TRUST 3
蓮二にとっては初めての大きな聖礼典だった。
赤子の時に小さな教会の前に捨てられ、年老いた神父に拾い育てられてからというもの、日々をずっと神と共に生きてきた。
国でも五指に入る大きな儀式の祭司に抜擢されたことは身に余る栄誉であり、無事勤めを果たすことができたことが誇らしい。
その上、普段はよほどの理由がなければ対面での謁見など叶わない王から、直々に、それも私室に招かれた。
自覚はなくとも気持ちはどこか浮ついていのだろう。
だから2人きりで差向い話していたというのに、彼の抱える深い闇に気づかなかった。
これ以上ないというほど間近に、その狂気すらはらんだ、苦しみに暗く燃える瞳が迫ってくるまで。
年若くして王になった男には、決して口に出すことは許されない禍々しい噂があった。
蓮二がその噂を知ったのは、口を噤んでいることができなくなった城の神官の懺悔を聞いたからだ。
先代の王と王妃、そして第一王子は悪魔の仕業で命を落としたと神官は語った。
神官は震えながらこうも言った。
生き残った第二王子がその悪魔であると。
光があれば闇が存在するように神がいれば当然悪魔も存在する。
だが蓮二は第二王子が悪魔だなどということは信じなかった。
魔とは人の心の弱い部分に巣食うものだ。
蓮二と同年の、まだ少年と言える歳で、若くして王位を継いだ戴冠式を蓮二も遠くから見ていた。
幼い顔に強い意志を浮かべる彼に、魔が取り入る隙など微塵もなかった。
立て続けに肉親を失うという過酷な運命を背負いながらも、決してそれに屈することも悲しみにに溺れることもせず、先代の王と同様に自らの勤めを果たそうとする姿には尊敬すら抱いた。
悲劇の王子などという芝居がかった同情などおよそ似つかわしくない強靭な精神を持つ少年。
それが蓮二を含め国中の人々が見ていた王の姿だ。
だが、それが過ちであったことを蓮二は知る。
彼に襲いかかった運命は、どれほど強い意志を持ってしても克服できるような生易しいものではなかったのだ。
祭服の布が裂かれる音をどこか遠くの出来事のような気持ちで聞いた。
恐怖はあったと思う。
震える手は知らず知らずのうちに胸の十字架を握りしめ、悲鳴を上げる代わりにもつれる舌は祈りの言葉を一心に唱えていた。
目の前の瞳に映し出されるのは生きながら地獄の業火に焼かれてでもいるような苦しみ、やり場のない怒り、そして癒えることのない悲しみ。
もはや暴力でしかない行為すら、まるで溺れる者が必死に縋りつくようで振り払えない。
耳元で聞こえる苦しそうな荒い息遣いはただひたすら助けを求めるかのようだ。
神よ。
どうか。
どうか、彼を、王をお救いください。
体を引き裂かれるような激痛で遠くなる意識の中、蓮二は彼の救済を必死に神に懇願していた。
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奇跡は起きなかった。
弦一郎は蒼白な顔で床に横たわる神官を見つめる。
無残に引き裂かれた祭服には点々と赤い血の染みが散る。
晒された雪のような白い肌は、手荒い扱いを受けて所々赤黒い痣を残していた。
奇跡は起きなかった。何一つとして。
神は愛する者を守りに来ることはなかった。
なぜ。
弦一郎は思う。
必死に助けを求めていたではないか。
哀れにも意識を失う寸前まで祈りの言葉を口にして。
それなのになぜ。
弦一郎は神官を見つめる。
凌辱された酷い姿であるにもかかわらず、神官はその神々しさも清廉さも失ってはいなかった。
赤黒い痣と対比する肌はどこまでも白く、床に乱れて散る髪は漆黒の絹のごとく艶やかで美しい。
ああ、そうか。
弦一郎は唐突に悟る。
穢れることなどないのだ。
何があっても清いままでいられる、それこそが神が彼に与えた恩寵なのだ。
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