TRUST 7




罪人は神に愛される資格がないというのなら、無辜の者を集めればいい。
それでも駄目なら敬虔深い者を。
どれほど敬虔深くとも、生きていれば知らず罪を犯すというのなら、生を受けて間もない赤子を集める。
なんの罪もない無垢な魂を守りたければ、非道な行いをする者に雷を。
我にその怒りの雷を落とせ。


中庭は乾く間もなく新たな血が流され続ける。
いったい、どれだけの民を犠牲にしたのか、もう弦一郎にもわからない。
異を唱える重臣たちをも神の供物に加え、明日は我が身と逃げ出す兵や使用人が後を絶たない。
城の中だけではない、暴君を恐れ他国へと逃亡を図る民は連日国境に続く街道へと行列を作る。
閑散とした街に残るのは行く当ての無い貧しい者や、足腰の弱った老人たちだけだ。
そして、人のいなくなった陰鬱な街に、溢れんばかりに建立された教会が、一斉に死者を弔う鐘を響かせている。

バルコニーに立つ弦一郎は、冷めた目で繰り広げられる虐殺を見つめながら、天罰を待つ。
どれだけ尽くしても寵愛を受けることが叶わないのなら罰でいい。
この身を神の怒りで引き裂き、焼き尽くして欲しかった。
もう充分過ぎるほど罪を犯してきた。
だが、いくら供物という名の生贄を捧げても奇跡は起きない。
「・・・もう止めてくれ、お願いだ、弦一郎。止めてくれ・・・」
傍らの蓮二は外の光景から顔を背け、蒼褪めやつれた顔で繰り返し訴える。
初めの頃は掴みかかり涙を流して訴えていた蓮二も、度重なる非道な処刑と聞き届けられない願いに疲れ、涙すら枯れ果ててしまっていた。
槍で突き、弓で射て、それでも何事も起きなければ、生きたまま火で焼いた。
愛する者たちをこれ程までに残酷な方法で奪われても、神は沈黙したままだ。

――なぜだ。

弦一郎は思う。
もし自分が神であれば、こんな行いをされて黙って見過ごすなどしない。
己の持てる力の全てを駆使して愛する者を守るだろうに。
「・・・蓮二。神はなぜ動かない?まだ供物が足りないのか?」
「もう、止めてくれ・・・」
他の言葉を失ったかのように、蓮二は止めてくれと繰り返す。
力なく縋る蓮二の白く細い指に触れ、弦一郎は慰めるように手を取った。
俯いてた顔を上げさせ、悲痛と絶望に染まる瞳を見つめる。

清い者。
敬虔深く、慈愛に満ちた、母のような。

――ああ、ここにいたのだ。

弦一郎は蒼褪めた蓮二の頬に触れる。
誰よりも神に愛されている者。
これ以上は望めないほどの、神への供物。
「蓮二」
名を呼び、微笑みかける。
同時に、腰に佩いていた剣を抜くと、そのまま深々と蓮二に突き立てた。



崩折れた蓮二から流れる血が絨毯を染めていく。
その身を貫いた血の滴る剣に目を向けた弦一郎は、忌まわしいものを見るように手にしていた剣を投げ捨てた。
跪き、差し伸べられる蓮二の手を取って、胸に抱くように身を起こす。
「・・・弦一郎」
悲しみに瞳を歪め、苦しそうに息を継ぎながら蓮二が口を開く。
「すまない、お前を、・・・救えなかった。・・・その苦しみを、・・・少しでも、癒してやりたかったのに」
「蓮二」
汗の浮かぶ額を手で拭い、乱れた髪を梳いてやる。
一心に自分を見つめる蓮二の瞳から、涙が一滴、二滴と流れ落ちる。
「弦一郎、」
震える手が弦一郎の頬を撫でる。
色を失い紙のように白くなった唇が、何かを言おうとして開かれ、だが微かな吐息だけで言葉にならない。
「・・・なぜだ」
段々と熱を失い、冷えていく体を掻き抱きながら、弦一郎は絞り出すように唸る。
手の中の命は刻々と消えつつある。
それなのに、なぜ、何も起きない。
雷が、この身を貫き、焼き尽くすはずではないのか。
「なぜだ!答えろ、神よ!!」
心の内で荒れ狂う怒りが、悲しみが、絶望が、慟哭となって溢れる。
それでも奇跡は起きない。
弦一郎の問いに神は答えない。

頬に触れていた蓮二の手が床に落ちる。
急速に光を失った瞳は弦一郎に向けられたまま、最後に落ちた一滴の涙と共にその命が尽きた。



**



片時も傍から離さないほど寵愛していた神官を手に掛けた王に、僅かに残っていた重臣たちもこぞって城から逃げて行った。
城内に残るのは、王の命令で民を虐げてきた一部の兵士のみだ。
がらんとした王の間に進み、いつものように弦一郎は玉座に座る。
今朝から頭に靄がかかったようで、なにひとつ正常に思考が働かない。
今も長年の習慣で玉座に腰掛けたものの、それから何をすればいいのか思いつかず、ぼんやりとしていた。
「処刑の準備が整いました」
告げに来た兵士に、弦一郎は王の間を見渡す。
何かが足りないと思ったが、そういえばいつも傍にいるはずの蓮二の姿がない。
「蓮二はどうした?まだ部屋にいるのか?」
「は?」
「呼んできてくれ」
怪訝そうな顔をする兵士を片手で行けと促して、弦一郎は玉座から立ち上がる。
開け放たれたバルコニーへ足を向け、庭を眺めた。
高い木の柵で囲われた中に老人たちが入れられている。
項垂れ、座り込み、中には横になっている者もいるが、総じておとなしい。

