの距離も方向もわからない」
「そうだな、ここから1番近い島まで手漕ぎの船で行くとしたら、最短距離をとっても10日はかかるぞ」
背後からの声に反射的に振り返れば、船室で寝ていたはずの大石が立っていた。
双方を警戒してジリジリと距離を測る英二を気にもせず、柳と大石は話を続ける。
「うむ。ただし、海での10日間は陸での10日間とは天と地ほどの差がある」
「この辺りは気候も変わりやすいし、大型の鮫も多いしな」
英二は暗い海に視線を投げた。
この船から脱出できれば、それで国に帰れる気でいた。だけど。
「救命艇のような小型のボートで、陸地に辿り着ける確率は1%に満たない」
「嵐にあって波に飲まれるか、鮫に船をひっくり返されてエサになるか。ここは一般に使われている航路からも外れているし、運よく通りかかった船に拾われたところで、また海賊船だったなんてオチもあるな」
英二はもう1度暗い海に視線を移す。
三日月の細い光は漆黒の海に届かない。
昼間はあんなに眩しいほど光り輝く海が、ただ夜だというだけでどこまでも暗く、黒く、辺りの全てを巻き込んで闇の塊となる。
今更ながらに背筋が寒くなった。
こんな所にたった一人、小さなボートで漕ぎ出そうとしていたのか。
「・・・さぁ、船室に戻ろう」
この船から逃げられない。
もう二度と父や母や兄に会うこともなく、ずっとこの海にいなくてはならないのだろうか。
項垂れた英二の肩を抱くように大石が腕を回す。
「あまり無茶なことは考えるな。生きていなければ、それこそどこにも帰れないんだぞ」
静かに話す大石の声が不安と失意で軋む英二の心に触れる。
「心配しなくていい。悪いようにはしないから」
顔を上げればそこには柔らかな笑みを浮かべた大石がいた。
自分をこんな状況に陥れた張本人であるはずなのに、その大石の笑みに、言葉に、なぜだか英二はひどく安心したのだった。
「おい、ただボーっと海見てて飽きないか?」
海を眺めながらいつの間にか物思いにふけっていた英二は、声をかけられて振り返る。
そこにいたのは釣竿を手にした黒髪の、港で英二の頭を撫でた男だった。
「・・・だってすることないんだもん」
「だったらよ、釣りしないか?釣り。昼飯にすっからさ」
「釣り?魚が釣れんの?」
「・・・そりゃ釣れるだろ。ここは海なんだからよ」
「やる!」
黒羽と名乗ったその男に釣竿を渡されて、いくつかの釣りのコツを伝授された。
ただ退屈しているよりはいいかと始めた釣りだったが、面白いように釣れる魚に英二はすっかり夢中になる。
「あ!なんかキレイなのが釣れた!」
「んー?ああ、そいつは、」
「ブルーデビルだな。残念だけどそれは食べられないよ」
いつの間に来ていたのか、大石が釣り上げた魚を眺めている。
「え?そうなの?」
いつも知らぬ間に側に立っている大石に、最初は驚かされていた英二もだいぶ慣れてきた。
「デビルなんて名前がついてるけど、幸運を呼ぶ魚だと言われてるんだ。悪いけど逃がしてやってくれないか」
「食ってもマズイしな」
「ん、わかった。そーれ!」
釣り針を外してもらった青い魚がキラリと陽光を弾いて海に帰っていく。
それを3人で見送った後、黒羽が釣竿を片付け始めた。
「さぁて、このくらい釣れれば、昼飯には充分だろ。それじゃ俺は料理に取り掛かるぜ。手伝ってくれてサンキューな、王子」
魚を満載したバケツを軽々と両手に持った黒羽が船室に消えていく。
その場に残された英二はまたすることがなくなって、手すりにもたれてキラキラと光る青い海を眺めた。
日が昇れば海はこんなにも美しい。
「逃がしてくれてありがとうな」
隣に並んで同じように海を眺める大石が礼を口にする。
英二にはそれがとても不思議なことに思えた。
「・・・大石ってさ、なんか変な海賊だよね」
「そうか?」
「だってさ、海賊ってもっと悪そうじゃん。魚逃がしてありがとうなんて絶対言わないよ」
「はは、そうかもな。ただ、無駄な殺生はしたくないだけなんだ。どんな生き物でも・・・命は大切だと思うから」
海を眺めたまま話す大石の横顔が、ほんの僅かに翳ったのを英二は見逃さなかった。
「・・・あのさ、大石はなんで海賊になったの?」
大石に海賊は不似合いな気がした。だから聞いてみたくなった。
「・・・それは、」
大石の顔が苦しそうに歪む。
聞いてはいけないことだったろうかと英二が慌てたその時、船室の扉が開いて黒羽が顔を出した。
「大石、柳が呼んでるぞ!」
「ああ」
黒羽に返事をして振り返った大石には、もう先程の苦渋の表情はなかった。
ただ深みを増した瞳が英二をまっすぐに見つめる。
「途中で悪いな。その話はいつか、そうだな、時が来たら話すよ」
船室に消えていく大石の後姿を見送って、英二はまた海へと視線を戻す。
強くなった海風が英二の髪をなびかせる。
無駄な殺生を嫌う男が海賊になる、その理由を知りたかったけれど今はいい。
いつか話すと言ってくれたのだからそれを待てばいいのだ。
自分のことも悪いようにはしないと言ってくれた。だから信じていればいい。
大石は大丈夫。信じても大丈夫だ。
海と空が繋がる水平線を眺めながら、英二は大きく深呼吸をした。
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