海に咲く夢 8
英二が海に出ておよそ一月半が経った。
その間まったく島への寄航をしていない為、船に積み込んであった食料はほとんどが底をついている。
最近の主食はもっぱら魚で、その魚を釣り上げるのが英二の仕事となっていた。
毎日朝起きてすぐに釣竿を持って甲板へ出る。
その時々で手が空いてるものが手伝ってくれたり、冷やかしに来たりする。
今日、横に並んで釣竿を手にしているのは、珍しいことに柳だった。
一月半も船に乗っていれば、英二にもそれぞれの役割や性格、人物相関図といったものが見えてくる。
リーダーは大石でそれを補佐しているのが柳だ。
大石の考えを聞き、それを意に副う形にして他の海賊達に指示して回る。
個性的な海賊達をまとめ、監督し、その合間をぬって英二に航海術を教えたりもする。
たぶん、この船で1番忙しいのが柳だろうと英二は思う。
「柳がこうやって釣りしてるのって、なんか不思議」
「たまの息抜きは悪くない。それに釣りは考え事をするのに適している」
「じゃあオレ、話しかけたりしないほうがいい?」
「いや、問題ない。むしろなんでもない会話の最中に、思わぬヒントが隠されていることもある」
ふぅん、とわかったようなわからないような返事をした英二に、柳が少し笑う。
いつも落ち着いていて冷静な柳が自分と同い年と知った時、英二はものすごく驚いた。
こうして笑っていると年相応な顔に見えるけれど、普段はとても大人びて見えるからだ。
2人で並んでのんびりと釣り糸を垂れる。
釣り上げた魚の名前を聞いたり、その名前の由来を教えてもらったり、あげくはどうやって食べると美味いといった料理法にまで話が広がる。
柳の幅広い知識に感嘆していた英二が、鼻腔を掠めた匂いに、あれ?と顔を上げた。
「雨の匂いがする」
「雨の匂い?」
「うん。もうすぐ雨が降るよ」
英二の言葉に柳が空を見上げる。
青く晴れた空には一片の雲も無い。
「雨雲は見当たらないが、確かに風は強くなってきたな」
「オレ、雨が降るのだけはわかるんだー。なんかそういう匂いがするんだよね」
「ふむ。動物は気象の変化を敏感に察知するというな」
「・・・それってオレが動物みたいってこと?」
「なに、人間は元々動物なのだから気にすることは無い。王子は少し野生に近いだけだ」
「全然フォローになってないと思うんだけど」
小声で呟いた英二の言葉が聞こえなかったのか、柳は風が吹いてくる東の空を見つめている。
ほんの少しずつ雲が流れてきていた。
「野生の勘が当たりそうだ。釣りはここまでにしよう」
「まだ降らないよ?」
「この風速から計算すると1時間もしないうちに嵐になる。色々と準備が必要だ」
手早く釣り道具を片付け始める柳につられるように、英二も大急ぎで片付けた釣竿を抱える。
魚の入ったバケツを船室のドアまで運んでくれた柳は、後を英二に任せてみんなに嵐が来ることを伝えに行った。
いくらもしないうちに空が暗転し波が高くなる。
大粒の雨がひとつぶポトリと落ちた次の瞬間には叩きつけるような豪雨になった。
海は大きく荒れ、船は舵が満足に取れずに、唸る波間をきりきりと舞う。
甲板で作業の手伝いをしていた英二は、雨が降り出す直前に大石に船室に入るよう言われた。
事前に準備を始められたから、英二が部屋へ入る頃には作業はほとんど終わっている。
大揺れに揺れる部屋で、英二はもうすぐみんなも船室に戻ってくるものとばかり思っていた。
だが、いくら待っても誰も戻ってくる気配が無い。
「みんな、どうしたんだろう」
揺れる船内を柱や壁の装飾の突起に掴まりながら、英二は甲板に出るドアまで歩く。
ドアにはめ込まれた小さな丸窓から覗いても、ひどい雨に阻まれて外の様子は見えない。
ずぶ濡れになるのを覚悟してドアを開ける。
僅かに開いただけで暴風と雨が押し寄せて、目を開けているのすら難しい。
ぼやける視界を必死にめぐらせると、マストの側に誰かが立っているのが見える。
英二は船室のドアを後ろ手に閉め、風に逆らうようにしてマストへ向かった。
船が波に揉まれて大きく上へ下へ、左へ右へと揺れる。
さらに甲板は雨で滑り、風はひと1人くらい吹き飛ばしてしまいそうな程強い。
ともすれば海に投げ出されそうになる中を、英二は人影に向かって少しずつ慎重に歩みを進めた。
近くなってくるにつれて、豪雨の中で何か作業をしている人影がはっきりしてくる。
「黒羽!」
側に寄って風にかき消されないよう大声で呼ぶ。黒羽が驚いたように振り返った。
「王子!なんだってこんなとこにいるんだ!出てきたら危ねぇだろうが!!」
「だって、誰も戻ってこないし!まだ作業が終わってないならオレも手伝う!」
「手伝うって言ってもよ、」