ふと、自分は何をしているのだろうか、と弦一郎は思う。
なぜ中庭に柵が作られているのか、その中にどうして老人たちが入れられているのかわからなくなった。
誰かに聞こうにも王の間には自分以外、誰もいない。
「どうして誰もいないのだ・・・蓮二はどこだ?」
独り言のように呟いても答える者はいない。
途方に暮れ、再度部屋を見回した弦一郎の背に、誰かがぶつかった鈍い衝撃が走った。
振り返ると小柄な老婆が背に貼り付くようにして立っている。
「・・・なんだ、お前は」
声をかけると、老婆が慄いて飛び退った。
その顔に狂気じみた笑みが浮かんでいる。
「やった、息子と孫の仇を取った!くたばれ、悪魔の化身め!」
甲高い声で笑いながら罵った老婆は、そのまま踊るような足取りで王の間から出て行った。
呆気に取られたように老婆を見ていた弦一郎は、背に感じた違和感を首を捻るようにして確かめる。
腰の少し上辺りに短剣の柄が見えていた。
違和感の原因はこれか、と手を伸ばして短剣を抜き去る。
途端に流れる血が腰から脚へと伝い落ちたが、そんなものは気にならなかった。
「蓮二、・・・蓮二!」
いつも傍にいるはずの蓮二がどこにもいない。
この広い王宮で、唯一自分の苦しみを知り、受け止め、分かち合ってくれる相手。
どれほど酷い行いをしても決して見離したりせず、いつでも優しく包むように愛を与えてくれる人。
「どこだ、蓮二」
部屋の中を彷徨うように歩き回り、目の端に射した一筋の陽に導かれてバルコニーへ向かう。
妙に体が重く自由が利かないのを不思議に思いながら、弦一郎は一歩ずつ足を進める。
徐々に霞む視界の中、ようやく開け放たれたバルコニーに辿り着く。
ここのところ厚く空を覆っていた雲が、珍しく切れて陽が漏れている。
久しぶりに見た陽光は厳かで美しかった。
見惚れるように空を見上げ、陽を浴びる。
上空を吹く風が千切れた雲を運び、陽がさらに強く地上に射し込んだ。

明るさを増したバルコニーの隅、きらきらと輝く陽の中に、弦一郎の探していた姿があった。
「・・・蓮二、ここにいたのか。探したぞ」
安堵で笑みを浮かべる弦一郎とは反対に、蓮二の顔には悲しみが浮かぶ。
「どうした?泣きそうな顔をして。何かあったのか?」
辛いことがあるならこの手で癒してやろうと、弦一郎は陽の中に足を踏み出す。
だが、足は動かずに、ただ体が前のめりに崩れた。
それでも這うように、少しでも近付こうと手を伸ばす。
「蓮二」
もう辺りには何も見えない。
闇の中に見えるのは目の前の光と、その中に佇む蓮二だけだ。
『弦一郎、迎えに来た』
光の中から蓮二が近づいてくる。
体の輪郭を縁取る光は彼方が透けそうなほど淡い。
ずっと頭の中にかかっていた靄が消え、弦一郎は唐突に自分が何をしたのかはっきりと思い出した。
「・・・俺はお前を手に掛けたのだな。・・・すまない、痛かっただろう。俺は、なんということを」
『もういい、弦一郎。お前の心の痛みに比べれば、俺の痛みなどどうということはない。・・・辛く苦しい思いをしたな。でもそれももう終わりだ』
床に倒れたままの弦一郎に蓮二が触れ、重さを感じさせない仕草で抱き起こす。
ふいに体が軽くなったことを弦一郎は感じた。
辺りの闇が晴れ、眩しい光に包まれる。
「見えるか?弦一郎」
蓮二がはるか上空を指さす。
そこには形を成さない、暖かで柔らかな光があった。
「あれが神だ。万人に等しく愛の光を注ぎ続ける。太陽のように」
「そうか、あれが」
怒りに雷を落とすこともなく、誰かを特別に憎んだり愛したりすることのない、太陽のような存在。
人々は平穏な日々を送れることを感謝し、祈りを捧げる。
それが全てで、それ以上でもそれ以下でもない。
初めて蓮二と話した時に言っていた、日々を健やかに過ごせることこそが神の恩恵という言葉を思い出す。
「・・・俺は自分の悲しみに溺れて道を誤ったのだな。いったいどれほどの命を無下に奪ったのか」
「神は罪びとをも迎えてくださる。一緒に償っていこう、赦されるまで永久の時をかけて」
「一緒に償ってくれるのか?・・・お前を殺めた俺を。赦してくれるというのか?」
「赦すもなにも、俺は恨んだことも憎んだこともない。・・・ただ、お前を愛しただけだ」
そうか、と呟いた弦一郎の顔に自然と笑みが浮かぶ。
愛する者たちを病で失い、もう誰も自分を愛する者などいないのだと思い込んでいた。
だから愛されたくて神に尽くした。
だが、こんな近くに、これほど深く、自分を愛してくれる者がいた。
心に重く凝り固まっていた悲しみや怒りが、全て光の中に溶けていく。
「行こう」
差し出された蓮二の手を取ると、弦一郎の魂も光に溶けて、暖かで柔らかな光の一部になった。





→end                                      (2010・11・18〜2011・6・28)