言いかけた言葉が終わらないうちに、ひときわ高い波に運ばれた船が急降下した。
反動で船の縁にぶつかりそうになった英二を黒羽が腕を取って引き寄せる。
「縁に寄るな!波に攫われちまうぞ!」
「ん、わかった!で、オレは何をすればいい?」
「だから・・・」
黒羽は部屋に戻れと説得しようとして止めた。
二つ三つの子供じゃないのだから、この状況が危険であるとわかっているはずだ。
わかっていて、それでも何か手伝いたいと部屋から出てきたのなら、その意気込みは認めてやるべきだ、そう思ったからだ。
あとで大石が怒るだろうなぁ、と小さく溜息をついて、黒羽は英二に作業を説明した。
「このロープを押さえてればいいんだね?」
「おっと、その前に」
黒羽は置いてあった予備のロープを手繰り寄せて、英二の腰に巻きつけた。
しっかりと縛った反対側の先をマストへ解けないようにしっかりとくくりつける。
「これなら海に落ちることもないだろ。それじゃしっかり押さえててくれよ」
「まかせといて!」
黒羽が中断していた作業を再開させる。
嵐の前に畳んだ帆をくくりつけていたロープが緩み、帆が広がりかけていた。
その帆を黒羽がマストに登って、手にしたロープで広がらないよう縛り付けている。
英二が押さえているよう言われたのは、緩みかけているロープの先端。
これを離してしまうと帆が広がってしまい、そうすれば強風に煽られた船は転覆してしまうと黒羽は言った。
英二は何が何でも離すまいと、ロープを二重三重に腕に巻きつけ、両手でしっかりと押さえた。
黒羽の作業が終わり、気がつけば雨は降り続けているものの、波はだいぶ穏やかになってきていた。
雨雲を運んできていた遠い東の空に光が差し込むのが見える。
「王子、よく頑張ったな。おかげで船がひっくり返らなくて済んだぜ」
「雨ももうすぐ止みそうだよ。ほら、あっちの空が明るくなってる」
「おおー。助かったぜ。雨の中ずっと動き回ってたから、もうヘトヘトだ。そういやまだメシも食ってねぇ」
黒羽が腹をさする仕草で英二もお腹が空いていることに気づいた。
釣った魚は台所に置いてあるから、焼けばすぐに食べられる。
「みんなもお腹空いてるよね。オレ、台所に行ってご飯の支度してくる」
「ああ、そうしてくれ。もうだいぶ波も静かになったし、大丈夫だろ」
それじゃ早速、と船室に向かおうとした英二を腰のロープが引き止める。
ガッチリと結んであるロープを黒羽に外してもらおうと振り返った先に大石の姿が見えた。
「あ、大石だ!大石ー!」
無事に嵐を乗り切り、尚且つ黒羽に頑張ったと褒められて浮かれていた英二は、大きく手を振って大石を呼んだ。
声に振り返った大石の表情が、ずぶ濡れの英二の姿を見つけて険しく変わる。
「英二!なにやってるんだ!まさか、ずっと外にいたのか!?」
「最初は部屋にいたよ。でも誰も戻ってこないから、まだみんな仕事が残ってるんだと思って手伝いに、」
「危ないから出るなと言っただろう!!」
英二の話を遮って大石が怒鳴る。その剣幕に英二が竦んだ。
さすがにこのままじゃマズいと黒羽が2人の間に入る。
「まぁ、大石、そう怒るなって。ほら、ちゃんと命綱もつけたし、」
「黒羽!お前がいながら、どうして英二を部屋に戻さなかったんだ!」
大石の怒りは黒羽にも向けられる。
「すまん、大石。でもな、」
「オレがやらせてって言ったんだ!黒羽はちゃんとオレが危なくないようにしてくれたよ!見てよ、オレ、どこも怪我してないし、海にも落ちてないじゃん!」
自分だけじゃなく黒羽まで怒られたことに納得できない英二が大石に向き直る。
英二にはどうして大石がここまで怒るのか理解できない。
「今回は運が良かっただけだ。次から勝手は許さない。言うことを聞けないなら部屋の柱に縛り付けるからな」
「・・・・・・!!」
冷たく言い放った大石に英二は愕然とした。
嵐の最中に甲板にいて危ないのは、なにも自分だけじゃない。
みんなも同じように危ない目に合いながら、船を守る為に必死で作業をしていたはずだ。
その手伝いをしたいと思うことが、どうして悪いんだろう。
ろくに話も聞かず、切って捨てるような大石の態度に、英二もだんだん怒りがこみあげてくる。
睨みつけてくる英二を無視して、大石は英二の腰のロープを小刀で切る。
そのまま嫌がる英二の腕を引っ張って強引に船室へ向かった。
怒った英二が文句を言っても、返事どころか顔も見ようとしない。
船室のドアを開け、文字通り放り込むように英二を部屋に入れると、手荒にドアを閉めて去っていった。
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